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オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

格差が経済の足かせになる

2014-11-07 | 国際
 
格差というものは、どこまで拡大したら懸念すべきなのだろうか。これは道徳や政治の問題だが、経済の問題でもある。今日では、格差はある点を超えると重大な経済問題をもたらすとの認識が広まっている。
 世界で最も重要な高所得国であり、国内の格差が図抜けて著しい国でもある米国は、格差が経済にどんな悪影響を及ぼすかを教えてくれる試験台になっている。その結果は憂慮すべきものだ。

 この認識は今や、金融機関などにまで広がっている。格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)の米国チーフエコノミストの手によるリポートと、大手金融機関モルガン・スタンレーのリポートは、格差は拡大しているだけでなく米国経済に打撃を与えていると見ている。

 米連邦準備理事会(FRB)によれば、2013年の米国では、所得階層の最上位3%の世帯が全世帯の所得合計の30.5%を受け取っており、それに次いで豊かな7%の世帯が16.8%を受け取っている。つまり、残り90%の人々の取り分は半分をわずかに上回る程度だった。
 また、1990年代前半以降にこの所得の取り分が拡大したのは、最上位の3%だけだった。さらに、2010年以降は世帯所得のメジアン(中央値)が低下する一方で平均値は上昇している。つまり、所得格差は拡大を続けているということだ。

 モルガン・スタンレーのリポートは格差拡大の要因として、低いスキルしか求められない低賃金で不安定な職の割合が高まっていること、高学歴の賃金プレミアムが拡大していること、税や歳出の政策による所得再分配の規模が20~30年前よりも小さくなったことなどを挙げている。その結果、経済協力開発機構(OECD)によれば、米国は2012年に、比較的賃金の低い職の割合が高所得国の中で最も高い国になった。また米連邦政府の移転支出のうち、所得階層で最下位20%の人々の手に渡る割合は、1979年には54%だったものの、2010年にはわずか36%にとどまっていた。

 逆進性――それぞれの負担能力と比較した時に、貧しい人の負担が豊かな人のそれよりも重くなること――のある給与税が2015年度の連邦政府の歳入に占める割合は、32%に達すると予想されている。これに対し、高所得者の負担が相対的に重い連邦所得税の割合は46%になると見込まれている。
企業幹部の報酬がほかの人々に比べて大幅に増えていることに加え、労働者から資本家に所得がシフトしていることも重要だ。FRBの政策も比較的裕福な層に恩恵をもたらしてきた。FRBは資産価格を引き上げようとしているが、その資産の大部分は富裕層が保有しているのだ。こうした報告から、格差の拡大が経済に及ぼす影響が2つ浮き彫りになる。1つは弱々しい需要。もう1つは、教育水準向上ペースの鈍化である。

 あの金融危機がやって来るまでは、需要に関する最大の議論は、実質所得が増えない人の多くがその穴埋めに借金をしているというものだった。住宅価格が上昇していたからこそできたことで、2007年後半には、債務残高が可処分所得の135%相当額でピークに達した。
そこに危機がやって来た。多額の債務を抱え、追加の借り入れもできなくなった低所得者は支出を切り詰めるしかなくなった。その結果、消費の回復は過去に例がないほど弱々しいものになっている。

 返済能力のない人に向こう見ずに貸し付けるのは、理にかなったことではない。だが、お金を使う人に所得が再分配されるか、新たな需要の源が出現するのでなければ景気は浮揚しない。

 残念ながら、後者の新たな需要源がどんなものなのか、全く分からない状況にある。政府は支出を増やせる状態にない。企業は、需要に大きな伸びが見込めないことから投資を手控えている。純輸出も期待できない。今ではどの国も輸出主導の経済成長を望んでいるからだ。

 米国では教育を巡る状況も悪化している。現在25~34歳の世代が受けた教育のレベルが55~64歳の世代が受けた教育のレベルと変わらない国は、高所得国では米国だけだ。これは、大学教育大衆化の時代を切り拓いた米国にほかの国々が追いついてきたためでもあるが、貧しい環境に生まれ育った子供たちが、大学を卒業するのが難しい状況に置かれているためでもある。
S&Pのリポートによれば、最も貧しいグループに入る世帯で大学を卒業した人の割合を1960年代前半生まれと1980年代前半生まれで比較すると、この20年間で約4ポイントしか上昇していないことが分かるという。一方、最も富裕なグループに入る世帯では、この値が同じ時期に20ポイント近く伸びている。
大学卒でなければ、社会階層を駆け上ることができる可能性はかなり小さくなってしまうのが実情だ。その結果、裕福な家庭の子供たちは大人になっても裕福であり続ける公算が大きく、貧しい家庭の子供たちは大人になっても貧しいままとなる公算が大きくなっている。

 これは、持てる才能を発揮できない人たちだけの問題ではない。国全体の教育水準を高められなければ、その国の長期的な成功にも響く公算が大きい。国全体の教育水準が高まれば、国民全員がより高いレベルの繁栄を謳歌できるようにもなる。

 格差の拡大が社会にもたらすコストはまだある。筆者が思うに、その中でも最大のコストは、市民性の共有という共和国の理想が侵食されることだろう。
 米国の連邦最高裁判所は、富裕層の意に沿うように憲法を曲げようとしており、政治的平等という共和国の前提が危険にさらされている。富や権力において格差が大きく広がることは、以前にもいろいろな共和国を空洞化させてきた。この時代でも同じことが繰り返される恐れがある。

 とはいえ、そのような懸念を持たない人々にとっても、格差拡大がもたらす経済的なコストは無視できないはずである。米国のローレンス・サマーズ元財務長官が言及した需要の「長期的停滞」は、所得の再分配の変化に関係しているからだ。
 同様に、貧困層が教育の面で不利になる状況が次の世代に受け継がれていることも、経済発展の大きな足かせになりつつある。借金まみれで教育水準も上がらない経済では、将来の成功はおぼつかない。(2014年10月1日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
 
米国でも格差が経済に及ぼす影響に目を向けるようになってきたようだ。各国が輸出したいのだから、国が繁栄したいと思ったら、国民を豊かにして内需を拡大することだろう。そうでなければ、いくら円安になってもグローバル企業が日本に戻ってくるわけがない。戻ってきて輸出を増やせば、貿易摩擦が再燃するからだ。現地生産の規模は円高の追い風で増え続け、海外での売上高は2003年度の4668億ドルから2012年度の1兆344億ドルへ、現地での有形固定資産残高(土地を除く)は同じく136億ドルから375億ドルへ、現地従業者数は234万人から372万人へと急増した。この期間の日本経済の衰退ぶりはまさに対照的だ。いくら円安になったからといってもモラル的にも採算的にも需要のないところに生産拠点を戻すわけには行かず、日系グローバル企業の成長は日本経済の成長要因ではなくなった。それどころか、日系グローバル企業によって、非正規雇用が爆発的に増大し日本の労働者階級の賃金水準が大きく切り下げられてきた。グローバル企業の利益と国民の利益とは大きく相反するようになった。政府が主張する「トリクルダウン」は幻想、虚偽、騙しの方便でしかない。

世界を戦争に導くグローバリズム(中野剛志)

2014-10-23 | 国際

米国の時代は終わった。その次に来るのは、覇権国家なき大混乱。問題はこうした危機に政治も国民もあまりに鈍感なことだ。

中東の混乱は収拾がつかず、ロシアはクリミアを強引に奪取したが、国際社会はなす術がない。東シナ海、南シナ海では中国による挑発行為が止まらない。いずれも米国が世界の警察官として睨みを利かせていれば、考えられなかったことです。 イラク戦争の後、大きな転換が訪れたのです。米国はイラク戦争でかなりの打撃を受けた。そこにリーマン・ショックが襲いかかった。そのどちらも米国の大戦略のミス。自由や民主主義といった米国の価値観を武力で他国に押しつけ、混乱を招き、グローバル化で経済を不安定化させて、米国は衰退した。グローバリズムという思想の過ちの結果です。
 東アジアの緊張、中東の大混乱、ウクライナ危機などのトラブルが世界中でほぼ同時に起きたのは偶然ではありません。米国の覇権国家としての力が落ちたからこそ、ここぞとばかりに噴出したのです。米国が世界の警察官としての力が落ちてきたからこそ「日本も相当の責任を負担せよ」ということなのでしょう。そういう議論自体は10年前でもありました。でも、この10年で米国の国力は予想を超える速度で落ちてしまった。日本が集団的自衛権を強化し、米国に協力しても、もう間に合わない事態だと思います。
でも、日本は日米ガイドラインを見直して、周辺事態でなくても、米軍に協力しようとしています。でも、米国が日本を守れるのかは怪しいと思います。一例をあげると1982年のフォークランド紛争の際、米国が米英同盟に基づいて、派兵したかというと、していない。イギリスは独力でアルゼンチンからフォークランドを奪い返した。尖閣だって同じことです。アルゼンチンに対して動かなかった米軍が、核保有国であり、GDP世界第2位の中国に対して動くでしょうか。日米同盟強化の意味を問うべきです。
良くて中国への経済制裁でしょうが、経済制裁なんて効果がないのです。経済制裁にあってもロシアがクリミアを返還しないことからも明らかです。まして米中の経済関係は米ロよりもはるかに濃密です。米国が中国に経済制裁をしたとして、中国から経済的な報復をされたら、米国はかなりのダメージを受けてしまう。それに、そもそも日米安保条約は日本が武力攻撃を受けなければ、米軍は動かないことになっている。無人島に漁民を装った武装集団が上陸しても武力攻撃には該当しません。しかし、ウクライナの例を見ても分かるように、最初に制圧した者が圧倒的に優勢に立つ。

 国際秩序を維持するためには理想主義と現実主義という2つの外交上の考え方があります。理想主義とは、民主主義や経済的な自由主義を広めれば、米国の価値観に基づく国際秩序を建設できるという考え方で、冷戦後の米国はこの理想主義に立って、テロとの戦いや中東の民主化、経済のグローバル化を推進し、そして失敗した。一方、現実主義はイデオロギーではなく、パワーの均衡によってしか国際秩序は成り立たないという冷徹な考え方です。オバマ大統領は理想主義から現実主義に舵切りしたいが、うまくいっていない。なぜなら、現実主義を貫く大前提として、独裁国家であろうとなんだろうと、国内が統合されていることが絶対条件になるからです。ところが、今の中東はそれぞれの国家が硬いビリヤードのボールではなく、腐ったトマトのような状態ですから、パワーの均衡など目指すことができない。イラク戦争という理想主義の暴力によって破壊された中東の秩序は、もはや現実主義をもってしても回復し得ないのです。

 カーター政権で大統領補佐官を務めたブレジンスキーは1997年に書いた「壮大なチェス盤―アメリカの優位性とその地政戦略的課題」という本の中で、ウクライナの危機を見越していた。その彼が最も恐れる最悪の事態が、ロシア、中国、イランというユーラシア大陸の3大パワーが手を組んで反米同盟を結成し、米国をユーラシア大陸から追い出そうというものでした。それに近い事態が、今、起きつつある。米国の地政学的基盤はこの20年弱で、ブレジンスキーが考えているよりもはるかに腐食したと思います。

 日本の外交は八方塞がりです。靖国参拝をやめればどうにかなるといった段階は過ぎています。少なくとも10年前から、米国衰退という事態を見越して行動すべきでした。高校受験の前日になって、「勉強してないけれど、どうしよう」と言ったところで、どうしようもないのと同じです。
中東、東欧、東アジアとすべてにおいて、バランスが崩れていくと思います。今生きている人が経験したことがないような時代が来てしまったのです。(日刊ゲンダイ)


アメリカ後の世界の覇権や国際秩序についての議論がここ数年盛んになっている。その代表的なものが、アメリカと中国の2国が覇権を担う「米中G2論」、覇権国なき「Gゼロ論」である。
確かにアメリカの外交的な威信は揺らいでいるようにみえる。
しかし、アメリカが作り上げ、維持してきた国連を中心とする第二次大戦後の国際制度はいまだに有効である。対テロ戦争という消耗戦はこれからも続いていくだろうし、それに対応した安全保障戦略はアメリカ主導であり続けるだろう。アジア太平洋地域の安定化をもたらすのは、日米同盟や米比同盟というアメリカを軸とした同盟関係であり、中国の「封じ込め」であろう。
アメリカの金融システムには批判も多いが、新しい経済発展の理論は未だ見えない。グローバル化が進めば世界は平和になり、市場は世界的に広がり、経済発展が加速すると思われたが、実態は異なる。
新興国は先進国ほど政治が安定していない。欧州が近い将来、経済成長を取り戻すことはない。極右が台頭し、イスラム過激派も勢いを増すだろう。
 国内外を問わず、強欲資本主義がもたらした富の偏在がアメリカを衰退させ、その同盟国も弱体化させる。国民が貧困になり、内需が細っても海外に市場を求めていくグローバリズムがもたらす超格差社会が弱体化の元凶であるように思える。
 


息子を取り戻した父親

2014-10-13 | 国際

欧米からは数千人の規模で、アジアからもかなりの数の若者がイスラム国へ入国している。そして今回日本からも入国しているまたは入国しようとしている若者が存在することが明らかになった。家族も友達もなすすべがないのが殆どだが、TBSニュースでイスラム国に渡った息子を実力で取り返したハードボイルドタッチのブルースウイルス張りの風貌のかっこいい父親の存在が報道された。

 ベルギー人のディミトリー・ボンティンクさん(40歳)は軍隊にいた経験もあり、地元の人や報道機関の協力を得ながら息子をさがした。息子はカトリックだったが、15歳でモロッコ出身の恋人ができイスラム教と接点を持ち過激な原理主義にのめり込んでいった。去年2月に息子はエジプトに留学すると言ってベルギーを離れ連絡が取れなくなった。インターネット上でシリアの過激派組織が公開した映像に息子の友達が映っていた。
「シリアに行くしかないと思った。ただ見ているだけなんて耐えられなかった。」
2回シリアに行き、イスラム過激派組織に息子がいることを突き止めた。
「目隠しされ手を縛られてCIAのスパイだろうと暴行され、銃を突き付けられ死を覚悟した。最終的に息子に会いに来たとわかってくれた。」

 最終的に、ベルギーに連れて帰ることができたが、息子はテロ組織に参加したなどの疑いで逮捕された。
「若者というのは人生の理想を求めるものです。今のヨーロッパを見てください。理想なんてものはありません。私が子供のころは、ケネディやキング牧師がいた。現代はなにがありますか。私たちの社会のシステムに欠陥があるのです。私たちの社会に責任があるのです。子供たちを有罪にしないでほしい。彼らは被害者です。彼らは世界をよりよくしたいと願う若者たちです。イスラム過激派の奴らが宗教を持ち出して、若者を利用しているだけなんです」。
 各国政府が有効な対策を打ち出せない中、この父親の行動は讃えられるべきだし、彼の主張も正鵠を射ている。

父親は「息子が有罪になったら、イスラム過激派組織に入った若者たちは二度と祖国に戻らない」と訴える。
父親の元にはいま世界各国の親たちから「我が子も連れ戻して」との問い合わせが相次いでいるという。
ベルギーからもすでに400人近い若者が、イスラム過激派組織に加わるためシリアに渡ったといわれる。


イスラム国に対する爆撃を求めるアメリカに世界各国が支援を始めた。この「有志連合」には、 ヨルダンやサウジアラビアなどのアラブの5か国が爆撃に参加したのを始め、50か国以上がアメリカに協力する姿勢だ。ポーランドのような東欧諸国、デンマークのような北欧諸国も参加している。
イラクやシリアと関係の薄そうな国々が有志として立ち上がっている。NATO北大西洋条約機構は、一国への侵略を全ての加盟国への侵略とみなし、その防衛のためにアメリカを含む他の加盟国の軍隊が戦うことを義務づけている。
 北欧が多くの移民や難民を受け入れてきた結果、イスラム教徒が多いという事情もある。イスラム国で戦う欧米人も数千単位だ。こうした兵士が帰国してテロを起こす脅威もある。また、ノルウェーやデンマークの石油会社がイラク北部のクルド地域で操業している。イスラム国がクルド地域を支配するようになれば、撤退を余儀なくされるから、それを阻止したいと言う経済的な利害も働いている。
 

 安倍首相は会見で、米国によるシリア領内空爆について「これ以上の事態悪化を防ぐためのやむを得ない措置だ」と述べた。
 シリア空爆は国連安保理の決議を経ておらず、米国は国連憲章で保障された自衛権の行使だと主張している。 だがシリア政府から正式要請はなく、ロシアなどは反発している。米国は今のところ日本に軍事支援を求めていないが、事態が長期化すれば要請する可能性は否定できない。
 

 安倍政権は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。年内にも日米防衛協力指針(ガイドライン)を改定し、来年の通常国会で関連法を整備する方針だ。これまでは集団的自衛権行使を認めていなかったため、アフガニスタン戦争やイラク戦争で米国から支援を求められても非戦闘地域での支援などにとどめてきた。だが行使を可能にすれば、米国が日本に有志連合軍に加わるよう求め、自衛隊が本格的な戦闘に参加することになりかねない。
  

 今月、日本政府が新ガイドラインで「周辺事態」の文言を削除し、自衛隊の活動で地理的制約が外す方針を決めた。安倍政権は、自衛隊が、朝鮮半島など日本周辺で有事が起きた時に限らず、地球のどこでも、米軍と一緒に軍事活動ができるようにしようとしている。
 対米支援新法では、米軍への支援範囲を拡大させるために、周辺事態法が禁止している武器弾薬の提供や発進準備中の戦闘機などへの給油・整備も可能とする方針だ。これらが法制化されれば従来とは別次元の後方支援となり、自衛隊員が戦闘に巻き込まれる危険性は高まる。

いまや陸海空の自衛隊と米軍の司令部は同じ場所にあり、ミサイル共同防衛、日常的な共同軍事演習などが実行に移されている。
安倍内閣は、国民がいくら反対しても、首相とそのお友達で強引に閣議決定する政府だから、国民の意思は通らない、与党でさえ政府の暴走を阻止することができない。
こわ~い世の中がすぐそこまで近づいている・・・・


『帝国の慰安婦』朴裕河

2014-09-28 | 国際
朴 裕河(パク ユハ、1957年 - )は、ソウルで生まれ、高校卒業後来日。慶應義塾大学文学部国文科を卒業後 早稲田大学文学研究科に進み、日本文学専攻博士課程修了。現在、韓国・世宗大学日本文学科教授。女性。


さる6月16日、ナヌムの家(元日本軍慰安婦の共同生活施設)に居住している元日本軍慰安婦の方々から、昨年の夏に韓国で出版した『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い』を名誉毀損とみなされ、販売禁止を求めて訴えられるようなことがあった。(名誉毀損の刑事裁判、2億7千万ウォンの損害賠償を求める民事裁判、そして本の販売差し止め、三つの訴状が裁判所に出され、わたしにはこのうち差し止めと民事裁判の訴状だけが届いている。)刊行直後は多数のメディアがわりあい好意的に取り上げてくれたのに、10ヶ月も経った時点でこのようなことが起こってしまったのである。
この訴訟は、実質的にはナヌムの家の所長が中心になっている。裁判所で記者会見までしながらの告発だったが、その時の報道資料によると、ナヌムの家の所長が今年の2月にナヌムの家の女性顧問弁護士に依頼し、彼女がそれを受けて漢陽大学のロースクールの学生たちと一緒に本を読んで「問題あり」と判断したようだ。
わたしは本を出したあと、面会できる元慰安婦たちに会ってきた。当事者たちが考える「謝罪と補償」の形について聞きたかったからである。ナヌムの家はわたしを警戒し、今年に入ってからナヌムの家に行っても会わせてくれないこともあった。
その中でも特に親しくなった方がいたが、その方がほかの方々とこの問題に対する考え方がかなり違っていたことも、警戒された理由のようである。食事の場で偶然相席となり、いろいろと思いを話し、家族がいないこともあってその後わたしを頼りにし、時々電話をかけてきたりもしていた。
その方は、ほかの人と異なる考え方をしているために孤独な思いをしていた。ナヌムの家や所長に対する不満もよく話していた。
そこで謝罪と補償について、支援団体とは異なる考え方をしている元慰安婦たちもいることを伝えるべく、4月に「慰安婦問題、第三の声」と題するシンポジウムを開いた。「当事者の声」を出すと同時に、今のままではいけないとする「第三者の声」を出す意味もあった。そして幸いにして、日韓のいくつかのメディアがそうした動きを注目してくれた。

受け取った訴状には、『和解のために』(2006年に日本でも出版された朴教授の著書)のような本を放置したために『帝国の慰安婦』が出た、そしてシンポジウムまでしている、このままだとさらに別の本も書くだろう、そうなると朴の悪しき認識が広まることになるので問題であり、解決に悪影響を与える、と書いてあった。そこで、シンポジウム(つまり今の運動を批判するのがわたしだけではなくなったことの可視化)が好評だったことへの警戒も、告訴につながったことが分かったのである。わたしが親しくした元慰安婦が亡くなってわずか一週間後のことであった。
告訴の際、メディアに配られた報道資料には、わたしの本が「慰安婦を売春婦と言い、日本軍の同志とした。そしてそう認めろと元慰安婦たちに促した」とまとめられていた。文脈を無視し、しかも後半では事実無根のことを書かれたために、世論の激しい非難に晒されることになった。
そこで最初の週は釈明に追われ、2週目になってようやく、落ち着いた説明ができる原稿やロングインタビューの機会があり、多読家で著名な小説家の書評も出て、騒ぎは少し落ち着いた。
3週目に弁護士を見つけ(フェイスブックで、無料で訴訟代理人をしてくれるという人が現れた)、7月9日の第1回口頭弁論に臨んだ。わたし自身は出席しなかった。しかし、そこでは結論が出ず、9月17日に第2回の弁論が開かれることになっている。
この間、ナヌムの家の所長は2度、元慰安婦数人を同伴してわたしの勤務先にデモに来ていた。「大学をクビにせよ」「拘禁せよ」などのプラカードを持参してのことだった。所長は、「日帝の汚い娼婦、道ばたで会ったら顔につばをはきかけてやりましょう」というツイートをリツイートしてもいる。
幸いにして、学者を中心に「差し止め棄却」を求める嘆願書が作られ、数日で220人(学者、作家、詩人、アーティスト、出版人、そして一般の方も)の署名を頂くことができた。フェイスブック仲間を中心にわたしを支持・応援する動きも現れた。告訴直後から、激しい非難のなかでも、新しい書評や裁判に反対する意見が次々とあがってきている。
しかし、事態が一段落したかのように見えた7月中旬、今度は『和解のために』への攻撃がはじまった。9年前に出した韓国語版は、翌年に文化観光部(政府)の「優秀教養図書」に選ばれていたが、例のナヌムの家の弁護士がその取り消しを求めていく、という記事が出たのである。そしてその記事が出た当日、文化体育部は早くも「選定経緯を調べる」とコメントを出した。この動きは、徴兵された朝鮮人日本兵の遺族ら、被害者団体と関係の深い研究者やナヌムの家の顧問弁護士が率いている。別の新聞が出したこうした記事を、朝鮮日報とハンギョレ新聞、両極の保守とリベラル系の両新聞が支え、ハンギョレ新聞は『和解のために』が「日本の右翼を代弁」しているとまで書いた。

『帝国の慰安婦』の日本語版は本当は7月に刊行予定だった。しかし、裁判が係争中に出すのは無理ということで、延期になっている。しかし、すでに韓国での書評などを都合のいいように読み違える傾向が出ているので、早く出してもらえることを願っている。

この本で、わたしはナヌムの家ではなく、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺隊協)を再度批判している。本が出たとき、同協議会も告訴のために弁護士と相談しているので、今回のようなことを考えたのはナヌムの家だけではない。

あれから1ヶ月半、法律裁判と世論の「裁判」、両方の対応に追われる日々である。なんとか乗り越えたいと思っている。
(7月31日Facebookより 一部改稿 The Huffington Post)


韓国での日本軍慰安婦問題は「慰安婦本人の意見」が抜けており、慰安婦問題の支援団体が過度な民族主義を振りかざして日本から高額の賠償を引き出す道具になっているようだ。
『帝国の慰安婦』を読んでいないので確かなことは言えないが、著者インタビューや書評記事に引用された内容から推測すると、次のようなことが書いてあると思われる。

日本の公権力による強制連行はほとんどなかった。
挺身隊と慰安婦はまったく異なるのに混同によって20万人という慰安婦の数になった。慰安婦の大多数は20歳以上である。
慰安婦についての韓国人の常識である性奴隷にされた20万人の少女は、挺対協の作り話。
日本の朝鮮に対する法的責任は既に存在しない。その理由は1965年に補償が既に終わっているからだ。
日本の責任を問い、謝罪や賠償を受けるには、戦争の被害者ではなく、日本の植民地支配(日韓併合)の犠牲者として提訴すべきだ。
慰安婦被害者の中には、「日本の法定責任(日本の公式な謝罪)」を必要としていない人もいる。韓国で主張されている「日本国としての公式謝罪・金銭での補償」は、支援団体の主張である。当の本人は「お金さえ貰えたら良い」と言う方もいる。
 
 被害者感情に流されず、村山政権時代の対応と、「女性のためのアジア平和国民基金」の構造とその背景にも深い洞察がある。
 
 1994年(平成6年)に村山富市総理を首班とする自民、社会、さきがけの三党連立政権が誕生した。同年8月31日、村山総理は戦後50年に向けた談話の中で、「慰安婦」問題について、あらためて「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を表明し、この気持ちを国民に分かち合ってもらうために、「幅広い国民参加の道」を探求するとした。
 この談話を受けて、与党三党は、「戦後50年問題プロジェクト」(共同座長虎島和夫=自民党、上原康助=社会党、荒井聡=新党さきがけ)をスタートさせ、「慰安婦」問題は「従軍慰安婦問題等小委員会」(武部勤委員長)で検討を進めた。これまでの日本政府は、先の大戦にかかわる賠償及び財産、並びに、請求権の問題は、サンフランシスコ平和条約、およびその他の関連する2国間条約などにのっとって対応してきたとの方針を採ってきた。そうである以上、新たに国家として個人補償を行うことはできないという立場だった。これに対して、与党の中では個人補償を行うべきだという考えが強く主張された。意見の対立は、問題の解決に早急にあたるという観点から調整され、1994年(平成6年)12月7日、この問題での「第一次報告」がとりまとめられた。政府は、この「報告」を受けて、「慰安婦」問題に関して道義的責任を認め、政府と国民が協力して、「基金」を設立し、元「慰安婦」の方々に対する全国民的な償いの気持ちをあらわす事業と、女性をめぐる今日的な問題の解決のための事業を推進することを決定した。
「女性のためのアジア平和国民年金」は自民党政権では永遠に解決しない補償問題を、政局の偶然により誕生した「自社さきがけ政権」が何とか解決しようとしたものであった。
 まず平成7年度予算に「基金」経費への補助金4億8千万円を計上し、1995年(平成7年)6月14日、五十嵐広三官房長官は、「女性のためのアジア平和国民基金」の事業内容と、政府の取り組みを以下のように説明し、合わせて「基金」の設立を呼びかける「呼びかけ人」の顔ぶれを発表した。
 (1) 元「慰安婦」の方々への国民的な償いを行うため広く国民に募金をもとめる。
 (2) 元「慰安婦」の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対して、政府資金等により支援する。
 (3) この事業を実施する折、政府は元「慰安婦」の方々に対し、国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明する。
 (4) 政府は、「慰安婦」関係の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。またこれに関連して、女性に対する暴力など今日的な問題の解決のための事業を行うものに対し、政府資金等により支援することも明らかにした。
 基金は「医療福祉対策金」7億円を含め、出費された52億円の9割近くが実は国費だった。
 歴代韓国政権はこれを国民に知らせず、被害者補償用に日本が支払った金をインフラ整備の公共事業に使ってしまった。村山政権は仕方なく賠償金は民間からの義援金で賄い、政府支出は「医療福祉」という名目にした。つまり、法的に無理でも「道義的責任」は果たそうとしたのである。こういった「基金」の性格の詳細を韓国メディアは一切報道せず、また知識人たちも「インチキで、謝罪になっていない」と批判しただけで、村山政権の苦肉の策を理解しようともしなかった。村山政権は元慰安婦の人たちが生きてるうちに最善の策として法的に可能な賠償をひねり出したと言うべきなのに・・・・
 この「基金」は結果的に自民党の譲歩と反省を引き出し、日本の最高政治責任者の署名入り「お詫びの手紙」も出させ、元・慰安婦に一人200万円の「償い金」が(希望者に)支払われた。不充分ではあっても評価されるべきだと思う・・・・
 挺対協は「日本は罪を認めずに、責任逃れのために金で解決しようとしている」「国家賠償しないためのゴマカシ、卑しい懐柔策」と猛烈に反発した。
 さらに彼女は続ける。
 「慰安婦の人たちが終戦になって解放されたにも拘わらず自分の郷里に帰れなかったのは、同胞の人たちの蔑視に耐えられなかったからだ」 
 挺対協は日本の「基金」を受け取った慰安婦七人に韓国市民が募金で集めたお金を渡さなかった。民族的なプライドを慰安婦の人権よりも優先させたのだ。そもそも「基金」を受け取ろうが受け取るまいが、元慰安婦の自由ではないか・・・・
 「日本の金を受け取るなら韓国の金はやらない」と横暴極まる態度だが、そんな権限が挺対協にあるはずがない。
 
 
 日本軍の強制があろうがなかろうが、軍が慰安所設置を立案して、朝鮮人に女性募集や管理を委託したのは事実である。殺人委託の罪があるのだから、韓国慰安婦の被害者や「挺対協」が、強制連行の有無で罪を逃れようとする安倍政権を糾弾するのは当たり前だ。
 しかし、日本が譲歩しても誤りを認めて人道的に対処しようとしても、一向に態度を軟化させない相手にどう対処すればいいのだろう。 
 朴 裕河氏は被害者意識剥き出しでナショナリズムをヒステリックに訴えるような韓国人ではない。あくまでも論理的・実証的にアプローチする姿勢には好感が持てる。しかし、彼女の学究的論理的態度は韓国で袋叩きにあっている。
 

テロは犯罪、一方戦争は・・・・・

2014-09-12 | 国際

昨日は、アメリカ同時多発テロから13年目である。その9.11の日に、オバマ大統領が、イスラム国への対策として、シリア国内への空爆を宣言した。イラクとアフガニスタンからの撤退と核兵器の廃棄を訴えて オバマ大統領に、淡い期待を抱いたのだが、ブッシュ以上に酷薄である。

"We will hunt down terrorists who threaten our country, wherever they are"
"This is a core principle of my presidency: If you threaten America, you will find no safe haven."
「アメリカを脅かすテロリストはどこにいようと、追い詰めて捕まえる」
「アメリカを脅かす者に安息地はない」
 アメリカは9.11の同時多発テロを、暴力で解決しようとしてイラクやアフガニスタンに侵攻したが、筋違いの報復と言って良い。
 ビン・ラディンを殺害したが、テロは広がる一方である。テロは行為だけを残虐と評価しがちだが、テロを起こす側は弱者であり、暴力による抵抗以外に抵抗する手段を持たない。
 国家は、テロ行為を悪と断じ、国家が起こす無差別殺戮は自国民を守る正義の攻撃であるかのように認識しているようだ。ロシアはチェチェン人の抵抗をテロと断じ、アメリカも支援する。中国は、ウイグルの抵抗をテロと断じ、アメリカはこれに反対する。ウクライナではロシア系住民を支援するロシアが袋叩きにあっている。イスラエルが何をしようと、アメリカは常にイスラエルの側に立つ。
 テロと決めつけることで、戦闘員は兵士ではなく、犯罪者であり、ジュネーブ条約で守られることもない。
 
 今回、イスラム過激派がイスラム国と名乗っているのがなんとも皮肉である。国ならどんなテロ行為も正当化され、国民を守る正義の戦争となるのである。
 

アフリカで慕われる日本人起業家

2014-08-30 | 国際
豊富な天然資源を抱え、経済成長著しい「アフリカ大陸」。植民地支配から独立して半世紀が経ち、日本をはじめ世界中の企業が進出し始めている。しかし、彼らの目的は植民地時代の収奪と変わりない。現地人を短期の契約で安く使い、利益は本国に持ち帰る。
 
 先進国の収奪企業から利益を得る国民は一握りだ。大多数の貧困層は、内戦に苦しみ、難民キャンプで援助を受け続ける。自立とは程遠い現実がある。
"アフリカ人の自立"のため、起業し続ける日本人がいる。佐藤芳之氏(74歳)だ。50年近く前に単身、アフリカに渡り、一代で年商30億円、ケニア最大の食品加工メーカー『ケニア・ナッツ・カンパニー』を創業した。さらに齢68にして、その成功をケニア人に譲り、新たなビジネスに挑戦している世界に誇れる素晴らしい日本人だ。
 報道ステーションの取材によると、工場では機械を導入せず、住民の手作業で作業が進む。機械を導入すれば、数百人の雇用が失われるからだ。佐藤氏に話しかける40代の女性は母親の代から勤めていると言う。40年間、会社のおかげで安定した生活を送ることができ、母親は娘に佐藤氏の会社に就職するように勧めたと言う。

 『ケニアナッツ』はマカダミアナッツを中心に紅茶、コーヒーにワインなどを生産・販売し、取引先は、「ゴディバ」や「ネスレ」など世界企業も名を連ねる。工場で働くスタッフに、原材料のナッツを作る農民など、『ケニアナッツ』が生み出した雇用は10万人。その収入で支えられる家族は100万人。人口4000万人のケニアの40人に一人というからその規模は計り知れない。
 
 しかしその道のりは平坦ではなかった。遅刻に無断欠勤は当たり前。食品加工に携わりながら衛生面に無頓着・・・文化や風俗の違いが幾度となく立ちはだかった。
 そこで佐藤氏が持ち込んだのが"社員を大切にする"日本式の経営だった。無料で社員が利用できる医務室。家族が病院にかかれば医療費の85%は会社持ち。10時のティータイム。社員のために独自の社内ローンも設立した。佐藤の誠実さと日本式経営。この2つが相乗効果となりケニア人が自立できる会社が出来たのだ。

 年商30億円にまで成長した『ケニアナッツ』を佐藤は2008年、68歳の時に手放してしまう。ケニアの自立は達成できた・・・だが、自分が本当にやりたいのはアフリカ人の貧困そのものからの脱出だからだ。佐藤氏が向かったのは、ルワンダ。1994年の民族大虐殺で100万人が殺された国で新たなビジネスをスタートさせた。バクテリアを利用した公衆衛生事業だ。ルワンダでは貧困のためにトイレが不衛生、ハエを媒体にコレラや赤痢など貧困に輪をかける病気が蔓延していた。トイレがきれいになれば病気も減り、働く意欲も生まれると考え、トイレビジネスを起業した。佐藤芳之の生き方に共感する若者は多い。ルワンダでトイレビジネスを支える女性社長は34歳だ。
 経営者としてだけでなく、人間としてどう生きたらいいのか。物や情報が溢れ、日本人が忘れてしまったチャレンジ精神と社員を財産と考える心、100万人の“グランパ”と呼ばれる日本人がアフリカにいた!座右の銘はジェームズ・ディーンが残した「永遠に生きるがごとく夢みて、今日、死ぬがごとく生きろ」。まさに佐藤氏の生き様と言っていい。

佐藤氏の著作より
 私が半世紀前から生きているのは、他人の食糧を盗んだ者が当然のように殺されたり、一夜のうちに大事な畑をゾウの群れにめちゃくちゃにされてしまったりするような場所だ。また、4年前からビジネスを本格的にはじめたルワンダでは、たったの100日間で80万~100万人が殺された。
 日本にいると「一人の命は地球より重い」と言われるけれど、アフリカにいると「一人の命はパンよりも軽い」と実感する。動物がサバンナで生き延びるように、誰もが食べるために一生懸命だ。そういう場所から飛行機で16時間ほどで辿りつくと、東京はまるで別世界。何者からも命を狙われないし、無防備な恰好でぼーっと歩いていても危険な目にあうことはない。だから、着いて数時間が経つと、自分が動物であることをすっかり忘れてしまう。肉体ありきの存在であることが頭から抜け落ちてしまう。
 そうして人間になった私は東京の街中で、スマートフォンをいじりながら進む人々のあいだを歩いていき、難しいチャートやパワーポイントを持ち出してくるビジネスマンと話したり、眼鏡をかけた細面の記者や編集者と会ったりする。心地のいい椅子に座ってコーヒーを飲み、ガラス越しにビル群を眺めているうちに、たくさんの言葉が交わされて物事が進んでいく。
 
 このギャップは一体何だろう?
 半年に一度ほど東京を訪れるたびに考え込んでしまう。このあいだ、外資系のコンサルティング・ファームの人と話す機会があった。仕立てのいいスーツと誰からも好感を持たれそうなピンストライプのシャツに身を包んだコンサルタントは、気持ちのいい笑顔を浮かべて私に挨拶をした。
 挨拶のあと、たがいのバックグラウンドについて一通り話し、それからビジネスの話に入った。複雑なデータが分析され、緻密な予測が立てられ、最後に実に理にかなった解決策が提示される。すべてがとてもソフィスティケート(洗練)されていて、ロジカルで美しい。
 彼らはこの地球上でおそらくピカイチの頭脳の持ち主だ。国内外のベストの大学を卒業して、「東京にタクシーは何台走っているでしょう?」「マイクロバスにピンポン球はいくつ詰められるでしょう?」という難問奇問に難なく答えて入社、「アップ・オア・アウト(昇進するか、辞職するか)」の厳しい競争を勝ち抜いていく。彼らはエリートとして社会から一目置かれ、サラリーマンの平均給与よりもずっと高い報酬を手にする。
 思うに、彼らは「人間」の頂点に君臨する存在なのだ。平たく言えば、「一番アタマのいい奴」。動物的なものをとことん削ぎ落として、人間的なものを極限まで高めていく。日本、とりわけ東京という場所は、ニューヨークよりも、ロンドンよりも、世界中のどの都市よりも、彼らのような人材が生きやすい場所だ。身の安全が完全に保証されていて、あらゆる物事が腕力のあるなしではなく、言葉と論理を操る力で決着していく。
 
 先日、娘夫婦が住むベルギーの港町・アントワープを訪ねた。
 ベルギーは1885年、当時の国王レオポルド2世の時代にアフリカのコンゴを私有地化し、1908年からコンゴ民主共和国として独立する1960年まで植民地支配を続けた。その植民地時代にアフリカから持ち帰った収集品が、最近新装されたアントワープ美術館に展示されていた。その美術館へ、私はベルギーの建設・開発最大手のDredging, Environmental and Marine-Engineering N.V.を経営するベルギー人の友人と出かけた。彼は今年のロンドン・オリンピックを手がけ、次回のブラジル、リオ・デ・ジャネイロ・オリンピックでもチャンスをものにしようと虎視眈々と狙っている。要するに、超やり手の実業家だ。館内にずらりと並べられた「収奪の歴史」を二人で眺めていた時、彼がぽつりと言った。「ビジネスの競争はここにある『収奪』と少しも変わらない。『奪うか奪われるか』『やるかやられるか』だ」。世界中でハードなビジネスを勝ち抜いてきたすご腕の彼が、レオポルドヴィル(現在はコンゴの首都、キンシャサ)からベルギーに向けて発つ船の荷役作業を映す古びたビデオを前に立ちすくんでいる。その姿を見て、グッと来るものを感じた。
 私自身も24歳でアフリカ・ガーナに渡ってから、これまでに製材工場からはじまって鉛筆工場、ビニールシート工場、ナッツ工場……と実にいろいろなビジネスをやってきたけれども、彼の言葉には「そうだよな」と共感する。
 
 以前、僕がケニアで経営していたナッツ工場でこんなことがあった。当時、銀行に口座を持っている人などほとんどいなかったし、送金のシステムも整っていなかったので、工場では給料を現金で手渡すことになっていた。すると、その金を目当てに「強盗偽社員」があらわれて、給料をもらう長い列に紛れ込む。すると、その「偽社員」を見つけるやいなや、本物の社員たちは彼を袋叩きにして殺してしまうのだ。そばにいる警備員は見て見ぬ振り。後になってやって来た警察官も「偽社員」の無惨な遺体を見て「よくやった」と褒めている。当然、殺した側が罪に問われることもない。人の仕事の報酬を盗んで人の生存権を脅かす者は、死んで当然なのだ。ビジネス=仕事とは、本来「生きるか死ぬか」の問題、命の問題なんだと、その一件の報告を受けてつくづく思った。
 
 最近、あるIT起業家と知り合った。まだ30代半ばだが、すでに成功し30代前半にして年収は10億円を超えていたらしい。もちろん生活は悠々自適で、ゴルフ三昧の日々を送っている。私の30代前半といえば、結婚したものの定職にも就かず、でも漠然と「留学をしていたアフリカに戻って何かやりたいなあ」と思いながら当てもなくパチンコ屋に通う日々だった。そんなことを思い返しつつ、彼の話を聞いていた。別の日には、FTSEグループに務める女性とも話す機会があった。FTSEグループといえば、ロンドン証券取引所の子会社で債券や株のインデックス(指標)を作っている企業だ。二人には共通するものがあった。それは、「土」への憧れ。アフリカで土地を耕して、ナッツやコーヒーの木を植えて収穫する。そういう本当に原始的で、肉体的な仕事に二人は強く惹かれたらしい。結局、二人には、これからルワンダ、ウガンダ、ブルンジで新たにはじめようとしている農業資材ビジネスに協力してもらうことになった。
 普通に暮らしていれば命が危険にさらされることなど万に一度もないような環境で、頭脳をフルに発揮しエリートとして生きている二人。その二人が、アフリカの地で作物を育てるという、このうえなく泥臭い仕事に惹かれるのは、考えてみれば、皮肉なことだなあ、と思う。
 「未来はアフリカにあるのかもしれない」。50年前に初めて足を踏み入れた時には思いもしなかったけれど、今になると、そう実感する。人類は与えられた頭脳を働かせて、便利なものを次々に生み出し、複雑な経済や社会のシステムを作り出しはしたけれど、最後の最後に求めるのは、人間としてではなく動物として土に触れたり、何一つさえぎるものがない大空を眺めたりすることなのかもしれない。
 

水責めの拷問はCIAの手法

2014-08-29 | 国際

米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は28日、イスラム教スンニ派(Sunni)の過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が、シリアで拘束した少なくとも4人の欧米人に対し、拘束期間の早期の時点で水責めによる拷問を加えていたと報じた。これら欧米人の中には、今月殺害された米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー(James Foley)氏も含まれていたとされる。
 水責めは2001年の米同時多発テロ事件後に拘束されたテロリスト容疑者たちに対する尋問の最中に米中央情報局(CIA)が使用し、拷問的手法だとして各方面から糾弾された。
 ポスト紙が引用している情報源は、イスラム国はCIAが行った水責めのやり方を「正確に知っていた」という。

 
 9.11の同時多発テロの後にアメリカが主導して始まった対テロ戦争は、1950年代にさかのぼるアメリカ心理学と拷問の関係を浮き彫りにした。心理学者がグアンタナモ海軍基地や他の極秘の収容施設で行われてきたテロ容疑者への過酷な尋問に深く係わっていることがニューヨークタイムズ紙などのマスメディアによって報道されたのだ。
 M.ウィンターボトム監督の 『グアンタナモ、僕達が見た真実(The Road to Guantanamo)』(2006,イギリス映画)はパキスタン系のイギリス人青年たちが、ひょんな偶然からテロ容疑者に間違えられて捕えられ、グアンタナモへ送られて苛烈な尋問を受けた実話をもとにした作品で、ベルリン国際映画祭監督賞を受賞した。
 この映画に心理学者はあらわれない。しかし、尋問官や監視兵が繰り返し行う感覚遮断や隔離、自尊心の否定などの「強化尋問技法」は、アメリカの心理学者が開発したものだと言う。

イラクやアフガニスタンにおけるアメリカの監獄、そして、もちろん、キューバのグアンタナモでは、抑留者は、虐待され、裁判無しで、いつまでも拘留された。
調査の手が入らない監獄で、無辜の人も、有罪の人も、拷問される。だがアメリカ人は依然として、この体制や抑留者を自分たちと同じ人間だとは考えていない。
 そこでは無実の若者が多数収容され、筆舌に尽くしがたい拷問を受けたと推察される。そこから解放された若者たちは今どうしているのだろう。IS建国を可能にした病根はアメリカの中にある・・・・・・


グアンタナモ米軍基地の収容所に8年間も不法に拘禁されていた3人の収容者が2010年、スイスに受け入れられた。同じようにスイスへの移送を希望したが、当局に拒否された収容者がほかに3人いた。この計6人の「その後」を追った。
 現在、米国のオバマ大統領が発表した「約束」により、グアンタナモ収容所は閉鎖され収容者の本国への送還、または第三国への移送の動きが再び高まっている。そのため、まだ拘禁中の166人への注目が集まっている。しかし一方で、グアンタナモから以前に出所した人たちは今どうしているのだろうか?特にスイスへの移送を希望し認可されなかった3人は、どこにいるのだろうか?
 話は2008年にさかのぼる。国際人権NGOアムネスティ・インターナショナル(AI)の支援により、この3人はスイスへの移送を希望した。だが、難民申請はスイス連邦司法警察省移民局により却下され、その後3人は連邦行政裁判所に上訴した。 2009年、アルジェリア人のアブダル・アジズ・ナジさんは行政裁判所から移民として認可するという判決を得た。しかし、移民局は行政裁判所に対し再検討を要求した。2人目のリビア人、ラウフ・アブ・アルカシムさんは2010年に行政裁判所から認可されている。だが、3人目のウイグル人、アデル・ノオリさんには認可が下りなかった。 結局、ナジさんとアルカシムさんの2人は、一度は行政裁判所によって認可されたものの、最終的に4年後の現在も受け入れは不確定のままだ。「この2人のケースは特に複雑だ」と移民局の広報担当官ミカエル・グラウザー氏は言う。グラウザー氏は、データ保護を理由になぜ最初の難民申請が却下されたのか、また行政裁判所の判決は現在どの程度考慮されているのかといった点には触れなかった。この3人はグアンタナモ収容所を2009~10年に離れている。公式な告訴も判決もなく、8年間ただ拘禁されていた。
 現在、許可が全く下りなかった3人目のウイグル人のアデル・ノオリさん(44)は、太平洋のパラオ島に受け入れられている。リビア人のアルカシムさんはまずアルバニアに移送され、カダフィー政権崩壊後、本国に戻れるようあらゆる手を尽くしたが、その後の行方は分からない。


イスラム国義勇兵の3000人は欧米人

2014-08-27 | 国際
英紙インディペンデントは23日(日本時間24日)、米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏を斬首して殺害したイスラム過激組織「イスラム国」の男は、「J・ジニー」(24)として知られていた英国のラップミュージシャンであると報じた。
 昨年までロンドン西部の高級住宅街メイダベールに住んでいて、本名はアブデル・マジェド・アブデル・バリー。現在は、「イスラム国」のメンバーとして活動。今年初め、シリア北部のイスラム国の拠点ラッカで撮影したとみられる、斬首した首を手にした写真をツイッターに投稿していた。 エジプト人のバリーの父親は国際テロ組織アルカイダのトップだったウサマ・ビンラディンの側近で、98年にケニアとタンザニアで起きた米大使館爆破テロ事件に関与していたとして2012年米国に身柄を引き渡された。

 アメリカ人記者のジェームズ・フォーリー氏の「処刑」場面をネットで公開した数日後、ロンドン出身で現在シリアにいる22歳の女性が、Twitterに「自分は西洋人の捕虜を殺害する最初のイギリス出身の女性ジハード主義者になりたい」と投稿した。
「ロンドン・イブニング・スタンダード」紙の記事などによると、女性の名前はハディージェ・デア氏。ロンドンに育ったが、その後シリアに渡り、そこで、イスラム国に属する戦士であるスウェーデン人、アブー・バクル氏と結婚した。子供もいる。
デア氏はTwitterで「Muhajirah fi Sham」(「シリア移住者」の意味)という名前を使い、シリアのジハード主義者としての抱負を書いてきたが、そのアカウントは最近停止された。「インディペンデント」紙の記事によると、デア氏は、削除されたツイートの中で、以下のような意志を明らかにしていた。
 あのジャーナリスト処刑のリンクをたくさんはろう。アッラーは偉大なり。イギリスは震え上がっているはずだ(笑)。イギリスかアメリカのテロリストを殺す最初のイギリス女性に私はなりたい。 
 シリアへ移る前、十代でイスラム教に改宗したデア氏は、ロンドン南東部のルイシャム区にあるモスク「ルイシャム・イスラム教センター」の常連だったと報じられている。このモスクは、2013年5月にロンドン南東部ウーリッジで起きたリー・リグビー氏殺害事件で有罪になった2名とも関係があった(リグビー氏は陸軍兵だったが、路上で殺害された。実行犯の男は事件直後に現場で自分たちの姿を撮影させ、リグビー氏を殺害したのは、「イスラム教徒が毎日のようにイギリス兵に殺害されているためだ」と主張した。なお、ルイシャム区では外国生まれの住民が全体の約4分の1を占め、第2世代も含めると移民比率は3割を超える。ロンドン市内で平均世帯収入が最も低い区のひとつであり、一人親世帯の比率が最も高い区でもある)。
「ガーディアン」紙によると、ルイシャム・イスラム教センターは、デア氏のような個人の行動はモスクとは関係がないとする声明を発表した。

イスラム国の動きや目的を知ると、従来の武装組織とは大きく異なっている。イスラム国は欧州からの参加者が多く、少なくとも数千人が参加している。オーストラリア人やイギリス人だけでなく、ドイツ人もいると言う。去年の10月の報道では、200人だったが、今では確認されているだけで400人。しかも、従軍の波は止まらないという。イスラム原理主義者たちの憧れの地はアルカイーダやタリバンの牙城であるアフガニスタンとパキスタンだったが、この両国は遠い。ところがシリアは、トルコ南部のアダナ空港、あるいはガズィアンテプ空港まで飛べば、あとは徒歩でも入れる。 欧州では数十年前から移民の大量受け入れをしていた影響でイスラム教が拡大し、フランスでは若者の30%近くがイスラム国を支持する事態になってしまった。また、イスラム国側もツイッターやフェイスブック、ユーチューブなどのSNSを上手く使って組織の宣伝をしており、それが貧富の格差で不満をもっている層に評判が良いと言う。つまり、貧富の格差や移民問題の受け入れ先として、イスラム国が機能し始めたらしい。
建国者バグダディは、中東からヨーロッパにわたる広い範囲にイスラム国家を樹立することを目指しており、将来はローマに侵攻すると主張している。
「イスラム教徒よ、自らの国家へ急げ。これはあなたがたの国家だ。シリアはシリア人のものではなく、イラクはイラク人のものではない。この地はイスラム教徒、すべてのイスラム教徒のものだ。屈することなく貫き通せば、ローマを征服し、世界を手に入れることができるだろう。インシャラー(アッラーの御心のままに)」と、バグダディ容疑者は書面で述べている。
 
 
イスラム国のメインメンバーは約2万人と推定され、それを核に地元の民兵やアルカイダ等も参加している。数年前にシリアで反政府運動をしていた時にアメリカから大量の武器支援を受け、それをキッカケに勢力が拡大している。ただ、強固なシリア政府を落とすことが出来なかった事から標的をイラクに変更し、2014年にシリアからイラク領内に雪崩れ込んだ。
 今のイラクはアメリカが撤退した影響で権力争いや宗教対立が発生しているので、イスラム国とはまともに戦うことが出来ず、北部や西部の大部分をイスラム国に制圧されてしまった。それでイラク政府が泣きついて、オバマ大統領がイラク北部の空爆を決定した。
 結局はアメリカの自業自得なのだが、イスラム国の資金は潤沢で、義勇兵の供給元も多いので、これからも勢力を伸ばし、中東全域を内戦状態にしてしまうかもしれない。
 そして、それらがアメリカの参戦で制圧されたとしても、戦闘経験を積んだ若者たちが本国に帰還すれば、自らのおかれた状況に対するやり場のない怒りを溜め込み、米国を中心とした国際社会全般への憎悪と重ね合わせて、ホームグロウン・テロリズムという形で爆発させるかもしれない。今考えると、ボストンマラソンの爆弾テロの実行犯ツァルナエフ兄弟、「9・11」同時多発テロ実行犯のモハメド・アタもまたホームグロウン・テロリズムの先駆けだった。アタはキャリアアップを目指して建築学を学ぶ「普通の留学生」であり、まじめでもの静かな人物だった。
 
 なぜホームグロウン・テロリズムが生まれるのか?イラクやアフガニスタンに罪をなすりつける前にテロリズムを生む自らの社会の酷薄さに目を向け、社会の在り方を変革する必要がある。それを主張するものの声はかき消され、中東を舞台に全面対決が行われ、無辜の市民の命が奪われる。人類は本当に叡智を持った種なのだろうか?

出口のないイスラエルのガザ侵攻

2014-07-20 | 国際
田中宇のニュースマガジンは海外メディアの記事を翻訳して伝えている。今回のガザ侵攻の舞台裏が見える。
複雑に絡み合う力関係。島国育ちの日本が国際舞台でキーパーソンとなる、いや冷静・公平な立ち位置で判断すらできるわけがない。最新兵器を持ってもアメリカの太鼓持ち・提灯持ちに終始するのが落ちだ。
 
イスラエル軍は7月8日からガザを空爆し、ガザを統治しているハマスの兵器を破壊するとともに、多数の市民を殺害している。今回のイスラエルのガザ侵攻は、6月後半にイスラエルの3人の若いユダヤ人入植者が西岸で誘拐・殺害された事件を、ハマスの犯行だとイスラエル政府が決めつけ、それに対する報復として行われた。しかし、ハマスの犯行である証拠がなく、西岸を統治するパレスチナ自治政府も、ハマスの犯行でないと結論づけている。イスラエルは、3青年が誘拐される前からガザ侵攻を計画していた。
誘拐は、侵攻の口実に使われただけだろう。
 
 近年、イスラエルは毎年ガザを空爆し、2009年と12年に地上軍侵攻している。ガザのハマスは、西岸のファタハよりもイスラエルとの敵対が強く、パレスチナ人をけしかけてイスラエルと戦争させたいアラブ諸国やイランなどの系列の勢力が、ガザに武器を搬入し続けている。ガザはエジプト(シナイ半島)と国境を接している。国境線には、イスラエルが幅数百メートル帯状の非武装地帯を作って占領し、ガザとエジプトが直接国境を接しないようにしている。
 しかしガザの人々は、非武装地帯の地下に秘密のトンネルをいくつも掘り、イスラエルの目を盗んでエジプトからガザに武器や弾薬、食料や日用品などを運び込んでいる。シナイ半島は砂漠でエジプト当局の監視が行き届かず、エジプトにもイスラエルを敵視する勢力は多いので、ガザへの搬入がさかんに行われている。イスラエルやエジプトの軍は、トンネルを見つけしだい潰しているが、トンネルは次々と掘られる。
 
 トンネルを経由してガザに運び込まれた武器は、人口が密集する住宅街の中や、学校や病院などの公共施設に隠して保管・設置される。イスラエルは、ガザ住民の中にパレスチナ人のスパイを潜り込ませ、武器の隠し場所を探ろうとする。武器の備蓄が多くなるたびに、イスラエル軍は武器を破壊するためガザを空爆したり、地上軍侵攻したりする。ハマスは、破壊される前にミサイルを使おうとイスラエル領内に撃ち返し、戦争になる。住宅街や病院などへの空爆は、多くの一般市民を殺害し、イスラエルの残虐行為が世界的に非難されることが繰り返されてきた。
 
 ガザは、非常に狭い場所に200万人が住んでいる。パレスチナ人は人口増加が一つの武器だ。ノルウェー人の医師によると、イスラエル軍はガザで、ガンの発病を誘発する効果を持った爆弾を落としている。ガザ市民を空爆で殺したり怪我をさせると、国際的な非難の対象になるが、何年か後にガンを発病させるやり方なら、イスラエルの爆弾との関連性をごまかせるので「効果的」にガザ市民を殺せる。
 今回のガザ侵攻のタイミングは、昨年クーデターでエジプトの政権をムスリム同胞団から奪ったシシ将軍が、6月8日に大統領に就任したことと関係している。2011年2月に「アラブの春」でムバラク大統領が辞めてからシシが大統領になるまで、エジプトではムスリム同胞団が強かった。ハマスは、同胞団の弟分の組織だ。同胞団政権の時代に、エジプトからガザに多くの武器が搬入されたと考えられる。同胞団を権力から追い出して弾圧し始めたシシが大統領になるとともに、イスラエルはガザの武器を破壊一掃するために、侵攻を開始したと考えられる。
 
エジプトは、30年前の対イスラエル和解(傀儡化)以来、パレスチナ人とイスラエルを仲裁する役割を自認しており、今回もシシが仲裁役になろうとした。しかしシシは、戦争の一方の当事者であるハマスと交渉したくない。そのためシシは、パレスチナ人の中でも、ガザのハマスでなく、西岸のパレスチナ自治政府のアッバース大統領を交渉の相手として選び、アッバースとイスラエルのネタニヤフ首相との間を仲裁し、停戦案を出して受諾させた。アッバースは戦争の当事者でなく傍観者だ。停戦交渉は、頓珍漢な茶番劇だった。
 
 当事者のハマスは、停戦交渉がまとまったことをマスコミ報道で知り、当然ながら、何も聞いていないと停戦案を拒否した。イスラエルは停戦案を受諾したが、それは停戦交渉に入れられていないハマスが拒否することが明白で「イスラエルは停戦するつもりだったのにハマスが拒否したので戦争を続行せざるを得ない」と言って立場を正当化できるからだった。イスラエルは、ガザの武器を十分に破壊するまで停戦するつもりがない。
 
 エジプトのシシのほかに、米国のケリー国務長官も、停戦の仲裁役をかって出た。ケリーはシシやネタニヤフに電話し、すぐにカイロやエルサレムに飛んでいこうと思うがどうか、と提案したが、シシもネタニヤフもケリーの訪問を断った。米国が入ると、ハマスの意向を聞きたがりかねない。シシは交渉にハマスを入れたくないし、ネタニヤフもシシの茶番策を好んだので、米国の介入を断った。
 
 イスラエルのガザ政策は出口がない。エジプトにも米国にも頼れなくなる中で、イスラエルはガザを再占領するしかない事態に陥っている。
 
ガザでは、イスラエルにとってハマスよりも手強いISIS(イラクとシリアのイスラム国)が「サラフィ主義者」として、ハマスに対抗する勢力として拡大している。ガザをISISに取られると、イスラエルは南北からISISに包囲される。ISISよりハマスの方がましなので、ハマスとの停戦体制を確立すべきだと、諜報機関モサドの元長官が言っている。
 
 イスラエルはまだ米政界を牛耳っているが、米国のマスコミ(プロパガンダ装置)は、しだいに反イスラエルの色彩を強めている。今回のガザ侵攻を機に、イスラエルがいかに残虐なことをパレスチナ人にやっているかを描いた記事が目立つようになっている。米国はしだいに反イスラエルの傾向を強めている。

イスラエル軍ガザ侵攻は秘密トンネルの脅威

2014-07-19 | 国際
イスラエル政府は、イスラム原理主義組織ハマスのロケット攻撃に対抗するためパレスチナ暫定自治区ガザに対する空爆を始めたとしている。だがリスクの高い地上作戦に切り替えたのは、ハマスがイスラエルに侵入するためのトンネルを掘ったからだ。
 
 イスラエル軍は17日、ガザ南部に近い集団農場(キブツ)付近のトンネルからイスラエル領にハマスの13人の戦闘員が潜入しているのを発見したと発表した。イスラエル軍が攻撃したところ、戦闘員らはトンネルから撤退。その後イスラエル軍はトンネルを爆破した。ハマスは潜入に成功したと、作戦をたたえた。
 

 イスラエル軍の元情報部責任者、アモス・ヤドリン氏はイスラエル国営ラジオに対し、イスラエル軍はこのキブツへの大規模攻撃をすんでのところで回避したと語った。また「攻撃用のトンネルの脅威がハマスの最大の脅威かもしれない」との見方を示した。
 この件で、イスラエル側がガザ地区からのロケット攻撃よりもトンネルを深刻な脅威と考える理由が浮き彫りになった。イスラエルは防空システム「アイアンドーム」でロケット弾をおおむね防御できているが、ハマスのトンネルに対する有効な対策はまだ見つかっていない。
 ネタニヤフ政権時代の駐米イスラエル大使で軍事歴史家のマイケル・オーレン氏は「トンネルがルビコン(決定的な決断の理由)だった」とした上で、「ロケットはわれわれが21世紀型の解決策を持つ20世紀半ばの脅威だが、トンネルはイスラエルが答えを持たない中世の脅威だ」と話した。(ウォールストリートジャーナル)
 
 
 
 確かに、隣国から住宅街にロケット弾が撃ち込まれ、トンネルから戦闘員が侵入してテロを繰り返したら、国民は政府に対して「何とかしろ」と強く要求するだろう。しかし、イスラエルの攻撃は過剰防衛にしか見えない。パレスチナ人全体をテロ集団と見なして空爆・地上侵攻でせん滅するやり方が正当化されるはずがない。住民を盾にしてテロを繰り返すハマスが悪いから住民を攻撃していいという論理が通るはずがない。イスラエルの無差別的殺害はパレスチナ人に対するジェノサイドである。
 
 いつもイスラエルに同情的なメルケル首相もさすがにイスラエル寄りの発言を控え、「パレスチナ市民に対する人道的な支援を可能にするために、直ちに停戦を」と呼びかけている。
 ドイツはイスラエルに対して世界で最も友好的な国の1つである。その背景には、ナチスドイツが約600万人のユダヤ人を殺害するなど歴史上例のない弾圧を行ったという事実がある。このため戦後西ドイツはイスラエルに賠償金という形で多額の資金援助を行うだけではなく、一時は密かに武器まで供与してきた。
 
 ユダヤ人とパレスチナ人の憎悪は半世紀にわたって、醸成されたものだ。どちらかが存在しなくなるまで増幅し続けるのだろうか。イスラエル人たちに、「他者から攻撃されたら、武力で徹底的に反撃する」という生き方を教えたのはナチスドイツであり、彼らを見捨てた国際社会だった。そして、軍産複合体にとって、中東は世界の危機を演出する最高の舞台になった。テロと言う犯罪で憎悪の炎は燃え上がり、命をかけたテロと近代兵器による一方的攻撃にエスカレートする。憎しみの連鎖は戦争への導火線だ。