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国賓 オランダ国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐

2014-11-22 | 皇室と憲法
この度,ウィレム・アレキサンダー国王陛下が,マキシマ王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに今夕を共に過ごしますことを,誠にうれしく思います。
私が貴国を初めて訪れましたのは,今から61年前,1953年にエリザベス二世女王陛下の戴冠式に昭和天皇の名代として参列した後,欧州諸国を回った時のことでありました。貴国では,国王陛下の祖母君に当たられるユリアナ女王陛下並びに戴冠式でもお会いしたベルンハルト王配殿下から午餐にお招きいただきました。その後,貴国を訪れましたのは,私の結婚後の1979年,ルーマニア,ブルガリアを昭和天皇の名代として答訪した時で,皇后と共に貴国に二晩を過ごしました。最初の夜はスーストダイク王宮で催された,ユリアナ女王陛下の晩餐会にお招きいただき,そちらに滞在の後,翌日はベアトリックス王女殿下のお招きで御一家とヘット・アウデ・ロー御用邸で過ごしました。御用邸近くの公園を御一家と馬車で回りましたが,まだ御幼少であった国王陛下とコンスタンテイン王子殿下は,ポニーで馬車の後についていらっしゃいました。その時のことは,今も私どもの懐かしい思い出になっています。
陛下の母君でいらっしゃるベアトリックス王女殿下が我が国を御訪問になったのは1963年のことで,まだ二十代のお若い王女殿下でいらっしゃり,同世代の皇后と私は,非常な親しみを持ってお迎えいたしました。御即位後に国賓としてお迎えした1991年の御訪問には,当時皇太子でいらした国王陛下が御同行になり,かつてポニーで私どもの馬車を追っていらした陛下が健やかな青年に成長なさったお姿を,感慨深く思いました。この時のベアトリックス女王陛下の我が国御訪問はそれまでに何度か計画され,その都度国内の反対で取りやめとなったものが遂に実現を見たもので,私どもにとり,忘れ得ぬ御訪問となりました。その9年後の2000年には貴国の御招待を受け,私どもがオランダを訪問しています。この訪問に当たり,女王陛下は幾度か貴国の戦争犠牲者と話し合われ,行事はその人々の了解のもと行われました。この時の女王陛下の御努力に,今も深く感謝しております。
我が国は17世紀の半ば以降,鎖国政策を行い,日本人の海外渡航,外国人の日本滞在が禁止されましたが,貴国の商館は長崎の出島に移され,貴国の人々はそこに滞在することが認められました。したがって我が国が19世紀半ば鎖国政策をやめて開国するまで,長崎は貴国を通して欧州へ開かれた我が国唯一の窓でありました。人々は長崎に赴いてオランダ語を学んだり,オランダ商館長が江戸に将軍を訪問する機会に,貴国の人々から世界情勢や医学など欧州の知識を学びました。後には江戸の芝蘭しらん堂,長崎の鳴滝なるたき塾,大阪の適塾など日本各地でオランダ語を通して様々な分野の学問が学ばれ,19世紀から20世紀にかけて活躍し,その後の日本の発展を支えた優秀な人材を輩出しました。鎖国が解かれた後の我が国の発展にも,貴国の人々の寄与したところは多く,皇后と私は,特に日本の水資源の管理に力を尽くしたオランダ人,デ・レイケの功績に関心を抱き,日蘭交流400周年を前に彼の伝記が出版されたことを喜び合いました。
一方,西周や津田真道など,江戸幕府が初めて送り出した留学生が学んだライデン大学には,1855年,欧州で初めての日本学科が設置され,日本に対する関心を高める窓口となりました。
このように長きにわたって培われた両国間の友好関係が,先の戦争によって損なわれたことは,誠に不幸なことであり,私どもはこれを記憶から消し去ることなく,これからの二国間の親善に更なる心を尽くしていきたいと願っています。
現在,日蘭両国間では,幅広い分野で友好と協力の関係が進展しております。本年4月には,オランダについて専門的に研究する日本で初めてのコースが,長崎大学に設置されました。また,改築を経て2005年に開館した貴国にあるシーボルトハウスは,日蘭交流の新たな象徴として大きな役割を果たしています。今後とも,両国の国民が相互に関心を抱き続けることにより,交流の歴史が更に積み重ねられ,両国の間で新しい協力が育っていくことを期待しています。
この度の国王陛下並びに王妃陛下の御訪問が,世界の平和と両国の繁栄に向けた協力を改めて確認する機会になることを切に願っています。
ここに杯を挙げて,国王陛下及び王妃陛下の御健勝とオランダ国民の幸せを祈ります。

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