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オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

国際貢献は日本の国益

2016-07-08 | 国際
バングラデシュのテロ事件を受けて、「日本が援助をしてきた国で、なぜ日本人が犠牲になったのか?」といぶかる人がいる。
事件は非イスラム教徒を狙った無差別テロで、たまたま日本人がいただけである。そして、ODAのやり方にも問題点が多数指摘されている。援助とはいいながら、格差社会を輸出する一翼を担っているとも言えるし、日本企業のためのODAと言う側面もある。
 
バングラデシュには、たくさんの国連やNGOなどの援助機関が入っている。最貧国の一つとして、日本などから多くの援助を受けている。
本部採用の国連職員の給料は、地元住民の10倍以上である。NGO職員の給料も、日本のNPOとは比べ物にならないくらい高い。さらにJICAなど、欧米各国には政府系援助機関があり、その家族も含めれば、数千、数万人単位の大金持ちコミュニティーができあがる。その人たち向けの高級モールができ、レストランができ、年間の学費が300万円するインターナショナルスクールができる。
援助職員間の格差もすさまじい。難民キャンプでは国連機関の職員は、インターナショナルスタッフと呼ばれる本部採用組、ローカルスタッフと呼ばれる現地採用組、そして難民従業員の3つに区分される。月収は、それぞれ、30-100万円、5-30万円、5000-1万円と、組織内で最大200倍の格差がある場合も珍しくない。
 
ODAは表向き、貧しい人々の生活を助けるのが目的だが、日本のイメージアップ、日本企業の進出、日本に感謝させるというのも大きな目的だ。日本の国益になるから、援助するのであって、アフリカ諸国などには、ODAの見返りに日本の常任理事国入り賛成を取り付ける、ということもあからさまに行われている。
 
日本のODAは「国際貢献」や「国際協力」という言葉で飾られることが多いが、道路や鉄道など経済インフラが主な日本のODAは、日本企業が海外に進出しやすくするための方策であると言う側面も大きい。
日本のODAはインドネシアに多く出されているが、これは石油の確保や、市場の拡大などをねらったODAだ。真の意図は、国益重視であるから、経済摩擦や民族間の紛争を巻き起こすのも当然だ。
「国際協力」の名の下に大量の金をまき散らし、国内で批判される公共事業と同じ巨大ダム建設やインフラ事業が輸出される。資本を投下することで先進国に追いつかせることが開発・発展で、それに寄与することが「国際協力」である。しかし、いっこうに追いつかないどころか、格差社会が広がる一方である。恩恵に授かれた人々とそうでない人々との格差が拡大するのである。
 
日本がODAで海外に金がばらまかれる一方で、国内で餓死者が出ている現実を見ても、国益と言うグロ-バル企業の利益が優先されているのは明白だ。援助しているのに感謝されないどころか、テロの巻き添えになる現実を不思議がり、海外援助は100%良いことだというナィ-ブな認識は改めるべきだろう。
 JICAが昨年10月、治安が悪化していると判断し、現地に派遣されていた青年海外協力隊員ら48人のボランティアスタッフを急きょ帰国させていた。一方で事業を継続させる必要があるとしてプロジェクト参加者は帰国させなかったという。

「国際協力の推進を求める」経団連
ASEANのほか、中国、インド、バングラデシュ、ブラジル、ロシア、トルコ、イラクを含む中東産油国、先進諸国などに対しても、わが国の省エネ、低炭素技術をはじめとする世界最先端の技術やノウハウを積極的に提供し、環境と両立する持続可能な経済成長の達成に貢献していくべきである。これらの国では、多くの関連したインフラ案件が計画されており、わが国の航空機や鉄道の技術に関心を有する欧米先進国を含め、官民が一丸となって一層強力に受注成果を上げていかなければならない。
新興国等の持続的な成長を実現するためには、発電所、道路、港湾、空港、高速鉄道、都市交通などの基幹インフラ、住宅建設、上下水道などの生活・都市インフラ、通信、通関システムなどのIT関連インフラを重点的に整備し、また、工場や物流システムおよびその周辺地域の最適な配置計画に基づく都市づくりを進めることにより、成長のボトルネックを解消していくことが必要である。
原子力発電については、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故により安全性についての懸念が提起されたことで、わが国の技術とノウハウを十分に活用することができる巨大プロジェクト輸出として期待されてきた原子力発電の輸出のあり方が問われることとなった。他方、高い経済成長が見込まれる新興国を中心に、引き続き原子力発電所建設への需要は高い。万全な安全性確保の措置を講じて、これらの要請に応えていくためにも、福島第一原子力発電所の事故原因究明を進め、安全性確保について国際機関とも連携を図り、原子力発電の海外展開を図る環境作りを行うことが不可欠である。
わが国が経済外交を推進し、官民連携で海外のインフラ整備を進めていく観点からも、無償資金協力の規模を拡大し、技術協力の活用分野をますます拡充していくべきであり、国際社会においてわが国の役割を果たしていくための極めて重要なツールでもあるODA予算の減額に歯止めをかけることが不可欠である。ODAを通じ、相手国の経済基盤強化と経済成長を促すことは、わが国の輸出と雇用拡大にもつながる。

米軍基地がやってきたこと

2016-07-03 | 国際
沖縄ではなぜ兵士がレイプや性的暴行事件を繰り返し起こすのか?それは、そのように“教育”されているからだ。
アメリカンユニバーシティの人類学准教授であるデイヴィッド・ヴァイン氏が、6年にわたって世界12の国と属領などの現在と過去の60にのぼる米軍基地を調査したレポート『米軍基地がやってきたこと』は、米軍基地の特殊性を明らかにする。〈男は生まれつきの強姦者ではなく、軍でも大半の男性兵は、どれほど服従を強いられているかにかかわらず、性的暴行に及んだりはしない。だが人間の社会では、ある種の条件でレイプや性的暴行が起きやすくなる。そうした条件がおおむね揃っているのが米軍であり、世界の在外基地だ〉。
 
【合意形成を装いながら、できるだけ多くの金を取ろうとする。沖縄の人々は、東京に対する、ごまかし、ゆすりの名人だ】
【沖縄の人々は普天間が世界で最も危険な基地だと主張するけれども、彼らはそれが真実でないことを知っている。 福岡空港や大阪の伊丹空港も同様に危険だ。】
【沖縄の政治家は東京での交渉で合意しても、沖縄に帰ると合意していないという】
【沖縄の人々は、怠惰でゴーヤーも育てられない】(朝日新聞 2011年3月)
アメリカ国務省のケビン・メアが発言して、物議をかもしたことは、記憶に新しい。その際、メアの講義を学生たちと共に聞いていたのが、著者のヴァインだと言う。だから、沖縄に関する記述も充実している。
 
〈米軍の沖縄駐留に疑問をもちはじめた軍事アナリストはしだいに増えてきている。政治や社会的な理由ではなく、あくまでも軍事的な理由に基づくものだ。中国と北朝鮮のミサイルの射程距離や精度があがっているために、彼らの多くは、アジア大陸に近すぎる基地は攻撃を受けやすく、ほとんど価値がないとの結論に至っている〉
〈たとえ(中国と北朝鮮の)封じ込めと抑止の一環であったとしても、米軍の沖縄駐留は最適な編制とは思えない。たとえば、今や専門家の間では、海兵隊が沖縄に駐留しても、抑止効果はほとんどないとの意見が多くを占める〉
そうした意見があるなかで、アメリカは日本を金づるにし、一方の日本は多額の負担を自ら負い〈冷戦時代の属国的な地位のまま〉で文句を言わない。この現状を、著者は〈冷戦時の同盟を維持する根拠はもはやなく、日本はもっと自立を主張できる可能性をもっているし、東アジアにおけるアメリカの政治的、経済的、軍事的支配が中国その他の新興国に脅かされつつある新たな時代にあるというのに〉と日本の態度に疑問を示し、他方のアメリカの思惑を〈沖縄の基地にしがみつくことが、日本という操り人形を手放さないための、そして同時に、アメリカの政治的、経済的優位性を手放さないための手段となるのだ〉と解説する。
 
海兵隊の新兵訓練(ブートキャンプ)は、やさしい若者のプライドを粉々に壊し、人格を戦争向きに変えてしまうことを主眼とする。敵前突入の任をまかされた海兵隊だから、そこに兵士教育の重心が置かれる。
入隊した若者たちは、とりあえず48時間眠ることが許されず、教官は常に耳もとで罵声を浴びせ続ける。教官の命令には絶対服従で、「イエスサー」 、「ノーサー」以外の返事をしてはならない。
軍隊の文化は、攻撃性と服従性の微妙なバランスの上に成り立っている。そのどちらかが過剰になると、性暴力が発生しやすくなる。そのため、軍に所属する男性は民間人に比べて、レイプされる危険性が10倍にもなるという。新兵は自由意思を剥奪され、上官に抗弁するなどもってのほかだ。将校のなかには、俺の洗濯物を取ってこい、と言うのと同じくらいの気軽さで部下に性行為を強要する者がいる。また兵卒にも、軍の権力構造を使って、兵卒仲間を犯す輩がいる。「レイプ犯はゲイだから男を犯すのだと誤解する人が多いのですが、たいていゲイではないのです。これはセックスの問題ではなく、力と支配の問題なのです」と語るのは、ソルトレイクシティの退役軍人向け医療施設でPTSD(心的外傷後ストレス障害)診療チームに所属する精神分析医ジェイムズ・アズブランドだ。
兵士は、「敵」だけでなく、自分より弱い者、民間人(特に女性)に暴力を振るう事で、暴力を連鎖させる。より弱い者、上官から新兵、占領者から被占領者、武器を持った軍人から抵抗手段を持たない民間人、男から女へ、(性)暴力が振るわれる。
 
〈軍にとって最も難しいのは、人に人を殺せと教え込むことであり、それを教え込むには、他人が自分より「劣る」生き物だという考え方を吹き込んで、周囲の人間は人間ではないと思わせることだという研究結果がある。軍の訓練と軍の日常生活の文化によって助長される、周囲の人間など人間ではないいう観念の中心となるのが女性蔑視──女性は男性より劣るという考え方だ。軍の組織ぐるみの売買春は、女性など人間ではないと思わせる重要な装置であり、その考え方を不滅のものにするのが、軍事化された男性性だ〉 (ジェンダー分析 シンシア・ エンロー)

グロ-バル化の功罪

2016-06-26 | 国際
1996年ごろ、スウェーデンは理想的な福祉国家だった。学費も出産もすべて無料、仕事も子育ても勉強も希望すれば、可能な環境が整っていた。リーマンショック(2008年)をきっかけに、スウェーデン・モデルは揺らぎ、2006年に政権に就いた穏健党は、教育や医療の民営化を行った。今、スウェーデンの学力は、OECD加盟国中、下から3番目に落ち、病院の待ち時間も、加盟国中ほぼ最長という統計まで出る始末だ。2013年9月、スウェーデン政府は「入国を希望するシリア難民全員を受け入れる」と発表した。一時的な滞在許可だけではなく、申請すれば永久権も得られ、家族を呼び寄せることも可能になる。シリア難民に永住許可を付与する欧州の国はスウェーデンが初めてだった。欧州各国から流入する移民も激増した。街を歩けば、路上のホームレスやミニスカートをはいて立つ女性が目につく。住居や一定の手当を保障されている難民と異なり、同じEUから自由に流入できる移民は、職が得られなければホームレスになるしかない。スウェーデン人口は、今や1990年代から100万人以上増え、975万人となり、社会の負担は限界に達している。現在、25歳以下の若者の失業率は22.9%と北欧諸国で最も高い。失業者の多くは難民・移民が占める。この人口を支えるため、勤労者は毎年給与額の1か月分に当たる額を負担している、と言う。当然、イギリスと同様、移民に対する排外主義が台頭している。 スウェーデン以外の北欧諸国では、反移民政策を唱える「ナチス的政党」が政権党と連立している。ノルウェーでは外国人の受け入れ制限を公約した進歩党が連立与党入りを果たし、デンマークでは外国人との結婚を制限する移民法を成立させた。スウェーデンでも「反移民」に傾斜する右派、スウェーデン民主党の支持率が年々上昇している。同党は、2014年9月の総選挙で大躍進し、今やスウェーデン第3の政党となった。
 
北欧の福祉国家はすべて新自由主義化し、グロ-バル化した優良企業も多い。90年代以降、グローバル化に適応した社会システムを構築する改革が続き、スウェーデンやデンマーク、オランダなどは「新自由主義型福祉国家」と呼ばれている。オランダはワーク・ライフ・バランスや男女共同参画社会で新たな働き方のモデルをつくり、年間労働時間は日本の8割以下で、労働者一人あたりの生産性は3割も高い。人口900万人のスウェーデンからはイケアやH&Mなどの世界的企業が育ち、国政選挙の投票率は85%にも達する。デンマークは消費税率25%の高負担の国だが、イギリス、レスター大学の世界幸福度調査(2006年)では「世界一幸福な国」に選ばれている。新自由主義化した北欧は、効率的で国際競争力が高く、国民の政治・社会への参加意欲も、生活に対する満足度や幸福度も高い。
 
それに対して“南のヨーロッパ”には不満しかない。ギリシアでは失業率が20パーセント(若者の失業率は57%)を超え、公務員の給与は3割削減され、財政危機が発覚した2009年末からわずか2年でギリシア国内の銀行預金は20パーセント(約5兆円)減ってしまった。人も逃げ出し、オーストラリア、メルボルンのギリシア人コミュニティの人口は15万人を超え、アテネ、テッサロニキに次ぐ“ギリシア第三の都市”になろうとしている。
 
ヨーロッパ(EU)はユーロという共通通貨を持ち、ECB(ヨーロッパ中央銀行)がユーロ圏の金融機関を支え、金融や財政が一体化していくなかで、域内に異なる社会制度が並存する。うまく機能するはずがない。劣った社会制度を抱える国々は、優れたシステムに政治や社会を「改革」していくべきだと思うが、ことはそう簡単ではない。民族性が全く違うからだ。“南のヨーロッパ”は汚職が蔓延し、政府は肥大化し、ひとびとは働くより福祉をあてにする。EUにとどまり、財政破たんを回避するには、ECBの指示する緊縮財政や金融政策を受け入れなければならない。
 
しかし、北からの外圧は、南のひとびとにとっては理不尽以外のなにものでもない。強く結ばれた家族の絆に生きる意味を見出す彼らにとって、無縁社会という“近代的個人”の集団になってしまった先進国は気味の悪い冷酷無情な社会でしかない。経済的に効率的な社会を目指すことは、人として生きるという価値観を放棄することと同義に見えるかもしれない。しかし、南の価値観もまた、新自由主義の流れを変えるものではない。強欲経済ではない持続可能な成長、スローライフ、農業回帰、地産地消、コミュニティの復権などなど、懐古趣味的な言葉が並ぶグローバリズム批判でしかない。
 
エコノミストの多くは、何の疑いも無くグローバル化を推進している。グローバル化で世界中の資源が最適に配分され、より多くの富を生み出し、世界経済は発展するという。国際分業は効率的で生産性も高いという。しかし、グロ-バル化の恩恵を受けられない人、システムからこぼれ落ちた人々は呪詛を唱え、その憎しみはわかりやすい移民や難民に向かう。生産性が高くとも大多数の人を不幸にするのであれば、社会のシステムとして不適切なことは当然だ。豊かな人がますます豊かになり、貧しい人はますます貧しくなる。国の経済規模で見れば成長したが、社会的な完成度としてはむしろ後退した。
 
また、貧困がテロの温床になっているとすれば、グローバル化が進展した今日、ますます悪化している。グローバル化による貧富の格差こそテロの温床に見える。グローバル化は深刻な環境破壊も引き起こす。先進諸国では環境保護に関する法律が整備され、公害や環境破壊に悩まされる事は少なくなった。しかし、地球規模での環境破壊はすさまじく、新興国の環境破壊と引き換えに得られた資源が先進国に輸出され、消費社会を支えている。アマゾンの熱帯雨林はどんどん伐採され、木材は輸出され、農地には単一の商品作物が大規模に栽培される。鉱山を開発すれば有害な物質がどんどん流され、貴重な資源は先進国へ運ばれ、消費され、大量のゴミとなる。当然、公害を経験してきた先進国は結果としての環境破壊を予測できたにもかかわらず、自国企業の利益のためには他国の環境破壊を気にも留めない。
 
グローバル化は先進国にも歪をもたらす。先進国では海外に工場が移転し、産業の空洞化は深刻な失業問題と貧富の格差をもたらした。グローバル化は資本の移動だけでなく、人の移動も推進する。移民を受け入れなければ、産業の空洞化による雇用の縮小、受け入れれば、賃金が低下し、移民との間で対立が発生する。移民はグローバル化のわかりやすい弊害だ。
 
グローバル化により相互依存も進む。例えば穀物は生産性の高いアメリカが圧倒的なシェアを占めている。アメリカが穀物の輸出を行わないと恫喝すれば、アメリカの要求に従わざるを得なくなる。シェアが高まれば、他の国を支配下におけるようになる。レアメタルで同様の事が起きたのは記憶に新しい。グローバル経済はすべての国が友好的で、世界が平和でなければ成立しない。どの国も自国の利益を最大化しようと競争が激化し、紛争が絶えなくなる。そんな状態で経済のみがグローバル化し、食糧やエネルギー資源など国民の生命に関わる重要な商品をすべて輸入に依存する事は、極めてリスクが高い。
 
世界が平和で安定していたとしても、世界分業にはリスクが伴う。大干ばつなど自然災害が起きると食料を他国に依存している国では大量の餓死者が出る事になるからだ。高度に分業化された社会は効率的で高い生産性を有するが、ひとたび何かがあると悪影響は連鎖的に全世界に広がり、経済はたちどころに瓦解する。
 
なぜ、グロ-バル化が経済成長に欠かせないのか。自分の国で消費するものは自分の国で生産すればいい。わざわざ中国や東南アジアで生産しなければならないのか?為替レートがあるから、コスト削減になるのだ。グローバル化のメリットは為替の差による「人件費コスト」を利用しているに過ぎない。為替差を利用して途上国の労働力を安く利用すること(搾取)がグローバリズムの本質であり、為替差がなくなれば、生産拠点はさらに貧しい国へと移動していく。そのたびに途上国の環境を破壊し、貧富の格差を広げて社会問題を引き起こす。
 
グローバル化が行きつく先は理想の社会ではない。バランスのとれた世界経済の仕組みを構築するためには、グロ-バル化の功罪をつぶさに見ていく必要がある。そういう意味で今回のイギリスのEU離脱は歓迎したい。それにしても、世界の運命を変えるほど重要なことが僅差で決まってしまう民主主義の恐ろしさ、多数決の怖さも思い知らされた。日本も憲法改正の国民投票が実施されるかもしれない。衆愚政治に陥らないためにも国の運命を変えるような重要事項については、有権者の過半数の賛成が必要と改めるべきだ。 理性より感情に左右される国民投票が正しい判断を下すとは限らない。二者択一の直接民主制は憎悪を伴う対立を引き起こす。スコットランド独立の是非を問う住民投票は家族や住民を分断し、その対立は今も残っていると言う。二者択一ではなく、EUに残留しながら、移民を制限するなど、選択肢を広げれば、こんな過激で、はた迷惑な結果にはならなかっただろう。

グロ-バル化への反撃

2016-06-25 | 国際
英国のEU離脱が決まった。政治や経済だけでなく、企業経営の前提だったグローバリゼーションの流れに歯止めがかかる。
 
EU離脱の是非を問う国民投票を前に、トヨタ自動車は英国法人の従業員に会社の考え方を記した手紙を送った。英国では年間約19万台を生産し、約3000人の社員を抱えている。
「離脱すれば、輸出入に10%もの関税がかかる可能性がある。その結果、我々は膨大なコスト削減を迫られたり、販売に悪影響を及ぼす値上げに結びついたりするかもしれない」
EU離脱への心配をあらわにしていた企業は、トヨタだけではない。GEなど欧米の有力企業の経営者も不安を訴えていた。欧州ビジネスに変容を迫られるのは必須だ。鉄道車両の工場を英国内につくったばかりの日立のように、英国を足場にEU市場を攻めている企業は少なくない。
 
世界中の企業が成長への道と考えていたグローバリゼーションが庶民の反撃で一時的に逆転するのではないか。
 
日本貿易振興機構によると、世界の貿易額は、18兆ドル(約1800兆円)を超す。2000年の実績と比べると、およそ3倍。グローバリゼーションの波及がもたらした結果である。ところが、2008年のリーマン・ショックで成長は鈍化した。けん引役だった中国など新興国は、無理がたたって、カンフル剤も効かない。欧米社会を中心とした移民急増は安価な労働力を提供して、コスト削減につながり、企業の内部留保を高めたものの、所得の下落で中間層が没落し、格差拡大と雇用不安をもたらしている。英国民をEU離脱に突き動かしたのは、グローバリゼーションがもたらした経済優先の資本の論理に思える。英国以上にグローバリゼーションが進行していた米国も孤立主義者のトランプ大統領が誕生しそうな雲行だ。欧米からアジアまで、グローバリゼーションへの反動が様々な形で拡がっている。
 
 
英国がEUに加盟したのは経済的利益が狙いだった。しかし、EUの拡大で新たに加わった東欧から英国への移住が急増した。金融危機で景気が冷え込むと、域内のどの国でも自由に働けるというEUの原則は英国民にとって欧州の不況を輸入し、雇用不安を増幅する仕組みでしかなかった。さらに、ギリシャ危機や難民問題、フランスやベルギーのテロで、英国民の反EU感情は頂点に達した。離脱派は「EU脱退を通じて主権を取り戻し、移民増加に歯止めをかけよう」と主張し、「古き良き英国」に郷愁を感じる高齢者や、貧困に苦しむ低所得層を中心に、幅広い支持を得た。残留派は、EUを脱退すれば英経済は大打撃を受け、生活水準が低下すると主張したが、格差社会の底辺で苦しむ有権者を説得することはできなかった。グローバル化を成長のエンジンととらえる支配層に英国民が排外主義を突きつけたのである。
 
トランプ氏の勢いも止まらない。海外との競争で製造業の雇用が多く失われた州、オハイオ州、イリノイ州、ノースカロライナ州などでトランプ人気は高い。トランプ大統領が誕生する見込みが大きくなってきた。サンダース氏を支持した貧しい若者や報われない労働者は、クリントンを支持しないだろう。
 
日本や中国を攻撃するトランプ氏だが、アメリカの大企業の70%が中国に進出して、製造した商品をアメリカに輸出している。アメリカのスーパーに並んでいる日用品の90%がメイドインチャイナだ。
金融、銀行、輸送、通信なども世界を工場兼市場にしている。アップルやヒューレット・パッカード、マイクロソフトなどは台湾の鴻海や韓国サムスンを下請け化している。結果、アメリカ国内の中小企業がつぶれ、失業率の悪化、実質所得の低下、大量解雇、労働条件の悪化を招き、中産階級を底辺に追いやっている。グロ-バリゼ-ションは世界の格差是正には貢献したが、先進国の格差は拡がっている。所得の再分配など本来国家が行うべき政策も新自由主義は一顧だにしない。
 
こう見てくると、トランプ氏が攻撃しているのは、自国のグローバル企業であり、富裕層であり、支配層であるようにも見えてくる。
EU離脱も自国の製造業を守り、雇用不安をなくし、賃金をあげ、内需を拡大することに寄与すれば、グロ-バリゼ-ションの流れに歯止めがかかるかもしれない。
イギリスは経済的搾取を優先して、「ゆりかごから墓場まで」と言われた社会保障をなおざりにしたから、手痛いしっぺ返しを食らったのだ。

衰退国家

2016-06-23 | 国際
1760年代に始まるイギリスの産業革命は、世界の仕組みを変えた。しかし、産業革命の技術革新だけが誇らしく語られるが、大英帝国の植民地政策というバックグラウンドがなかったなら、産業革命もあれほど世界を変革するには至らなかったろう。産業革命の要因としては、工場生産の原料供給地で商品供給の市場でもあった植民地の存在を抜きには語れない。さらに蓄積された資本や資金調達が容易な経済環境や農業革命によってもたらされた余剰人口も重要な要因だ。特にインドとアメリカの植民地化の貢献度は大きい。大英帝国はアメリカ大陸を経済圏に入れ、そこから一次産品を輸入してアフリカに売り、北米に奴隷を輸出する貿易が最大のビジネスだった。その後、アメリカ独立戦争を経て大英帝国はインドへと重心を移し始める。イギリス東インド会社はインドから木綿を買い付け、イギリス本国に輸出する。イギリスの機械制大工場で生産された綿織物が、今度はインドに輸出される。インドは世界有数の綿織物生産国だったが、手工業だったので、イギリスから輸出される安価な綿織物に対抗できない。この結果、インドの綿織物工業は大打撃を受け、織物の町ダッカの人口は、15万から3万に激減した。インド総督ベンティングは、1834年にイギリス本国に送った年次報告に「世界経済史上、このような惨状に比すべきものはほとんど見いだせない。職工たちの骨がインドの平原を白色に化している」と書いた。お金とモノの流れを単純に考えてみると、イギリス東インド会社は徴税権を持ち、インド人から税金をとる。その税金で、インド農民から原綿を買い付けると考えれば、ただで原料を手に入れている。それを加工した製品をインド人に売るということは、つまり、奪った原料で作った製品を、奪った相手に売りつけているわけで、富は一方的にイギリスに流れる。
 
この巨大ビジネスで上げた巨額の利潤が資本主義を生み、金融システムを構築し、強大な軍事国家となった。19世紀以降のイギリスは慢性的に貿易赤字で貯蓄超過だったが、その貯蓄を海外に投資し、所得収支は大幅な黒字だった。いまだに対外債権はアメリカに次いで世界第2位であり、そのストックで今も先進国である。
 
世界の先進国では、国内で投資しても収益が見込めなくなり、資金は海外へ逃げていく。海外に工場をつくり、海外で稼いだおカネは海外に投資する。政府もばらまきを国際的に行い、国内経済は長期に衰退していく。イギリスが投資をした国々がイギリスのライバルになり、新産業をけん引したのはドイツや米国であり、イギリスは海外投資からの利子によって生活する資本家を大量に生み出した。現在の日本も同様で日本が投資した国々は発展し、日本の強力なライバルとなった。過去に稼いだ外貨が十分あったので、デフォルトにはならずに済んだが、新しい産業への積極投資も行われなかったことが日本が衰退を続ける要因となった。
今日本に求められていることは、減税や財政拡大によって内需を拡大し、デフレから脱却し、国内で企業が十分収益が挙げられる経済状態に戻すことなのだが、お金を使わない高齢者ばかりだから、このシナリオはどう考えても成り立たない。派遣労働者の増大で実質賃金が下がり、国際的競争力はキープできたが、賃金下落による消費の落ち込みで、内需が減少、国内では何を売っても利益がでないという状況になっている。
内需拡大は望むべくもないから、グロ-バル化の波に乗って外に出て行かざるを得ない。日本の衰退の底は見えない。
 
 金融面で見れば、国債運用が基本だった貯金や年金などのお金がリスク投資に向かい始めている。日本郵政グループのゆうちょ銀行は今後5年程度で国内外の不動産や未公開企業などの代替投資に最大6兆円を振り向ける。公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も今年から7兆円を上限に投資する。マイナス金利で国債に依存した運用が難しくなった状況に対応する。
 高リスク高リターンの投資を増やすことで、資産の毀損リスクも高まる。ゆうちょ銀の運用資産は約200兆円。今年度から海外の不動産やインフラ、未公開企業などへの直接投資を開始する。
 
 製造業の輸出産業に頼った日本、金融資産の投資に頼ったイギリス、どちらの衰退も外需依存度が高いということでよく似ている。しかし、どちらも外需に依存するしか方策がない。新興国の製造業にやられ、先進国のハゲタカファンドの餌食になり・・・・カモネギ日本の行く末は厳しい。

EU離脱

2016-06-21 | 国際
池上彰の緊急スペシャルEU離脱が相変わらず、面白かった。
 
EUのもととなったのが1952年に発足したECSC欧州石炭鉄鋼共同体。第二次世界大戦が終わったあと、戦争に発展する紛争を防ぐためにドイツとフランスをあわせて計6ヵ国で石炭と言う資源を共同管理しようということで設立された。1957年にEECヨーロッパ経済共同体になる。関税を引き下げていって経済的に一体化していくのが目的。このとき、イギリスはシャルル・ド・ゴール大統領のイギリス嫌いのために参加できず、EC欧州共同体といって更に一体化を強めたあと1973年にようやく加盟することができた。そのイギリスが、離脱か残留かで、国民投票を控えている。世論は拮抗しており、予断を許さない。
 
 
映画『BREXIT』のプレミア上映が行われていた。EUの腐敗や矛盾をついていく内容でわかりやすい。
イギリス人の税金も投じられるEU予算の贅沢三昧の浪費ぶりが紹介される。EU職員の特権的な待遇を見ると、誰でも離脱派になってしまいそうだ。
そして、信じられない規制が山のようにある。8歳未満の子供は風船を膨らませてはいけないという規制は割れたら危ないからと言うことらしい。チョコレートと呼んでいいのはカカオが95%以上。和食も無縁ではない。日本のかつお節を輸出できない。カビ製品だからだという。???ブルーチーズはいいのに…。
路上での議論が始まる。口論のさなか残留派に一人の女性が噛みついた。移民のせいで大学に行けないと言う。ヘルパーとして働くリサさんの月給はおよそ17万円。
家賃5万円ほどの公営住宅に高校生の息子と2人で暮らすシングルマザ-だ。なんとか大学に進学させたいと安い学費のところを探しようやく見つけたと思ったのだが…
彼女を憤慨させたのは、地元のスコットランドはさておき、イギリス人よりEU圏の学生を優遇する学費の不公平だった。
 
最大の争点がEU発足以降増え続ける年間55万人もの移民。
イギリスが抱える移民問題を象徴する町、ボストン。おびただしい数の白いコンテナ村が出現した。柵で厳重に囲われている。4年前突如ボストン郊外に出現したという。
大勢の移民がコンテナハウスに住み込んで農場で働いている。最低月収が2万円ほどの東欧の人々にとってイギリスの月収17万円は魅力的だ。医療費無料などイギリスの手厚い社会保障も受けられる。
今や住人の4人に1人が東欧系だという。
 
離脱派を支持しているのは主に移民に仕事を奪われている労働者層。60歳以上の人たちの6割が離脱派だという。EUにとられてる資金と権限をイギリスに取り戻すと言うのが、離脱派の主張だ。
一方の残留派はイギリスの人口の1割を占める移民と若年層30歳以下の7割だという。キャメロン首相はEUから離脱したら、経済損失16兆円、雇用の喪失95万人、平均年収14万円減少と言う。
 
イギリスには日本の企業が1,000社ほど進出している。ポンドやユーロが下がると、リーマンショックのような世界的な経済危機が来ると予想する識者も多い。
 
そんな衰退国に急接近しているのは中国。原子力発電所の建設をはじめ総額460億ポンド、日本円にして7兆3,000億円もの投資を約束した。
蜜月関係に見えるイギリスと中国の関係も何やらとんでもない中国による侵略が進行しているような・・・・。
ロンドン中心部にあるロンドン大学。その名門校への入学希望者の90%が中国人だと言う。
1926年設立の格式高いゴルフ場、ウェントワース ゴルフクラブは2014年に中国系企業が買収すると入会金はこれまでの約250万円から約2050万円に値上げされ、会員数も中国人好みの888という数に減らされた。中東やアジアのスーパーリッチ限定のゴルフクラブに変える方針だという。会員500人の反対署名が中国大使館に提出され、ハモンド外相も乗り出す事態となり外交問題にまで発展した。
 
 
中国マネーの大攻勢にイギリス人の怒りが爆発している。この日バグパイプに率いられたデモ隊がある街からロンドンにやって来ていた。デモ隊の地元はウェールズ南部ポート・タルボット、イギリス最大の製鉄所を抱える鉄の街だ。100年間鉄鋼の輸出でイギリス経済を支えてきた人口わずか3万人のこの街は製鉄所の城下町。4,000人以上が製鉄所で働き、鉄とともに生きてきた。ところが製鉄所で大規模なリストラが始まっていた。原因は中国で過剰に生産された鉄鋼製品が安値で世界中に輸出され、価格面で太刀打ちできない。アメリカは不当廉売だとして懲罰的な関税をかけたが、イギリスの対応は後手に回っている。
中国が買収したイギリス企業は他にもある。イギリス名物のロンドンタクシー。製造会社がいまや中国の会社ということだ。
ところが中国が約束したイギリスへの投資7兆円に暗雲が立ち込めている。
 
さて、今度は日本との関係。1902年に結ばれた日英同盟。それによって日本は日露戦争に勝利したともいわれている。日本の連合艦隊が当時最強と呼ばれたロシアのバルチック艦隊を破り世界を驚かせた。
日本からの留学は江戸時代にさかのぼる。スコットランドで発行されている20ポンド紙幣に日本人が描かれている。スコットランドの首都エディンバラ郊外にひときわ目を引く巨大な鉄道橋。去年世界遺産に登録された1890年建設の橋は日本人渡邊嘉一により、アジアの技術が採用された。グラスゴー大学はイギリスの近代化を担った人材を多数輩出している。蒸気機関の父ジェームズ・ワットや経済学の父アダム・スミスも卒業生。
そのアーカイブに渡邊嘉一の記録が残っていた。渡邊嘉一は幕末の安政5年長野の生まれ。東大工学部の前身工部大学校を出てここグラスゴー大学に留学していた。
土木工学を専攻した渡邊の成績は首席。渡邊は東洋人としては異例の抜擢でフォースブリッジ建設の現場監督に就任した。実はフォースブリッジの建設はイギリス初の鉄道橋で起きた悲劇がきっかけだった。
嵐の夜風にあおられた橋が列車ごと崩落し、死者59人を出した。フォースブリッジ建設はこの悲劇の直後に始まった。失敗の許されない国家事業に日本人技術者が起用された。
 
1872年明治5年新橋横浜間で日本初の鉄道が開業した。それから1世紀半、今度は日本の鉄道技術がイギリスに採用された。150年前に日本がイギリスから受けた鉄道技術の恩を今返すときがやってきた。お披露目された日立の高速鉄道車両「あずま」はイギリスの東海岸沿いを走る。そこからあずまと名付けられた。悲願の日の丸高速鉄道、実はあずまが2代目。2009年からイギリスを疾走するのが青い特急クラス395。フランスのメーカーが手がけるユーロスターが大寒波で立ち往生。乗客が閉じ込められる緊急事態に日立のクラス395だけが駆けつけた。過酷な条件で発揮されたジャパンクオリティーに多くの鉄道関係者が驚き、イギリスの高速鉄道を日立製作所が受注することになった。あずまはクラス395の後継車両。イギリスは19世紀の古い線路がいまだ現役の非電化の区間も多い。古いインフラというハードルを乗り越えるのが今回のあずまの技術だ。よく見るとパンタグラフが出ていない。あずまはイギリスの高速鉄道に対応した特別な車両なのだ。日立はあずまの現地生産のためイギリス北東部のニュートンエイクリフに広大な工場を建てていた。来年までに700人以上を現地で採用する予定で雇用にも貢献している。採用されたイギリス人社員たちにも特別な思いがある。日立の工場があるニュートンエイクリフの隣町ダーリントンこそ鉄道発祥の地。博物館には今も1台の蒸気機関車が保管されている。鉄道産業で繁栄した土地柄なのだが、その後は寂れる一方。工場を鉄道発祥の地に造るという発想自体に胸が熱くなる。
1兆600億円の一大プロジェクトだ。ビッグ・スリーと言われるカナダのボンバルディア、フランスのアルストム、ドイツのシーメンスを抑えての受注は感慨深い。
 
長年世界の覇権国として伝統とプライドを誇ってきた、大英帝国イギリス。今激変の時期に入っている。EU離脱の是非を問う国民投票での離脱派の躍進、中国との蜜月の裏でのエリザベス女王の爆弾発言…。そんな今、日本製の高速鉄道「あずま」が走り出した。
理想高きEU統合に向かって何とかこの難局を乗り切ってもらいたいものだが、離脱派の主張を聞くと、EUは近い将来、崩壊するかもしれない。移民問題、品質規格の問題、EU官僚化の問題、どれを取ってみても解決は難しい。
 
欧州主要国は、第二次世界大戦後の復興期に、国内の労働力不足を補うために多くの移 民を受け入れてきた。その際、移民政策については、各国が独自の取組を続けてきた。 しかし、1993年11月のEUの発足などにより、統合の動きが一層強化され、単一市場形成に向けて、物やサービス、資本のほか、人の移動を自由化する政策が進められた。それに伴う域内国境の廃止などにより、各国の移民政策を調和させる必要性が認識されるよう になり、EU共通移民政策に向けた取組が始められた。その後、石油危機等による景気後退に伴 う国内労働市場の悪化や文化摩擦などの移民の社会適応問題が顕在化したことなどを理由に、各国が移民の受入れを制限する政策へシフトした。 しかし、いったん受け入れた移民の多くは帰国せず、また、一定の条件の下で家族を呼び寄せる権利を与えられていることから、受入れ制限後も移民は増え続けている。単純労働力としての移民の受入れを制限する方向に動いているが、豊かな欧州で職を得たいとする途上国の人々の希望は今なお根強く、それが不法移民を生み出す要因となっている。この問題は経済格差に起因するもので、国境管理を強化するだけでは根本的な解決にならない。
また、EU域内の市場統合を進めるために品質基準を定める規格にも、EUレベルでの統一が図られているのだが、結構とんでもない規格になってしまっているようだ。
 
車も、ワインも、チーズも税金なしに売買できることを目指した組織だったが、政治統合の必要性が唱えられ、法律まで制定する。しかも、法律をつくるのは、市民が選挙で選んだ政治家ではない。腐敗していてもリコ-ルもできないEU官僚なのだ。日本がある日、中国の1地方に組み込まれ、自分たちが選んだわけでもない北京の官僚の支配下に入ると、想像してみると、その憤りがよくわかる。

オバマ大統領のスピ-チ(広島にて)

2016-05-28 | 国際
Seventy-one years ago on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city, and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
 
Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over a hundred thousand Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner. Their souls speak to us, they ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.
 
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint, and spears from wood, used these tools not just for hunting, but against their own kind. On every continent, the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain, or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen. Peoples have been subjugated and liberated. And at each juncture, innocents have suffered — a countless toll, their names forgotten by time.
 
The world war that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities, and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth. And yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes — an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints. In the span of a few years, some 60 million people would die. Men, women, children, no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death.
 
There are many sites around the world that chronicle this war, memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity. Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction; how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool-making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will — those very things also give us the capacity for unmatched destruction.
 
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily we learn to justify violence in the name of some higher cause. Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness, and yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith is a license to kill.
 
Nations arise, telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.
 
Science allows us to communicate across the seas and fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.
 
The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well. That is why we come to this place.
 
We stand here, in the middle of this city, and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow. Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.
 
Someday the voices of the hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of Aug. 6, 1945, must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination. It allows us to change.
 
And since that fateful day, we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people than we could ever claim through war.
 
The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war, and aspired to restrict, and roll back, and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.
 
Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done.
 
We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves. But among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime. But persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.
 
We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles. We can stop the spread to new nations and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.
 
We must change our mindset about war itself. To prevent conflict through diplomacy, and strive to end conflicts after they’ve begun. To see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation, and not violent competition. To define our nations not by our capacity to destroy, but by what we build. And perhaps above all, we must reimagine our connection to one another as members of one human race.
 
For this, too, is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.
 
We see these stories in the hibakusha: the woman who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized that what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
 
My own nation’s story began with simple words: “All men are created equal and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty, and the pursuit of happiness.” Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.
 
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: That is the story that we all must tell.
 
That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here, 71 years ago. Those who died, they are like us.
 
Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life, and not eliminating it.
 
When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.
 
The world was forever changed here. But today, the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting, and then extending to every child.
 
That is the future we can choose; a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
 
 
 
広島だけが特別ではない。あらゆる文明は争いの歴史に満ちている。歴史の転換点において、罪のない人たちが苦しみ、多くの人たちが犠牲になった。その犠牲となった人たちの名前は、時が経つと忘れ去られた。
 
第二次大戦は、広島と長崎で終わりを迎えた。数年の間に6000万人もの人達が亡くなった。
 
空に上がったキノコ雲の中で、私たちは人類の大きな矛盾を突きつけられる。物質的な進歩が、こういったことから目をくらませる。どれだけたやすく私たちの暴力を、より高邁な理由のために正当化してきたか。
科学によって、空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとする。そのような科学が、効率的な争いの道具となってしまうこともある。
私たちは今、この広島の真ん中に立ち、当時に思いを馳せている。子供たちの苦しみを思い起こし、子供たちが目にしたこと、声なき叫び声に耳を傾ける。
言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではない。私たちには共有の責任がある。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。
争いを避けるための様々な制度や条約もできた。制約をかけ、交代させ、ひいては核廃絶へと導くためのものだが、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示している。
私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれない。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからだ。しかし我が国を含む保有国は、他国から攻撃を受けるから持たなければいけないという「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれない。しかし、その可能性を追い求めていきたい。このような破壊をもたらすような核保有を減らし、この「道具」が狂信的な人たちに渡らないようにしなくてはならない。
私たちの心を変えなくてはならない。争いに対する考え方を変える必要がある。外交手段で解決し、争いを終わらせる努力をしなければならない。
 
暴力的な競争をするべきではない。私たちは互いのつながりを再び認識する必要がある。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要がある。つながりこそが人類を独自のものにしている。
 
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。この未来こそ、最悪の未来の夜明けではないということを、そして私たちの道義的な目覚めであることを、広島と長崎が教えてくれたのです。
 
 
 
被爆者を抱きしめるオバマ米大統領の姿は、印象深かった。原子爆弾を実際に使用した唯一の国の指導者が、被爆国の犠牲者を悼んだ象徴性は心に響く。
 
その演説は高邁な理想に溢れてはいた。しかし、世界最大級の核兵器備蓄量を誇る国の最高司令官であることに変わりはない。
唯一の被爆国でありながら核廃絶よりも日米同盟の強化にひた走る安倍晋三首相の姿勢も見苦しい。自ら提唱した「希望の同盟」にふれ、「日米が力を合わせて世界に希望を生みだすともしびになる」と同盟の新たな姿を世界へアピールした。「希望の同盟」とは、米国の核の傘下で核使用を容認するものでしかない。首相は「希望の同盟」による世界貢献が、「広島、長崎で原爆の犠牲になったみたまの思いに応える唯一の道だ」と述べたが、アメリカの手伝いをして、世界中に自衛隊を派遣するのが、世界平和に貢献すると本気で思っているようだ。
 
 戦争の悲惨さゆえに憲法9条を堅持してきた国の代表として、せめて記念すべきこの日に同盟強化を喜ぶスピ-チは聞きたくなかった。
 
 
 

トランプ氏暴言に見えるアメリカの本音

2016-05-06 | 国際
"暴言王"ドナルド・トランプの人気は衰えを見せず、共和党候補になってしまった。識者の誰がこんな予想をしただろう。もしも、トランプが大統領になったら・・・・そんなことはありえないと思っていたが、何が起こるかわからない。発言を聞いていると、日米貿易摩擦の時代で彼の思考は停止しているように思える。
「中国と日本、メキシコが工場を、自動車産業を持ち去った。政治家のせいで膨大な雇用が失われた。」
海外から米国への輸入額は中国、カナダ、メキシコが上位3国で、日本は大きく離れて4位。カナダは目に入らないらしい。『日米貿易摩擦』時代の日本への恨みつらみを、ぶつけてくる。仮想敵国だった中国と同盟国日本の区別もつかないのではないかと心配になる。
 
「移民排斥」も「存在しない問題」を騒ぎ立てる一例だと言う。2008年のリーマン・ショック以降、非熟練労働の雇用が減り、メキシコからの移民は、減り続けている。
 
「TPPは最悪だ。米国を打ちのめす第一の方法は(貿易相手国の)通貨安だ。(米建機大手)キャタピラーは、日本のコマツとの競争に苦しんでいる。」
円安で輸出攻勢を掛ける日本製品に米国は仕事や雇用を奪われているという主張だ。米国の労働者や企業関係者らの支持獲得にたびたび日本を利用する。
 
日米安保条約は不平等と主張し、「日本が在日米軍の駐留費負担を全額負担すべきだ」という。「駐留軍を撤退させ、日本の核武装を容認する。」日本の歴代首相が何よりも重視してきた「日米安保条約を見直しする」とも言っている。
 
共和党の貧乏白人票を得るための人気取り暴言が目立つが、政策を決めるための明確な思想が全くないのはどこかの首相と同じだ。予備選の対抗馬だったジェブ・ブッシュ氏を非難するためにイラク戦争を全否定する一方、テロ組織を「徹底的に空爆せよ」と語る支離滅裂ぶりだ。トランプ氏と安倍首相は気が合うかもしれない。民主的プロセスや法の支配など無視して、支持者の利益になる政策をゴリ押しする共通点がある。「アベトラ」蜜月時代が始まるかもしれない。
 
共和党は小さな政府を目指し、経済の自由主義を志向して、民主党のような課税による所得の再分配や、社会福祉の充実を求めていない。しかし、不思議なのは共和党には高所得層だけではなく、低中所得層の白人の保守派もいると言う事実だ。この低中所得層の所得が伸び悩み、格差が拡がってきたが、共和党の小さな政府では何もできない。しかし、白人の共和党支持層は、マイノリティーを優遇する民主党よりも、減税と自助努力のみの共和党を選ぶ。小さな政府に彼らを助ける政策はないのにである。2010年の中間選挙で、共和党を下院の多数派にしたティーパーティー支持層がいたが、共和党議会は、オバマ政権と泥仕合を続けるだけで、何の成果も出せなかった。そこに現れたのが、白人のブルーカラーの苦境を理解し、「敵」である移民労働者、マイノリティー、中国、メキシコ、日本など、貿易ライバル国を滅多切りにしてくれそうなトランプ氏だった。既存の政治家では言い出せない乱暴な救済策は単純明快だから、低中所得層の白人に受ける。
 
日米安保についてはどうだろう。
首がすげ変わったら、同盟破棄も言い出しかねないアメリカに頼り切っている日本の無能ぶりも考え直さなければならない。そもそも米軍基地が日本を守るためにあるなどと考えている人が多いのには驚く。共産主義の拡大阻止、アジア覇権のための便利な米軍基地だったはずだ。無償で土地を提供するどころか、年間2000億円ほどの思いやり予算も提供している。
16年度からの5年間で総額9465億円(年平均1893億円)。用地借り上げや周辺対策費などを含めた15年度の関連経費は5778億円に上り、米軍再編経費なども合わせると7200億円を超える。日本の高負担率は関係各国の中でも突出。米国防総省が04年にまとめた報告書によると、日本は米軍駐留経費の74・5%を背負い、韓国の40・0%やドイツの32.6%とは比較にならない。(日刊ゲンダイ)
安倍首相らアメリカ信奉者は「日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増し、もはや一国だけで平和を守ることはできない」と言い、日本に何かあったときにアメリカに助けてもらうためにも集団的自衛権行使を認めてアメリカの戦争を助けるしかないと主張してきた。だが、従順な親米国すら切って捨てるアメリカに信義はない。今年1月、サウジとイランが断交した際、これまでのようにアメリカはサウジの側につかず、両方に不快感を表明した。中東の親米国との関係は石油の利権に基づくものだから、シェ-ルオイルのおかげで世界一の産油国になったアメリカは、もはやサウジなど眼中にないのかもしれない。
日本の場合は、身を挺して助ける?そんなことを信じるオメデタイ日本人はいっぱいいるらしい。たとえば、尖閣諸島に中国が攻めてきたとき、アメリカが武力介入するわけがない。もちろん、介入しないのが当たり前なのだが・・・・。かつて米軍の機関紙「星条旗新聞」(Stars and Stripes)が、〈われわれを無人の岩をめぐる中国との撃ち合いに巻き込まないでくれ〉と書いたことがある。米政府の要人は「日本の施政下にある尖閣諸島は日米安保条約の範囲に含まれる」とのリップサービスをたびたび口にするが、尖閣の領有権については関与しないという立場を堅持している。つまり、尖閣諸島の領有権が中国に移った場合は、日米安保の対象外になるということだ。その領有権をめぐる争いに対して、介入するわけがないのだ。
さらに、日米新ガイドラインの「日本の平和及び安全の切れ目のない確保」の章に、「日本に対する武力攻撃への対処行動」という項目がある。そこには〈日本に対する武力攻撃が発生した場合、日米両政府は、極力早期にこれを排除し及び更なる攻撃を抑止するため、適切な共同対処行動を実施する〉とある。しかし、適切な共同対処行動とはどんな行動なのか。「陸上攻撃に対処するための作戦」という項目には〈自衛隊は、島嶼に対するものを含む陸上攻撃を阻止し、排除するための作戦を主体的に実施する。必要が生じた場合、自衛隊は島嶼を奪回するための作戦を実施する。このため、自衛隊は、着上陸侵攻を阻止し排除するための作戦、水陸両用作戦及び迅速な部隊展開を含むが、これに限られない必要な行動をとる。米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する〉とある。日本の防衛はあくまでも自衛隊が主体となって守るのであって、米軍はその支援や補完作戦の実施にとどまると言っているのだ。これは島嶼の防衛のみならず、海域の防衛、空域の防衛、弾道ミサイルに対する対処のすべてにわたって同じ表現が使われている。まあ、当たり前と言えば当たり前の話だが、自衛隊が戦っていても、補完する作戦、支援しかしないわけだ。日本政府はこんな約束をしてもらうために米軍に基地用地を提供し、その駐留経費のほとんどを負担させられたうえ、今後はアメリカの戦争の手伝いに行かされるというわけだ。
 
日本はあくまでもアメリカと戦った敗戦国でアメリカの占領国家でしかなかった。信用のおけないジャップを同盟国家として守るわけがない。日米安保条約の条文でも、日本の防衛義務を負っているわけではない。
第5条には〈各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動することを宣言する〉とある。北大西洋条約(NATO条約)では〈締結国に対する武力攻撃を全締結国に対する攻撃とみなすことに同意する。武力攻撃が行われたときは、個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するための、その必要と認める行動(兵力の使用を含む)を直ちに執る〉とある。
 
同盟国が攻撃された場合、武力行使を含める必要な行動を「直ちに執る」と、「自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危機に対処するように行動する」とでは天と地ほどの違いがある。米国憲法では連邦議会に戦争宣言権を与える一方、大統領は軍の最高司令官として戦争遂行の権限を持っている。つまり、米軍を動かす権限を議会と大統領に分散させているわけで、大統領は戦争に入る際にはできる限り議会の承認を得る努力をしなければならない。日米安保条約の条文では日本が攻撃を受けた際に直ちに米軍が出てきてくれるわけではないのだ。
 
孫崎享氏は自著『日本の国境問題─尖閣・竹島・北方領土』(ちくま新書)で、〈(米国が)尖閣諸島の問題で議会に相談なく軍事介入することはありえない。従って米国が安保条約で約束していることは、せいぜい「議会の承認を求めるよう努力する」程度である〉と喝破している。
 
米国防総省(ペンタゴン)に直結するシンクタンク「ランド研究所」から発表されたリポ-トによると、尖閣諸島を含む台湾周辺で米中が武力衝突した場合、中国軍のめざましい近代化により米軍との力の差は縮まりつつあり、最終的には逆転もありうるという。米中が衝突した場合、中国は初戦で沖縄・嘉手納基地やグアム・アンダーセン基地の滑走路をミサイルで徹底的に叩き、基地機能を失わせるという。米軍は最悪で1カ月超の間、戦闘機も偵察機も給油機も飛ばせなくなると予測している。つまり、日米の軍事協力をいくら強化しても中国にかなわない時代がやってくるという。
しかし、アメリカは"中国を上回る軍事力増強を"という結論には走っていない。むしろ、重要なのは中国との関係改善、友好であり、とくに経済関係の強化は何にも勝る抑止力だと主張している。
「ランド研究所」が2011年に出したリポートには〈中国が対等な競争相手となれば、経済面では強力な潜在的パートナーとなる〉〈米中両国の経済は史上類を見ないほど密接であり、この相互依存は強力な抑止力となる〉とハッキリそう書かれている。中国を敵視し、軍事力強化こそが抑止だと考える安倍政権とは大違いだ。ペンタゴンの主流派も中国のミサイル射程に入る沖縄に米軍基地を集中させている現状は見直すべきだと考える人もいる。海兵隊についても同様で、「辺野古移設が唯一の解決策」などと言っている場合ではない。ニューヨーク・タイムズ前東京支局長のマーティン・ファクラー氏も「週刊朝日」(朝日新聞出版)15年10月9日号で「米国は10年後には日本を見放して中国を選ぶかもしれませんよ。米国は、中国のことをかつてのソ連のようには考えていない。(中国を)世界的な覇権を狙っていないと考えていますから。むしろ、取引次第ではアジアは中国にまかせることもある」と言っている。
 
安保法制論議では、やれ隣の家が火事になっているのに消火を手伝わなくていいのかとか、友だちが殴られているのに助けなくていいのかといった情緒的な例え話が横行していたが、国際政治と軍事の現実はもっとドライで実利的だ。トランプはアメリカの本音をあからさまに口にしているに過ぎない。

パナマ文書

2016-04-08 | 国際
[ロンドン/パナマ市 4日 ロイター] - 租税回避地への法人設立を代行するパナマの法律事務所の金融取引に関する過去40年分の内部文書が流出。各国政府は4日、各国指導者や著名人による脱税など不正取引がなかったか調査を開始した。「パナマ文書」と呼ばれる機密文書にはロシアのプーチン大統領の友人のほか、英国、パキスタンなどの首相の親類、ウクライナ大統領やアイスランド首相本人に関する記載があり、波紋は世界中に広がっている。一部報道によると、サッカーのスペイン1部、バルセロナのリオネル・メッシ選手の名前も挙がっている。
 
パナマにある法律事務所『モサック・フォンセカ』のPCがハッキングされて流出した機密文書だが、世界各国の顧客向けに24万のオフショア企業を立ち上げたとする「モサック・フォンセカ」は、自身のウェブサイトに4日、メディアは同事務所の仕事を不正確に報じていると掲載した。同事務所の1977年から昨年12月までに及ぶ同文書は、「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ)が公表、世界中の100以上に上る報道機関に流出した。
 
オフショア企業に資金を保有すること自体は違法ではないが、流出した同文書を入手したジャーナリストは、脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)、制裁破りや麻薬取引、その他の犯罪に使われる隠し財産の証拠となり得るとみている。
 
ホワイトハウスのアーネスト報道官は、米国は国際的な金融取引の透明性に多大な価値を置いているとし、財務省、および司法省は調査を実施するための専門家を抱えていると指摘。専門家による調査で文書に記載されている金融取引が米国が導入している制裁措置や国内法に違反するものかどうか判明すると述べたが、詳細については語らなかった。
 
フランス政府は、脱税に関する予備調査を開始した。金融専門の検察官が、流出文書から、フランスの納税者が悪質な脱税に関与しているかどうかを調べるとしている。
 
ドイツ、オーストラリア、オーストリア、スウェーデン、オランダも1150万枚以上に上る膨大なパナマ文書に基づく調査を開始したとしている。
 
過去に父親のビジネスに関連するオフショア企業のディレクターを務めたことのあるアルゼンチンのマクリ大統領は、野党から追及されているが、テレビのインタビューで、父親の会社は合法であり、いかなる不正も否定した。
 
汚職危機に揺れるブラジルでは、7党の政治家がモサック・フォンセカのクライアントに名を連ねていると、「エスタド・ジ・サンパウロ」紙が報じた。そのなかには、ルセフ大統領率いる労働党の議員は含まれていなかった。同国の税当局は、パナマ文書にある脱税情報を確認するとしている。
 
ロシアのペスコフ大統領報道官は、パナマ文書にプーチン大統領とオフショア投資家との数十億ドル規模の取引が記載されていたとの報道に関して、2年後の選挙を控えて大統領の信用を失墜させる目的だと非難した。同報道官は記者会見で「今回の虚偽情報の主な標的は大統領だ」と言明。「『プーチン嫌い』が広がったせいで、ロシアやその業績について良いことを言うのはタブーになっている。悪いことを言わなければならず、何も言うべきことがなければでっち上げられてしまう。今回の事件がその証拠だ」と述べた。英紙ガーディアンによると、プーチン大統領の幼なじみでチェリストのセルゲイ・ロルドゥギン氏を含む同大統領の友人たちに関連する秘密のオフショア取引やローンは20億ドル(約2218億円)相当に上る。
 
裕福な株式ブローカーだった亡父とオフショア企業とのつながりについて記載されていたキャメロン英首相の報道官は「個人的問題」だとし、それ以上コメントするのを差し控えた。「パナマ文書」の顧客リストには、首相率いる保守党メンバーも含まれており、英政府は流出したデータの内容を調査すると発表した。
 
パキスタンは、同国のシャリフ首相の子供たちがオフショア企業とのつながりが記載されていたことについて、いかなる不正も否定した。
 
ウクライナのポロシェンコ大統領は、税金逃れのために租税回避地の企業を使っていたとの疑惑について、説明責任を果たしているとした。ウクライナの議員らは疑惑を捜査すべきだと訴えている。パナマ文書によればポロシェンコ氏は、ウクライナの東部で政府軍と親ロシア派武装勢力の戦闘がピークを極めていた2014年8月、自身の菓子会社「ロシェン」を英領バージン諸島に移すため、オフショア企業を設立していた。
 
アイスランドのグンロイグソン首相夫妻が租税回避地の企業とつながりがあると同文書に記載されていたことを受け、辞任に至った。
 
パナマ文書流出を受け、中国当局は報道規制をかけている。オンラインニュースの一部の記事を削除したり、検索も制限しているようだ。ICIJによると、文書には中国の習近平国家主席など、同国の現職・旧指導部の一族に関連したオフショア企業が入っているという。中国国営メディアはパナマ文書をほとんど報道していない。中国の検索エンジンで「パナマ」をサーチすると、この件に関する中国メディアの記事が出てくるが、リンクの多くは機能しないか、もしくは、スポーツスターをめぐる疑惑に関連した記事に飛ぶようになっている。
 
経済協力開発機構(OECD)は4日、パナマが他国と情報共有を行うという合意を守っていないとし、税務の透明性に関する国際基準を満たすよう同国に求めた。グリア事務総長は声明で「パナマの税務の透明性が国際基準に沿っていないことの結果が、公の場で明るみに出た」と指摘。「パナマは直ちに同基準に合わせる必要がある」と述べた。
 
 
 
日本ではあまり報道されないパナマ文書は世界的な大スキャンダルのようだ。タックス・ヘイブンになる国は小さな国であって、海外企業がそこで事業をするわけではなく、ペーパーカンパニーを作り、経由させることによって、税金を免れるということらしい。
 
パナマ文書で流出した中には日本企業や日本人の名前も記載されていた。
・バンダイ・大日本印刷・大和証券・ドリームインキュベータ(コンサル会社)
・ドワンゴ・ファーストリテイリング・ジャフコ(投資会社)
・JAL・石油資源開発・丸紅・三菱商事・商船三井・日本紙パルプ商事会社
・双日(商社)・オリックス・日本郵船・三共 ・東レ ・パイオニア ・ホンダ ・SBI
 
税金を投入して再生したJALの名前もある。
セコム創業者の取締役最高顧問の飯田亮氏と元取締役最高顧問の故戸田寿一の名前もあり、取引価格で170億円を超えるセコム株が管理されている。
セコム広報部は課税を免れるものではなく、適正に税金を納めていると説明しているが、納税の具体的内容については明らかにしていない。
 
以前にもケイマン諸島のタックスヘイブンが問題になった。2013年8月の赤旗によると、「日本の投資残高 55兆円 、 11年間で約3倍」と言う。
イギリス領ケイマン諸島への日本の投資残高が2012年末、前年比6・1兆円増の55兆円となり、投資残高全体に占める割合も13・9%となったことが日本銀行の調査で分かりました。ケイマンは所得税や法人税がなく、多国籍企業や富裕層が課税逃れに利用するタックスヘイブン(租税回避地)として知られます。ケイマンへの投資残高は2001年には約18・6兆円でした。11年間で約3倍になりました。国・地域別で見るとケイマンは、アメリカの投資残高127兆円に次ぐ2番目の高さで、イギリス(23兆円)、フランス(20兆円)、ドイツ(17兆円)の合計額に匹敵します。
三菱UFJフィナンシャルグループ(FG)は、ケイマンに三つの子会社(資本金合計額約7千億円)を持っています。本紙の取材に対し、子会社はいずれも証券発行を目的とした会社であり、従業員は日本の社員が兼務し、ケイマンでの業務は地元業者に委託しているといいます。同じく18の子会社(同2兆9500億円)を保有する三井住友FGは、資本調達の際、「設立コストや管理コスト等を勘案して当該国に設立した」と回答。両社は「節税」目的は否定しました。27の子会社(同588億円)を持つみずほFGは、「一般的な話として、ケイマンに籍を置くのは資金調達コストを下げるため。必然的に節税ということはでてくる」と話しました。多くの国が財政不足に陥るなか、タックスヘイブンを利用した課税逃れは世界的な問題となっています。
 
オリンパス巨額損失隠し事件の舞台になったケイマン諸島は政府も無視できなくなり、国際的な脱税及び租税回避行為を防止するためとして、協定を結び、税務当局間の情報交換ネットワークを整備・拡充することを決めたが、実効性があるとは考えられない。企業の税金を積極的に減税したがっている政権が脱税の温床・タックスヘイブンをつぶすはずがないからだ。
マイナンバ-でなけなしの資産を捕捉されるのは、庶民だけ。富裕層にはちゃんと抜け道が用意されているようだ。
 

清貧の思想-ムヒカ前大統領

2016-04-08 | 国際
 
「お金をたくさん持っている人は、政治の世界から追放されるべきだ」 ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領が、スペイン語版CNNのインタビューで語った言葉だ。
「私たちは、代表民主制と呼ばれるものを発明しました。これは、多数派の人が決定権を持つ世界だと私たちは言います。ならば、私たち(各国の指導者たち)は、少数派ではなく多数派のような暮らしをすべきだと私には思えるのです」
BBCは、2012年に掲載した有名な記事の中で、ムヒカ大統領は自分が得る給与の90%を慈善事業に寄付していると報じ、「世界一貧しい大統領」と呼んだ。
 
確かに貧しかったり、弱者である多数派の人々の利益を代表するという仕事を、裕福な人々がうまくできるとは思えない。
「お金が好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです。裕福な人々は世界をお金の視点から捉えます。たとえ善意に基づいて取り組んでいるときでも、彼らの世界観、生活観、それに何かを決定する観点を提供するものは、お金です。私たちの住む世界が多数派によって統治されなければならないとするなら、私たちは自らの視点の拠り所を、少数派ではなく多数派の視点に置くよう努力する必要があります」
 
ムヒカ大統領は、富の象徴となるものを拒否していることでよく知られている。
「ネクタイなんて、首を圧迫する無用なボロ切れです」とインタビューで語った。「私は、消費主義を敵視しています。現代の超消費主義のおかげで、私たちは最も肝心なことを忘れてしまい、人としての能力を、人類の幸福とはほとんど関係がないことに無駄使いしているのです」
 
大統領は公邸に住んでおらず、首都モンテビデオのはずれにある小さな農場で生計を立てている。ウルグアイ上院議員である妻のルシア・トポランスキー氏、それに3本足の犬「マニュエラ」と暮らしている。
ムヒカ大統領は1935年生まれの81歳。貧困家庭に生まれ、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら育った。1960年代に入って都市ゲリラ組織「ツパマロス」に加入。1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監された。2009年に大統領選挙で当選し、2012年のリオ会議で行った講演が有名になった。
 
自ら家事をし、畑も耕す。
「いいところだろう。この国は自然豊かで、とても美しい。特にこんな小さな村は年寄りが暮らすには、もってこいなんだ。私はもともと農民の心を持って生まれた。自然が大好きなんだ。4階建ての大統領公邸で30人からの使用人に囲まれて暮らすなんて、まっぴらだ。」
愛車の1987年製フォルクスワーゲンをアラブの富豪が100万ドルで購入したいと申し出た。
「息子が珍しい車を集めていると言っていたな。もちろん断ったさ。あの車は友人たちからもらった大事な贈り物だ。贈り物は売り物じゃないんだよ」
「世界で一番貧しいというが、みんな誤解しているね。私が思う『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。モノを買うとき、人はカネで買っているように思うだろう。でも違うんだ。そのカネを稼ぐために働いた、人生という時間で買っているんだよ。ちゃんと生きることが大切なんだ。たくさん買い物をした引き換えに、人生の残り時間がなくなってしまっては元も子もないだろう。簡素に生きていれば人は自由なんだよ」
 
「人間が犯した間違いの一つが、巨大都市をつくりあげてしまったことだ。人間的な暮らしには、まったく向いていない。人が生きるうえでは、都市は小さいほうがいいんだよ。そもそも通勤に毎日3時間も4時間も無駄に使うなんて、馬鹿げている。効率や成長一辺倒の西洋文明とは違った別の文化、別の暮らしが日本にはあったはずだろう。それを突然、全部忘れてしまったような印象が私にはある。このまま大量消費と資源の浪費を続け、自然を攻撃していては地球がもたない。簡素な生き方は、日本人にも響くんだと思う。子どものころ、近所に日本からの農業移民がたくさんいてね。みんな勤勉で、わずかな持ち物でも満ち足りて暮らしていた。いまの日本人も同じかどうかは知らないが」
 
60~70年代、ムヒカ氏は都市ゲリラ「トゥパマロス」のメンバーとなり、武装闘争に携わった。投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったこともある。
「平等な社会を夢見て、私はゲリラになった。でも捕まって、14年近く収監されたんだ。うち10年ほどは軍の独房だった。長く本も読ませてもらえなかった。厳しく、つらい歳月だったよ。独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『より良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」
「人は独りでは生きていけない。恋人や家族、友人と過ごす時間こそが、生きるということなんだ。人生で最大の懲罰が、孤独なんだよ」
「もう一つ、ファナチシズム(熱狂)は危ないということだ。左であれ右であれ宗教であれ、狂信は必ず、異質なものへの憎しみを生む。憎しみのうえに、善きものは決して築けない。異なるものにも寛容であって初めて、人は幸せに生きることができるんだ」
 
「貴族社会や封建社会に抗議し、生まれによる違いをなくした制度が民主主義だった。その原点は、私たち人間は基本的に平等だ、という理念だったはずだ。ところが、いまの世界を見回してごらん。まるで王様のように振る舞う大統領や、お前は王子様かという政治家がたくさんいる。王宮の時代に逆戻りしたかのようだ。政治家は、世の中の大半の国民と同じ程度の暮らしを送るべきなんだ。一部特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を動かし始めたら、人々は政治への信頼を失ってしまう。それに最近の政治家は退屈な人間が多くて、いつも経済のことばかり話している。これでは信頼を失うはずだ。人生には、もっとほかに大切なことがいろいろあるんだから。たとえば、街角で1人の女性に恋してしまうことに経済が何の関係がある?」
 
「いまは文明の移行期なんだ。昔の仕組みはうまく回らず、来たるべきものはまだ熟していない。だから不満が生まれる。ただ、批判ができるのもそこに自由があるからだろう。民主主義は欠陥だらけだが、これまで人が考えたなかではいい仕組みだよ。時がたてば、きっと新しい仕組みが生まれると思う。デジタル技術が新しい政治参加への扉を開くかもしれないし」
 
かつてウルグアイは「南米のスイス」と呼ばれ、福祉国家を目指して中間層も比較的厚かった。民政移管後は格差が拡大。01年のアルゼンチン経済危機の余波も受けて不満が高まり、ムヒカ氏らの左派政権誕生につながったとされる。ムヒカ氏の退任前の支持率は65%に達した。
 
「格差の拡大は、次々と規制を撤廃した新自由主義経済のせいだ。市場経済は放っておくと富をますます集中させる。格差など社会に生まれた問題を解決するには、政治が介入する。公正な社会を目指す。それが政治の役割というものだ。国家には社会の強者から富を受け取り、弱者に再分配する義務がある。みんな同じがいいと言っているわけではないよ。懸命に働いて努力した人が、ほうびを手にするのは当然だ。ただ、いまはどうかね。働いてもいないような1人のために、大勢が汗水たらしている世の中じゃないか。これは気に入らない。富の集積にも限度がある」
「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。これは、まずい」
「できる限り平等な社会を求めてきたから、私は左派だろう。ただ、心の底ではアナキスト(無政府主義者)でもある。実は私は、国家をあまり信用していないんだ」
「もちろん国家は必要だよ。だけど、危ない。あらゆるところに官僚が手を突っ込んでくるから。彼らは失うものが何もない。リスクも冒さない。なのに、いつも決定権を握っている。だから国民は、国家に何でも指図されていてはいけない。自治の力を身につけていかないと」
「日本のいまを、よく知りたいんだ。世界がこの先どうなるのか、いま日本で起きていることのなかに未来を知る手がかりがあるように思う。経済も技術も大きな発展をとげた働き者の国だ。結局、皆さんは幸せになれたのですか、と問うてみたいな」
 
 
世界の大統領になってほしい人だ。清貧の思想があった昔の日本なら、ムヒカ氏を失望させなかっただろうが、今の日本は大量消費で使い捨ての社会。人間も使い捨てになり、弱者切り捨て、格差社会への道を進んでいる。今の日本では、ムヒカ大統領の清貧の思想は絵本の中の理想主義でしかない。
 
第二次世界大戦後、資本主義国家は「福祉国家」への途を進むことになった。資本主義社会という構造の中で生まれる貧富の格差を取り繕うことによって労働者階級の不満をやわらげ、体制内に取り込むという意味を持つものであった。国が最低限の生活を保障しなければならないという考え方は、資本主義のもとで生まれたのである。福祉国家は、1970年代くらいまでは、高い経済成長を背景に、労働者階級の要求を受け入れることが可能だった。そうして社会保障の充実・拡充が図られると、社会保障を通じた所得の再分配がうまく回っていくので国民の購買力も増していき、国内需要も拡大していく。高度福祉国家は資本主義の矛盾を修正していたのである。ところが、1973年のオイルショックを機に、新興国が台頭し、経済のグローバル化が進んでいく中で、先進国の雇用と賃金の状態が徐々に悪化していった。派遣労働者が解禁になり、賃金も下がり、国の財政赤字が拡大していく。そういう中で出てきたのが、新自由主義政策である。福祉国家を放棄して自己責任論に回帰する。社会保障政策の行き詰まりを示すものであるが、福祉国家への道が、間違っていたわけではない。新自由主義政策では、所得再分配という考え方は放棄される。お金を稼ぐ能力のある人はどんどん稼げばいい、お金を稼いだ人がお金をどんどん使えば経済は回っていって、いずれは貧しい人たちにもお金が回る。弱者はトリクルダウン効果で十分生きていけると考えるのである。社会保障を通じた所得の再分配による国内需要の拡大が更なる経済成長をもたらした要因の一つであるという視点は見失われてしまった。所得の再分配を否定したら、国内需要が減って経済はジリ貧である。社会保障が衰退した国は、経済そのものが衰退する。社会保障の水準を切り下げるのではなく、人々が社会保障を受けなくても十分生活していけるような体制を作っていくということが大事である。若い世代が安心して生活できる社会、安心して結婚し子どもを持てるような社会にしていくことが、なによりも必要とされる。
 
貧困は自己責任ではなく、政治の責任であるという意識を共有していくことが大切だ。社会保障の切り捨ては負のスパイラルを招き、国の衰退をもたらすだけだという認識を政治家や企業家、そして国民が共有すべきである。国民が幸せになってこそ、豊かな社会が継続するということをムヒカ氏から学んで欲しいものだ。