本の流れとして、第3の変化と第4の変化は
続けて堪能することにします。
第3の変化 あなたが選択する思考を変えよう。
「あなたの思考はあなたがつくり上げたものだ。
その思考は究極の現実とは何の関係もないことが多いし、
観察された現実とも何の関係もないことが多く、
たいては歪められた現実と関係している。それどころか、
多くの場合、歪められた現実をつくり出している。」
P70~71まで引用
津軽には七つの雪が降るが、現実には三つのバージョンあると
書いてある。
二ールは、一つの現実には三つのバージョンがあると知ったとき
眠りから起された感覚を覚えたようですが。。。
究極の現実
観察された現実(あなたの目の前に現れていること)
歪められた現実(起こっているとあなたが想像していること)
究極の現実については、後々明確になってきます。
思考は現実化する
あなたがある瞬間に経験するのはこの現実のうちどれかで、
どれになるかはあなたしだいだ。
あなたの頭:理性が思考を形成する前に何を扱っているかで決まるのだ。
P71より引用
経験=三つの現実のどれかを経験していることであります。
前回、我々が現実を創造するには、6つの要素があるということに
触れましたが、
出来事 データ 事実 思考 感情 経験
これを公式化すると
出来事+データ+事実+思考+感情=経験=現実
人間が、現実を創造するためには、この因果関係の連鎖を
通ることになるのですが、
頭:理性が思考を形成する前に何を扱っているかを見ると
思考の前には、事実があります。
そこで
第四の変化 あなたが選択する事実を変えよう。
現実には、三つのバージョンあることに触れましたが
事実にも三つのバージョンあるそうです。
(非常に似ていてややこしい・・・)
実際の事実
現れた事実
想像された事実
例えば、
配偶者が突然出て行く。あるいは解雇される。家を失う。・・・
様々な人生の出来事があなたに起こった場合
現れた事実を元にすると
現在という瞬間に起こっている物質世界の出来事について、
あなたが過去の歴史にもとづき「これはこうだな。」と思う。
なにが起きているか明確に観察できている状態なのです。
想像された事実を元にすると
どれもこれも、「ひどい」ことだ、自分は「不幸になる」
これから大変な「闘い」を強いられるなどなど・・・
さまざまな感情の渦に飲み込まれた状態になるのです。
・・・ほとんどのひとは、ものごとが変化するとき
「想像された事実」のなかで暮らし、自分の過去によって
それに釘づけになれている。
この「想像された事実」は思考を生み、その思考から感情が生じ、
その感情が経験をつくり出す。-それが現実だとひとは思う。
だがそれは「歪められた現実」なのだ。
P85より引用
そして、実際の事実は、
宇宙に存在するのはたったひとつの感情しかない
「愛」以外には存在しない。という事実ですww
恐怖や不安というのも、自分を愛しているから起きる感情であると
二ールは言うのです。
とてもシンプルなことだ。そうではないか?
だから、「恐怖」と「愛」は同一であって、表現が違うだけだ、
という論理には非の打ちどころがないことがおわかりだろう。
同様にほかのどんな感情も、かたちを変えた愛である。
存在する感情はたったひとつ、愛であり、それが一千もの方法で
表現されている。
P84より引用
非常に安っぽいニューエイジ的な教えのようですが、
この世の感情には愛しかないと言い張るのですww
エイブラハムは、感情ナビゲーションに従って
より善い感情にスライドさせるように言っていましたが
スライドさせる必要が無くなりました。
すべて愛なのww
そして次がとっても重要だと思うのですが
幸福の経験は与えられた状況とは何のかかわりもないことを
覚えてほしい。わたしたちはきっとかかわりがあると思いこんでいる。
だが外部の出来事と内部的な経験とは
(あなたの頭のなか以外のところでは)何のつながりもない。
中 略
出来事そのものには意味はない。出来事は出来事であって、
意味は思考だ。どんなことであれ、あなたが与える意味以外の意味はない。
そしてあなたが与える意味は、どんな外部的な出来事、環境、条件、
状況からも生まれはしない。
「意味を与えること」は、どこからどこまで、
すべて内部的なプロセスなのである。
P86より引用抜粋
どんな状況でも、幸せを感じていていいのよww
続けて堪能することにします。
第3の変化 あなたが選択する思考を変えよう。
「あなたの思考はあなたがつくり上げたものだ。
その思考は究極の現実とは何の関係もないことが多いし、
観察された現実とも何の関係もないことが多く、
たいては歪められた現実と関係している。それどころか、
多くの場合、歪められた現実をつくり出している。」
P70~71まで引用
津軽には七つの雪が降るが、現実には三つのバージョンあると
書いてある。
二ールは、一つの現実には三つのバージョンがあると知ったとき
眠りから起された感覚を覚えたようですが。。。
究極の現実
観察された現実(あなたの目の前に現れていること)
歪められた現実(起こっているとあなたが想像していること)
究極の現実については、後々明確になってきます。
思考は現実化する
あなたがある瞬間に経験するのはこの現実のうちどれかで、
どれになるかはあなたしだいだ。
あなたの頭:理性が思考を形成する前に何を扱っているかで決まるのだ。
P71より引用
経験=三つの現実のどれかを経験していることであります。
前回、我々が現実を創造するには、6つの要素があるということに
触れましたが、
出来事 データ 事実 思考 感情 経験
これを公式化すると
出来事+データ+事実+思考+感情=経験=現実
人間が、現実を創造するためには、この因果関係の連鎖を
通ることになるのですが、
頭:理性が思考を形成する前に何を扱っているかを見ると
思考の前には、事実があります。
そこで
第四の変化 あなたが選択する事実を変えよう。
現実には、三つのバージョンあることに触れましたが
事実にも三つのバージョンあるそうです。
(非常に似ていてややこしい・・・)
実際の事実
現れた事実
想像された事実
例えば、
配偶者が突然出て行く。あるいは解雇される。家を失う。・・・
様々な人生の出来事があなたに起こった場合
現れた事実を元にすると
現在という瞬間に起こっている物質世界の出来事について、
あなたが過去の歴史にもとづき「これはこうだな。」と思う。
なにが起きているか明確に観察できている状態なのです。
想像された事実を元にすると
どれもこれも、「ひどい」ことだ、自分は「不幸になる」
これから大変な「闘い」を強いられるなどなど・・・
さまざまな感情の渦に飲み込まれた状態になるのです。
・・・ほとんどのひとは、ものごとが変化するとき
「想像された事実」のなかで暮らし、自分の過去によって
それに釘づけになれている。
この「想像された事実」は思考を生み、その思考から感情が生じ、
その感情が経験をつくり出す。-それが現実だとひとは思う。
だがそれは「歪められた現実」なのだ。
P85より引用
そして、実際の事実は、
宇宙に存在するのはたったひとつの感情しかない
「愛」以外には存在しない。という事実ですww
恐怖や不安というのも、自分を愛しているから起きる感情であると
二ールは言うのです。
とてもシンプルなことだ。そうではないか?
だから、「恐怖」と「愛」は同一であって、表現が違うだけだ、
という論理には非の打ちどころがないことがおわかりだろう。
同様にほかのどんな感情も、かたちを変えた愛である。
存在する感情はたったひとつ、愛であり、それが一千もの方法で
表現されている。
P84より引用
非常に安っぽいニューエイジ的な教えのようですが、
この世の感情には愛しかないと言い張るのですww
エイブラハムは、感情ナビゲーションに従って
より善い感情にスライドさせるように言っていましたが
スライドさせる必要が無くなりました。
すべて愛なのww
そして次がとっても重要だと思うのですが
幸福の経験は与えられた状況とは何のかかわりもないことを
覚えてほしい。わたしたちはきっとかかわりがあると思いこんでいる。
だが外部の出来事と内部的な経験とは
(あなたの頭のなか以外のところでは)何のつながりもない。
中 略
出来事そのものには意味はない。出来事は出来事であって、
意味は思考だ。どんなことであれ、あなたが与える意味以外の意味はない。
そしてあなたが与える意味は、どんな外部的な出来事、環境、条件、
状況からも生まれはしない。
「意味を与えること」は、どこからどこまで、
すべて内部的なプロセスなのである。
P86より引用抜粋
どんな状況でも、幸せを感じていていいのよww