今年は金時神社から往復。2300回目の金時登山というご夫婦と膨大な数の山ガール集団に遭遇した。ピーチクパーチクと騒音のすごさに中学生の遠足かと思ったが、歴とした社会人パーティだった。職場のレクリエーションかな?50人に及ぶピチピチした若い女性を引率している男性はとても嬉しそう・・・・我がパーティの男性陣はよだれを流さんばかりであった。
金時娘も健在。
夜は温泉でくつろぎ、美酒と新鮮な金目鯛のお刺身、自家製野菜の鍋に舌鼓。
英気を養った2日間でした。
皆既月食
午後9時45分から南東の方角にある円い月が欠け始め、午後11時5分から同58分まで完全に影に入る。その後、徐々に戻って、11日午前1時18分に月食が終わる。
今回は3時間30分の間に月の満ち欠けがすべて観察できる好条件だ。月は皆既月食中でも見えなくはならず、オレンジ色に輝く。ロマンチックな天体ショーだ。

気分的に落ち込むと何でもうつ病で片付けられてしまう昨今、客観的に診断できる方法が模索されている。
うつ病は、年齢が高くなればなるほど増加する傾向にあり、日本では、うつ病患者の約4分の1は60歳以上の老年者であると言われている。
憂鬱な気分になり、何もしたくなくなったり、不眠が続くのが主な症状で、他人に対して無関心になるなど、痴呆と紛らわしい症状も見られるので余計、診断が難しい。自律神経失調症とも区別がつきにくいので症状だけでの判断は専門医でも難しいと思われる。
今、その検査に画期的な方法が実用化されつつあるようだ・・・・光トポグラフィ検査
近赤外線を利用した検査法でヘモグロビン濃度を測定し脳の表面の血流の状態を見る。うつ病・躁鬱病・統合失調症など病気によって異なる波形になるというのだから、客観的に病気を特定できるメリットは大きい。うつ病か躁うつ病かの診断は難しく、治療法も異なるのだから、客観的な診断で適切な治療を受ける機会が増えることは朗報だ。時間はたった3分。キャップをかぶって光を当てるだけなので痛みもない。患者自身も客観的なデータが提示されることにより、心構えができて積極的に治療を行うことになるし、家族や友人の理解も得やすい。ただ、鑑別の精度はうつ病が7‐8割、躁うつ病が8‐9割なので現在は診断の補助に使われているという。先進医療なので検査費用は13300円、国立精神神経医療センターなどで検査できるという。
しかし、老人性○○という病気は実に多い。
ちょっと思い浮かんだものでも、老人性いぼ、老人性血管腫、老人性難聴、老人性色素斑、老人性白内障、老人性黄斑変性症、、老人性認知症、老人性痴呆症、老人性皮膚掻痒症
皮膚や目の病気、精神の衰えの病気が多い。内臓が弱っても老人性○○とは言わないのに・・・・・・
アルツハイマーは老人がかかる病気だから、若い人の場合はわざわざ若年性アルツハイマーという。
そういえば、パートナーがまだ40代の頃、あちこちにいぼができて、病院に行くと、無愛想な女医がニコリともしないで「ああ、老人性いぼですね。」と言ったそうな・・・・相当なショックを感じたと言う。今言われたら苦笑い程度かな?
老人性うつ病の症状は?
表情に変化がみられない
1日中ぼうっと過ごしている
イライラしている
日中、居眠りをしている
突然興奮して怒り出したりする
食欲がない
いつも疲れ気味で体をうごかすのが億劫そう
集中力が続かない
物忘れが激しい
「自分など何の役にも立たない年寄りに過ぎない」などと言う
「死んでしまいたい」などのセリフを口にする
周囲の迷惑など考えずに行動する
うむ、全然珍しくない症状ですね。体力がなくなってきて、何もすることがなくなり、テレビのニュースばかり見ていたら、悲観的になってうつ病になりそう。現代と言う無縁社会で楽しく趣味に興じている方が極楽トンボの痴呆症なのではないかと思ってしまう今日この頃です。
文化類学者の辻信一が仲間たちとナマケモノ倶楽部(通称ナマクラ)を作って啓蒙活動に努めている。「森の賢者」「森の守り神」「森の菩薩」などと呼ばれるナマケモノを人間の新しい生き方のシンボルにして、守るだけでなく、それに「なってしまおう」という運動を展開している。
「ナマケモノになる」、それは人間にふさわしいペースで生きるスロー・アニマルに戻ること。今までの多忙で、過労で、寝不足で、どん欲であればあるほど欲求不満がつのる生き方をやめにして、のんびり楽しくエコロジカルに生きるライフスタイルを見出すことだ。
ナマケモノは中南米の熱帯雨林に棲む哺乳動物で、地上約10メートルから30メートルの高みで木の枝にぶるさがって一生の大半を過ごす。「怠惰」で「鈍感」、「低能」と思われ、きびしい生存競争に勝ち残ることのできない、生物進化上の落伍者と見なされて来た。しかし、近年の動物生態学はミツユビ・ナマケモノについて、驚くべき事実を報告している。まず彼らは普通の動物の約半分の量の筋肉で生活している。体重がたったの4、5キロほどだが、筋肉はその4分の1を占めるにすぎない。動きの遅さもこれが原因なのだが、軽量なのでごく細い木にも登れ、捕食者に襲われるリスクも少ない。
ナマケモノは排便排尿の度にゆっくりと木の根元まで下りていく。地上にいる様々な捕食者のことを考えれば、危険で馬鹿げた習慣だが、最近この行為がもつ生態学的な意味が明らかにされつつある。木の上から糞をするかわりに、地面に浅い穴を掘ってそこに糞をして、枯れ葉でそれを覆う。自分たちを養っている木に、葉を食べて得た栄養価の50%を返しているのだ。熱帯雨林の土壌は、一年を通じて高温多湿のため、落ち葉や倒木などはただちにバクテリアや微生物によって分解されてしまい、豊かな土をつくらない。ナマケモノの排便習慣が、木々にとっては重要な意味をもつ。いわばナマケモノは自分の命を支える木を、育てているわけだ。もうひとつ、ナマケモノに対する昔からの偏見に、セクロピアという一種類の木しか食べないというものがある。これも最近の研究で実は少なくとも90種の植物の葉や蔓を食べることがわかっている。しかも植物の種類に関しては、個体ごとに独特の好みがあって、一頭ごとに数本の好きな木の間を渡り歩くようにして暮らす。そうすることによって、他の個体との競争を避け、棲み分けを実現しているという。
共生という意味でも他に例を見ない。2、3種類の藻が灰茶色の毛のみぞの中に成育して、雨季には体全体を淡い緑色に変えて保護色になる。分厚い毛の中には9種類のガ、4種類の甲虫、6種類のダニが見つかっている。これらの虫たちが、ナマケモノの糞を栄養とし、また格好の産卵場としている。
ナマケモノとは生物進化における失敗例どころか、むしろ環境に見事に適応し、進化した好例だといえる。地上の哺乳類たちが、激しい生存競争と栄枯盛衰の歴史を繰り広げるなかで、ナマケモノは木の上でのんびりと低エネ、非暴力平和、共生、循環型のライフスタイルを貫いてきた。
確かにナマケモノの生き方は、21世紀の人類が手本とすべきライフスタイルを示唆しているように思える。大量生産・大量消費の経済、生命の尊さを忘れた科学技術至上主義の道を走り続けている私たち人類の未来はこのまま行けば自滅だろう。力をつけて先進国の仲間入りをしてきた新興国との資源の争奪戦が始まっている今、資源の枯渇は目の前に迫っている。飽くなき豊かさへの競争に、この地球はいつまで持ちこたえることができるのだろうか・・・・
20~49歳の既婚の男女を対象に行なったアンケートで、「これは絶対イヤなこと」について、1位は「会話がない」と答えた人が51.4%にのぼる。理由は「一緒に暮らす意味がない」「もともと他人だから、会話してお互いの理解を深めるのが当然」などで、いつも一緒だと「沈黙が心地いい」と思う人もいるのだが、会話して理解し合うのは、一緒に暮らすうえで最も重要と考えている人が多いようだ。
2位以下は「服を脱ぎっぱなし」「趣味に没頭する」など、自分勝手な行動が上位にランキングされている。「歯磨きや入浴をしない」に関しては「不潔」「臭い」と一刀両断。確かに不潔より清潔の方が良い。
しかし、会話を必要としているのはあまり外に出かけない専業主婦あるいは専業主夫の場合のように思う。会社で疲れてきて、また近所の噂話など聞かされるのは閉口を通り越してうんざりだ。
会話はお互いを理解するためなどと言うのは体のよい言い訳でしかない。人間は一日中話をしないと、誰かを見つけて機関銃のように話さないと生理的に我慢できないのだ。
私の経験でもパートナーが退職後、一時家に閉じこもっていたときがあり、私が家に帰ってくると、普段はそれほどおしゃべりでもないのに立て板に水のごとくしゃべり続けて驚いたことがあった。私がびっくり眼で見つめると、自分の状態に気づいて笑って終わりになったが、独り者の男女が長電話で友達を閉口させるのはよくある話だ。
夫婦の会話はお互いを理解するためだなどと言って、相手を悩ますのは止めよう。生理的に人間は会話を必要としているのだ。それも相手が聞いていようといまいと一方的なおしゃべりで事足りるのだ。
だから、主婦同士が井戸端会議で熱い会話をするのは結構なことだ。でも、口の筋肉と言語中枢の訓練と思って、大いにストレスを発散し、話した内容は速やかに忘れるべきだ。
山登りにめん棒を持ってきて、下山の日に耳掃除をしている方がいた。なるほどといたく感心した次第だ。
写真は2007年10月下旬の高千穂峡と高千穂岳
今時の若者は一人ぽっちを嫌うらしい。
団塊の世代が思春期の頃、学校も家庭も世間も、規則や規範でがんじがらめだった。規則が厳しかったから、それらを無視して造反する一匹狼がモテた。個性的で人と違っている人に憧れ、孤高の人に惹かれた。
しかし今は規制や規範がゆるくなった分、孤立化してしまった若者は、一人ぽっちを必要以上に恐れるらしい。
大学の食堂で一人ぼっちで食事をしていたら、負組、コミュニケーション能力なし、変人などなど、とんでもない烙印が押される。気の合った仲間とわいわい言って食べるのは消化にも良さそうだが、気の合わない連中と話題を探しながらの食事ではかえって胸につかえると思うのだが・・・・一人でランチを食べているのを見られるのが怖くてトイレで食べている若者もいるそうな・・・ランチメイト症候群と言うそうだ。
日本の企業は今も昔も体育会系の人間を採用したがる。肉体が頑丈で使い勝手が良い。上司の言うことは素直に聞き、協調性にも富む。サービス業が大半である今の日本では好感の持てるイケメンで、愛想の良い誰とでもすぐお友達になれる人材がもてはやされる。
かくして思春期の若者たちは中身の薄いお友達サークルを作り、KYと言われないように相手の顔色を伺い、自分の一言が相手を傷つけないように気配りする。
そんなエセコミュニケーション能力なるものは、単なる同調、ゴマスリ能力の類で、人間の真価とは何の関係もないのだが・・・・
本当のコミュニケーション能力とは相手に合わせておべんちゃらを言う能力ではない。相手の気持ちを尊重して、相手に不快感を与えないタイミングや表現で、自分の感情や意思を相手に伝える能力。つまり、自己の考えを論理的に明確に、相手に伝えてコンセンサスを形成する能力を言う。
誰にでも話しかけてすぐお友達になれる能力は単に図々しく、鈍感であるに過ぎない。
誰にでも好感を持たれるのは八方美人で従順であるに過ぎない。
そんな主体性のない風見鶏的人間には本当の友達も恋人もできない。
友情も恋も、自立した者同士の間に芽生えるものだ。
人生においてコミュニケーション能力より、もっと大事なものがあるにも拘らず、エセコミュニケーション能力がもてはやされる。「コミュニケーション能力が低い」と思い込んで自己を全否定してしまう若者も多いらしい。
人間関係・友人・恋人・出世が人生のすべてではない。研究や芸術が恋人で一生一人で過ごす人もいる。もっと大事なものを内に育てていけば、コミュニケーション能力なるものは後からついてくるものだ。
コミュニケーションスキルを学ぶスクールがあったり、検定などもあるというのだから驚く。
写真は2010年10/11 栗駒山

参加者は8名。ボランティアで知り合った仲間なので、今も各自、いろいろな活動に忙しい毎日を送っている。フェアトレードの活動をやっている人。英人捕虜の人達を日本に招いて心の戦後処理を個人レベルで行っている人。学校退職後、障害を抱えた子供たちの教育のお手伝いをしている人。昔関わった生徒たちのお母さんとの交流の会を長年まとめている人。地域で中途障害者の支援グループの事務局を生涯続けていこうと覚悟している人。大切な家族を案じている人。みんな、人のために自分のことは二の次にして生きているように見える。活動の中で貴重な体験をし、出会いの中で感動を分かち合うことにより、自分が元気になっていると言う。
数年前、パートナーを亡くした方の言葉・・・・・
「私は主人にとても良くして貰った。主人が病気で倒れたとき、できるだけのことをしようと思った。1年半の闘病生活の間、思い残すことなく、できることはすべてできた。」一番大切なことをやりきって、もう心残りはないというすがすがしさ、潔さが心に強烈に響いた。
下記写真は2008年10/11乗鞍岳登山
紅葉の色合いというのは、毎年違うものです。色合いのすばらしい年もあれば、悪い年もあります。今年は紅葉不作の年になりました。
紅葉が美しくなる条件として大事なものが5つあります。
1 昼夜の温度差
温度が高ければ、光合成の働きにより澱粉が多く葉に蓄えられ、分解されて糖になります。その後、急に気温が下がるとクロロフィルが壊れてアミノ酸ができます。糖とアミノ酸が葉に多くたまると赤い色素(アントシアン)が沢山合成されます。アントシアンを合成する遺伝子が無い場合、黄色く色づきます。黄色に色づくのは緑の色素(クロロフィル)が黄の色素(カロチノイド)より壊れる速度が早いのが原因です。秋も深まると、糖やアミノ酸がどんどん葉にたまっていき、茶色の色素(フロバフェン)が合成され、最後は茶色くなります。
昼夜の温度差は一番大切な条件です。1日の最低気温8℃以下になると紅葉が始まります。さらに5~6℃以下になると一気に進みます。鮮やかに紅葉する条件は、日中の気温が20~25℃、夜間は5~10℃くらいです。温度差が15℃あると飛躍的に進みます。
2 清涼な空気
都会の大気汚染では、健全な葉の生育は望めません。特にカエデの仲間は大気汚染に弱いので、綺麗な空気も大切な条件です。
3 日光
太陽の光が多いと、光合成の働きによって糖分がたくさん生成されます。特に9月以降の晴天の多さが大切です。
4 空気中の水分(湿度)
夏の高温と乾燥によって葉焼けをおこしてしまうことがあります。渓谷の紅葉が美しいのは水分に恵まれているためです。
5 大気の乾燥による地中水分の減少
近年、温暖化や大気汚染が進み、鮮やかな紅葉や黄葉が見れなくなる年が多くなってきています。
未来の美しい自然を守り、美しい日本の紅葉を後世に残していきたいと思いますが、地球規模の異常気象や自然破壊の中で紅葉を愛でる文化は寂れていくのでしょうか。
写真は2008年9/28 草津白根にて
生きテク

バブル崩壊後の年功序列型の終身雇用の崩壊や勝ち組・負け組といった言葉で表される格差社会への日本の急激な変容が、国民に大きなストレスを与えている。
リトアニア、韓国、ロシア、ベラルーシ、ガイアナ、カザフスタン、ハンガリーに次ぐ世界第8位の自殺率の高さとなっている。国内の混乱が続く体制移行国に次いで高い自殺率ということで日本の自殺率は異常な値であるといわざるを得ない。
日本の自殺率の高さについて、WHO精神保健部ホセ・ベルトロテ博士は「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられている。」と指摘している。
英エコノミスト誌(2008.5.3)は女子生徒の硫化水素ガス自殺(4月23日)の紹介からはじまる「日本人の自殺-死は誇らしいか」という記事で日本の自殺率の高さについて論評している。経済的な要因についてもふれているが、記事の主眼は日本人の文化的な要因、あるいは社会的特性である。「日本社会は失敗や破産の恥をさらすことから立ち直ることをめったに許容しない。自殺は運命に直面して逃げない行為として承認されることさえある。サムライは自殺を気高いものと見なす。」
日本の自殺に日本特有の文化的要因があるのだろうか?サムライまで引っ張り出しての論調はいささか時代錯誤的にも思えるが。
自殺する人は自分の不幸な状況に圧倒され視野が狭くなっている場合が多い。「八方塞で疲労困憊し、すべてが面倒になる。不眠・食欲不振が重なり、苦しみを避けるために死を選択する。」深刻な気持ちのリセットがうまく行かないのだ。死ですべてを投げ出す覚悟なら、生きてすべてを投げ出せばよい。自己破産・離婚・夜逃げ・福祉を受ける・・・・などなどリセットする方法はいくらもある。
生きテク 自殺防止サイトを見つけた。死の淵まで行き、戻ってきた人の体験談で構成されている。悩みと解決策それぞれ8カテゴリーに分けてカタログ化し、検索しやすくなっている。自分の悩みを客観視して解決策を見出す一助になると思う。
生きテク代表オキタリュウイチ
ポジティブなメディアを作ることにより社会的課題を解決しようと挑む。彼は以前、100個いいことをすると願いが叶う「ヘブンズパスポート」というツールで、15万人の中高生にゴミ拾いやお年寄りに席をゆずるなど、ゲーム感覚で「楽しくいいこと」を行動させ、「キレる17歳」というメディア報道を一年半で無くしたという。その後仕事に熱中するあまり、社会的課題の解決を何もしてこなかったことに鬱になるほど悩んだ。その彼が、自殺という日本社会の大きな課題解決に、ついに動き始めた。
光と影をテーマに、地元横浜、鎌倉などの身近な風景を透明水彩で描いている石川さん。
ご近所に暮しておられる石川さんが個展を開かれた。水彩画はブログで拝見していたが、実物を拝見する良い機会なので、最終日、鑑賞させていただいた。
透明感溢れる色調で身近な風景を描いておられる。ごみごみした街角もハイセンスな湘南の街に様変わり。こんなに素敵な町に住んでいるのかと嬉しくなる。
美しいものに感応し、その美しさをシンプルな筆致で固定し、感動を与える、その力は天性のものだろう。これからも新たな視角で私達の街を切り取り、その美しさに気づかせて欲しい。癒される風景である。
人物の入った瀟洒な街角のスナップ的風景が筆致に合っていて秀逸だと思うが、神社仏閣の入った風景も明るいタッチで描かれていて新鮮な視角を与えてくれる。