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ネパールの思い出  その2

2005-02-12 | アジアの想い出
さて、前回の記事にも書きました“カースト”。そうなんです。ネパールはヒンドゥーの国ですから、カースト制があるんですね。ちなみに、仏教徒も少数いますし、ムスリムも多いのです。
私の調査区では、結局、作業員さんの90%はムスリムになってしまいました。
ヒンドゥーは、お金が入ると、お酒飲んじゃうんですね。
調査は危険なことがありますから、酒臭いのを、どんどんクビにしたら、そうなったんですけど。

で、カースト制。ブラフマン階級が最上位で、次がチャトリ。あとは、いろいろです。
あまり他国の階層なんぞに興味はありませんでしたので、関係なく付き合っていました。
その、興味がない、というのは、ネパール人から見て、上品に感じられたようで、あとで褒められました。
概して、学者や役人など、交渉相手はブラフマン(バフンとも言います)が多いです。
登山のガイドで有名なシェルパとかグルカ兵のグルンなどは、チャトリ(クシャトリア)。
残念ながら、わが調査隊の主力であったムスリムは、その下のクラスだったらしいです。
でも中間グループのエンジニア(測量技師)、フォトグラファー、アーティスト(図面担当)などは、ブラフマン、ムスリム、チャトリなどの混成部隊で、とても善くしてくれましたし、仲良くしてました。
大体、ブラフマンのえらい学者さんは、日本やヨーロッパなどの学者と違って、図面を描いたり写真を撮ったりしません。みんな知識を弄ぶばかりで、調査の役にはたちません。
しかし中間層は、みんな実務部隊ですから、私が教えると、素晴らしい実測図を描くようになりました。
この実務部隊の仲間に、考古学の発掘調査法を教えるのも、仕事の一つでした。
逆に私の英語やカタコトネパール語の先生だったのは彼らです。
ネパールのカースト制は、インドのものとは若干違い、単に血統的なものだけでなく、宗教や部族、職業などによる文化グループのような感じでした。
それでも生活習慣などには区別があり、私には解らない差別もあったようです。
私自身は、差別が嫌いなので、敢えて家の宗教は神道。自分の信仰はキリスト教と答えていました(キリスト教徒には差別がないので、被差別階級の好む宗教でした)。
まんざら嘘ではありませんが。
で、彼らは、私の食生活を観察するのですが、魚は川魚、肉は保存が悪いので、ベジタリアン的生活をしていた私を、高いカーストと認定していたようです。
彼らの平常の食事である、そば粉のチャパティをお気に入りだったのも、良かったのでしょう。
また、現地の女性に、全く興味を示さなかったのも、良かったようです。
これは、帰国間際に実務部隊のリーダーに、笑いながら言われました。
よく、外国から来て、ネパールで女性問題で失敗する人がいたそうです。
そして「君は日本のプリンスと同じように、子供ができるだろう」と言われ、これは当たりました。
不思議なことに同年生まれで女の子でした。
当時、彼は父親が亡くなって、精進中だったので、苦行者のようでした。

まぁ、何だかんだ言っても、運が良かったわけで、調査は順調でした。
特に彼らの私に対する印象なんて、全く逆の結果になった可能性もあったわけですから。
何度か、ここを○○cm掘ると壁が出るよ、と言ったり、この遺構は、最終的にこうなるよと言ったりしたのが全て当たったので、学問的には完全に信用されました。
アジア諸国の学者を呼んで開いた、国際会議では、遺跡と遺構の解釈を全てネパールの学者に教えて、華を持たせたので、ネパール側の人間には非常に喜ばれ、トリューバン大学の学長からは博士号を進呈しようと言われましたが丁重にお断りしました。
私は学問的な部分に関しては、非常に独善的な人間で、いわゆる名誉や名声には興味がありません。ただ、自分の学問が優れていれば満足なので、ある意味では学問全体の進歩にも興味がないのです。
極論すれば、自分がわかっていれば良い、ともいえます。
誤解されて高潔な人柄、などと思われるので得ではありますが。

横道にそれましたが、まだまだ続きます。
(鮎川龍人)

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