林住期
2011-03-02 | 日記
古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、「林住期(りんじゅうき)」、「遊行期(ゆぎょうき)」。「林住期」とは、社会的責任を果たした後のもっとも輝かしい「第三の人生」のことである。日本の現状では定年を迎えて頭も体もまだ充溢している60-70代ぐらいだろうか?
仕事に重きを置く日本社会では山頂を極めた後のおまけの人生と捉えることが多い。五木寛之は自分が生き生きすることに取り組んでみること、自己の充実を図るべきではないか、と提案する。私達団塊の世代に向けられたメッセージのように感じる。 家族や会社のためではなく自分のために人生を過ごすと言う考えに共感する。
しかし、周りを見ると、経済的理由で働き続けなければならなかったり、空き巣症候群に陥ったり、健康に不安を感じている人達が少なからずいる。重要なのは、「人生の後半をオマケと考え、峠を越した下り坂と考える思想を打ち破ること」(あとがきにかえて)にある。
時間は使いようで忙しい人ほど時間を有効に使っていると思う。40年来の友人のK子さんは新興国への出張が多いキャリアウ-マン。3人の子持ちで孫が三人。2年前、千葉にセカンドハウスを建てて野菜作りを始めたが、最近訪れると近くに80坪の農地を借りてブルーベリーの森を作ると意気込んでいる。4本植えたブルーベリーは水不足で風前の灯だったが、意気込みは凄いね。今一番はまっているというブログは仕事の延長のようなもの。仕事が猛烈好きで生きがいを感じているのだから、類稀な強運の星の元に生まれた人だ。でも、運命ではなく、待っていたのではなく、自分で自分の人生を切り拓いていったのは間違いない。20年前、会社をやめ、幼少の息子二人を連れてカナダに語学学習に行ったときは呆れたのを通り越して気がふれたのかと思ったが、カンボジアに銅像が建つかもしれない大偉業を成し遂げたのはその決断があったればこそだ。
怖い女傑を想像するだろうが、昔は人見知りをする純情タイプのか弱き少女だったのだ。それが今ではズケズケズバズバのオバタリアンになってしまった・・・・
月日のたつのは早いものだ。
仕事に重きを置く日本社会では山頂を極めた後のおまけの人生と捉えることが多い。五木寛之は自分が生き生きすることに取り組んでみること、自己の充実を図るべきではないか、と提案する。私達団塊の世代に向けられたメッセージのように感じる。 家族や会社のためではなく自分のために人生を過ごすと言う考えに共感する。
しかし、周りを見ると、経済的理由で働き続けなければならなかったり、空き巣症候群に陥ったり、健康に不安を感じている人達が少なからずいる。重要なのは、「人生の後半をオマケと考え、峠を越した下り坂と考える思想を打ち破ること」(あとがきにかえて)にある。
時間は使いようで忙しい人ほど時間を有効に使っていると思う。40年来の友人のK子さんは新興国への出張が多いキャリアウ-マン。3人の子持ちで孫が三人。2年前、千葉にセカンドハウスを建てて野菜作りを始めたが、最近訪れると近くに80坪の農地を借りてブルーベリーの森を作ると意気込んでいる。4本植えたブルーベリーは水不足で風前の灯だったが、意気込みは凄いね。今一番はまっているというブログは仕事の延長のようなもの。仕事が猛烈好きで生きがいを感じているのだから、類稀な強運の星の元に生まれた人だ。でも、運命ではなく、待っていたのではなく、自分で自分の人生を切り拓いていったのは間違いない。20年前、会社をやめ、幼少の息子二人を連れてカナダに語学学習に行ったときは呆れたのを通り越して気がふれたのかと思ったが、カンボジアに銅像が建つかもしれない大偉業を成し遂げたのはその決断があったればこそだ。
怖い女傑を想像するだろうが、昔は人見知りをする純情タイプのか弱き少女だったのだ。それが今ではズケズケズバズバのオバタリアンになってしまった・・・・
月日のたつのは早いものだ。