オータムリーフの部屋

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引きこもりを地域の力に―藤里町の挑戦

2013-11-24 | 社会

20~59歳と人生の盛りなのに、仕事なし、友達なし、未婚。寂しく、孤独な毎日を過ごす「SNEP(スネップ)」(孤立無業者)と呼ばれる人々の存在が今、注目されている。SNEP(Solitary Non-Employed Persons)は、ニート研究の第一人者、東京大学社会科学研究所の玄田有史教授が提唱した概念。玄田教授の調査によれば2011年の時点で、SNEPの人口はなんと約162万人。00年代を通して急増し、現在この数は20~59歳の総人口に対して、約2.5%を占める割合となっている。

 玄田教授の著作『孤立無業(SNEP)』(日本経済出版社)には「特に1997年から98年を境に、中高年の男性の間で、就職活動をあきらめた人たちが大きく増え始めた」と記述されている。

「一度職を失った後、いい年をして就職試験に落ち続ければ、どんなに強い人だって自信をなくします。SNEPと聞いて、怠惰な人の自己責任だと思うのは間違いです。今時、SNEPは誰にでも起こりうる問題なのです」(中高年のひきこもりの問題を取材してきたフリーライター、高島昌俊氏)

 SNEPがニートと大きく異なる点について、玄田教授もこう解説する。

「無業者を分類する際の切り口が異なります。無業者のうち、普段、知人や友人との交流がない人がSNEPに該当します。ニートの研究が若年無業者の貧困問題を浮かび上がらせたのに対して、SNEPは『孤立』が焦点です」

 なぜ、玄田教授は孤立に注目したのか。

「東日本大震災が起きた際、さかんに『絆』という言葉が語られましたが、その輪の中に加われない人たちの存在が気になりました。孤独死や無縁社会というキーワードが語られるようになったタイミングでもありました。日本社会全体が余裕をなくして孤独に向かっている時代では、孤立と無業の問題は切り離せないと思いました」

 SNEPは、年齢、性別、経済状況に関係なく、「今やどのような人でも無業者になれば孤立しやすくなる『孤立の一般化』は広がっている」ともいう。

 この分析は、無業になれば、人と接する場所や機会が奪われてしまうことを示している。地縁や血縁は薄くなり続ける世の中で、人と人とのつながりが「仕事」によるものばかりだという現実は、あまりに寂しい。

 そして、孤独が深まれば深まるほど、社会復帰はますます難しくなる。孤立と無業の負のスパイラルこそが、SNEPの最大の恐怖だ。(週刊朝日 2013年11月22日号)

日本全体が余裕をなくしてリストラが当たり前になった今、中高年の再就職は難しい。就職試験に落ち続ければ、どんなに強い人でも自信をなくし、就職活動をあきらめてしまう。今や誰でもSNEPの予備軍である。
そんな中、SNEPの画期的な解決策が確立されたと話題になっている町がある。人口3,800人の町、秋田県藤里町だ。若者の多くは町から出ていき、65歳以上の高齢者が人口の4割を超えている。クローズアップ現代(10/28)でたまたま藤里町の挑戦を視聴した。
 
その藤里町が、ひきこもりの問題に気付いたのは、2006年。きっかけは、高齢者の介護予防にあたっていた介護福祉士が、お年寄りから受けた相談だった。家にひきこもっている若者がたくさんいるから、調べてほしいと言う。自治会や民生委員、PTAなどのネットワークを活用して、広く情報を集め、一人一人のリストを作成した。すると、予想以上に多くの人が、家にひきこもっている実態が明らかになった。その数、100人以上。3,800人の小さな町に住む現役世代のおよそ10人に1人という驚くべき事態だった。
 
藤里町社会福祉協議会 事務局長 菊池まゆみさん。
「最初は10人、20人レベルを連想してたんですよ。私にとっては、精神疾患のある方々というイメージがちょっと強かったものですから。」
訪問による聞き取り調査を始めたが、
「怒る人もいるけれど、もう来ないでくださいと頼む人も・・・それは、ちょっと残念だったっていうか、悲しかったです。一瞬ひるんだっていうよりは、もう見なかったことにしたいなっていうのが、本当に本音でした。調査は3年に及びました。特に何が原因でひきこもったのか、悩みを聞くことは困難でした。過去の傷に触れることになるからです。また、外に出ようと誘っても、どこへ?と問い返されて、答えが見つかりません。出ていく場所は用意できていませんでした。」
 

訪問調査が始まった、2007年。ひきこもっていた人の1人に話を聞くことができた。
Aさんは、すでに10年近くひきこもっていた。Aさんもまた、突然の訪問を素直に受け入れることができなかった。
「最初、何しに来たか分からなかったですからね。何か訪問販売みたいで、怪しいと思いましたけど。うさんくさいなと思いましたけど。」
 
Aさんは地元の高校を卒業後、大学に進学。東京のコンピューター会社に、プログラマーとして就職した。しかし、スピードと高度な技術を要求される世界についていけず、結局、4年で退職。地元に戻ることにした。しかし、優しく迎えてくれるはずのふるさとで、厳しい現実に直面する。まず、地元のハローワークに通い、就職活動を始める。ところが、スキルを生かせる仕事はない。事務などに職種を広げて、面接を受けても受けても、不採用が続く。1年後、プログラマーとしての経験を生かしたいと、車で2時間離れた秋田市でも、仕事を探した。しかし、技術革新のテンポは速く、Aさんの経験と技術は、すでに価値のないものになっていた。再び、ふるさとに戻ったAさんは仕事を選ぶことを諦め、アルバイトの仕事にも挑戦する。しかし、高学歴があだとなり、アルバイトでさえ採用されない。不採用は、30社に達する。次第に、家から出ることができなくなる。不規則な生活が続き、追い詰められていく。
「受からない、会社に採用されない、という状況っていうのは、自分に何かが欠如してるんじゃないかっていう・・・・転げちゃうと、終わりますよね。なかなか、はい上がれない。」
 

この時、菊池さんが考えたのは、楽しい居場所を作ることだった。卓球やカラオケ大会などを企画すれば、外へ出てくるかもしれないと。
しかし、会場に姿を現す人は、ほとんどいなかった。訪問しても、なかなか会ってもらえず、悩みを聞き出すこともできない。外に連れ出すことにも失敗してしまう。
そんなある日、菊池さんの考えを大きく変える出来事が起こる。社会福祉協議会の採用試験に、21歳のひきこもりの若者が突然、現れたのだ。学校になじめず、高校1年で中退し、そのままひきこもっていたBさんだった。
「やっぱり二十歳過ぎてからですよね。周りは普通に就職して、結婚して、子どももいましたし…。本当に焦りはありました。本当に、何も経験してないのは自分だけだったです。」
 
突然の行動に驚いた菊池さんは、面接でBさんの思いを聞いた。
Bさんは、自分も働きたいと訴えた。それまでカウンセリングを第一に考えていた菊池さんにとって、予想外の訴えだった。
菊池さんは、方針を転換した。彼らは、働く場を求めている。そう確信した菊池さんは、働くきっかけを作ろうとする。
当時、注目したのは、失業者のための支援事業。ホームヘルパー2級などの研修が受けられ、資格を取ることができる。菊池さんたちは祈るような思いで、このチラシを、ひきこもっているすべての家に投かんした。ひきこもっていた人たちが、次々に姿を現した。働くきっかけを求めて、資格を取ろうと、家から出てきたのだ。そうした人たちの中に、10年以上ひきこもっていた、あのAさんもいた。
 
菊池さんは、ひきこもりへの考え方を根本的に改めた。
彼らは弱い人ではない。多くは、働く場所がないために、家にひきこもらざるをえなかった人たち。チャンスがあれば、よみがえる。
2010年、菊池さんは町役場の協力を得て、ひきこもっていた人たちのための就労支援施設を開設する。昼は、食事どころとして営業。自家製の手打ちそばや、うどんを食べることができる。ここで働き始めたのは、8人。
賃金は、1時間110円から550円。本格的に働くまでの準備期間にあたる、いわゆる“中間的就労”の働き方だ。
 
新しい取り組みも始まる。買い物が不便な地域に住む、お年寄りへの支援だ。
「いっぱい買っていいですよ。荷物運びますから。」マンツーマンで付き添い、買い物をサポートする。外出が難しいお年寄りには、自宅まで配達する。
感謝されることで、自分が必要な存在であることを実感し、ひきこもっていた人たちが自信を取り戻し始めている。
 
藤里町では、ひきこもっていた113人のうち、50人以上が家を出て、そのうち36人が、すでに働き始めている。

今回の取り組みのすごいのは、社会のお荷物と思われがちな無業者が、若者がいなくなっている状況の中で、地域の宝だという発想の転換だ。
地域を支えてくれる人たちとして、みんなが信頼し、期待したことが大きい。
番組にも登場した玄田教授は「SNEPは、お荷物ではない。痛い思いをした過去があるから、お年寄りにもやさしく、地域での評判もいい」と、絶賛する。
 孤独に過ごした日々が弱者に対する優しさの糧となる。SNEPがよみがえり、社会の宝となる未来が日本のどこの町にも具現するように藤里町の挑戦に学びたいものである。

そして、もう一つ気になる大問題がある。もともと無業であることが常態の高齢者である。つれあいに先立たれることで孤立無援のひきこもりになりやすい。どうすれば孤立死を防げるか?他人事ではない自分の問題でもある。


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