日本にいたころに読んだ本だったか、見たテレビだったか
覚えていないけれど、こんなエピソードに出会った。
ある人が、臓器移植を受けた。確か肝臓だったと思う。
その後、その人の人格が変化したという話だった。
着るものの嗜好が変わり、性格すらも変わった。
まるで、亡くなったドナーが憑依したかのようになった
のだという。
そこで、話はこう展開する。
記憶というのは、脳の中だけに蓄積されるものではないの
ではないかということだ。
そして、最近読んだ記事にこんな下りがあった。
人間が持つのと同じ脳を再現するためには、身体が必要だ
ということが最近の研究でわかったということである。
詳細はよく分からないが、脳科学者のコメントなので
信憑性が高いのではと思われる。
脳、身体、記憶
これが、すべて個別に行われているのではなく、相互関係に
よって成り立っていると思われるのは非常に興味深い。
また、脳疾患をわずらい身体が思うように動かなくなった
老人がリハビリの一環として、毎日少しづつ歩くようにした。
少しずつ身体の自由が戻ってきたと同時に、ダメージを受けた
脳の一部も機能を取り戻し、長い年月をかけて、身体、そして
脳が回復したという話も聞いた。
かなり高齢のおじいさんであったが、今では毎日かかさずジョギング
できるまでになったという。
身体と脳、そして身体に蓄積される記憶・・
母が茶道を嗜んでいたこともあり、何度かお茶会に行ったことがある。
作法、作法、作法でがんじがらめになって、全く楽しめなかった。
お辞儀のしかた、お茶が回ってきたときにどうするか、飲み終わった
ときはどうするか、もう頭がいっぱいいっぱいである。
で、お茶の先生にそのことを話したときに
「頭の中で、次はこうして、ああしてと考えなくなるくらい何度も
何度も繰り返すことで、作法が身について、自分のものになっていく
ものなんです。」
これは、武道にも通じるものがあるかと思う。
頭で理解し、それを何度も繰り返し、最終的には身体が覚える。
反射的に反応するようになると言ってもいいかもしれないけれど、
しかし、身体を自ら動かすということには、かならず脳が関わっている。
目で見る、耳で聞く、脳に信号が届く、手・足が動く・・・という風に。
要するに訓練とか練習とかは、情報を得てから、身体を動かすまでの
情報処理のスピードを速くするということかと考えていたのだけれど、
先に書いたように脳「だけ」ではなく『身体』に記憶を蓄積する能力が
あるのだとすれば、訓練によって情報処理のスピードを上げるだけでなく
身体に覚えさせているという要素もあるのかとも思う。
しかも身体の記憶とは、性格とか嗜好までにも及ぶというのだから、
驚きだ。
人体の不思議である。
覚えていないけれど、こんなエピソードに出会った。
ある人が、臓器移植を受けた。確か肝臓だったと思う。
その後、その人の人格が変化したという話だった。
着るものの嗜好が変わり、性格すらも変わった。
まるで、亡くなったドナーが憑依したかのようになった
のだという。
そこで、話はこう展開する。
記憶というのは、脳の中だけに蓄積されるものではないの
ではないかということだ。
そして、最近読んだ記事にこんな下りがあった。
人間が持つのと同じ脳を再現するためには、身体が必要だ
ということが最近の研究でわかったということである。
詳細はよく分からないが、脳科学者のコメントなので
信憑性が高いのではと思われる。
脳、身体、記憶
これが、すべて個別に行われているのではなく、相互関係に
よって成り立っていると思われるのは非常に興味深い。
また、脳疾患をわずらい身体が思うように動かなくなった
老人がリハビリの一環として、毎日少しづつ歩くようにした。
少しずつ身体の自由が戻ってきたと同時に、ダメージを受けた
脳の一部も機能を取り戻し、長い年月をかけて、身体、そして
脳が回復したという話も聞いた。
かなり高齢のおじいさんであったが、今では毎日かかさずジョギング
できるまでになったという。
身体と脳、そして身体に蓄積される記憶・・
母が茶道を嗜んでいたこともあり、何度かお茶会に行ったことがある。
作法、作法、作法でがんじがらめになって、全く楽しめなかった。
お辞儀のしかた、お茶が回ってきたときにどうするか、飲み終わった
ときはどうするか、もう頭がいっぱいいっぱいである。
で、お茶の先生にそのことを話したときに
「頭の中で、次はこうして、ああしてと考えなくなるくらい何度も
何度も繰り返すことで、作法が身について、自分のものになっていく
ものなんです。」
これは、武道にも通じるものがあるかと思う。
頭で理解し、それを何度も繰り返し、最終的には身体が覚える。
反射的に反応するようになると言ってもいいかもしれないけれど、
しかし、身体を自ら動かすということには、かならず脳が関わっている。
目で見る、耳で聞く、脳に信号が届く、手・足が動く・・・という風に。
要するに訓練とか練習とかは、情報を得てから、身体を動かすまでの
情報処理のスピードを速くするということかと考えていたのだけれど、
先に書いたように脳「だけ」ではなく『身体』に記憶を蓄積する能力が
あるのだとすれば、訓練によって情報処理のスピードを上げるだけでなく
身体に覚えさせているという要素もあるのかとも思う。
しかも身体の記憶とは、性格とか嗜好までにも及ぶというのだから、
驚きだ。
人体の不思議である。