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オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

ヤケクソの北朝鮮

2016-04-04 | 国際
北朝鮮は2016年1月に「朝鮮で初の水素爆弾実験を成功させた」と発表、2月には事実上の弾道ミサイル実験とされる、人工衛星「光明星4号」の打ち上げと地球周回軌道へ乗せることに成功した。
北朝鮮は長年、「やがて体制が崩壊する」といわれ続けてきたが、今も国家として存続している。
 
韓国は憲法で、自国の領土を朝鮮半島全域と規定している。韓国にとって北朝鮮は国家ではなく、韓国内にあって韓国領土の一部を不当に占拠している反政府団体に過ぎない。「北の体制はまもなく崩壊する」というのは韓国人の願望に過ぎない。北朝鮮も同じく、「韓国の大衆はやがて革命を成功させ、合流する」と喧伝している。
 
北朝鮮には崩壊する理由がない。約20年前、食料供給が崩壊した時でさえ、体制は揺るがなかった。そもそも経済の不振が理由で国家は崩壊しない。北朝鮮で軍事クーデターが起きる可能性も低い。
北朝鮮軍は「政治委員」による二元指揮制度を採用している。一般の将校のほかに、党から派遣された政治委員が各部隊に配置され、命令書にサインしない限り、部隊を動かせないシステムになっている。これは北朝鮮に限らず、旧ソ連や中国など革命で政権を奪取した国の軍隊にはよく見られるクーデター防止システムである。北朝鮮は、戦争以外の状況で崩壊することはないだろう。
 
北朝鮮の核開発は、03年に米朝関係が悪化し、米軍がイラクに侵攻した頃から加速し始めた。06年には核実験に成功し、核を交換条件に経済援助を要求することもなくなった。核兵器がある限り、米韓側から攻められないと確信しているらしく、核兵器とミサイルは安全保障上、不可欠のものである。韓国と北朝鮮が開戦した場合、在韓米軍基地があるため、米国も戦争に巻き込まれる可能性が高い。日本政府も支援を求められることになるかもしれない。核兵器とミサイルの存在が問題になる。
 
核兵器は威力が大きいため、目標に誘導しなくとも、敵国の上空で爆発させるだけで、壊滅的な破壊をもたらす。核兵器は最終兵器であって、米国に対して核兵器を使えば、核による報復を覚悟しなければならない。しかし国家として滅亡寸前に追い込まれれば、自暴自棄になってもおかしくない。米国といえども、安易に北朝鮮を攻撃できないのが核兵器の抑止力である。
米国が「自国を核攻撃される恐れがあるから、北朝鮮との戦争には介入できない」と考えたら、日米同盟は機能しなくなる。
 
まともに戦争するわけにはいかないから、斬首作戦などささやき、わざとリ-クさせ、北朝鮮を脅しているのかもしれない。いや、意外と本気なのかもしれない。
「斬首作戦」とは、核兵器などの大量破壊兵器使用の動きがあらわれたら、その権限を握る者をあらかじめ除去して被害を未然に防ぐという米軍の作戦だ。
それを知ってからの金正恩氏の朴大統領への罵倒もエスカレ-トしている。
「ぽん引き」に隷属させられた「売春婦」、「気に入らない人間をたたきのめしてくれとチンピラに懇願する、意地が悪くて未熟な小娘のようだ」「力を持つぽん引きに体を差し出すことで他人を陥れようとする狡猾な売春婦だ」「米国の汚い慰安婦であり、自国を売るあくどい売春婦だ」
「朴槿恵の狂気」として、異例の実名批判を展開したのは焦燥感や不安の現れだろうが、トランプ氏もかなわない口汚さだ。
 
「斬首作戦」が議論されはじめたのは昨年8月からだが、金正恩氏の過剰な反応ぶりをみると、危険な状況が近づいているのかもしれない。
米軍は今月に入り、陸軍第75レンジャー連隊などの特殊部隊を韓国にローテーション配備したと発表した。同部隊は、イラク戦争やアフガニスタンでの戦闘に投入され、敵の要人を暗殺する「斬首作戦」などを担ってきた。隠密行動が求められる部隊の配備が発表されるのは異例である。
 
金正恩体制が存続する限り、対話で核・ミサイル問題を解決するのは不可能であり、それは両方とも認識している。ヤケクソ半分で「核のボタン」を押してしまう危険は増してきた。斬首作戦-現段階では脅しに見えるが、決行されても驚かない状況だ。

クルド人の悲願-クルディスタン建国

2016-04-03 | 国際
シリア北部の少数民族クルド系勢力が実効支配する北部3地区を統合した「自治政府」の確立を宣言した。クルド系勢力はシリアの連邦制化を求めているが、ジュネーブで開催中の和平協議には、敵対するトルコの反対で参加していない。
シリア内戦の長期化に伴い、米欧は過激派組織「イスラム国」(IS)と戦う有効な地上部隊としてクルド人組織「民主統一党」(PYD)の軍事部門「人民防衛隊」(YPG)を支援する。
YPGはイラクに近い東部ジャジーラ、トルコ国境南方のコバニ、シリア第2の都市アレッポ北西のアフリーンなどで支配地を拡大した。一帯の実効支配は一部を除き2013年までにほぼ確立したが、今回はその自治機能を統合することで、北部の掌握を強固にしたい考えもあるとみられる。
シリア・アサド政権やトルコは「正当性がない」と反発。トルコは、PYDを国内のクルド系反政府武装組織クルド労働者党(PKK)と連携する「テロ組織」とし、両者が共闘する事態を警戒する。米国務省は、連邦制は和平協議での合意を経る必要があるとの考えを示している。
一方、ロシアはラブロフ外相が最近、連邦制は「一つの選択肢」と語るなど前向きな考えを示す。昨年11月に起きたトルコ空軍による露機撃墜事件を機に、両国の関係は悪化している。クルド人組織PYDは2月、ロシアの承認によりモスクワに「代表部」を開設しており、今回の「宣言」をめぐる動きは、ロシアの了解を事前に得ていたとの見方もある。
テルアビブ大中東アフリカセンターのハイエイタン・コーヘンヤナロジャク氏は「クルド系勢力は(自治政府確立を)既成事実化することで自らを和平協議に欠かせない存在とし、交渉に影響力を行使しようとしているのではないか」と指摘している。 (毎日新聞)
 
 
日本のマスコミではクルド人を少数民族であるかのように報道する。人工的に分割された国境線で彼らの居住地域が分けられてしまったから、各国では少数派なのだ。
独自の国家を持たない世界最大の民族集団で、2500万~3000万人といわれている。中東ではアラブ人・トルコ人・ペルシャ人(イラン人)の次に多い。クルド人「武装勢力」として報道される軍隊は多数の火砲と戦車を保有し25万人の兵員を持つ。「武装勢力」と呼ぶこと自体、そもそも違和感がある。
 
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断された。クルド人はオスマントルコ勢力下で居住していた。しかし、英国とフランスが自国の権益のために国境線を設定したため、民族が5つの国に分断された。トルコやイラク、シリア、イランではクルド人独立の組織が結成されてきたが、アメリカやイスラエルから資金や武器を入手している。イラン、イラク、シリア、トルコなどのイスラム国と常に対立を続けてきたユダヤ人国家イスラエルとそれを支援してきた米国は、クルド人に武器を供与することで、利用してきた。少数派の独立したい民族に武器を供与すれば何が起こるかは明白だ。国内からテロ行為を行わせることができる。そして、ISに対抗する勢力の中では最強になりつつある。
 
クルド人迫害はしばしば、欧米のアラブ攻撃の根拠とされてきた。イラク戦争の根拠として、イラク政府によるクルド人自治区の攻撃があげられたのは記憶に新しい。だが、イラク政府から見れば、テロリストからの防衛という見方もできる。隠れ潜んでいるテロリスト攻撃のために一般市民を殺戮する。欧米のやっていることと、何ら変わりない。無理のある国境を設定し、親米親英の王族から石油利権を得つづけてきた欧米列強と「少数民族迫害」と言う誤った認識を報道し続けた欧米マスコミの連携プレ-は、実を結ぼうとしている。
 
イラク戦争で、クルド人は反政府勢力として、欧米と協力し、戦後は自治を認められた。だが、イラクで選挙が行われれば、クルド人はやはり少数派であることに変わりはない。自治政府は、トルコやシリアなどにまたがって暮らす、3000万人と見られるクルド人の連携を深めようと、「クルド民族会議」の開催に向け調整を進め、悲願の統一国家「クルディスタン」の樹立を目指している。イラクの最大油田キルクークをクルド自治州に組み入れる動きもある。キルクーク自体は、現状、「クルド自治区の外に」あるが、アラブ人を追い出し、クルド人を帰還させるということで、石油利権とともに、クルド自治区の独立を目指す。
 
民主的な手続きの範囲外で自治を認めさせたクルディスタン自治区に対して、現在のイラク中央政府は債務を負っている。かつて自国だった土地から、そして今でも自国の領土から産出される石油について、代金の支払いが発生している。結局、イラク国民は、国民の多数派の意見とは関係なくクルド人自治区に、富を吸い上げられる構造となっている。イラクのクルド人自治区の首都エルビルでは、今、欧米から巨大資本が流入している。この地域はイランと国境を接する軍事的にも重要な地域であり、複数の油田が発見されている。イランから切り離し、独立させることができれば、イラクから富を切り離すことができる。第二のドバイと言われる所以である。例外的に治安が安定し、豊富な石油資源を支えに高層ビルが林立する。ヨーロッパや韓国の企業も相次いで現地に進出し、高級ホテルが一泊400ドルを超える。イラク国民の大多数にとって、フセイン政権の圧政よりましだとは決して言えない状況である。
 
クルド人国家を樹立し、イラン、イラク、シリア、アルメニア、トルコから切り離すことができれば、権益をアラブ人からとりあげることができるだけでなく、イスラエルからみた軍事的なメリットも大きい。シリアでも自治獲得の動きがある。シリア人口の1割を占めるクルド人に自治が認められるとやがて分離独立し、イラク北部と結合した新国家を形成するかもしれない。これらの地域が結合すれば、イスラエルとの間でシリアとイラクを挟み撃ちすることになり、中東での軍事的支配は盤石になる。
 
トルコのクルド人に対して、日本政府は一貫して“親日”のトルコ政府側に立ってきた。トルコのクルド人による難民認定の申請に対しても日本政府は難民と認めない。難民認定は国内に政治的迫害が存在することを認める事であり、トルコとの良好な関係を損ねるからである。
 
安倍首相は、クルド人難民支援のために60億円の支援を行うことを表明した。今後の中東の新勢力となるであろうクルド人との遅ればせながらの関係修復とパイプ作りであろう。国際政治に正義はない。あるのは権益の奪い合いである。外国の干渉によってユダヤ人国家イスラエルに続く民族国家が再び作られようとしている。それは中東の血塗られた歴史の新たなる始まりになるかもしれない。
 
宗教はその大半がイスラム教に属する。イラク北部からトルコ東部の山岳地帯に居住する一部のクルド人はヤジディ教を民族宗教とする。
その教義は古代イラン神話とスーフィズムが融合したもので、それがクルド人に受容されることによって独自の宗教となった。現在の信者数は、欧米へ離散した層も含めて20万~30万人と推定されている。ISはヤズディ教を悪魔の崇拝者と呼んで異端視している。
 

イスラムとシリア内戦

2016-03-28 | 国際
イスラーム過激派とは、伝統的にはイスラームの理想とする国家・社会を実現するため、障害を暴力によって排除しようとする宗派である。イスラム教国の世俗化・西洋化・共産化を志向する指導者が統治する現世は腐敗しており、暴力を用いてでも真のイスラム国家の建設を目指さなければならないと考える。
 
現在のイスラーム過激派の主たる排除対象となっているのは、イスラエル、イスラム教国に駐留、戦争をするアメリカ合衆国を初めとする欧米諸国、イスラム教の世俗化を志向する「背教者」と認定されたムスリム政権である。過激派はネットワークで結ばれ、中東のイスラーム社会のみならず、欧米まで含めたムスリムの中に溶け込んで活動している。最近では、ヨーロッパに住んでいたキリスト教徒が、改宗してイスラーム過激派に参入するというケースも少なくない。
 
多くの国々、とりわけ非イスラーム圏では「イスラーム過激派」は「イスラム原理主義の過激派」であるという理解が一般的に広く浸透している。一方、親イスラーム的な研究者や保守的ムスリムの間には「イスラム原理主義」と「過激派」が結び付けられることに批判的な見方があり、「イスラーム過激派」と「イスラム原理主義」を厳しく弁別する考え方がある。例えば、コーランでは正当な位置づけのない殺戮は、大義のない犯罪であるとして禁止されていると言う。また、エジプトやトルコなど、無差別のテロが穏健なムスリムの間にも犠牲者を出した例も少なからずあり、多くの敬虔なムスリムは過激派をテロリストとみなして異端視しているとよく言われるが、異端とする公式な宗教的宣言がなされたことはない。
 
一般的にはイスラーム過激派の定義は上記の通りであるが、必ずしも暴力や戦闘を行うものが「過激派」、行わないものが「穏健派」と区別されているわけではない。例えば日本の一部のマスコミはハマースを「過激派」、ファタハを「穏健派」と表現していたことがあるが、これは「イスラエルを和平交渉相手として認めるか否か」において「過激派(認めない)」と「穏健派(認める)」を区別したに過ぎなかった。
 
イスラム穏健派と言われる人たちが過激派を批判すると命が狙われるのも、批判を公言しない理由なのかもしれないが、これではイスラムに暴力を正当化する思想が内在すると思われても仕方ない。人類の歴史は戦争の歴史である。宗教が暴力を正当することはあってはならないと思うが、政教一致の体制を維持するのが、イスラムだから、暴力を正当化しないわけにはいかないのではないか。
 
イスラムには2大宗派がある。イスラム教は610年にムハンマドによってはじめられた宗教で、没後、指導者をめぐる争いが発生する。イスラム共同体では宗教指導者と政治的指導者が分離していない。政教一致の体制をとり、その指導者はカリフと呼ばれる。ムハンマド没後、4代目のカリフまでは分裂することはなかった。ところが4代目のアリーを境に、カリフはムハンマドの子孫であるべきだと主張するシーア派と、子孫の中からではなく、話し合いによって選ばれたものがカリフとなるべきと主張するスンニ派に分裂する。そもそも「シーア」とは「派閥」や「党派」を意味しており、「アリーの党派」が短くなり、「党派」という意味の「シーア」だけが残った。
 
ムハンマドの死から約300年後には、アリーの子孫は12代目で途絶えてしまう。そのため、シーア派の人々は、現在は「イマーム不在」の悪の状態であると考える。終末直前に最後のイマームがマフディー(救世主)となって再臨して、この世の悪から救済されると信じられている。アリーの子孫が途絶えるまでの間に、シーア派のなかでは、だれをイマームとして認めるかによって3派に分派していく。
 
  イスラム過激派の特徴は、厳格なイスラム法(シャリア)に固執して、シャリアを憲法とするイスラム国家を建国することにある。 スンニ派もシーア派も断食、巡礼、礼拝などの方法に違いはほとんどない。外見や行動からシーア派とスンニ派を区別することは難しい。
 
では、なぜ、現在、シリアやイラクなどでは、シーア派とスンニ派が対決しているのか?宗教的正当性を巡って、争っているのではないようだ。シーア派が問題視されるようになったのは、イラン革命以後だ。湾岸諸国は、国内に多数のシーア派の住民が存在しているため、イランが革命の「輸出」をして現政権の転覆を図るのではないかと危惧している。現在、イラン、イラク、バハレーン、アゼルバイジャンでは、スンニ派の住民よりもシーア派人口のほうが多くなっている。シリア、レバノン、イエメン、アフガニスタンなどにもシーア派の人々は多数いる。イランにおいてのみ、シーア派が政権をとり、国家を運営しているが、それ以外の地域で政権を握っているのは、ずっとスンニ派だった。イラクは現在の政権のみシーア派で、それ以前はすべてスンニ派だった。そのため、シ-ア派は富の分配にうまくあずかれず、貧困層となってしまっている場合が多い。つまり、シーア派がスンニ派と対立するのは、シーア派だからという宗教的理由からではなく、経済的・政治的に劣性に立たされているからだ。
 
シリアにおける抵抗運動は2011年3月に始まり、エジプトやチュニジアのように、シリアにおいても当初は、若者による抗議デモが中心だった。それはアサド大統領に退陣を求めるというより、政治・経済の改革を求めるデモだった。これに対して、アサド政権も内閣を総辞職させるなど一連の経済・政治改革を行なって、デモの沈静化を図っていた。ところが、しだいにデモを弾圧するようになっていき、抵抗運動側もアサド政権の打倒を叫ぶようになった。チュニジアやリビアなど、早々と「アラブの春」を終わらせた国からの反政府活動家(戦闘員)が流入し、戦闘はさらに激化していく。1年後の2012年の春頃から、「内戦」という言葉が使われ始め、外部勢力が介入し続けているにもかかわらず、「内戦」という言葉が使われ続けている。エジプトやチュニジアでは、民衆による抗議デモの開始から、政権が崩壊するまでの期間はわずか1カ月だったが、崩壊の背景には、軍が大統領を見限るという共通した展開があった。一般的に、アサド政権はシリア国内では少数派のアラウィー派(シーア派の一派:シリア人口の約12%)が主要なポストを占める、少数宗派政権だといわれている。少数宗派の者たちが大多数のスンニ派を支配しているために、反体制派はスンニ派の多数派が政権を握ることが「民主的である」とつねに主張してきた。けれども、シリアを分析した専門家たちはシリアがアラウィー派の宗派政権であるとは言わない。政権はアラウィー派の教義を広めようとはしておらず、政権を担っているバース党の主張は、アラブ民族主義、つまりアラビア語を話す者は宗教・宗派にかかわらず一つの民族であるという考え方に基づいており、教義上、スンニ派もキリスト教徒も排除してはいないためだ。そのため、スンニ派などのアラウィー派以外の人々も議会や政党、軍・公務員などのポストを得ることで、政権と何らかの関わりを持っている。
反体制派は、当初、「自由シリア軍」を結成し、団結しているかにみえた。けれども、各地で「司令部」が乱立して統制を失い、2012年夏以降、「自由シリア軍」は民衆からの支持を失っていく。一方、アメリカなどが支援している、亡命シリア人らを中心とした「国民評議会」や「国民連立」も内部分裂してしまう。代わって戦闘の指揮を執るようになったのが「ヌスラ戦線」というイスラム過激派だ。「ヌスラ戦線」は2013年春ごろまで、戦闘の主力となっていたが、アル・カイダの一派にすぎないという事実が明らかとなり、シリアの人々や欧米諸国からの支持を失ってしまう。さらに、2013年6月のレバノンのヒズボッラー(シーア派のイスラム主義組織でイランが支持母体といわれる)がアサド政権を支援するために参戦し、これに対抗してサウジアラビアや湾岸諸国が反体制派を支援した。
 
  しかし、シーア派対スンニ派の「宗派対立」のように見えるが、どの宗派も宗教と言う隠れ蓑を着て利益を求めて参戦したに過ぎない。北部では、クルド系の民族主義運動も戦後の分け前を求めて参戦している。同様に、湾岸諸国やトルコといった近隣諸国も、それぞれが様々な形で内戦に干渉しており、現在では、アサド政権はシリア国民が逃げ出した国土で各国から流入した外部勢力と戦っているようにしか見えない。
 
欧米や湾岸諸国はアル・カイダの手に武器や資金が渡るのを恐れて支援を減少させたので、2013年夏以降、戦況はアサド政権のほうに有利に動いている。アサド政権は2014年6月3日に大統領選挙を行ない、選挙は3名の立候補者によって争われ、バッシャール現アサド大統領が再選された。有権者は1584万人、投票者は1163万人(投票率73.42%)、バッシャール大統領の得票は1031万票(得票率88.7%)で、次点のハサン・ヌーリーの50万票をはるかに上回っていた。欧米諸国と反体制派は、アサド大統領の当選を認めていないが、内戦干渉をして事態をこじらせたのは、いつの時代も欧米を中心とする外部勢力である。
一刻も早く戦争を終わらせ、難民を帰還させることを最優先するのであれば、反体制派への支援を断ち切り、アサド政権を勝利に導けばいい。国連の場ではロシアや中国がアサド政権を支援し、欧米諸国は政権を非難し続けている。「内戦」という名のもとで、自らの思惑を果たそうとする外国人勢力が戦闘の主力となりシリア国内で戦っている。現実を「認めない」という欧米のかたくなな姿勢が内戦を長引かせ、シリア国民を苦しめている。
 
アサド政権が欧米のお眼鏡にかなう民主政権とは言えないが、民主政権でないから欧米が反対しているのでは断じてない。アサド政権では欧米の利権がうまく機能しないのだろう。従順な傀儡政権の樹立を狙っているに過ぎない。しかし、中東に民主政権ができるとは到底考えられない。支援するアメリカだってとんでもない男が大統領になり、核戦争をおっぱじめるかもしれないのだ。
 
宗教に限らず、統治する者は「自分だけが正しいとする独善性」で、他の宗教や宗派を認めない排他性で対立構造を拡大してはならない。常に相手の立場を理解し、共存を図らねばならない。
 
アメリカがイスラエルや中東の封建国家を支援する限り、中東の内戦は続く。トランプ氏が日本韓国からの米軍の撤退を言い出したが、思いやり予算の増額が目当てなのは見え見え。アメリカが紛争に介入しなければ、反乱は速やかに鎮圧され、圧政が続くことになるかもしれないが、シリア国民にとって、どちらが幸せか?答えは明白なように思える。

イスラ-ムとテロ

2016-03-27 | 国際
9・11以降、イスラームとテロを結びつける言説が世界に蔓延している。 自爆テロは、電子装置などを用意しなくても確実に攻撃目標を攻撃できるので『貧者のスマート爆弾』とも言われている。
 
中東地域で1983年4月18日のベイルートにおけるアメリカ大使館爆破事件でイスラムシーア派組織ヒズボラが実行して以後、イスラム過激派(当初は主にシーア派)の攻撃方法として定着する。以降、チェチェン紛争、パレスチナの第二次インティファーダ、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争を経て、イスラム過激派による自爆テロの発生件数と犠牲者は増加の一途をたどっている。
最近では、テロリストに子供や女性など貧困層も狩り出されているが、中産階級や大学出の成人男性が大半である。イラク戦争の中で殺害された戦場ジャーナリスト橋田信介氏の妻、橋田幸子氏によると、イスラム社会の諺に『人の命は山よりも重く、羽根よりも軽い』という『愛する人を殺された悲しみは山より重く、あだ討ちのための自分の命は羽根より軽い』というものがあり、この思想が自爆テロを引き起こす根底として存在しているという。
 
イスラエルのガザおよび西岸では、自爆テロは反イスラエル戦略としてイスラム教徒によって実行されてきた。また時にはPFLPなど宗教に関係ないパレスチナ人グループによって行われる。イスラエルにおける第2次インティファーダでは、志願者で溢れかえっていたと言う。2000年10月から2006年10月の間に、167件の自爆テロが発生し、他の型の自爆攻撃も51件起こっている。
自爆テロはイラクおよびアフガニスタンでも起こり、チェチェン紛争における戦術としても用いられるようになった。ロシアではこの紛争に起因する自爆テロが多発した。
 
 
中東情勢に詳しい高橋和夫氏によると、「外国人戦闘員の場合、戦闘経験が浅いので兵士としてあまり役に立たない」のだそうだ。そのため「『だったら自爆攻撃で天国にいってもらおうか』という使い方をしているようですね」と明かした。宮根はエジプト・カイロ支局の佐々木亮記者に「外国人の戦闘員を含めて、自爆テロ、つまりジハードして本当に天国に行けると思っているのですか?」と驚いたようすで質問した。その質問に佐々木記者は「それぐらい強い信念を持ってやらないと、自爆というのは難しいんですね」と答えた。
 
自爆テロで死ねば、自動的に天国(酒、女、等の即物的な享楽の世界)に行けると信じ込んでいるという説は広く流布されている。
しかし、自爆テロの実行者の6割が身体障害者であると言う。元から障害を持っていたのではなく、西側諸国の空爆や戦乱の被害にあい、身体障害者になってしまった人間が西側諸国を恨み過激思想を持って、自爆テロの実行者になっていると言う。イスラム教では、ジハード(アメリカを中心としたキリスト教国やユダヤ教であるイスラエルに対する戦い)に殉じた者は、戦死後必ず天国に行けるとされており、さらに男性の場合は天国で72人の処女とセックスができるとされているが、この教えによって自爆テロに志願する人が後を絶たないと言うのはあまりに侮蔑的な分析だ。
 
パレスチナの場合は自爆テロ実行者に対して報奨金が支給され、誇り高い死として称えられ、残された家族の生活が保証された。仕事ができなくなり、経済的に困窮した身体障害者は、自爆テロ志願者になっていたと考えた方がわかりやすい。中東の産油国から犯人の遺族に対して、 1 万 ドル ( 115 万円 ) の報奨金が支給されると言う話もある。
ただでさえ、仕事がないのだから、自分の命を差し出せば、残された家族の生活が保障されるとなれば、自爆テロを選択する青年も少なくないだろう。その時、天国を夢見ながら、気持ちを奮い立たせることがあってもゲスの根性とは言えない。
 
しかし、不思議なのは、イスラム教が過激派を産むわけではないと、イスラム教徒が主張するのはよく聞くが、ロ-マ法王に匹敵するようなイスラムの穏健派リ-ダ-がテロを防ぐような発言をしないことだ。過激派と一線を画するイスラームの指導者が動かない?難しい経典を研究、そこから導き出される思想を伝える指導者がいないように見えるし、いても単なる人道主義的なお説教では過激派が耳を傾けるわけもない。
イスラーム刑法には「テロ」に相当する犯罪類型は存在しない。イスラム国は残虐なことをやり、統治地域を広げている。世界史的に見れば、オスマン帝国がモデルになっている。オスマン領分割についてイギリスとフランスが密約した「サイクス・ピコ協定」体制の打破が正当性の根拠になっている。国境をイギリスやフランスが決めてしまい、現地の人々の思い通りにはならず、それがほぼ今のままの国境線になってしまった。一見、過激な主張、訳の分からない言い分に見えても、彼らには彼らの論理がある。
イスラームは「政権」と「反徒」の争いが、「合法政権」とそれに反抗する「反徒」と見なされるべきでなく、単なる不正な権力闘争に過ぎないこともあると表明している。反徒の鎮圧のために、第三者に被害が生じた場合には、正当な補償がなされなければならない。ちなみに生命の値段を各人ごとに生涯賃金などによって算出する西欧法と異なり、イスラームにおいては生命の値段は平等である。即ち殺人の損害賠償額はカリフから女奴隷の子供まで一律にラクダ百頭相当となっている。
杉田敦氏は「テロとは搾取・抑圧・不平等の存在が争点になるのを阻止し、治安問題として扱うために用いる権力の常套句なのである」(杉田敦『権力の系譜学』岩波書店)と主張する。「テロ」概念を有さず、「反徒」の要求を聞き権力の不正を糾弾した上で説得することを命ずるイスラーム刑法と対照することによって、 西欧が「テロリストの要求には屈しない」、「テロリストとは交渉しない」と叫び続けるのも被抑圧者の主張の政治化・争点化の阻止のためであることが鮮やかに浮かび上がるとまで言及する。
確かに、当初のイスラームの要求は、イスラーム世界からの軍の撤収、イスラエルへの援助の中止という民族主義、国際法の枠組みに収まるものにすぎなかったと見ることもできた。
 
日本でも若者が戦闘員として加わろうとしてニュースになった。若者が、閉塞感を持ったり、世の中を何とかしたいと思ったりすると、そういったことが起きる。閉塞感を持った若者たちは現状に不満は持っていても何をすべきか分からない。そういう状況のときに、ISに希望を見いだすのかもしれない。欧米のイスラム教の人や移民たちは、最低限の生活はできている。しかし、ブリュッセルのモザンビ-ク地区の若者の失業率は40%だという。単なるロンリ-ウルフだった若者たちは、ISのネットワ-クに組み込まれ、現実社会の脅威になる。宗教と言う下地があるから、ハ-ドルが低く、彼らが説く理想社会に希望を見出し、それを実現するための戦士になろうとする。実態を知って、逃げたくなっても後の祭り、自爆テロで自分を抹殺するしか選択肢はない。このようなホ-ムグロウンテロリストは空爆だけでは殲滅できない。
 
第二次世界大戦後、東西冷戦の中にあって、西側先進国の若者たちに魅力があったのは「社会主義」だった。しかし、ソ連や中国の実態が伝わるにつれ、「社会主義国家」に失望した若者たちは、パレスチナ独立に希望を見出す。しかし、「社会主義」は失敗に終わり、ロシアや中国は、帝国主義の戦略を打ち出す。その一方、「社会主義」に勝ったはずの資本主義国も、新自由主義の下、格差が拡大し、人々の不満は高まっている。社会主義も資本主義もダメ。そんな八方塞がりを打破してくれそうだと人々に期待を持たせたのが、「アラブの春」。チュニジアの独裁政権を倒した民衆の民主化運動は、瞬く間にエジプト、リビアに飛び火。次々に独裁政権を打倒し、遂にシリアにまで到達した。しかし、シリアのアサド政権はしぶとく、ロシアやイランの後押しもある。リビアは内戦状態となり、エジプトも軍事クーデターで軍事政権に逆戻り。若者たちは、再度絶望することになった。こうなると、シリアとイラクの双方で反政府活動を展開する「イスラム国」こそが、最後の希望になってくる。「イスラム国」の第一義的な目的は、スンニ派のムスリムの国、ユダヤ人にとってのイスラエルを建国することだ。「かつての自分たちの土地の権利を現代に取り戻すこと」であり、「自分がどこにいても心のよりどころになる宗教国を建国すること。「イスラム国」は、単なる武装集団ではなく、財政基盤を持ち、インフラを整備するイスラム国家を目指していたが、欧米の力には勝てず、住民の心をつかむ政策を実施する余裕もなく、単なるテロ国家になってしまった。しかし、暴力行使を正当な行為として爆撃を続ける欧米とイスラム国の領土拡張主義にどれほどの違いがあるのか。
 
 
アメリカは同時多発テロにより戦争を正当化する理由ができ、アフガニスタン侵略、イラクのフセイン、リビアのカダフィを倒し、シリアのアサドと、戦いをエスカレートさせてきた。しかし、なぜイスラム教徒がアメリカを攻撃したのか確かな理由は分かっていない。当初から陰謀説でさまざまな疑問点が指摘されてきた。アメリカ政府は同時多発テロ以降、外交努力なしに一方的に武力行使ができるようになった。アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ソマリア、イエメンの政府を転覆させたがテロ組織を壊滅することはできず、火種は中東全域に広がり、ISという過激派組織も生まれた。アメリカはそれもまた武力で解決しようとしている。全世界の軍事費はソ連が崩壊した1995年頃から減少の一途をたどっていた。アメリカの軍需産業界にとって、同時多発テロは保有する兵器を消費し、さらに新しい武器を調達する絶好のチャンスとなった。相手がテロリストなら停戦交渉などすることもなく永続的に戦い続けることができる。日本でも、集団的自衛権行使を容認する閣議決定がなされ、アメリカと一緒に武力攻撃に参加できるようになった。非正規雇用増加による格差と少子化、長引く不況による貧困層の増加など先進国と同じ問題を持つ日本はアメリカと同じ戦争経済による景気回復に舵を切った。

お笑い芸人トランプ氏が大統領になる深刻

2016-03-05 | 国際
“ジョーカー”だったトランプ氏が、いまや“エース”になりそうだ。共和党の70%がトランプを支持しており、30%が反トランプで、その30%は党を超えてヒラリー支持へと動きつつある。
ヒラリー陣営の資金力は劣勢で、ファンドレイジングを強化しており、日本の政治家や財界人にもその協力要請が求められるようになっている。窮地に立つヒラリーのファンドレイジングに、全面的に協力しているのが中国だ。日本は共和党の旧勢力とべったりで、2016年の米国大統領戦で共和党の旧勢力の支持を受けているのはマルコ・ルビオだけ。ルビオが大統領にならなければ、日米関係はいまより大きく悪化する。ヒラリーは、TPPに真っ向から反対しており、日本政府と日銀の為替介入についても批判している。
 
トランプ氏は日本が嫌いなようだ。
日本メディアによると、トランプ氏は過去に、日本との貿易摩擦について「われわれは日本の車を無関税で数百万台も買っている。それにもかかわらず日本はわれわれの牛肉を受け入れようとしない」とし、「私が大統領になったらこのような貿易の不均衡は15秒で解決できる。そうなったら安倍は慌てるだろう」と発言した。また、「安倍はとんでもないことをした。円の価値を徹底的に下げて、米国経済を破壊している。安倍は米国にとって殺人者だ」などと批判したこともあるという。
ただ、白人とユダヤ人以外はみな嫌いなようだから、これはたいした問題ではない。中国人だって嫌いなのだから、中国寄りだったクリントン夫妻よりは、マシかもしれない。
次に「日米安保」発言だが、日本にとってよくないとも言えない。
「もしアメリカが攻撃されても日本にはアメリカを守る義務はない。これは不公平だ。もっと日本に負担させよ」と息巻いた。しかし、彼は日米安保の再交渉をすべきだとも言っている。日本の独立を願う保守派にとって、安保を双務条約にし、独自憲法を制定し、さらに核保有国になって「自国を自分で守る」ことが実現するのなら、トランプ氏は“歓迎すべき”大統領ではないのか。
 
さらに、人種差別発言の最たるものとされる「イスラム教徒のアメリカ入国を禁止しろ」「メキシコ人は麻薬や犯罪を持ち込む」「国境に万里の長城をつくる」などの発言は、「移民反対」で「難民受け入れ拒否」が本音の日本人にとって、我が意を得たりの発言である。TPPにしても地球温暖化対策にもトランプ氏は反対のようだが、関税自主権を失い、たいしたGDP押し上げ効果もないのだから、日本にとっては歓迎だ。
 
自分の資金で戦っているトランプ氏は、暴言言い放題の“野放し状態”になっている。それが、また、白人貧困層を中心に、中流層、ラティーノ、黒人の一部などにも受けているのだから、アメリカの真髄が露わになったともいえる。トランプ氏の支持層は崩壊した中間層だ。
ジョーイ、ティナのエリス夫妻はこの10年間、かろうじて中間所得層に踏みとどまってきた。レイオフや不安定な収入、増加する医療費にじっと耐え、国は彼らのような白人労働者を見放したと感じている。そうした状況を救ってくれるのはドナルド・トランプ氏だ。エリス夫妻は税逃れをせず、金持ちの共和党支持者でもなく、保守主義運動「ティーパーティー(茶会)」にも参加していない。2人は、トランプ氏の周りに集まる他の多くの人々と同様に、国益よりも自分の利益を優先する政治家に憤る。そして、オバマ政権は自分たちから銃を取り上げ、不安な世界で無防備にさせたがっているのだと思っている。
エリス夫妻がトランプ氏の集会に参加すると、会場は怒りでみなぎっていた。参加者は、トランプ氏のプラカードを振りかざし、彼が米国を運営している「大馬鹿野郎たち」をこき下ろすと、歓声をあげた。ティナさん(44)は集会の後、「人々を気に掛け、国家に富をもたらす方法を知っている大統領を望む」と語った。
彼らは、神の存在を信じているが、教会にはほとんど行ったことがない。トランプ支持者は、他の共和党支持者ほど信心深くない。夫妻は議論を巻き起こしている社会問題に対しては「我関せず」の姿勢をとる。トランプ支持者のうち非大学卒は約62%で、「移民は米国にとって益よりも害の方が大きい。自由貿易は米国にとって良くない。」と考える人が多い。
ジョーイさんはペンサコラの集会に向かう車の中で、「米国が前進を続けているのは中間層のおかげだ。だが、今や中間層は捨て去られようとしている」と嘆いた。エリス夫妻は、共和党員として登録しているが、無党派だと思っている。ジョーイさんは2010年に、19年間務めていた広告看板会社を解雇された。その後職を転々としたが、昨夏に国際的な企業の配送係の職を得た。時給14ドルである。ティナさんはデイケアセンターの次長で、給与は夫より安い。2人は1995年に、エルバータに3エーカーの土地を購入し、トレーラーハウスに住みながら6年間資金を蓄えた。住宅ローンも借りて3ベッドルームの小さな家を建て、2人の子ともを育てている。しかし、エリス一家は中間層として安穏とした生活を送ることはできていない。2014年に洪水に見舞われ、退職基金に手を付けざるを得なくなった。失業と貯金が底をつくことへの恐れは常につきまとっている。「将来がどうなるか分からないので、誰も外出して物を買いたがらない」とティナさんは語る。エリス夫妻は、トランプ氏が「移民追放」や「イスラム教徒の入国禁止」といった、他人ならばささやくだけのことを大声で叫ぶのを見て胸がすっとする。ティナさんは「彼は私が思っていることを口にしているだけだ」と話す。
 
トランプ氏は視聴者受けを狙って、レベルを落とし単純化して言うので、彼の政策に整合性はないし、実現できるかどうかも疑わしい。
「世界同時株安は中国、お前らのせいだ!」と、中国の悪口を言ったと思ったら、「世界最大の銀行が中国から来た。そのアメリカ本部はここ(トランプタワー)にあるから、中国は好きだ」と言う。
アラブ、ムスリムへの暴言を繰り返しても、中東ドバイには最新のトランプタワーが建っている。
 
トランプ氏の発言でもっとも重要で本気なのは、イスラエルに対しての発言だ。
「私はイスラエルを愛している。私はイスラエルのために100パーセント、いや、1000パーセント戦うつもりだ。しかも永遠にだ。」さらに、彼はネタニヤフ首相を絶賛した。
これだけは、ウケ狙い、炎上狙いではなく、真摯な発言だ。アメリカ政治を奥から動かしている勢力の一つにユダヤロビー、ユダヤ人のネットワークがある。クリントン氏だってユダヤ人脈を持っている。現在のFRB議長のイエレン氏もユダヤ人だ。トランプ氏の愛娘イヴァンカさんがユダヤ人富豪の息子のジャード・クシュナー氏と結婚して、ユダヤ教に改宗した。イヴァンカさんの2人の子供、つまりトランプ氏にとってかわいい孫はユダヤ教徒である。
 
 
トランプ氏が出馬した直後、その発言は過激で民主党や無党派の有権者は彼の主張に無関心だった。しかし、今は問題を解決する能力、誰からも影で操られない存在、成功し続けたビジネスマンという実績が、彼の暴言も帳消しにするだけの魅力になっている。
・利益団体から選挙資金を受け取らない。ロビイストや企業・団体などから一切選挙資金を受け取っていない。カネにからんだ政治的影響を、誰からも受けない点が好感度を高めている。
・ビジネスマンとして数々の成功を収めた。4度の破産を経験しながらも、個人資産約1兆円を築いた実績が買われている。既存の政治家への不信感が強い。それだけに、政治家でないトランプ氏への期待が増している。昨年12月にアイオワ州のネオラで演説をした時、「私はビジネスマンとしてこれまで、かなり貪欲に金儲けをしてきました。でもこれからはアメリカ合衆国のために貪欲に生きたいと思います」。愛国心をくすぐるこの言葉に、聴衆から大きな歓声があがった。
・既存の政治家とは異なり、本音を語る。2015年8月にアラバマ州モービル市で行った遊説では、アメリカン・フットボールのスタジアムを借り切った。集まった聴衆は約3万5000人。他州でもコンサートホールなど大きな会場を満席にする。「ギターを持たずにホールをいっぱいにできるのはトランプ氏だけ」と言われるほどだ。
・行動力への期待。中東和平も「私に半年くれればまとめられる」と豪語する。さらにイスラム国に対して徹底した軍事攻撃を加えると繰り返し述べている。政治家が公約を守らないことは多い。しかし、トランプ氏であれば実現できるかもしれないとの期待感が高まる。
 
 
懸念されることは太りすぎで69歳と若くない。あんなに大声で騒ぎまくって健康面は大丈夫なのだろうか? 対抗馬のクリントン氏も高齢者だ。二人は革新でもなんでもなく、既存社会の富裕層の代弁者でしかない。誰が大統領になっても世界は変わらないだろうが、若きオバマ大統領の後が、2人の高齢者という「悪夢」の方が余程深刻に思える。 金のかかる選挙では、富裕層の代弁者しか大統領になれない。”アラブの春”で見てきたことだが、いくら民衆が民主主義を求めて反乱を起こしてもその民意をくみ取る政治の仕組みもなく、政治家も現れない。先進国だって同じことだ。
 1%の富裕層が握る資産が世界の富に占める割合は、2009年の44%から、14年は48%に増加した。残る52%の富についても、人口の5分の1の比較的豊かな層が46%を握っていて、その他の層が握る割合は世界全体の資産のわずか5.5%にとどまる。世界の人口の1%の富裕層がもつ資産の総額は今年、残る99%の人口の資産を合わせた額と同程度になるという。
 加速度的に富の集中が強まる。富裕層の委託を受けた政治家が教育、報道機関を駆使して人の精神をも支配する。低所得者層は本当の敵を見失い、自分の地位を脅かす弱者への敵意をむき出しにする。
トランプ人気は、低所得者層のガス抜きに役立ちそうだ。

赦し-アメ-ジング・グレイス

2016-01-10 | 国際
かつて奴隷取引の拠点だった米南部サウスカロライナ州チャールストン。ここで昨年6月、白人至上主義の男に射殺された牧師ら黒人9人の追悼式があった。大勢の参列者を前にオバマ大統領が壇上に立った。力強く進んでいたスピーチが、突然止まった。沈黙が10秒ほど続いた。オバマ氏は伴奏なしで歌い始めた。
 
アメージング・グレース
 
たちまち総立ちの大合唱に。天を見上げ、涙を流す人もいた。ふだん冷静に振る舞う大統領が、この日は犠牲者一人ひとりの名を、叫ぶように読み上げた。
 
追悼式の1週間前。逮捕された容疑者が出廷した。遺族は一人ひとり、モニター越しに男に語り掛けた。
「あなたは私から大切な人を奪いました。もう彼女(母)と話し、抱きしめることもできません。でも私はあなたをゆるします」
「私は自分がとても憤っていることを告白しますが、憎むことはありません。ゆるさねばなりません。あなたの魂のために私は祈ります」
 
 
アメイジング・グレイスは、アメリカ大陸へ黒人奴隷を運んでいた奴隷船の船長ジョン・ニュートンが作詞した曲だ。罪深い自分にさえ赦しを与えた神の驚くほどの恵み(アメイジング・グレイス)に対する感謝を歌っている。
 
パリ同時多発テロで愛する妻を失った夫が、フェイスブックに綴った言葉。
 
「君たちに私の憎しみはあげない」
金曜の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。私の最愛の人であり、息子の母親だった。でも君たちを憎むつもりはない。君たちは、神の名において無差別な殺戮をした。
決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。
今朝、ついに妻と再会した。彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。
私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。
 
 
憎しみほど人を不自由にするものはない。憎しみほど人を不幸にするものはない。
テロの・・・戦争の最大の目的は人の心に憎しみを植え付けること・・・・・報復の連鎖はとどまるところを知らない。
 
The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong.(マハトマ・ガンジ-)
Whatever is begun in anger ends in shame.(ベンジャミン・フランクリン)
 
復讐は、極めて利己的で個人的な欲望なのかも知れない。復讐はさらなる憎しみと不幸を生成する。犯罪の被害者家族の望むことは、ただ一つ・・・故人が帰ってきてくれること。
犯罪者が死刑を宣告されても、土下座して謝っても、被害者家族の魂が癒えることはない。
許せないのは、犯人ではなく、こんなことが起こってしまう不条理な世の中、人間の性なのだ。
 
キリスト教は「赦しの宗教」と言われる。罪を赦してくださるのは神。 そして「罪の赦し」を信ずる者は、また隣人を赦す者でもある。
「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」
 
 
恨みや怒りほど、魂を暗黒の闇に引きずり込む込む衝動はない。歴史を見るにつけ、相手を赦すことは、人類にとって最も大きな課題だと思う。
憎しみと恨みにまみれた心は、さらに絶望と悲しみで閉ざされ、温かさを失っていく。そして、心の中が憎しみでいっぱいになったとき、憎しみの重みに耐えられなくなって、怒りを吐き出す。怒りを吐き出す常套手段は破壊である。
 
神父「しんどくなったときは、野球のバットで木を打ってごらん」
親を亡くした子「その時は変なこと言ってるって思ったけど、しんどくなった時本当に効き目があったんだよ」
親を亡くした子どものためのある施設では、エネルギーを発散させるための専用の部屋がある。壁一面に厚いクッションが取り付けてあり、中央に大きなサンドバックがぶら下げてある。
ここで、好きなだけ感情やエネルギーを発散することができる。
怒りの感情を発散させるのは大切なことだ。その怒りのエネルギーは周りの人や自分を傷つけてしまうかもしれないのだから。
 
 
人を憎む時間もまた、自分の人生の時間である。大切な人を奪われた人は、憎むことで、さらに自分の時間を奪われ続けることになる。恨みや憎しみを思い出すことはそのつらさを追体験しながら、憎悪を増幅させることになる。所詮、人を憎み続けても、何も生まれない。その時間を人を優しく思う時間に変えることができたら、どんなに素晴らしいだろう。
愛の力が憎しみに変わったように、憎しみの力は愛に変えられると信じたい。
 
アメリカの銃規制で大統領権限を使わなければならなかったオバマ大統領。子供の犠牲者に言及するとき、オバマ氏の目に涙が・・・・・
1/7 ワイドスクランブル  女性コメンテ-タ-が 【オバマが涙でオウンゴール?】 と発言。涙を見せることが弱味になるのかな?挑発に乗って、対決姿勢をあらわにする強い?政治家をお望みのようだ。

世界最悪の独裁者

2015-12-26 | 国際
ヨシフ・スターリンは、ソビエト連邦の政治家で、第2代最高指導者。
 
スターリンは集団農場促進の取り組みに乗り出し、ソ連内で続いた干ばつと飢饉によって数百万人の死者を出した。
なにをもって「最悪」というか色々な考え方があるが、人類や国民に迷惑をかけた規模と時間の長さで考えると、スターリンだろう。
半世紀に及んだ東西冷戦、ナチスが負けたことでドイツも朝鮮もベトナムも分断された。日本の北方領土も日本降伏後、攻め込まれ、捕虜になった精鋭部隊は10年以上もシベリアに抑留された。
 
キリングフィ-ルドのポルポトは4年間で150万人~300万人、人口の割合でいえば、自国民の殺戮の規模は最悪だろうが、殺戮の絶対数でいえば、スタ-リンにはかなわない。スターリンは19年間で5000万人以上と言われている。
 
なぜかスターリンの行為はヒットラ-に比べて語られない気がするし、ロシア人には尊敬している人すらいると聞く。
 
反対派が皆殺しにされた1930年代後半以降、強制収容所に送られた人のほとんどは、一般人だった。些細なことで密告され、収容所に送られた。一般人を逮捕したのは、秘密警察に囚人供給のノルマがあったからだ。ソ連経済は、ずっと破産状態で、国家財政の赤字を、強制収容所の奴隷労働で補填していた。日本兵のシベリア抑留も、同じ目的だった。
 
 
 
   ヨシフ・スターリン・・・彼の本名はヨシフ・ジュガシビリと言い、スターリンという名は、党の機関誌「プラウダ」の編集長をしていた時のペンネームである。スターリンとは、鋼鉄の人という意味でレーニンが考案したとされる。1879年12月21日、グルジア地方の貧しい靴直し職人の家庭で、三男として出生した。上の二人の兄は、誕生して半年ほどで死んでしまっていたので、母親は、特別な思いを持って育てた。彼は病気ばかりする虚弱児で不具であった。少年時代に発病した天然痘により、左足の二つの指はくっついたまま、左腕もほとんど動かすことさえ出来ず、まるで義手をつけているようだった。顔にも無数の瘢痕があり、風采の上がらない小男だったという。母親は、将来、我が子を神学校に入れて神父にさせたかったが、十代後半から社会主義運動に異常な興味を持ったジュガシビリは、母親の期待に反して、革命家の道を歩み出してしまった。そして、様々な活動に参加しては、逮捕、流刑を何度も繰り返す。弱冠22才でありながら、彼は党の指導者的存在にまでなっていた。この時レーニンは30代半ば、彼は、一目見て若く精力的なスターリンを気に入り、革命運動の戦略家としての素質を見抜いていたという。その後、彼はレーニンらと強い結束のもと、ますます、革命推進の中心的メンバーとなっていく。
 
1905年のロシア情勢は、余談の許さぬ状態だった。前年には、日露戦争が勃発し、一年半に渡る戦いの末、ロシアは疲弊してしまい、国内には不満が爆発、血の日曜日事件や戦艦ポチョムキンの反乱を引き起した。ロマノフ王朝の権威は地に堕ち、ついに第一次大戦の最中、ロシア革命を誘発する。その結果、ロマノフ王朝ニコライ2世は退位し、代わって、ボルシェビキによる新政府が樹立した。1924年、レーニンが脳梗塞で再起不能の状態になると、スターリンは、レーニンの後継者として名乗りを上げ、ついに、党の実権を把握し事実上の最高指導者の地位に躍り出ることになる。
時が経つにつれて、彼は、急速に凶悪な独裁者の本性をさらけ出し始めた。対立者を巧妙で悪徳の限りを尽くした手段で倒していくのである。まず、最大のライバル、革命の功労者だったトロツキーを国外追放し、カーメネフ、ジノビエフなど自分と意見主張を異にする政敵たちを、除名処分にして党から追い出したのである。それが済むと、スターリンは、ゲ・ペ・ウと呼ばれる秘密警察を設立した。ボルシェビキ的規律と秩序を確立するのがその目的だったが、その実態は、権力を思いのままに操るために、彼の意にそぐわない人物を粛正してゆく組織だった。
1929年、スターリンは、第一次五カ年計画の発動を命じた。農業国ロシアを工業国に変えるのがその目的であった。その要となる政策は、農民の強制集団化であった。すべての農民をコルホーズと呼ばれる集団農場に一括してまとめ、そこで収穫される穀物を国家がすべて徴発しようというのである。一切の私有は禁じられる、彼の強引なやり方は、クラークと呼ばれた富農層から猛烈な反発を食った。しかし、スターリンは農業集団化に従わない農民には、情け容赦のない弾圧を加えた。29年だけでも、1千万近い農民が、処刑されたり、シベリアなどに送られている。ある農民などは、見せしめのため、広場で自らの墓穴を掘らされた上、銃殺された。農民だけでなく、民族主義者、知識人など彼の体制に批判的な人間も、すべて、その対象になっていった。彼らは、「人民の敵」と名指しされ裁判にかけられた。それは、裁判とは名ばかりの大量処刑であった。容疑がかけられると、陰惨な拷問や薬によって強制的に自白させられ、即刻、銃殺刑かシベリアの強制収容所に送られるのである。時間のムダを省くために、トロイカ(三頭だての馬車を意味する)と呼ばれる機関が暗躍する。それは被告も原告もいなくても、その場で判決が下せると言う簡易型の移動式裁判であった。多くの者は、一方的に死刑判決を言い渡されると、その場で、10分以内に処刑されてしまった。
「我々は、国家の福祉増進という高潔な目的のために、日夜努力せねばならない。国内の工業化を実現するためには、ある種の犠牲も覚悟せねばならず、国民は耐久生活に耐えねばならない」。これは体裁のよいスターリンの言葉である。日々の配給は、わずかパン数十グラム程度。これでは、大人一人生きていくことは、到底不可能だった。路上には、パンを求める孤児の群れが溢れ返った。あるウクライナから帰って来た学生は、身の毛もよだつ話をした。飢饉のために、食べるものがなくなった地方では、人肉を食べていると言うのである。餓死したと思われた死体は、細かく切って解体され、商品のように売りさばける準備がなされていたということであった。当然、この二人は秘密警察に逮捕され、拷問の上、銃殺に処せられたのは言うまでもない。スターリンは自らの考えをイメージダウンさせるものは、隠蔽し、片っ端から闇に葬っていたのだ。
 
スターリンの女性関係は、かなり派手であったことが知られている。3度、結婚したが、その他にも、愛人、情婦など数えきれないほどいて、浮気は絶えることがなかったという。一度目の妻は、逃亡生活の隠れ家で知り合ったケケという女性だった。しかし、逃亡生活の無理がたたったのか、彼女は結核にかかり死んでしまった。  二度目の結婚は、彼が40才の時で、相手は彼より22才も若いナジェージダという女性だった。しかし、結婚して14年後、彼女は、革命15周年記念の晩餐会の夜、謎の死を遂げてしまう。晩餐会が終わって二人の言い争う声を聞いたという証言もあるが、真相はわからない。死因にしても、夫スターリンに対する抗議の自殺だの、逆に、怒りを買ったスターリンに毒殺されただの言われるが、今となっては永遠に謎のままであろう。三度目の妻はローザという女性で、スターリンよりも10センチほど背も高く、大変、利口で陽気な女性だった。彼女は、二番目の妻ナジェージダとの間に出来た二人の子供にも愛情を注ぎ、いつも優しく誠実だった。しかし、スターリンはローザとも離婚してしまった。その後、ドイツとの戦争中にもかかわらず、女優、バレーの踊り子、オペラ歌手、クレムリンのタイピストたちを次々と別荘に招いては、深夜の響宴に明け暮れる始末だった。彼は、美食家で、国民が飢餓に苦しんでいようとも、毎日、たらふく食べねば気がすまなかった。料理が気に入らないと言って、皿ごと床にぶちまけたこともあった。また、妻の寝室に情婦を連れ込んで来ることもあったし、酔うと粗暴な振る舞いが多かったという。愛人の浮気の現場を押さえた時など、ものすごい癇癪を起こして、何度も殴りつけた上、裸のまま部屋から引きずり出し、監獄にぶちこんでやるとののしった。二人は、即刻、連行され、裏切り者として銃殺されてしまったという。また、スターリンは、女性の嫉妬という感情には耐えられない面があった。献身的に尽くしても、嫉妬ゆえに消息を絶った女性はあまりにも多いという。
 
第二次大戦戦争が始まり、ドイツ軍がポーランドを屈服させた時も、スターリンは、東からポーランドに侵入し、国の半分を占領した。スターリンとヒトラーとの間には、秘密裏に血も凍るような悪魔の取引がなされていたのである。この時、連合国は、ポーランドが東西の独裁者によって、なぶり殺されていくのを手をこまねいていただけだった。フランスは、マジノ要塞に閉じこもり、イギリスなどは何もしなかった。そして、ポーランドがヒトラーとスターリンに食い尽くされてゆくのをただ見守っていたのであった。しかも、狡猾なるスターリンは、世界中がヒトラーのこの派手なパフォーマンスに気を取られている隙に、どさくさに紛れてバルト3国を武力で併合してしまった。第二次大戦の終戦直前には、日ソ中立条約を破って、満州に南下、日本から、強引に北方領土を奪い取ることもした。このように、領土拡張の野望を夢見るスターリンにとって、国際法を踏みにじることなど朝飯前のことだった。彼は、室内に大きな世界地図を飾っていて、領土が新しく増えていく度に、色を塗っていくのが何よりの楽しみであったという。
 
彼は、中世ロシアの暴君イワン雷帝をこよなく愛し、自らをそのイメージにダブらせるのが好きだったようだ。確かに、彼の政権下で、何十万という人間が、殴られたり蹴られたりして強制労働に従事する様は、陰惨な中世ロシアの時代を彷彿とさせるものがあった。スターリンは矯正労働収容所と称して、シベリアなど、ロシア北西部に数えきれない収容所をつくっていた。その数、百カ所以上・・・彼は、囚人を矯正し魂を鍛え直す労働だと言い張っていたが、その実態は、恐怖の強制労働に他ならなかった。スターリンは、国家の工業化のために、大量のただ働きの奴隷労働者が欲しかっただけなのである。スターリンにとって、囚人はいくらでも代替のきく安価な消耗品でしかなかった。かろうじて生きられるだけの食料を与えておけばよかった。こうした国家建設のプロジェクトの担い手である労働力を大量に確保するために、彼は、抜け目なく、第58条という新しい条例をつくっていた。1926年に交付されたその条例によれば、政府の転覆、崩壊、もしくは革命的成果を崩壊、弱体化させる行為は、反革命的と見なされ祖国の裏切り者と見なされるという。しかし、人々の日常的行為で、この条例に引っかからないものなどあり得なかった。要するに、どうにでもデッチ上げることが可能だったのである。全く意味もない行為が、ねじ曲げられて解釈され、その挙句に祖国の裏切り者というレッテルを張られて自由をはく奪されることが往々にしてあった。かくして、数百万の無実の人間が、囚人呼ばわりされ、全財産を国家に没収された上、処刑されるか、過酷な重労働を強制されることになった。この条例の目的は、罪のない人々を囚人にでっち上げ、スターリン体制を維持するための奴隷を合法的につくり出すことなのであった。裏切り者のレッテルを張られた者には、銃殺刑か荒涼としたシベリアへの流刑が待っていた。
シベリアに送られた囚人たちを待っていたのは、金鉱の採掘、運河や鉄橋の建設などの過酷な強制労働であった。一日に16時間以上の重労働が課せられる。真冬ともなると、あらゆる物が凍りつき、気温は零下60度にも下がる。当然、多くの囚人が凍傷にかかった。医者が、まるで植木職人のような手さばきで、凍傷にかかった囚人の手足をパチンパチンとハサミで切り落としていった。激しい飢餓に耐えきれずに、死体置き場から死人の肉を切り取って食べた者も少なくない。囚人たちは、体力を消耗して、みるみるうちに痩せほそり死んでいった。死んでコチコチに変わり果てて凍った死体は、次々に運搬用のそりに投げ込まれて片付けられていくが、その時、木と木がぶつかり合うような音がしたという。ものすごい寒さと重労働による疲労、飢えのために、ほぼ全員が一冬で死に絶え消滅した。夏になると、再び、新しい囚人の群れが送られてくるが、彼らも冬になると同じ運命をたどるのである。毎年、補充のために、数十万単位の囚人が薄暗い船倉や列車に閉じ込められてピストン輸送されるが、決して囚人数が増えることはなかったという。こうして、死に絶えては補充されるという死のサイクルは休むことなく繰り返された。
スターリンは、金に異常な執念を見せた独裁者でもあった。金の備蓄量を増やさねばならないと言い続け、国家戦略の最重要資源に位置づけ、支配国の共産党へ金の提供を義務づけた。そうして、金を採掘するために、数百万の囚人が集められ、牛馬のごとくこき使われたのである。かくして、50年代の初めには、国家が保有する貴金属は、金2千トン、銀3千2百トン、プラチナ30トンという莫大な量にまで跳ね上がった。しかし、それらを採掘するために強制労働に従事した数百万の人々は、とうにシベリアの凍土と化していた。白海・バルト海運河が開通した時など、スターリンは、蒸気船「カール・マルクス」号で完成したばかりの白海からオネガ湖までの227キロを快適な船旅としゃれこむ計画を立てた。その際、多くの役人や作家連中も招待された。彼は、第一次五カ年計画の中心事業であった白海・バルト海運河をわずか2年で開通させた偉業を世界に誇示したかったのである。招待された百名以上の作家たちは、超一流ホテルでチョウザメや高級食材、各種ハム類、ウォッカ、シャンパンなどふんだんに振る舞われた後、スターリンと優雅な運河の船旅を体験したのである。皮肉にも、その時、ウクライナでは有無を言わさぬ食料調達によって数えきれない農民が飢餓に苦しみ、その挙句に埋められた死体を掘り起こし、人食いまで行われていたにもかかわらずである。
彼らは、その後、「スターリン記念」と称する本を書き、その中で、彼の数々の偉業を美辞麗句を並び立てて絶賛し、囚人たちがいかに再教育されて鍛え直され、国家に貢献し得たかを賛美したのであった。しかし、実際は、工事期限を死守するために、運河はかなり浅く掘られ、役に立たない代物だったという。また、運河開通の担い手、30万の労働者の内、10万人がボロクズのようになって死に絶え、運河の土となったことなど一行も書かれることはなかった。
スターリンは、後にこう述べている。「反抗心のない無力な労働者を育成するには、密告を奨励し、給食を飢餓すれすれにして、ちょっぴり食い物を増やしてやると彼らにたきつけることだ。そうすれば、労働力を最大限に引き出せる。彼らの苦情など一切無視すればよい。そうすれば、人間の個性や主張など簡単に打ち砕くことが出来るのだ」
 
第一次五カ年計画が終わる頃、農民の強制集団化で富農層をほぼ撲滅した彼は、さらなる粛清をもくろんでいた。スターリン独裁の陰では、トロツキー、カーメネフ、ジノビエフと言った反対勢力がまだ幅をきかせていたし、党の幹部の中には、粗暴なスターリンを嫌って排除しようという動きもあった。ここでスターリンは再び狡猾な手段に出る。かつて、党から、追放したはずのカーメネフ、ジノビエフらを再び党員に迎え、要職につけたのである。こうしたスターリンの心境の変化を西側のメディアは、「ロシアの赤がピンクになった」などという表現を使って「雪解け現象来る?」と大見出しで報道した。
しかし、これは、さらなる大嵐が来る前の凪のようなものだった。スターリンは、何かとてつもないことをしでかす前には、必ずと言っていいほど、相手を油断させるためのフェイントを演出したからである。これまでに彼に楯ついた者、恥を掻かせた者、気に入らぬ者などが、彼の強靭な記憶力の中にインプットされ続けていた。そして、それらは、膨大なリストに細かく区分けされて、逮捕、拷問、処刑の瞬間を待ちわびていたのである。後は、スターリン自身が、合図を送るだけであった。キーロフの暗殺が大粛清のきっかけとなった。キーロフは、共産党の中央委員でもあり、人気があった。実際、スターリンの後継者と見なす党員がほとんどだった。スターリンは、表向きは、キーロフを同志として信頼しているように振る舞っていたが、本心は、彼の存在が我慢ならなかった。結局、キーロフの暗殺は、カーメネフ、ジノビエフらの犯行ということになり、彼らは、即刻、銃殺刑にされた。しかし、これは、とんでもないでっち上げで、キーロフの暗殺を仕組んだのは、スターリンの仕業に他ならない。
 
こうして、彼は、次に自分のポストを奪いかねないキーロフを暗殺し、その罪をかつての政敵、カーメネフとジノビエフらに擦りつけ、一挙に両方とも片付けることに成功したのである。後は、さらなる大粛清を行い、自らの独裁を揺るぎないものにしてゆくことであった。粛清の死の嵐は、たちまちソ連全土に波及していき、37年には空前絶後の規模で行われた。「古い細胞を除去し、党は一新されねばならない」・・・スターリンは、大虐殺をこのように弁明し粛清の論理を正当化した。そのために、彼は密告を奨励した。自分の陰口をたたく者、不満を持つ者、体制に批判的な者を密告によって嗅ぎ分け、ことごとく粛清するのである。
身に覚えのない密告が盛んに行われ、数えきれない人間が深夜に連行され銃殺された。いたいげな子供が親を密告したケースも少なくない。まだ善悪の判断すらつかぬ子供が、多くの人々の前で表彰を受け無邪気に喜ぶ場面もあった。一方、実の子に密告された親は、強制収容所に送られ悲惨な死を遂げたのである。
 
この年だけで何百万人も連行され、約半数が処刑されたと言われている。大戦前の5年間だけでも、2千万人近い人間が逮捕され、銃殺もしくは強制収容所送りにされている。大粛清は党や軍などあらゆる分野に及んだ。軍に至っては、将校の8割が処刑されたと言われている。そして、ついには粛清を執行した本人たちにも矛先が向けられていった。スターリン政権下30年間で換算すると、ロシアだけで実に4千万を下らない人間が連行され有罪判決を受けたことになる。ソ連全土ともなると、その数はもっと膨らみ、もはや推定する以外にはない。当局によって有罪判決を受けた者たちは、その半数以上が虫けらのように処刑されるか流刑先で悲惨な死を迎えたのである。しかし、悲劇はこれが、すべてではない・・・4年間に渡る独ソ戦の死傷者2千5百万人がその上に加わるからである。
さらに、大戦中も、ソ連占領下の各地で、粛清の嵐は容赦なく吹き荒れた。ソ連領内の北カフカスでは、ある山岳民族が強制移住の名目で大虐殺の憂き目にあっている。この山岳民族は、戦前から、自分たちの伝統文化を頑に守り、スターリンの農業集団化に協力しようとしなかったのだ。2月の大雪が降り続く深夜、突如、10万の軍隊で村々を包囲した当局は、住民を叩き起こし、駅で待っていた家畜輸送用の貨車に詰め込んだのである。その際、老人、妊婦、子供は足手まといになるため、射殺されるか、崖から突き落としたのであった。貨車に乗り遅れたある老夫婦と幼い孫はその場で射殺された。人々は貨車から5メートルも離れると、問答無用で射殺されたという。
また、期限内に計画達成困難と見た当局が、スターリンの怒りを買うのを恐れ、残った村の数百人の住民を納屋に閉じ込め、火を放ったこともあった。苦しみ抜いて煙にいぶし出され、はい出して来たところを一人一人狙い撃ちして皆殺しにしてしまったという。グルジアに住んでいたある少数民族などは、こうして地上から永遠に抹殺されてしまった。
スターリンの狂気は、敵対する民族のみならず、捕虜や自軍にも向けられ、止まることを知らなかった。戦時中、スモレンスク郊外のカチンの森の中で、数千人のポーランド将校が虐殺されて埋められているのが発見された。遺体はどれも、おがくずを口に詰め込まれて、銃剣で刺し殺されるか、後頭部を銃で撃たれるというひどいものであった。このような惨い虐殺現場は、その後、次々と発見されていく。
また、スターリンは、捕虜は祖国の裏切り者とみなして、その家族はことごとく逮捕させていた。戦場を少しでも離れる者があれば、即刻、銃殺されるか戦車で引き潰したという。将兵を、生きたまま地雷を踏ませるために行進させることもあった。
 
かくして、スターリングラードの攻防戦だけでも、1万4千名のソ連兵が自軍に殺されたのである。つまり、一つの師団丸ごとが味方の手によって抹殺された計算となる。こうした死者数まで漏れなく加算していくと、あまりに現実離れした数字となり計量することは、もはや不可能となる。このような犠牲者の累積は、1953年、スターリンが死ぬ瞬間まで、急上昇を描くようにカウントされつづけた。この年、スターリンの突然の死によって、ようやく長引いていた朝鮮戦争も終結に向かっていった。彼は、晩年、殺されるのではないかという強迫観念に取り付かれていた。何をするにも異常に疑い深くなり、食べ物はすべて毒味をさせ、自分が招いた客でさえも、深夜、こっそり入って来て、寝ているのを確認する始末だった。元々、若い頃から何事にも疑り深かったスターリンは、今では病的で、誰も信じられる者もなく、医者でさえ自分のそばに決して近寄らせなかった。そして、長寿の薬だと称して訳のわからぬ薬を飲んだり、ヨードを垂らした怪しげな水を飲んでいたという。独裁者の最期は、あっけないものだった。脳内出血を起こした彼は、パジャマ姿で食堂で転倒し、ほとんど、意志朦朧としたままで息を引き取ったのであった。ラジオは荘重な音楽を鳴らし、国民に4日間、喪に服することを伝えた。享年74才だったと言われる。
その後、スターリンの遺体は、防腐処置を施された後、レーニン廟の横に安置されることになった。
 
ところが、あれほど恐れ敬われていたのに、フルシチョフらによるスターリン批判がなされると、今度は一斉に批判の対象となり、遺体は、金ボタンと襟章を乱暴に引きちぎられた上、レーニン廟から引きずり出されてしまった。同時に、スターリンの像は、引き倒され、彼の名前を刻んだ都市、スターリングラードはボルゴグラードに改名される始末であった。次いで、スターリンが師と仰いだレーニンも、その後、次々と明るみに出た機密書類によって、批判の対象となり、スターリン同様、像は撤去され、都市名もレニングラードからサンクトペテルブルクに改められてしまった。しかし、過去の批判をし、改名したところで、ソビエト国民の生活レベルが向上するはずもなく、やがて、ゴルバチョフの時代になって、ペレストロイカ(経済の再建と議会の民主化)の波が押し寄せるにつれて、ソ連は、崩壊同然に解体の道を余儀なくされるのである。まもなく、旧ソ連国内に数多くそびえ立っていたレーニン像は、ゴミ同然のごとく、打ち壊されてことごとく撤去されていった。
 
スターリンが死んでもう半世紀にもなる。新生ロシアでのスタ-リンの評価はいまだ定まらないようである。独ソ戦争の勝利を祝う式典は、ロシアにとって極めて神聖なものである。
当時のソ連の指導者はスターリンだった。独ソ戦をどう評価するか、そして戦時中のスターリンの役割をどう評価するか。それは単に歴史的な認識だけにとどまらず、今のロシアのあり方と今後の民主主義の将来を左右する重要な問題である。エリツィンの時代は社会主義とスターリンを全面的に否定していたが、プーチン時代になって、もっと「バランスの取れた」立場に変わってきた。
 
プーチンはスターリンの中に「悪」と「善」の両方を見出そうとして、独ソ戦に勝利したスターリンの功績を評価していた。また、プーチンは欧米を挑発するかのように、スターリンの偉大さをほのめかす発言を繰り返した。NATO(北大西洋条約機構)本部のロシア代表としてプーチンに任命された国粋主義者のドミトリー・ロゴージン氏は、自分の書斎の壁にスターリンの写真を掲げていた。(ロシアは2002年5月に結成したNATOロシア理事会によって準加盟国扱い。)
メドベージェフ大統領の立場は、プーチンとは違うように見える。社会主義とスターリンに対しての評価は厳しく、否定的である。
「率直に言って、旧ソ連は全体主義に染まっていたと言わざるを得ない。残念なことだが、全体主義の制度の下で国民の基本的人権と自由が押しつぶされた。この圧迫はソ連人だけではなく、社会主義陣営の他の国に対しても行われていた。この事実を歴史から消し去ることはできない」
「戦争中にスターリンが果たした役割がどうあれ、現在のロシアから見ると、スターリンは当時の国民に対して山ほどの罪を犯した。彼がよく働き、彼の指導の下で国家が発展したことは事実だが、彼の国民に対する犯罪を容赦することはできない・・・スターリンへの評価は人それぞれであってもいいと思うが、ロシアとして、そしてロシア大統領としては否定的な評価をせざるを得ない」

世界一、貧乏な大統領

2015-12-25 | 国際
「金をたくさん持っている人は、政治の世界から追放されるべきだ」
これは、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領が、スペイン語版CNNのインタビューで語った言葉だ。
 
「私たちは、代表民主制と呼ばれるものを発明しました。これは、多数派の人が決定権を持つ世界だと私たちは言います。ならば、私たち(各国の指導者たち)は、少数派ではなく多数派のような暮らしをすべきだと私には思えるのです」
 
BBCは、2012年に掲載した有名な記事の中で、ムヒカ大統領は自分が得る給与の90%を慈善事業に寄付していると報じ、「世界一貧しい大統領」と呼んだ。この話は、アメリカと比べてあまりに対照的だ。アメリカでは、議員たちが所有する資産の中央値は100万ドル(約1億円)を超えている。
ムヒカ大統領は、裕福な人々そのものを嫌っているわけではない。ただし、お金持ちではない多数派の人々の利益を代表するという仕事を、裕福な人々がうまくできるとは考えていないのだ。
 
「政治の世界では、彼らを分け隔てる必要があります。お金があまりに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです」
 
ムヒカ大統領は、富の象徴となるものを拒否していることでよく知られている。5月に行われたスペイン語放送局によるインタビューで、大統領がネクタイの着用を激しく批判したシーンは有名だ。
「ネクタイなんて、首を圧迫する無用なボロ切れです」とムヒカ大統領はそのインタビューで語った。「私は、消費主義を敵視しています。現代の超消費主義のおかげで、私たちは最も肝心なことを忘れてしまい、人としての能力を、人類の幸福とはほとんど関係がないことに無駄使いしているのです」
大統領は公邸に住んでおらず、首都モンテビデオのはずれにある小さな農場で生計を立てている。ウルグアイ上院議員である妻のルシア・トポランスキー氏、それに3本足の犬「マニュエラ」と暮らしている。大統領が物質主義を拒む理由は、農場の花の世話をしたり、野外で仕事をしたりするといった、自分が情熱を注いでることを楽しむ時間が奪われるからだという。
ムヒカ大統領は1935年生まれの79歳。貧困家庭に生まれ、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら育った。1960年代に入って都市ゲリラ組織「ツパマロス」に加入。1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監された。2009年に大統領選挙で当選し、2010年3月から大統領となっている。2012年のリオ会議で行った講演(日本語版記事)は有名になった。
 
「無限の消費と発展を求める社会は、人々を、地球を疲弊させる。発展は幸福のためになされなければならない」。
 
午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。私達の本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください。
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです。
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので、作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることに、お気づきでしょうか。
これは紛れもなく政治問題ですし、この問題を別の解決の道に進めるため、私たち首脳は世界を導かなければなければなりません。なにも石器時代に戻れとは言っていません。マーケットを再びコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス(古代ギリシャの哲学者 快楽主義の祖)、セネカ(小セネカとも:古代ローマの哲学者で、皇帝ネロの家庭教師を務めた)やアイマラ民族(南米の先住民族)までこんなことを言っています。
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。
私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。
私は、環境に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。しかし、世界でもっとも美味しい牛が、私の国には1300万頭もいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は牛肉やミルクの輸出国です。こんな小さい国なのに、領土の80%が農地なのです。
働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では6時間だけ働く人が増えてきました。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。
こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分にこんな質問を投げかけます。
「これが人類の運命なのか?」私の言っていることはとてもシンプルなものです。
発展が幸福の対向にあってはいけないのです。発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。幸福が私たちにとってもっとも大切な「もの」だからなのです。
環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。
 
 
 
ウルグアイに住んでいるジェラルド・アコスタさんが、ファン L ラカセ近郊にある職場からの帰りにヒッチハイクしていた時のこと。数台の車が通り過ぎた後、やっと1987年型フォルクスワーゲン・ビートルが止まってくれた。
そして彼が車の中に入ると、すぐに車内にいる女性が上院議員のルシア・トポランスキー氏であることに気づいた。車を運転していたのは、なんと彼女の夫ホセ・ムヒカ大統領だったのである!!
ほとんどの車が止まってくれなかったのに、大統領が自分を拾ってくれたことが信じられなかったというジェラルドさん。道中、大統領とルシア夫人の写真まで撮らせてもらった彼は、車を降りる時にひたすら感謝の言葉を述べたそうだ。
収入の9割以上を寄付する「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ氏は今年2月に退任した。ウルグアイでは大統領の連続再選が禁止されている。
収入の大半を寄付していたため生活費は1000ドル(約10万円)ほどだったそうだ。
 

プ-チン大人気

2015-12-24 | 国際
もともとプーチン氏は旧ソ連の公安・KGBのスパイだった。名門レニングラード大学在学中、KGBを志すも、KGBはスカウト制で願書受付をしていなかった。勉強しながらスカウトを待ち続け、見事KGBにスカウトされた。酒もタバコもやらない稀有な存在。柔道と犬と猫をこよなく愛し、極寒のロシアで野良犬と野良猫をなんとか救済しようと動物収監所の建設をいっとき企画したが、人間を収監するほうが先だと気づいたとか。
 
強権的でカリスマ性抜群のプ-チンだが、過去に名言と言うか、ブラックジョ-クと言うか、数々のエピソ-ドが語り継がれている。
インタビュアーに「人を殺したことがありますか?」と質問をされたプーチン氏は「それは、素手で、という意味で聞いているのか?」と答えた。
「汚職するような政治家は、手を切り落としてしまえばいい。中世でそうだったように」  ---プ-チンが言うと凄みがある。
「柔道は相手への敬意を養う。単なるスポーツではなく、哲学でもあると思う。柔道に出会わなかったら、不良だった私はどうなっていたかわからない」
「バイクは自由の象徴だ。」ハーレー・ダビッドソンに乗って登場したプーチン首相は、スピード違反はしないよう注意したあと、「バイクよ永遠に!」と言った。
「英国の連中は脳を入れ替える必要がある。」リトビネンコ毒殺事件の容疑者引き渡し要求について。
「君たちは自らの野心や未熟さ、強欲で数千人の住民を人質に取った。私が来る前にゴキブリのように走り回りながら、なぜだれも問題を解決できないのだ。」労働争議が起きた工場を訪れた際に。
「10人をレイプした強い男性でうらやましい。」イスラエルの大統領モシェ・カツァブに関して。記者会見後、冗談のつもりが、マイクのスイッチが切られていなかった。
「毛皮のコートを買う金も節約できる。」世界気候変動会議にて。
「私達が大衆に見せるものがすなわち現実だ。 彼らはそれしか知らないし、知る必要も無い。 彼らに見せなければ、それは存在しないことになるのだ。」
「日本は不倫や近親相姦を題材にした小説を紙幣に印刷して流通させるほど社会が堕落しているのか。」2000年、九州・沖縄サミットで森喜朗が二千円紙幣を配布した時に。
二千円札の裏に、源氏物語の絵巻が印刷されていたことについて。
「もしあなたがイスラム過激派になりたくて割礼を行う必要があるならモスクワに来るがいい。手術をする医者には、何も生え変わらないよう施術するように勧めておく。」チェチェン紛争に関して。
「ソ連の崩壊は今世紀最大の地政学的惨事だ。」2005年、連邦議会の演説で。
「テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる。たとえ便所に隠れていても息の根を止めてやる」チェチェン武装勢力に関して。
「まだ地上でやるべきことが多くある」バイカル湖を潜水艇で視察後、報道陣の質問に対するコメント。世界一深い湖として知られるシベリアのバイカル湖で、有人潜水艇「ミール」に乗り込み、水深約1400メートルの湖底を視察した。4時間以上にわたって潜水し、通信機器を通じて「湖底は美しい」と説明。浮上後、報道陣に「次は宇宙旅行ですか」と聞かれた際のコメント。
「裏切り者は酒か薬物におぼれてみじめな末路をたどるのが常だ」アメリカで拘束、交換された10人のスパイの存在を密告した者に対して。
2015年8月のツイ-ト
チャイコフスキーは同性愛者だったが、彼は偉大な音楽家であり、われわれは彼の音楽を愛している。
外部からの衝撃に対する経済の弱さや影響の受けやすさは、国家主権への脅威につながる
私のスーツは上下合わせて80キロの重さだ
多くの国民が官僚の仕事ぶりを注視している
党内システムが自由で開放的で民主的であればあるほど、国の発展と強化のために党が果たす役割はおのずと強大なものになる
米国は分不相応な生活をしており、自分たちの問題の一部を世界経済に押しつけている
睾丸を縛ってつるし上げてやる。
あの国は借金暮らしをしている。だが、収入に見合った生活をせずに、責任の重さを他国に移している。いわばパラサイトのような生き方だ
時々、コニは報道陣が詰めている部屋から嬉しそうな表情で出てくる。口の周りにビスケットのかけらをつけて、もう一度、今回はインターネットを通じて訪問者の皆に訴えたい。お願いだから、私の犬に餌はやらないでいただきたい。
日露間に平和条約がないのは異常な事態だ
世界は混乱期に差し掛かっている。この期間は長く痛みを伴うものになる
日本は必ず問題を解決して復興するだろう
ロシアを文明的で開かれた国家に変えるのに大いなる役割を担った
わたしがここに到着する直前になって、君ら全員がゴキブリのように集まってきた理由は何だ?判断を下せる者が、ここにいなかったのはなぜだ?仲間うちで合意できないのであれば、君たち抜きで決めるだけだ
いつも店先のトランペットを物欲しそうに眺める少年にトカレフを買ってあげたことがある
Wikileaksめ、私を企業の犬などと・・・
私はロシア人女性が好きだ。世界で最も美しく才能ある女性だ
 
 
一方で、子供や動物をかわいがる。
ある式典で、プーチン氏に近づいた10歳の少年に対し、その少年のシャツをめくり上げ、おなかにキスをした。後日プーチン氏は謝罪と釈明として「かわいくてついやってしまった」と言ったが、真意のほどはわからない。
 
また、無類の動物好きとして知られるプーチン氏は、日本びいきでもある。
東日本大震災の際、多額の義援金を送ってくれたプーチン氏に対し、日本が感謝の意をこめて秋田犬を贈った。プーチン氏は大喜びし、犬に「ゆめ」という名前をつけて日々、深い雪の中を一緒に転がりまわっているそうだ。日本からのお礼の秋田犬なのに、そのお返しにと、翌月にふさふさ毛並のロシアンキャットを日本に贈ってくれたと言う。その猫は「ミール(平和)」と名づけられ、秋田の知事室でかわいがられているという。
 
私生活では何年間も別居状態にあったリュドミラ夫人と離婚した。オリンピック金メダリストで政治家のカバエワさんと再婚するのではないかとささやかれている。
マリアとエカテリーナという2人の娘はいずれも20代で、公に姿を見せないためロシアでも顔を知る人がほとんどいない。カバエワさんとの間にもすでに子供がいるらしい。
 
ロシアで行われた最新の世論調査で、プーチン大統領の支持率がなんと89.9%に達した。
プーチン人気の秘密は「ロシア経済を建てなおしたこと。1991年末、ソ連が崩壊し、1992年~98年までに、ロシアのGDPは、なんと43%も減少した。プーチンが首相になった1999年からプラス成長に転換。彼が大統領になった2000年から2期目が終わる08年まで、ロシアは毎年平均7%の成長をつづけた。プーチンは08年、大統領をいったん引退。「大統領は4年2期」までと決まっていたからだ(現在は、6年2期まで)。
 
08年「リーマンショック」から「100年に1度の大不況」が起こった。09年のGDPは、マイナス7.8%。原油価格が暴落したからだ(08年夏はバレル140ドル台だったが、09年初は30ドル台まで下がった)。
原油価格は、比較的はやく回復。ロシアのGDPは、10年4.5%、11年4.3%、12年3.4%。
 
12年、プーチンは大統領に返り咲くが、経済成長は鈍化、プーチン人気も、60%台まで下がってしまった。プーチンは2013年、外交で大きな実績を残した。2013年8月、オバマは「アサドが化学兵器を使ったので、シリアを攻撃する!」と宣言し、2013年9月「やっぱりシリア攻撃やめた!」と戦争をドタキャン。
 
日本ではあまり知られていないが、世界的には「プーチンが止めた」ことになっている。なぜプーチンは、フォーブス誌で2013、14年「世界でもっとも影響力のある男」に選ばれたのか?
13年は、「シリア戦争を止めたこと」、14年は、「クリミア併合」が原因なのだそうだ。
 
 
さて、2014年3月、ロシアは「クリミア」を併合した。ほぼ全ロシア国民がクリミア併合に賛成した。クリミアは、1783年から1954年まで「ロシア領」だった。1954年、スターリンの後を継いでソ連書記長になったフルシチョフ(ウクライナ人)が、突然「クリミアは、今日からロシアではなくウクライナの管轄にします!」と宣言した。ロシア人は、この処置をずっと「不当だ!」「違法だ!」と憤っていた。しかし、当時は、ロシアもウクライナも同じソ連の一部。大きな問題にはならなかった。しかし、ソ連が崩壊すると、クリミアは独立国家ウクライナのものになってしまった。プ-チンは軽く取り返してしまった。北方領土を1日で、無血で取り返したようなものだ。プーチンの支持率は、86%まで急上昇するのも無理はない。
 
プーチンの支持率がさらにあがったのはシリア空爆。ロシア人は、「アサドは、合法的大統領であり、欧米が反体制派を支持して革命を支持するのは、『内政干渉』ではないか!」と怒っている。大統領の依頼で、ロシアが「反体制派」や「イスラム国」を空爆するのは、「国際法に合致している」というのが、ロシアの立場だ。
 
ロシアのプーチン大統領と次期米大統領選の共和党指名有力候補であるドナルド・トランプ氏が、互いを称賛するとともに、米ロ両国の関係改善に前向きな姿勢を示した。プーチン大統領は、年末恒例の記者会見で、「トランプ氏には花があり、才能があることに疑問の余地はない。だが彼の長所を評価することはわれわれの仕事ではない。判断は米国民にゆだねられている」と述べた。また、「(トランプ氏は)ロシアとの関係を深めたいと発言しており、われわれはもちろん歓迎する」と語った。
トランプ氏は、プーチン大統領の賞賛を名誉に感じるとの声明を発表。「内外で尊敬されている人物からこうした賞賛を受けるのは常に大変な名誉だ」と述べた。同氏は、「米ロがもっと協力すれば、テロを根絶し世界平和を再構築することができると常に感じている。貿易のみならず、あらゆる恩恵が相互の信頼関係からもたらされる」と語った。
 
自分に対する反対者は逮捕してシベリア送りや暗殺、合法的に油田など国営施設を買収したユダヤ人に対しても、片っ端からそれらを取り上げて国民に還元する、CIS(ロシア語圏)から離脱しようとする国には容赦なく軍事・経済などあらゆる方法で制裁し、どんなテロにも屈しないし、テロで国民が犠牲になってもテロリストの抹殺を優先する。私利私欲に流されず、国家の威信と国益を守ることが最優先事項に見える。強権発動のカリスマ的指導者でありながら、人間的な魅力も垣間見せる。強いロシアを望むロシア人の理想なだけに、隣国としては怖い存在だ。

シリアの泥沼戦争

2015-12-12 | 国際
今年一月の『シャルリ・エブド』紙に続いてフランスがテロに見舞われた。フランスばかり狙われてるわけではなく、エジプト・ナイジェリア・マリ・チュニジア・イエメンそしてパリにおけるテロ2日前のレバノンでは50人も死亡した。
この132人が死亡した大規模なテロのせいで、12月6日フランスの州議会選挙では「移民排斥」を訴える右翼・国民戦線の票が急増、28%(前回は11%)でトップになり、与党の社会党は惨敗した。
妻をテロリストに殺されたアントワーヌ・レリス氏の「私は決してキミたち(テロリスト)に憎しみという贈り物は与えない。憎しみに対し怒りで応じることは、キミたち(テロリスト)と同様無知に屈することになるからだ」という心を揺さぶる抑制の言葉に感激してもリアルの世界は別だということか?
 
フランスでテロを行えば世界から注目される。フランスの国家理念とも言うべき人権尊重や宗教観はイスラムとは決定的に異なる。フランスが戦後の経済成長期に、労働力の不足を補うため、アフリカのアルジェリアやモロッコのアラブ人を移民として受け入れたにも拘わらず、差別は少しも無くならかったので、移民の子孫たちの不満は大きい。アラブ人の移民1世は、フランスに憧れをもってやってきたが、2世3世は郊外のスラムのような公共団地に住むしかなく、差別のせいでロクな仕事もなく悪に走る者も多い。差別による貧困が怒りと暴力を生み、疎外感は攻撃性を育くむ。今回のテロもヨーロッパ生まれの「ホーム・グロウン」による大がかりなテロである。ヨーロッパ自体がテロリストをつくったのだ。
 
後藤さんの首を刎ねた黒覆面の‘政戦士(ジハーディ)ジョンがテロリストになった経緯は、ちょっと信じられない。09年英国の大学を卒業してタンザニアの「野生動物観光」ツアーに行ったら、空港で公安警察に身柄拘束。そのままアムステルダムに移送されオランダの治安機関に尋問され、英国に戻されて情報機関にしつこい取り調べを受けた。ソマリアのイスラム過激組織と関係があると疑われたらしい。英国スパイ機関MI5(エムアイファイブ) は繰り返し繰り返し「テロについてどう思うか」「アフガニスタンでの戦闘についてどう考えるか」と訊いたという。さらに、過激派アルシャバブを監視するスパイとしてリクルートしようとした。もちろん、ジョンは断ったが、MI5は執拗にジョンの私生活を盗聴・盗撮・尾行などで、彼を心理的に追い詰めていった。2010年には自殺も考えたほどだったという。そして13年行方不明となり、本当にテロリストになってしまった。
 
デイリーニュースオンラインでは、彼の父親と母親について、以下のように書かれている。
父親のアデルはイスラム主義の反政府運動に関わり、たびたび逮捕・収監されたが、後に弁護士資格を取得したという。米国を経て英国に滞在中の1993年、難民申請が受理された。エジプトから妻子を呼び寄せたようだ。アブデルマジドが生まれたのは1990年とされている。父親はロンドンでエジプトのムバラク政権に反対する政治活動を続けた。その後、1998年8月、タンザニアとケニアで200人以上が死亡した米大使館連続爆破事件が発生すると、英警察はアデルを事件に関与した疑いで逮捕した。釈放、再逮捕を経た2012年10月、米国に身柄を移送した。ニューヨーク南部地区連邦検事局は2014年9月、アデルを殺人謀議と脅迫の疑いで起訴した。起訴状によれば、アデルはイスラム主義組織「エジプト・ジハード団(EIJ)」のロンドン細胞を運営。アルカイダと「実質的に一体化した」EIJの幹部として、アルカイダが実行した米大使館爆破事件に関与したという。また、事件の3日後、フランスなどのメディアに犯行声明とさらなるテロ攻撃予告を伝えた。アデルは起訴内容を認める司法取引に応じている。
母親はこのころ、行政の福祉給付に頼るなど生活が困窮した様子を語っているが、〝ジハーディー・ジョン〟ことアブデルマジドの暮らしぶりはよく分かっていない。唯一、報じられるのは音楽活動だ。
ユーチューブに2012年7月にアップロードされた映像では、「L Jinny」の名でラップを歌っている。
「兄弟6人食わせなきゃなんない でも奴らは俺の家族をエジプトへ送り帰そうとしてる もう船酔いするぜ」と強制送還を恐れ、「酒に酔う」「ドラッグだらけのキッチン」とすさんだ生活を感じさせる歌詞も聞こえる。BBCラジオ第1放送はアブデルマジドのラップを何度が放送したという。
翌年、アブデルマジドは家族に別れを告げ、シリアへ旅立った。地元のイスラム主義者から影響を受け、短期間で「過激化」したとみられる。
 
英政府の2011年国勢調査によれば、ロンドン住民のうち外国生まれは37%に達したという。多文化が混ざり合う街で新しい方言が生まれる中、テロリストと深いつながりのある父親を持つ青年にどんな苦悩と決意があったのか。ジハーディー・ジョンの深層心理を理解することなくして、「イスラム国」の脅威に対抗することはできないだろう。
 
イスラム教徒征伐のための「十字軍」(1096年以降)に加わった者もフランス人が一番多かったし、パレスチナ問題の原因(ユダヤ人によるイスラエル国家の建設と、イスラエルによるパレスチナ人弾圧)をつくったのも英国とフランスだ。さらにアフリカや中近東に植民地を持っていたし、その国々が独立した後も内紛が起きると、フランスは軍事介入してきたから反発は強い。
有志連合の一員であるフランスは、ISの拠点を空爆し、空母シャルル・ドゴールを出航させてシリア領土も攻撃すると宣言した。フランスはターゲットの上位にランクされているが、英国のキャメロン首相も「イラク領内に限定していた空爆をシリア国内に拡大する」と言ったから、今度は英国かもしれない。
 
 
生き甲斐も仕事も自己表現も奪われたアラブ系移民の2世3世の若者は、「イスラム教徒は世界中で差別されている。だから我々と共にイスラム国家を建設し幸福な人生を送ろう」というISの勧誘PRビデオを見ると心が騒ぐ。今やISには世界中から若者が集まって来る。チュニジア人が一番多くて5000人、サウジアラビアが2200人、ヨルダンが2000人、ロシア1700人、フランス1500人、トルコ1400人、モロッコ1200人、レバノン900人、ドイツとイギリスがそれぞれ700人(15年8月)といったぐあいだ。
フランス人テロリストのサラ・アブデスラムが住んでいた地域の隣人は「おとなしいフツーの青年で、とてもテロなんて・・」と絶句する。確かにコーランなど一度も読んだこともなく、ガールフレンドもいて、モスクに礼拝に行ったこともない青年が、家族に別れも告げずいきなり姿を消したと思ったら、半年後にはテロリストになっていた。つまり貧しさからテロへ走る者が圧倒的に多いが、学歴もあり裕福な若者でも「生き甲斐」を求めてISに入ってしまう。
 
先進国の足並みもそろわない。イラク戦争ではフランスが反対したが、アメリカが暴走した。シリア内戦ではアサドが生物兵器を使用した段階でフランスが介入を主張したが、オバマの米国は議会が反対した。
IS国を潰そうというのは各国共通なのだが、ロシアはもともとアサド政権支持だから、IS空爆は隠れ蓑で実際は反アサド反政府勢力を攻撃している。米・英・仏・独・トルコ・サウジはアサドの退陣を要求してるが、シーア派のイランはロシアと同じアサド支持である。ISと激しく地上戦を展開しているのは勇敢なクルド人民兵なのだが、国内に多くのクルド人を抱え不安要因となってるトルコは痛し痒しだ。ロシアは「トルコは裏でISやアルカイダと取引をしている」と非難し、トルコがロシアの戦闘機を撃墜して、もう滅茶苦茶だ。
アラブだって一体ではない。「湾岸戦争」後、湾岸諸国はアメリカの言いなりになるしかなく、石油価格も生産量もアメリカの要求に従うのみ。内政にまでアメリカは干渉して、アメリカ好みの「デモクラシー」を強引に押しつけた。それなのにイランと和解するとは…。
 
ISILがイスラエルと深いつながりがあることを示す兆しがある。逆の主張もあるが・・・・。
ISILは、アルカイダと提携している、シリアのイスラム原理主義者武装反抗勢力集団、ジャバト・アル・ヌスラ(アル・ヌスラ戦線)の兵卒の大半を吸収した。アル・ヌスラ戦線は、ゴラン高原国境沿いのシリア軍の位置把握で、イスラエル国防軍(IDF)と協力している。イスラエルは、ISILに対し、非常に楽観的で、イスラエル日刊紙ハーレツは、イスラエル当局は、日常的に、カメラと双眼鏡だけを持ったイスラエル人旅行者が、ゴラン高原を訪れ、クネイトラ渓谷を見下ろし、アル・ヌスラ/ISIL聖戦戦士達がシリア軍と戦うのを目撃するのを認めていると報じている。イスラエルは、観光客が、渓谷での戦闘を見下ろす為の大型望遠鏡まで提供している。イスラエル人には、昼食、コーヒー、芝生用の椅子まで用意するむきもあり、丸一日、アラブ人が、他のアラブ人を殺すのを眺めてすごしている。
 
中近東の内戦は敵味方が判然としない混戦状態で、新たな段階に入ったようだ。とにかく、イスラエルは高みの見物を決め込んで、アラブ人同士が殺し合うのを眺めている。軍需産業は笑いが止まらない。