オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

小池劇場

2017-10-01 | 政治

安倍晋三首相の解散会見を先取りし、メディアジャックさながらの小池新党の唐突な発表があった。

独断専行型で自分以外は誰も信用できない小池百合子の、「細野・若狭新党」作りを「リセットする」と言われて、若狭勝が「新党の話は事前に聞かされていましたか?」との記者の質問に「携帯が壊れていましたので・・・」とかなり苦しい言い訳が惨めであった。

驚いたことに前原主導の民進党議員は「満場一致」で合流を支持した。毎日新聞によれば、前原代表は枝野幸男代表代行に対し、「小池氏は長妻(昭選対委員長)さんや枝野さんのところに(対立候補を)立てるようなことはしない」と語って説得したという。だが、相手は手練手管の名手小池百合子である。眉一つ動かさず、そんな約束は反故にする。リベラル議員は無所属での出馬となり、人的・金銭的支援が得られず、ほとんどが討ち死にする。厚化粧でしたたかな都知事に若輩の前原代表はまるで赤子のような存在だった。
単に民進党がなくなってしまうというだけなら、まだいい。いずれは解党の運命にあったと思うからだ。しかし、事態はもっと深刻だ。
現在の目算では、自民の獲得議席は200議席以下に激減。一方、希望の党も200議席に迫る勢いだという。8割が改憲勢力になる。どちらも過半数はとれないとなると、連立を組むかもしれない。自民=希望の大連立は起こりうる。そもそも改憲や安全保障をはじめ安倍と小池は、政策も思想も大差ない。最終的には、自民党と小池新党は北朝鮮危機を口実にして連立を組み、9条や緊急事態条項を軸にした憲法改正を押し進めていく。そして、勝ち馬に乗りたいと考える国会議員たちが集結し、独裁状態になる。

民進党内部の話し合いですらなんの異議申し立てもせずに満場一致し、カネも組織ももっている民進党が人気だけの小池百合子にひれ伏している様は想像だにしなかった。良識ある政治家たちにいま、求められるのは、「第二自民党」たる小池新党に参加することではなく、リベラル勢力として結集することだ。そもそも民進党は、安倍政権下での憲法改正に反対し、安保法制の白紙撤回、特定秘密保護法や共謀罪の廃止といった政策を掲げてきた。しかし、小池代表は“憲法改正に対するスタンスとリアルな安全保障政策”が入党の条件だとしている。うがった見方をすれば、前原代表と小池代表の間では、とっくに、リベラル派議員を排除することで話がついていたのかもしれない。
「小池代表が民進党と合流しようとしたのは、単に民進党の約100億円の政党交付金、地方組織や支援団体、間に合わない候補者選びをカバーするためでしかない。民進党の各候補者に公認に当たって分配した政党交付金を出させ、リベラル派の議員を排除することが最初から合流の条件だった。もちろん、壊滅危機に瀕していた前原代表はその条件をわかっていたはずです。もともと前原代表は改憲や安保法制推進派であり、抵抗はない。ただ、そこのところをはっきりさせてしまうと、話が壊れるので、あえて曖昧にして“公認をとれるよう努力する”などという表現でごまかしてるんです」(全国紙野党担当記者)

小池は、占領下で生まれた憲法が武力行使を制約し「日本をがんじがらめにしている」と主張していた。「現行憲法を廃止し新しいものを作る。て・に・を・はを変えるというような議論では間に合わない」と語っていた。最近では情報公開や環境権などに言及し、自民改憲草案のうち「財政の健全性確保の明記」といった無難なところから「まずやってみたら」と訴えていた。
安全保障では月刊誌で03年に「軍事上、外交上、核武装の選択肢は十分ありうる」と述べ、10年には中国が領有権を主張し始めた沖縄県の尖閣諸島で「実効支配を明確にすべく構築物を作ることが先決だ」と語っている。希望の党の綱領には、自民党との違いを強調しようと「寛容な改革保守」が掲げられたが、看板だけで実態は見えない。

永田町では、小池代表の「リベラル排除」宣言の前から、民進党議員を選別するために希望の党が作成したという「排除リスト」が出回っている。
《野田佳彦/菅直人/手塚仁雄/辻元清美/赤松広隆/近藤昭一/長妻昭/枝野幸男/岡田克也/阿部知子/安住淳/海江田万里/櫛渕万里》
民進党の代表経験者とリベラル色の強い議員であり、現職ではない海江田氏や櫛渕氏の名前も入っている。意外なのは、希望の党への合流に向け「前から憲法改正に賛成」とアピールしていた安住氏が入っていることだが、小池が安住のことを嫌っているためではないかと言われている。

リスト自体は本物かどうか裏を取れておらず、「実際は出回っているリストよりもう少し多い30人ほどが排除されると言われています」(全国紙政治部記者)

朝日新聞によると、〈排除するかどうかの実態は、小池氏の一存による選別となりそうだ。党関係者によると、28日に民進側から候補予定者のリストをもらった小池氏は都内のホテルにこもり、「それは左だからダメ」などと日本地図を片手にスタッフに指示を飛ばしたという〉ちなみに、小池代表とともにその作業にたずさわっているのは、元産経新聞の記者なのだという。希望の党関係者がこう証言する。
「小池さんの右腕となって選別を仕切っているのは、Oという産経の元記者らしいですね。大臣時代からのお気に入りの番記者で、小池都知事の政務担当特別秘書Mさんの夫です。ちなみに、O記者はまだ産経を辞めていなくて、休職中という説もある。いずれにしても、このO記者がかなり強硬に“リベラル排除”を主導して、マスコミにもバンバン情報を流している。」


これでは、民進・希望合流騒動は、最初から民進党解体、野党共闘潰しが目的だったのかと思わざるを得ない。

もはや「希望の党」に誰が公認されるかどうか、などと語っている場合ではない。民進党のまま、リベラル政党として野党共闘を立て直すのが一番だろう。
良識ある民進議員候補者たちは、いますぐ前原氏を解任し、参院議員とともに民進党を継続し、「安保法廃案」「立憲主義の回復」という原点に立ち返ってもらいたい。希望の党から出馬したいという輩は、政党交付金などビタ一文渡さずに叩き出してもらいたい。一方、社民党と候補者一本化で合意している共産党の志位和夫委員長は「勇気を持って、共闘の立場に立つ政党・議員・候補者とは連携をしっかりしていきたい」と断言し、希望の党に合流しない候補者との共闘を打ち出している。

独裁者を倒すのに独裁者を使うということになれば、もっと毒の強い独裁者をつくることになる。憲法違反の安保法制を容認する政党に、関東大震災での朝鮮人虐殺の歴史をなかったことにしようという歴史修正主義者の代表の下に、彼らは集まっていこうとしている。小池百合子が日本会議につながる右翼思想の持ち主であり、核武装論者であり、都知事としての議会答弁でも、日の丸・君が代強制容認論者であることを露わにしている。
都は2020年東京五輪・パラリンピック大会の機運を高めるため、大会と同じ7月24日から9月6日までの1カ月半の期間、ラジオ体操を行うよう職員や企業に呼び掛けた。「日本人のDNAに刻み込まれている。都民、国民が一つになれる」(小池知事)そうだ。そこで午後2時55分からラジオ体操の音楽が流れると、職員たちが机の脇で一斉に体を動かし始めることになったという。
服装でいうと、昨年7月の都知事選の「百合子グリーン戦略」。グリーン=エコのイメージをアピールするため、本人のみならず運動員も緑色のポロシャツで統一し、支援者には緑のものを一点身に着けるよう呼び掛けた。小池氏当選に大きく貢献したが、「全体主義者がよくやるパターン」と橋下徹・前大阪市長にテレビ番組で批判された。
具体的政策として消費税率引き上げの凍結、原発ゼロなどと言っているが、信用ならない。原発が大好きでたまらない連合が小池新党を支援するのだから本気とは思えない。自民党と差別化するための看板としか思えない。


関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ

2017-09-03 | 政治
東京都の小池百合子知事が、9月1日に市民団体の日朝協会などが主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に、都知事名の追悼文を送らない方針を決めた。都知事は例年、追悼文を出してきたが、小池氏は今春、見直しを示唆していた。主催者からは「突然の方針転換は納得できない」と非難する声が上がっている。
追悼式は毎年、日朝協会や日中友好協会などが、都立横網町公園(東京都墨田区)で開いている。1923年の関東大震災時には「朝鮮人が暴動を起こした」といったデマが広がり、多数の朝鮮人や中国人が虐殺された。式典では、その犠牲になった人たちも追悼している。都や式典の主催団体によると、式典には例年、石原慎太郎元都知事らが知事名で追悼文を寄せてきた。小池氏も昨年、「多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」などとする文を主催者に送っている。だが今年は、主催団体が5月に追悼文送付を要請したところ、担当する都建設局が今月、送付中止の方針を伝えたという。
その理由について同局の担当者は「毎年9月1日に都慰霊協会の主催で関東大震災の犠牲者全体を追悼する行事があり、知事が追悼の辞を寄せている。個々の追悼行事への対応はやめることにした」と説明した。小池氏は3月、都議会で自民都議が、主催団体の案内文に虐殺の犠牲者数が「6千余名」とあるのは根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、「毎年慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆した。都建設局はこの答弁などを受けて追悼文の送付中止を検討し、その方針を小池氏も了承したという。
日朝協会都連合会の赤石英夫事務局長(76)は「天災による犠牲と、人の手で虐殺された死は性格が異なる。一緒に追悼するからという説明には納得できない」と話している。(朝日新聞デジタル 2017年08月24日 12時45分)
 
 
 
小池氏も日本最大の右翼組織「日本会議」の国会議連に所属しているから、当然と言えば当然だ。
 
虐殺という被害に遭った朝鮮人及び中国人を特別に追悼する意味は、歴史の汚点として謝罪し、反省するためである。天災被害者と同レベルで扱うことが許されるのなら、ナチのホロコーストを特別扱いせず、大戦で亡くなった人を等しく追悼しましょう、と言うのと同じになる。
 
「朝鮮人が武器を持って暴動を起こしている」、「井戸に毒を入れている」などといった流言が広まり、日本人によって多くの朝鮮人が命を奪われる事態になった。では、なぜそのような流言が広がり、朝鮮人の虐殺に繋がっていったのだろうか。そもそも地震の時に外国人が暴動を起こすという、発想自体に違和感がある。
 
関東大震災時に単なるパニックで流言が飛び交ったのではなく、行政が流言を広めてしまったらしい。
震災直後の9月2日に山本内閣は戒厳令を発したが、その日早くも埼玉県では内務省(警察・地方行政)の指示により、各町村に「東京の大震災に乗じて、不逞な朝鮮人多数が川口方面から流入してくるかも知れない。また過激思想の者が朝鮮人と一緒になっているとも聞く…」という通達を出した。3日には、全国の府や県の知事に「東京における朝鮮人暴動」を打電している。根拠となる事実は皆無であるにもかかわらず・・・・・。朝鮮人と左翼を、まとめて抹殺する謀略と言えよう。
 
さらに、南京大虐殺と同じように、虐殺自体を否定しようという輩も近頃目立ってきた。
 
虐殺によって殺された人々(朝鮮人と、誤殺された日本人、中国人)の数は、震災全体の死者数の1%から数%に上るだろうと内閣中央防災会議の報告書が明らかにしている。当時震災で死んだ人は10万5000人、1%はほぼ1000人。これは、歴史学の常識であって、まともな歴史学者の範疇に入る人で、「朝鮮人虐殺はなかった」と言っている人は一人もいない。また、震災後の2年後に出た警視庁の報告でも、「朝鮮人が暴動を起こした」といった話が流言であって事実ではなかったということを前提に書かれている。そうした流言がどのように発展し、どのように広がっていったのかということも分析している。
 
ジャーナリストである徳富蘇峰も、「かかる流言飛語―即ち朝鮮人大陰謀―の社会の人心をかく乱したる結果の激甚なるを見れば、残念ながら我が政治の公明正大と云ふ点に於て、未だ不完全であるを立証したるものとして、また赤面せざらんとするも能はず」と書いている。要するに朝鮮人虐殺が実際にあったこと、朝鮮人暴動などデマだったことは当時から常識だった。今になって、暴動はデマじゃなくて本当にあった、虐殺はなかったというようなことを言い出すのは、90年経って当時を知る人がもはやこの世にいなくなったのをいいことに、歴史を改ざんしようとする人々が増えたということだ。
 
 
虐殺の現場は凄惨を極めたらしい。惨たらしい証言が多数あるが、ここに記述するのがためらわれる。女性に対する差別意識もあって、性的に辱めを受けるような殺され方もしたらしい。多数で少数のものをいたぶると惨たらしくなりやすい。惨殺する過程自体を楽しむ様相になるからだ。自警団の論理の中では、政府やメディアが煽っているのだから、国のために異分子を殺す英雄的な行為と思ってやっていたものもあるという。警察署で保護されている朝鮮人を襲って殺したりしている例も多いと言う。
 
 
しかし、日本人すべてが狂気に駆られて、虐殺したわけではない。テレビでも放映されていたが、こんなヒュ-マニズムにあふれた警察官も存在していたという事実に嬉しくなった。
 
『警察史』から抜粋すると、『二日夕、自警団員が四人の朝鮮人を鶴見署に突き出し、「持っている瓶に毒が入っている。たたき殺せ」と騒いだ。当時、46歳の大川署長は「そんなら諸君の前で飲んで見せよう」瓶の中身を飲み、暴徒を納得させた。翌日、状況はさらに緊迫。大川署長は多数の朝鮮人らを鶴見署に保護する。群集約千人が署を包囲し、「朝鮮人を殺せ」と激高。大川署長は「朝鮮人たちに手を下すなら下してみよ、憚りながら大川常吉が引き受ける、この大川から先に片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、一人だって君たちの手に渡さない!」と一喝。体を張っての説得に群集の興奮もようやく収まったかに見えた。しかし、それでも収まらない群集の中から代表者数名が大川に言った「もし、警察が管理できずに朝鮮人が逃げた場合、どう責任をとるのか」と。すると大川は「その場合は切腹して詫びる」と答えた。そこまで言うならととうとう群衆は去って行った。保護された人は朝鮮人220人・中国人70人ら、計300余人に上る。保護された朝鮮人・中国人は合わせて301名に増え、9月9日鶴見警察署から横浜港に停泊中の崋山丸に身柄を移しその後海軍が引き受けて保護した。保護された朝鮮人のうち225名はその後も大川署長の恩に報いるべく震災復興に従事したという。大川常吉氏は1940年(昭和15年)死去。墓地は東漸寺にある。死後13年目の1953年、関東大震災30周年を機に石碑が建立され大川常吉氏の遺徳を刻んだ。
 
大川常吉氏は後年「警察官は人を守るのが仕事、当然の職務を遂行しただけ」と語ったという。あの当時、あの状況下で、多数の暴民に取り囲まれながら、 署員30名で多数の朝鮮人らを守り抜いた大川常吉氏の行動はヒューマニズムの原点である。「日本のシンドラー」といわれ6000人のユダヤ人にビザを発給し続けた杉原千畝・駐リトアニア共和国代理領事とともに、日本人の誇りでもある。
 

憲法9条はアメリカに押し付けられたものか?

2017-08-13 | 政治
日本国憲法の三大原理は<基本的人権尊重・国民主権・戦争放棄>である。そして、もうひとつの特徴は象徴天皇の定めである。
「米国から押し付けられた」と宣伝されている日本国憲法。誰が作ったものであろうと、よいものはよいわけで、押し付けられたからといって改正しなければならない理由にはならない 。
 
しかし、事実として、少なくとも日本国憲法の根幹第9条は、日本人の「発案」によるものと認める学者が増えてきたようだ。「GHQ押し付け憲法論」を主張する論者は、自説に不都合な憲法研究会のことや幣原喜重郎首相とマッカーサーのやり取りについて無視することに務めているようだ 。
 
 
改憲派はしばしば、日本国憲法はわずか九日間でGHQの素人たちがつくったお粗末な憲法にすぎないというのが常なのだが、果たして事実なのか。
民政局長コートニー・ホイットニー准将や民政局次長チャールズ・L・ケーディス大佐を始め、運営委員会のメンバ-はロ-スク-ルを卒業し、弁護士資格を持つ法の専門家、人権論者、学者などで構成され、改憲論者の主張するような素人集団ではなかった。更に、日本国憲法の原案であるGHQ憲法(マッカーサー憲法)は、開戦直後から知日派の米国知識人たちが準備してきたものをもととして、練り上げ準備されてきたものであって、9日間で素人たちが作り上げた粗末なものではない。
 
さらに、改憲派の目の敵にされている9条はどのような経過で生まれたのか?その真の発案者を紐解くと、幣原喜重郎という人物が浮かび上がってくる。
新憲法の草案をGHQから心ならずも「押しつけられた」はずの日本政府の代表者(総理大臣)自身が、実は「9条の真の発案者」であったというのだから、驚きである。
 
終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏による証言をぜひ読んで欲しい。この証言は、国会図書館内にある資料からのもので、戦争放棄条項、憲法第九条が生まれたいきさつが、詳細に記述されている。
 
 
此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ、僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのは、その時である。それに僕には、天皇制を維持するという、重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは、出来るものではない。 まして、天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階であった。
幸いマッカーサーは、天皇制を維持する気持ちをもっていた。本国からも、その線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。ところが、アメリカにとって厄介な問題があった。それは、豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関しては、ソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は、日本を極度に恐れていた。日本が再軍備したら大変である。戦争中の日本軍の行動は、あまりにも彼らの心胆を寒からしめたから、無理もないことであった。日本人は、天皇のためなら平気で死んでいく。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の、不可分とも言うべき関係であった。
これらの国々のソ連への同調によって、対日理事会の評決では、アメリカは孤立する恐れがあった。この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を、同時に提案することを、僕は考えた訳である。
豪州その他の国々は、日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に、戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は、廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である豪州、その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆に、ソ連を孤立させることができる。
この構想は、天皇制を存続すると共に、第九条を実現する、言わば一石二鳥の名案である。もっとも、天皇制存続と言っても、シンボルということになった訳だが、僕はもともと、天皇はそうあるべきものと思っていた。
元来天皇は、権力の座になかったのであり、また、なかったからこそ続いていたのだ。 もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが、天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が、天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側から、こんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられた、という形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら、実際に出来ることではなかった。そこで僕は、マッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば、首相自らが、国体と祖国の命運を売り渡す、国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。幸い、僕の風邪は肺炎ということで、元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰い、それによって全快した。そのお礼ということで、僕が元帥を訪問したのである。それは、昭和二十一年の一月二四日である。その日僕は、元帥と二人きりで、長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。マッカーサーは、非常に困った立場にいたが、僕の案は、元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし、第九条の永久的な規定ということには、彼も驚いていたようであった。僕としても、軍人である彼が、直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は、最後には非常に理解して、感激した面持ちで、僕に握手した程であった。元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。日米親善は、必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが、果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾は、やがて他国にも波及するだろう。次の戦争は、想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びれば、アメリカも亡びる。問題は今や、アメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして、世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら、誰が世界の運命を切り拓くか。好むと好まざるにかかわらず、世界は、一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は、破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は、自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。同時に、そのような戦争放棄国の出現も、また空想に近いが、幸か不幸か、日本は今、その役割を果たしうる位置にある。歴史の偶然は、日本に、世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも、承認される可能性がある。歴史の偶然を、今こそ利用する時である。そして、日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う、唯一つの道ではないか。また、日本の戦争放棄が、共産主義者に有利な口実を与えるという危険は、実際ありうる。しかし、より大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。世界はここ当分、資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。それを不動のものと考えることが、世界を混乱させるのである。未来を約束するものは、たえず新しい思想に向って、創造発展していく道だけである。共産主義者は、今のところはまだ、マルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかのごとく考えているが、そのような論理や予言は、やがて歴史のかなたに埋没してしまうだろう。現に、アメリカの資本主義が、共産主義者の理論的攻撃にもかかわらず、いささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して、自らを創造発展せしめたからである。それと同様に、共産主義のイデオロギーも、いずれ全く変貌してしまうだろう。いずれにせよ、ほんとうの敵は、ロシアでも共産主義でもない。このことは、やがてロシア人も気付くだろう。彼らの敵は、アメリカでもなく資本主義でもないのである。世界の共通の敵は、戦争それ自体である。
 
僕は、天皇陛下は実に偉い人だと、今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案をもって、天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと、内心不安でならなかった。僕は、元帥と会うときはいつも二人きりだったが、陛下の時は、吉田君にも立ち会ってもらった。しかし、心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果、天皇がどうなってもかまわぬ、といわれた。この英断で、閣議も納まった。終戦の御前会議の時も、陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も、陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。もしあのとき天皇が、権力に固執されたらどうなっていたか。恐らく、今日天皇はなかったであろう。日本人の常識として、天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。当初の戦犯リストには、冒頭に天皇の名があったのである。それを外してくれたのは、元帥であった。だが、元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。天皇は、己を捨てて国民を救おうとされたのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。天皇は、誠に英明であった。正直に言って、憲法は、天皇と元帥の聡明と勇断によって出来た、と言ってよい。たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら、天皇制は存続しなかったろう。
 
 
 
9条を亡き者にして戦争のできる普通の国にしたがっている安倍政権、そして現代の政治家に幣原の世界観は到底理解できるものではないだろう。自衛隊を海外派兵できるように、アメリカの手下となって活躍できるように、戦争放棄を宣言した9条を亡き者にしようとしている。戦後、9条を拡大解釈して戦力を増強してきた日本。確かに自衛隊が憲法で禁止する戦力になっていることは明白だ。しかし、自衛隊を含む国民の命をこの72年間守ってきたのは他ならぬ9条である。海外で武力を行使できないという歯止めがあったからこそ、朝鮮戦争にもベトナム戦争にも湾岸戦争にも駆り出されずに済んだのである。
安倍政権になって、またぞろ拡大解釈によって集団的自衛権を認定した。存立危機事態とかいうわけのわからない事態に陥った場合、アメリカの盾になって、北朝鮮と戦わなければならないのである。
小野寺五典防衛相は8月10日の衆院安全保障委員会で、北朝鮮が米領グアムを狙って弾道ミサイルを撃った場合、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」に認定し、自衛隊のイージス艦が迎撃することは法的に可能だとの認識を示したのである。この発言に対して異議を唱えるメディアはない。かくして、攻撃が正当化され、国民は戦争に巻き込まれていくのである。
 
戦争放棄は究極の理想主義のように聞こえる。しかし、幣原元総理の場合、東西冷戦のはざまで戦争放棄が国民を守る唯一の現実的な政策であったと推察できる。戦争放棄と言う幣原の理想はどんな国でも受け入れられるものではない。マッカ-サ-元帥の力を利用して、平和憲法を制定させたのである。その結果、日本は経済的繁栄を謳歌し、戦後72年間、戦争で一人の死者も出さずに済んだのである。今の政治家を見ていると、日本が戦争に巻き込まれるのは時間の問題だと思う。戦争をしたがっているようにしか見えないのだから・・・
 
2度の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験を強行した北朝鮮に対し、国連安全保障理事会は石炭などの輸出を禁止する経済制裁決議を全会一致で採択した。決議案を作成したアメリカでは、その効果に期待する一方、北朝鮮を現段階で攻撃する「予防戦争」の是非が論じられ始めている。マクマスター米大統領補佐官(国家安全保障担当)は、安保理決議があった同じ日に、MSNBCのインタビューに対し、政府関係者として初めて、予防戦争もオプションの一つだと言及した。これらを受け、他のメディアも関連記事を掲載している。
 予防戦争(preventive war)とは、敵が有利に戦争を開始するのを防ぐために、先手を打って仕掛けていく戦争のこと。発射直前のミサイル基地を叩くといった目前の直接的な危機を排除するために行う先制攻撃よりも、さらに早い段階で攻撃を仕掛けて敵を無力化することを目指す。将来的な危険を排除する目的を持って行われるため、「予防戦争」と呼ばれる。
 政治専門紙ザ・ヒルは「予防戦争は、冷徹な判断のもと、選択的に行うものだ。今まさに攻撃しようとしている相手に対する先制攻撃や実際に攻撃してきた相手と戦う防衛的な戦争とは違う」と説明する。そして、「普段は堅実なリンジー・グラハム上院議員と一部のホワイトハウスの高官たちが、北朝鮮に予防戦争を仕掛けることを話し合い始めた」と、米国内の情勢を報じている。そして、北朝鮮情勢の現状を「我々が予防したかった状況を既に通り過ぎようとしている」と書く。
 同紙によれば、グラハム上院議員は、メディアに対し、「戦争が起きるのならばアメリカ西海岸で起きるよりは北東アジアで行われる方がましだ」「カリフォルニアで犠牲者が出るよりも同地域で犠牲者が出る方が良い」などと語り、米本土に被害が及ぶ前に北朝鮮を叩く意義を説いたという。ザ・ヒル紙も、北朝鮮が米本土を攻撃可能な核ミサイルを獲得することを防ぐための「推奨されるコース」は予防戦争だと主張する。そして、「誤解を恐れずに言えば、それは北朝鮮との破壊的な戦争の序章にすぎない。韓国と日本に何千人もの犠牲者が出るだろう」と書く。
 
 もちろん、戦争をせずに危険を取り除くことができれば、それに越したことはない。エコノミスト誌は、ずばり「北朝鮮との核戦争をいかにして防ぐか」という記事でその方法を検討している。同誌は予防戦争、あるいは先制攻撃は完全に成功しなかった場合、全面戦争に発展し、事態が悪化するリスクが高いと指摘。その場合、最終的には金王朝が崩壊し、北朝鮮で何十万人もの市民が死に、韓国の首都ソウルは破壊され、日本の駐留米軍や米本土の都市への核攻撃もありえると見る。
 そのため、米側から戦争を仕掛けるのは無謀であり、避けるべきだというのが同誌の主張だ。さらに外交努力も最終的に失敗すれば、「残るたった一つのオプションは金(正恩)氏を思いとどまらせ、自暴自棄な行動を阻止することだ」と書く。そのために、トランプ大統領は、アメリカは自ら戦争を始めることはないと明言したうえで、北朝鮮から攻撃された場合は即座に反撃することも再認識させる必要があるとする。金正恩氏に対し、ミサイルを撃てば独裁者として贅沢な暮らしをする人生を失うことをしっかりと認識させれば、無茶はしないだろうという考えだ。
 同誌はまた、アメリカは日本と韓国に対し、引き続き核の傘で守ることを保証し、両国で展開するミサイル防衛網も強化しなければならないと主張。これは、北朝鮮への抑止力となるだけでなく、日韓に独自に核を保有する道を取らせない意味もあるとしている。一方、中国が恐れるのはアメリカとの戦争の結果、金王朝が崩壊し、統一朝鮮ができて駐留米軍と直接対峙することだと同誌は見る。トランプ政権は「それが起きないことを中国に対して保証しつつ、長い目で見れば貧しく暴力的で不安定な国であり続けるよりも、統一された方が良いことを中国に理解させなければならない」としている。

相模原事件から一年

2017-08-12 | 政治
7月26日は、相模原の障害者施設で19名が殺害されてからちょうど1年である。
事件から1年という節目を前に、現場を取材した記者たちによって一冊の本が出版された。『妄信 相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞取材班 朝日新聞出版)。
入れ墨を入れ、薬物も使っていた植松被告を友人の1人は「結局、自分に自信がなかったってことでしょ。酒だって弱くて、すぐつぶれるし。いきがって、ハイになって、人との差を埋めたかったんでしょ」と評する。植松被告が事件の舞台となったやまゆり園で働き始めたのは、2012年12月。当初は真面目な働きぶりで、入所者に対して「慣れるとかわいい」といっていたという。半年ぐらいで、障害者を「生きているとは思えない」と話すようになった。また、事件が起きた16年2月には「障害者が生きているのは無駄だ」などと書いたビラを勤務先の周りで配っている。そうして同月14日、「障害者470人を抹殺することができます」などと書いた「手紙」を渡そうと衆院議長公邸に行ったが、断られた。翌日、再び衆院議長公邸に現れ、門の前で土下座し、2時間後、手紙は受け取られたという。その前々日の13日には、安倍晋三首相を訪ねて自民党本部に足を運んでいた。
そうして、事件前日。植松被告はホームセンターで結束バンドなどを買い、知人の女性と都心の高級焼肉店で食事をしている。女性と別れたあとはホテルで過ごし、派遣型風俗を利用し、数時間後、事件を起こした。事件後、「世界が平和になりますように。Beautiful Japan!!!!!!」とTwitterに投稿した。
教員を目指したものの挫折し、福祉の世界に入ったものの、勤務の中で差別意識を強めていった未熟な若者が、施設の仕事で疲弊し、その体験が事件につながった。
逮捕後の供述で入所者が粗相をして植松被告が片付けていた時、「上から勝ち誇ったような顔をして見ている入所者がいて、許せなかった」と話したという。
やまゆり園の元職員の男性は、入所者の暴力などの問題に対して、「入所者は施設を出ても居場所がない。暴れても警察を呼ぶわけにはいかず、職員が自分でなんとかする。毎日がその繰り返し」と語った。
 
自分が価値のない存在とされてしまう不安な社会では、悪意は障害者のような役に立たないと思われている存在に向かいやすくなる。障害者だけではなく、殺傷事件はホ-ムレスや高齢者にも向かう。弱者で恵まれない若者が自分より立場の弱い人々を手にかけるのは決して珍しいことではない。
終身雇用が失われ、弱者はいつ切り捨てられるかわからない。植松被告が自分の存在を評価してくれる先として選んだのは国家(安倍政権)だった。自分の行為が称賛されると思い込み、大量殺人事件を起こした。
 
事件後、追悼集会には世界各国から多くのメッセージが集まったという。アイルランドの国立大学教授は「私たちは人を有用かどうかで判断しません。そうした発想を支える功利的な考え方は、歴史のごみ箱に投げ込まれました」と書き、インドからは「高齢者と障害者をどう扱うかに、市民と国民の性格が表れます」という言葉も届いた。
相模原事件の5年前、ノルウェーではアンネシュ・ブレイビクという30代の男が77人を殺害するという事件が起きている。狙ったのは、移民受け入れに寛容な人々。彼自身は「欧州をイスラムの支配から救う」と事件を正当化していた。
そんな事件を受け、ノルウェーでは国を挙げて犠牲者を追悼し、首相が『さらに寛容な社会をつくる』と宣言した。事件の生存者の中には、『テロを機に監視社会ができたら、彼の思うつぼだ。そうさせないのが、生き残った僕らの役割だ』と地方議会選に出馬した人もいたという。
日本では首相や政権から「障害者差別は許さない」という力強いメッセージが発されることはなく、あろうことか、元都知事の一人は「やまゆり園事件犯人の気持ちはわかる」と公言した。精神障害者の措置入院や予防拘禁ばかりが声高に語られ、植松被告の主張と同じ差別・排除の政策が実現されていく。
差別・排除の根源は学校教育にある。いじめ防止というスローガンを叫ぶだけで、いじめはなくなるはずもなく、陰湿になるばかりである。学校で、一人一人の違いを個性として認め、それぞれの生き方や考え方を大切にし、相手を思いやる心を育てなければ、いじめはなくならない。大切なのは「いじめかどうか」の判定ではなく、他者を尊重し、相手が嫌がることはしないという約束だ。この思いやりの心を育てることが学校教育の大切な目標だと思う。人権こそが教育の根本であり、教育こそが人権を支えるのである。しかし、現状では学校そのものが差別や排除・隔離の体質を内包している。それゆえ、さまざまな事情から、公教育を受けられなかった人たちは、相当な数に上る。障害のある人、貧しくて学校に通えなかった人、不登校だった人・・・・。
 
相模原事件は効率や、生産性ばかりを重視される社会のあり方と、表裏一体だ。「かけがえのない命」「命は大切」と空虚な言葉が口先で語られる一方で高齢者福祉にかかる金は無駄、高齢者に対する延命措置は無駄、回復の見込みのない患者にかかる医療費は無駄・・・・財政難の折に福祉は削減、その分、若者の教育に税金を使うという大義名分の陰で、教育ビジネスに群がるのは政治家のお友達である。
 
植松被告のツイッターには、安倍晋三、百田尚樹、橋下徹、ケント・ギルバートなどネトウヨが好みそうな極右政治家、文化人がずらりと並んでいた。事件後、安倍政権を盲信するネトウヨたちの間では、〈植松容疑者の行動がよくなかっただけで言ってることは正論だと思う〉〈植松の言ってることはこれからの日本を考えるとあながち間違ってはいない〉〈連中に使われる予定だった税金を節約して、国の役にたったよ。〉といった、植松被告に賛同する声であふれた。
さらに、自民党のネット応援部隊であるJ-NSC会員(=ネトサポ)がブログで、「植松が言うように障害者はいなくなるべき」と全面的な賛同を示し、ダウン症の子どもがいる野田聖子衆議院議員にまで「自民党の改憲案との矛盾をなくすために障害者の子ども殺せ」と迫っていたことも発覚した。この野田聖子攻撃の元になっていたのは、作家の曽野綾子の発言だ。安倍政権が道徳の教科書にも起用した曽野綾子は、ネトサポよりずっと前に、「障害者の子どもに税金を使っているのを申し訳なく思え」と、説教を行っていた。
 
相模原事件は、新自由主義政策と安倍政権下でエスカレートする差別主義が合体した結果であり、起こるべくして起きた事件だと言える。
 
プレカリアートという言葉は1980年代にフランスの社会学者たちによって一時雇用の労働者を指して用いられた。パートタイマー、アルバイト、フリーター、派遣労働者、契約社員、委託労働者、移住労働者、失業者、ニート等を包括する。広義では、貧困を強いられる零細自営業者や農業従事者等を含めることもある。プロレタリアートと語呂を合わせることで、新自由主義における新貧困層を示している。
西欧諸国や日本など先進国では、戦後にケインズ主義的な政策により完全雇用の達成を目指した。しかし、機械化により1970年代から単純労働力への需要が減少し、また高学歴化が必ずしも経済界の求める人材の養成につながらなかったこともあり、失業率が増大するようになった。とりわけ、ソ連崩壊後の1991年以後、「資本主義の勝利」の名の下で、超大国と化したアメリカ的価値観が絶対視され、アメリカ主導のグローバリゼーションが席巻した。大企業はより安い労働力を求めて発展途上国へと工場を移すようになり、正規雇用が益々減少する結果となった。このため、正規雇用から排除された階級(それも特定の年齢層、1970年以後生まれ)が増加しており、社会問題化している。解雇保護法で労働者が保護されているEU諸国でも、「見習い」や「インターン」などの名目で、正規の被雇用者と格差をつけられた身分で雇われる若者が増加している。日本では、1995年に日経連が「雇用柔軟型グループ」の増加を打ち出し、1999年には改正労働者派遣法で派遣対象業務が原則自由化され、2004年3月には製造業も派遣対象業務となり、非正規雇用が急増した。
先進国は大企業の製造業が中心となって経済を成長させていた時代から、金融国家にシフトした。「ゆたかな社会」は「ワーキングプアの社会」となり、プレカリア-ト階級が大量に発生した。金融緩和と緊縮財政が作り出すバブルと格差の経済は国によって貧困移民を招き、それを受け入れなければ人口崩壊が迫る。時代は、公共政策の拡充を必要としている。しかし、それは土木工事や箱モノという公共投資ではなく、今までにない規模での福祉産業投資ではないだろうか。公共の「サービス」が支える安定した内需で、実物投資と成長が引き出される新たな福祉産業国家の実現が待たれる。国内の産業の空洞化につながるグロ-バル企業への投資、発展途上国のインフラ整備などのバラマキ政策は、大企業とその関連企業を利するだけで、日本をますます貧困化させるだろう。

人づくり革命と教育ビジネス

2017-08-11 | 政治
「一億総活躍社会」「地方創生」「女性活躍」そして人づくり革命。安倍政権でイメ-ジ操作のみの政策が出てきて久しい。人づくり革命の中身は幼児教育の無償化、高等教育の負担軽減だが、森友、加計学園問題で明らかになったように教育への助成金垂れ流しに拍車がかかることは確実だ。
政策課題として(1)復興の加速化(2)人づくり革命の断行(3)一億総活躍社会の実現(4)世界の中心で輝く日本――の4項目が掲げられた。「経済最優先で政権運営にあたり、若者への投資を拡大する」と言う。
ネットでは言葉のセンスを揶揄するつぶやきが・・・
「いっそのこと『人間革命大臣』という名称にして、公明党議員に大臣を任せればいいんじゃないかなぁ」
「人造人間でもつくるのかな」「革命的な新しい生殖方法を開発」
共産党の小池晃書記局長が8月3日の記者会見で「革命という言葉を軽々しく使わないでほしい」と不快感を示した(笑)。
 
そもそも、政権が教育に介入するとロクなことはない。教育は多様な人間、自分の頭で考える自立した人間を育てることに注力すべきである。企業の役に立つ人材、生産性向上を念頭に置いた人づくりで画一的な人間を育てるための助成金は要らない。
教育がビジネスになって久しい。毎年、巨額な税金が補助金頼みの定員割れ大学に支給されている。平成28年度の交付学校は8777校、総額は3211億6333万7000円である。日本大学、早稲田大学、慶應義塾大学、東海大学、順天堂大学など、有名マンモス大学および医科系の大学が例年上位を占めている。
 私立大学には申請書を提出するだけで億単位の補助金が交付される。無償交付であり、その後に大学が学生の募集停止や廃校に陥ったとしても、返済する必要はないそうだ。また補助金は私学振興事業団を経由した国からのものばかりではなく、キャンパスが所在する地方自治体からも出る。国よりも地方自治体からの補助金の額が大きい大学も少なくない。予算審議で、学校法人への補助金はフリーパス状態になりやすい。どの会派も教育関連の予算を削減するとは主張しづらく、また学校法人の理事長や理事が地域の有力者という事情もあるらしい。学校運営を補完するどころか、補助金に依存している大学も少なくないという。
【補助金依存度が3割を超える学校法人】
・村上学園(東大阪)、大阪観光大学、郡山開成学園(郡山女子)、中越学園(長岡)、享栄学園(鈴鹿国際) など聞いたことのない学校が並ぶ。
依存率で3割を上回ったところが16法人もあるという。いずれも定員を埋めるのに四苦八苦している大学ばかりであるから、もはや補助金なしでは法人の運営は成り立たない。このほかにも依存率が25%を上回っているところが25法人を数える。ちなみに支給額でトップの日大の依存率は9%台と1割を切っており、早稲田、慶應も1割台にとどまっている。
少子化は進行しており、大学を取り巻く環境が中期的に改善する気配はないのに、大学新設などもってのほかである。必要なら、既存校の定員を増やせばいいだけだ。
 
話題の加計学園系列の千葉科学大学の事情はどうだろう。
千葉科学大学は大学を構成する薬学部・危機管理学部・看護学部すべてにおいて偏差値35~40に留まっており、薬剤師国家試験合格実績から見た薬剤師教育の状況も惨憺たるものとなっているという。
千葉科学大学の現在の学長を務めるのは第2次安倍内閣において内閣官房参与(2014年4月~2016年9月)に就いていた木曽功氏であり、加計学園問題の渦中の人物のひとりである。
 
さらには萩生田光一官房副長官、江島潔参議院議員(安倍首相の地元である下関の元市長)、井上義行参議院議員(第1次安倍内閣時の首相補佐官)らが落選期間中などに客員教授を努めていた。
千葉科学大学が開校したのは2004年。千葉科学大の誘致を行ったのは野平匡邦元銚子市長。この人物は銚子市で育った後に自治省を経て岡山県副知事を務め、2002年には加計学園系列の岡山理科大の客員教授に就任した。そしてこの年の7月に千葉科学大の地元誘致を訴えて銚子市長選を戦って初当選を果たし、2004年に千葉科学大学は開校した。
つまり、野平氏は加計学園の本拠地である岡山県の副知事から加計学園の運営する岡山理科大学で客員教授という地位に就き、同じ加計学園の千葉科学大学の誘致という大きなお土産を携えて銚子市長となった。しかし、誘致のために銚子市が加計学園に提供した補助金は92億円にも上っており、さらには市有地9.8ヘクタールを無償貸与することになった。しかし金額があまりに大過ぎるとして再交渉が行われた結果、加計学園が補助金14億6千万円を返還することで市と合意し、市側はさらに約8億円の辞退を要請した。加計学園が市民に貢献できる施設を建設することに協力することで折り合いがついたが、この約束は未だに果たされていない。加計学園側は2014年に看護学部を設置した際、津波の避難に対応できる高い建物を建設した。万一の時に地元の人もここに避難できるから、約束した『市民への還元』にあたると主張しているとか・・・。
また、野平市長(当時)は「半分は国から持ってくる」と約束したものの結局びた一文持ってくることはできず、全額が銚子市の財政負担となった。要するに、加計学園の客員教授が加計学園系列の千葉科学大学を銚子市の多額の補助金で建てさせ、土地も無償貸与させ、そのツケを銚子市、ひいては銚子市民が払わされているという構図である。
 大学誘致の経済効果は69億円、財政効果79億円と試算されたが、2014年に市が試算した経済効果は約21億円、財政効果は約14億円にとどまっている。そんな中で千葉科学大への補助金支払いのための借金の利子を含めた返済額は84億円。毎年約4億円を返してきたが、14年度末で約44億円もが借金として市の財政を圧迫している。
このため銚子市は斎場の使用料金を6千円から1万2千円と2倍に値上げし、ゴミ袋の値段も1.5倍にした。2008年には市立病院の経営危機が起き、市職員も市長など特別職の給与を減額するなどして支出削減を図っている。17年度には北海道夕張市に続く財政破たんに瀕するとされており、まさに「第2の夕張」と呼ばれる事態に陥っている。
 更に千葉科学大学の卒業生らの多くも銚子市に残ることはなく、人口増には繋がっていない。
 
こうした状況の中、2017年4月23日の市長選で野平氏は返り咲きを狙って「国家戦略特区で(加計学園の)水産・獣医学部の新設」を掲げていた。その途中で森友学園問題から家計学園問題にまで飛び火が予測される事態となり、この公約は取り下げ。結果的には現職だった越川信一氏が再選された。
 
今治に岡山理科大学獣医学部が新設されたとしても、定員160人が集まらなければ大学は経営難に陥り、経済効果も期待できない。そのツケは今治市民に重くのしかかる。
蔓延する大学の「補助金ビジネス」が、立地自治体とその市民の生活を圧迫し、崩壊させることになるというのに、市民たちは無知である。オレオレ詐欺が蔓延する高齢者社会・・・・巨額の詐欺が合法的に行われているようにしか見えない。

際立つ前川氏の誠実さ(6/23会見)

2017-06-25 | 政治
6/23に行われた前川氏の会見の全編がYOUTUBEにアップされた。二時間に及ぶ会見でありながら、理路整然と抑制された語り口はぶれることなく、良心と誠実さがあふれるものだった。
会見の中で聞いた産経と読売の記者のくだらない質問には耳を疑った。政権のご機嫌をうかがうジャ-ナリストでも、政権に有利な応答を引き出すすべが見つからなかったのだろう。
それにしても国民は政権を担う連中の空虚な質疑応答、認知症を疑いたくなる「記憶にない」の連発、本筋をわざとずらした答弁に慣れすぎていた。前川氏の当意即妙でさわやかな誠実さあふれる弁舌と安倍政権の原稿の内容をろくに理解もせず、読む答弁を比較すると、どちらが真実を隠ぺいしようとしているかは明白だ。
 
前川氏の会見で心を動かされた部分を抜粋すると・・・・
(1)官邸とメディアの関係
「一つは私に個人攻撃だと思われる記事が5月22日の読売新聞に掲載されました。これはもちろん私としては不愉快なことでしたが、その背後に何があったかは、きっちりとメディアの関係者の中で、検証されるべき問題だと思います。私は個人的には、官邸の関与があったと考えております」
「それから、加計学園に関わる文書の信ぴょう性ですとか、官邸からの働きかけといった問題について、私に最初にインタビューを行ったのはNHKです。ところが、その映像はなぜか放送されないままになっております。いまだに報じられておりません」
「また、この真相を表す内部文書の中でも、非常に決定的な9月26日の日付付きの文書がありますが、官邸の最高レベルという文言が入っている文書ですね。これは、朝日新聞が報じる前の夜に、NHKは報じていました。しかし、核心の部分は、黒塗りにされていました。これはなぜなんだろう」
「それから、報道番組を見ておりますと、コメンテーターの中には、いかなる状況証拠や文書が出てきたとしても、官邸の擁護しかしないという方がいらっしゃいます」
「お名前は差し控えますけれども。森友問題の時にもそういうことが繰り返されていましたが、森友学園問題で官邸擁護のコメントを出し続けた方の中には、ご本人の性犯罪が検察・警察によってもみ消されたのではないかという疑惑を受けている方もいらっしゃるわけです」
「こういったことをふまえて考えますと、私は日本の国の国家権力とメディアの関係については、非常に不安を覚えるわけであります」
「国家権力と第四の権力とまで言われるメディアとの関係を、国民の視点から問い直すという必要性。また、メディアの中で自浄作用が生まれることを期待したいと思っています」
 
記者からも、この点について質問が出た。
「どうして、『官邸の関与』があったと思うのか? その根拠は?」
記者からの質問を受けて、前川氏はこうきり返した。
「まず、杉田副長官から、そういう場所(出会い系バー)には行くなとご注意を受けていました。つまり、このことは官邸は知っていた情報でした」
「そして、読売新聞の記事が出たのは5月22日のことでした。5月20日と21日に読売新聞記者からアプローチがありました。私の私的な活動について、報じるつもりでコメントがほしいということでしたが、私は答えませんでした。正直申し上げて、読売新聞がそんな記事を書くとは思いませんでした」
「一方、同じ21日に、和泉総理補佐官から、文科省の某幹部を通じて、『和泉さんが話をしたいといったら応じるつもりがあるか』と打診を受けました。私は『少し考えさせて』と言ってそのままにしておきました」
「私は報道が出たとしても構わないというつもりだったので、報道を抑えてほしいと官邸に頼もうということは思っていませんでした。私は、読売新聞のアプローチと、官邸からのアプローチは連動していると感じました」
「もしこういうことが、私以外の人にも起きているとするならば、それは大変なことだと思います。監視社会化とか、警察国家化が進行する危険性がある。権力が私物化され、第四の権力であるメディアまで私物化されるということになるとすれば、日本の民主主義は死んでしまう。その入り口に立っているんじゃないかという危機感を持ったんです」
 
(2)ピントのずれた質問にも答える温かさ
加計問題の会見なのに、80代記者が「治安維持法が」と持論を語り始め、会場もざわめき、司会者もストップをかけた。しかし、前川さんはその質問にも真剣な面持ちで応えていた。本当に弱い立場の人の側に立つ人だから、心をくみ取り、戦前の状況にも言及したのだと思う。
「私も同様な感じを持っております。世界的に一国中心主義が広まり、ナショナリズムが強まって、テロ対策と言う名目のもとに国民の権利を制限することが正当化される。内外に敵をつくることによって国民を統合して行こうとする方向性、1930年代に近い状況が生じる危険性があるのではないかと思っています。」
 
(3)苦境に立たされている元部下への思いやり
例の萩生田メモを記した課長補佐官についても、自分は見ていない、発言の主が混ざっていると指摘しながら、偽装するような人物ではない、優秀な職員であると繰り返し説明した。
この女性課長補佐官はネット上で袋叩きに遭っている。前川とのタダレタカンケイだの愛人だのと、人権侵害を受けている。
官邸は「不確かな情報を混在させて作った個人メモ」とシラを切り、信用するに足りないメモとして処理しようと躍起だ。山本幸三地方創生相はメール作成者を「文科省からの出向者で、陰に隠れ本省にご注進した」とスパイ扱いした。官邸および大臣たちが官僚に濡れ衣を着せる極悪非道がまかり通る。ネトウヨたちが官邸の詭弁に乗り、この専門教育課課長補佐である女性官僚の、名前や顔写真をさらし拡散し、個人攻撃を繰り広げている。
「課長補佐は同席もしていないのに勝手に捏造して文書をつくった」「妄想作文。願望小説の類と判明」「内乱罪で死刑にしよう」
課長補佐が大学時代に韓国へ留学していたという情報から「××××(実際は実名)は朝鮮工作員」などと騒ぎ立てている。
 
この文書では「総理は「平成30年4月開学」とおしりを切っていた」「官邸は絶対やると言っている」と強い言葉で表現されている。この課長補佐が内閣府のやり方に反発していたとしても、捏造したり妄想文書を職員内で共有したところで、何の得にもならない。
 
文科省の文書以外にも、前川氏は、和泉洋人首相補佐官が直接、「総理は自分の口から言えないから私が代わって言う」などと言われたり、木曽功・内閣官房参与(当時)から「獣医学部の件でよろしくと言われた」と証言している。今治市が開示した資料でも、国家戦略特区による獣医学部新設が加計学園ありきで進んでいたことは、はっきりと示され、文科省の文書と齟齬はない。
森友学園問題では、官邸は安倍昭恵夫人の秘書だった谷査恵子氏が「勝手にやったこと」と疑惑を一手に押し付け、今回も課長補佐や文科省から出向する内閣府職員たちに責任をなすりつけている。これが安倍政権の汚いやり口だ。こんな連中にやりたい放題をされている国民の行く末は憲法改正、そして海外派兵に続く道・・・・読売や産経の購読を止め、安倍政権を崩壊させなければ大変なことになる。
 
前川さんに比べ、安倍総理以下の政治家、御用学者コメンテーターの差は歴然。どちらが信用に値するか、特定の利害関係のない人なら、前川氏に軍配が上がるのは明白だ。
 
とにかく、模範的な質疑応答だった。国会でこのような質疑応答がされるなら、国会議員の存在意義もあろうが、今の状態では税金泥棒に過ぎず、いなくてよい存在だ。
 
 
総理への忖度があろうとなかろうと、成長戦略として加計学園獣医学部が必要だという理由がきっちり示されれば、国民は納得する。内閣府に設置される諮問会議が音頭を取って改革を断行するのだから、政治主導で物事が実行されていくことは当たり前で、忖度云々の問題ではない。問題は国家戦略特区の実態がショボすぎることに尽きる。
岩盤規制に穴をあけると声高に言うが、今の日本に獣医学部が必要だという明快な論理、国家戦略に加計が適格だという議論は聞いたことがない。国家戦略と呼ぶにふさわしい獣医学部が加計学園にできるわけがないと誰もが感じている。政治家が剛腕を振るうための制度である戦略特区制度。しかし政権に判断能力がない場合は何でもかんでも成長戦略と言い繕って、知り合いの便宜を図る制度になってしまう。
「獣医学部を持つ大学を一つ新設すること」が国家戦略なのか?加計学園だろうが京都産業大学であろうが、「国家戦略」と呼ぶこと自体が恥ずかしい。獣医師などは需給状況で自然淘汰されるものであり、経営的に成り立つと思うならどんどん建設するがよい。規制緩和をして獣医師の希少価値を高め、国が保護してやる必要など全くない。ある地域で獣医が足りないか否かは各地域で判断すれば良い。しかし、四国で毎年160人もの獣医師が必要とは考えられないから、町のペット病院の乱立につながる悪き規制緩和になりそうだ。
とりあえず、27年6月に閣議決定した「日本再興戦略改訂2015」に盛り込まれたいわゆる石破4条件をクリアすべきだろう。「提案主体による既存獣医師養成でない構想が具体化し、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき具体的需要が明らかになり、かつ、既存の大学・学部では対応困難な場合には、近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、全国的見地から検討を行う。」どれ一つとして要件をクリアするものは加計学園にはない。それどころか、親バカ疑惑がささやかれている。
獣医である息子・加計悟に獣医学部を与えたいという加計孝太郎氏の要望に応え、30年来の遊び仲間である安倍晋三氏が戦略特区という枠組みを使って実現したらしい。「加計氏の息子さんは鹿児島大学の獣医学科を出てその後、加計学園系列の倉敷芸術科学大学で獣医学の講師と副学長を兼任しています。今治市に獣医学部新設を申請する前、加計氏は鹿児島大の獣医学部を視察し、『この程度の設備なら私にも作れる』と自信たっぷりに話していたと聞きます」(講談社現代)
今治市は今年3月に37億円相当の土地を加計学園に無償譲渡し、さらに最大で約96億円、つまり獣医学部建設費の半額を税金から拠出することになっている。これは市の歳出の12%に当たる。今治市はどんなメリットがあって96億円も拠出するのか?獣医学部新設が過疎化の歯止めになるとでも???
 
弁護士、公認会計士に関しては需給を考えず増やした結果、貧乏まっしぐら、今や生活保護レベルとか言う話もある。小泉政権時代、派遣労働を製造業にまで拡大するというとんでもない規制緩和を行い、今の格差社会のきっかけになった。
加計学園に出す補助金があるのなら、全国に存在する研究機関にお得意のばらまきをする方がよっぽど日本戦略として耳障りがよい。
 
安倍晋三首相は24日の神戸市の講演で、国家戦略特区制度を活用して獣医学部新設を全国的に広げていく意欲を表明した。日本獣医師会の要望を踏まえて1校に限定した結果、首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」が選ばれ「国民的な疑念を招く一因となった」と説明した。
いやはや、ここまで前言を翻し、政権の悪行を糊塗しようとする態度に情けなくなるだけである。規制緩和を推進する姿勢を示し、加計学園問題に絡む批判をかわすことで総理の頭はいっぱいである。

テロ等準備罪

2017-06-13 | 政治

「オリンピック開催に向けたテロ対策に必要」と訴えて、政府が採決を強行しようとしている「テロ等準備罪」。しかし、この法案は過去に3度も廃案になった「共謀罪」と中身はそっくりだ。

かつて共同通信社で公安担当の記者を務め、『日本の公安警察』(講談社現代新書)の著書がある、ジャーナリストの青木理氏によると、警察目線で考えると、分かりやすいという。

実行された犯罪なら客観的な事実だが、その前の『話し合い』や『同意』で取り締まるとすれば、主観的なものでしかない。それを取り締まろうとすれば、普段から『こいつは怪しい』とか、『やつらはテロリストだ』と目星をつけた人や組織を日常的に監視し、彼らの思想、信条にまで踏み込んで目を光らせない限り不可能だという。誰を監視するのか、誰がどの範囲で、どこまで監視するのかも捜査当局の判断で決めることになる。その具体的な手段にしても、現状の『通信傍受法』による電話盗聴やメール傍受だけでは足りない。犯人たちがよほど間抜けでない限り、テロや殺人の相談を、盗聴の危険がある電話やメールでするなんてことはありえないからだ。
「犯人たちが共謀をしたという決定的な証拠をつかもうとするなら、『密室での会話の盗聴』も必要だということになる。つまり、まじめに捜査しようとすればするほど、プライバシーなどそっちのけ、基本的人権を侵害してでも徹底的な監視体制を実現しなければならなくなる。そうまでして『安全・安心』を優先し、犯罪捜査を優先させるというなら、すべての家庭に監視カメラを取りつければいい。日本で起きている殺人事件の半数は親族間の殺人なんですから。テロ等準備罪は、そういう話を私たちに突きつけているんです」(青木氏)

とはいえ、テロリストや暴力団、マフィアなどの「犯罪組織」を普段から監視し、犯罪を未然に防ぐ必要もある。ある程度、自由や人権を犠牲にすることも必要なのでは?

だが青木氏は、「現実には警察や公安の能力とセンスの問題であって、テロ等準備罪の有無などまったく関係ない。それよりも、テロ等準備罪の形で警察に巨大な『権限』と膨大な『情報』へのアクセス権を与えることの危険性について真剣に考えたほうがいい」と指摘する。

「1995年に戦後日本最大のテロ事件ともいえる『地下鉄サリン事件』が起きたとき、私は公安担当の記者だったのですが、公安警察は事件が起きるまで危険を察知できませんでした。それは当時、『共謀罪』がなかったからではなく、単に彼らに『能力とセンス』がなかったからです。当時の公安がひたすら固執していたのは共産主義者や左翼の監視、取り締まりであって、オウム真理教のような『宗教法人』など、『オレたちが相手にするものじゃない』とまったく動こうとしませんでした。ところが、彼らがいったん本気になって“やる”となったら、あらゆる法律や手段を駆使しての監視や思想調査、微罪やでっち上げでの別件逮捕、盗聴といった違法捜査まで、オーバースペックで徹底的にやります。そんな公安は最近、オウム事件で信頼を損ねたことなどで存在意義を問われ、権限の拡大に躍起です。例えば、かつての『反共』一本やりではなく、一般の政治情報なども集めるようになっていったのです。彼らが本気になれば、政治家のありとあらゆる情報、それこそ『下半身』スキャンダルまで徹底的に収集し、『政治家を自在に操る』ことだってできてしまう。戦後、警察官僚として警察庁長官まで上り詰めた後、政界に転身し、中曽根内閣で官房長官を務めた故・後藤田正晴氏は、過去、『日本にもCIAのような情報機関が必要か?』と聞かれた際、『個人的には必要だと思うが、それを日本の政治がきちんとコントロールできるかといえば、なかなか難しいだろう』と答えたといいます。それは長年、警察組織の中枢にいた彼が、治安機関というものの恐ろしさ、そして『情報』の持つ力について、身をもって知っていたからではないでしょうか。」(青木氏)


公安は罪を犯す可能性があると考える個人や団体を監視しなければならなくなる。事前に取り締まろうとすれば、そうせざるを得ないからだ。一般市民が巻き込まれる云々の議論には違和感を覚える。何人も罪を犯していない段階で捜査されることは人権侵害に当たるからだ。政権に無害な人は対象にならないかもしれない。しかし、社会に異議申し立てする人が片端から捜査対象になる社会、言論の自由が脅かされる社会は正常とはいいがたい。

2010年に、警視庁公安部の内部資料と見られる情報がインターネット上に流出した。国内に住むイスラム教徒が捜査対象になっていた。イスラム教徒というだけであらゆる情報が吸い上げられていた。
警察がモスク前で24時間態勢で監視し、出入りする人を片端から尾行。電話番号や銀行口座記録から接触した人や家族の交友関係まで調査していた。治安組織とは社会体制の左右を問わず、そういうものなのだ。アメリカの国家安全保障局(NSA)は、わずか10年で世界中の電話や通信を盗聴するようになってしまった。

警察に秘密法や共謀罪のような武器を与えたら、間違いなく冤罪は増えるだろう。そして、テロが起きたら・・・・・メディアや社会が声をそろえて「もっと捕まえろ」「もっと取り締まれ」と叫ぶ。
捜査対象が際限なく広がる。安全安心を際限なく追い求めれば、自由やプライバシーは死滅する。そして、現政権のやりたい放題に歯止めをかける反対勢力が根絶やしになる。

特高警察と治安維持法の復活がどれほど恐ろしい状況を招くか、国民は危機感をもつべきなのだが・・・・・自分は捜査対象とならないと高をくくる。

①テロリズム集団は組織的犯罪集団の例示として掲げられているに過ぎず、犯罪主体がテロ組織、暴力団等に限定されるわけではない。
②準備行為について、計画に基づき行われるものに限定したとしても、準備行為自体は犯罪である必要はない。
③対象となる犯罪が277に減じられたとしても、組織犯罪やテロ犯罪と無縁の犯罪が対象とされている。

共謀罪が成立すれば「やるかもしれないから」という理由で捕まえられるようになる。「世の中にいると邪魔だ」と思う人物を拘束して留置できる。公安警察にとって容疑なんてなんでもいい。捕まえることに意味があるからだ。公安警察には「転び公妨」という手法があり、捕まえたい人物の周囲を公安警察官が取り囲み、そのうちのひとりが「あぁっ、痛い痛い!」といって転ぶ。そして「公務執行妨害だ」といって逮捕する。その後に強制捜査して、情報収集すれば、対象組織に強烈なダメージを与えることができる。
オウム事件で公安警察が捜査を本格化させ、信者を片っ端から捕まえていったときのエピソ-ドが公安の恐ろしさを物語る。公安部の幹部は当時、「過激派に比べればラクだったよ」と言っていた。そして幹部信者のあらかたを捕まえ、最後に麻原彰晃を捕まえる段階になった時のことだ。刑事部と公安部の意見が対立した。刑事部は「麻原を捕まえるんだったら、地下鉄サリン事件か、それに匹敵する逮捕状で捕まえたい」と。一方の公安部は「公務執行妨害でもなんでもいいから、とにかく踏み込んで拘束すればいいんだ」と。

特定秘密保護法と組み合わせば、鬼に金棒だ。
特定秘密保護法の最大の問題点は「何が特定秘密なのかわからない」ことだ。そして、もし特定秘密だった場合、メディアも強制捜査を受ける。メディアは情報源と自分を守るために、特ダネを入手しても報道を自粛する。強制捜査の目的は特定秘密を漏洩した人物を特定することだ。ジャーナリストの側からすると、内部告発者を必死で守らなければならない。パソコン内のデータや携帯電話の通信記録、メモや資料まで押収されれば、守るのは極めて難しい。したがって、特定秘密に該当する恐れがあるなら報道しないほうがいい、ということになる。内部告発者にしても、特定秘密保護法違反は最大で懲役10年の刑を課されかねないから、萎縮してしまう。スノーデン氏はメールなどの通信情報を網羅的に閲覧できる特殊なソフトをNSA(米国家安全保障局)が日本側に提供していた、と告発している。既に警察や防衛省が使っているかもしれない。使っていれば違法行為だが、それを調べるすべはない。スウェーデンは、公務員がその職務に関わる秘密を家庭で洩らすと公務員法違反で摘発されるが、ジャーナリストに話す場合は摘発されないそうだ。約250年前にできた憲法のひとつを構成する情報公開法があって、ジャーナリストに話す場合は「公益目的の情報漏洩」ということで摘発されないという。
多少なりともまともな与党政治家がいれば、特定秘密保護法のような「情報を隠す法」に対応して国民の知る権利を守る情報公開法の整備を試みるだろうが、官僚とグルになって何でもかんでも隠そうとする。
現在の公文書管理法ですら不十分な内容とはいえ、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」と明記している。この法律の制定に尽力した政治家のひとりが福田康夫元総理だそうだ。各省庁がどんなふうに動き、どんな意思決定の過程を経て政策を定めたのか。国家の歴史を正確に記録し、後世に遺していくというのは、むしろ保守の政治家の責任においてなすべきだろう。一年を経過したから、廃棄したとうそぶく。追及されれば、記憶にないと公言する。そんな認知症が疑われる官僚や政治家は即刻首にすべきだろう。

日本の情報に対する態度は、驚くほどお粗末で恥ずかしい限りだ。2011年に公文書管理法が施行されたが、以後、記録を残さなくていい、議事録も必要ないといった情報隠蔽体質が顕著になっていった。
国民が政府についてすべて知っていることが民主主義の根幹だ。

財務省が森友学園になぜ8億円も値引きして売ったのか。豊洲の新市場予定地に、なぜあんな地下空間が作られたか。財務省や都庁は隠し続け、誰にもわからない。内部告発者は名誉をいたずらに傷つけられ、辞任させられる危険におののく。

テロ等準備罪が成立し、それに伴って捜査当局の情報収集能力がさらに膨れ上がれば、警察組織に巨大な権力を与えることになる。そして、警察の力が「政治」と結びついたとき、その影響は計り知れない。巨大化した権力が、非常事態をきっかけに暴走を始めたとき、それを止める組織も個人も簡単に抹殺されてしまう。独裁国家はロシアや中国の専売特許でなくなりつつある・・・・


前川氏 座右の銘は面従腹背

2017-06-02 | 政治
昨日の報道ステ-ションで富川キャスタ-が前川氏にインタビューしていた。
その受け答えを聞くだけで、前川さんの誠実な人柄が伝わってくる。
現政権の「知らぬ存ぜぬ、記憶にない」発言が耳にタコができるほど聞かされている昨今、その率直さ、静かに理路整然と事実を語る様に「官僚にもこんな素晴らしい奇跡の人がいるんだ」という印象を強くした。
 
今年1月に天下り問題の責任を取る形で文科次官を辞任している前川氏は、文科省が文書の存在を調査した結果、「存在は確認できなかった」と回答したことが、今回、証言しようと決心した直接のきっかけだったと語った。省内の関係者は誰もが件の文書の存在を知っていながら、官邸の意を汲んで虚偽の報告をしていることが明らかだからだ。あるものをないことにはできない、行政が歪められているのを黙視することができなかったと言う。しかし、自分は権力に立ち向かうヒーローではないという。行政官僚というものは表では政治を立てつつ、自分たちに与えられた権限の範囲内で、できる限り国民のためになる政策を実行する「面従腹背」の精神が必要だという。
 
国民から選ばれた政治家の権限を強化して、国民のためになる政策をより実行しやすくすることが、政治主導の主眼だったはずなのだが、現実は政治を私物化して、お友達を登用し、便宜を図る。森友学園や今回の加計学園に見られるような形の政治の関与が「政治主導」の結果なのなら、まだ官僚主導の方がよかったのではないか。彼らは頭がよく、行政に精通していることは確かなのだから・・・・
 
リテラ編集部が具体的な取材を基に前川氏の信じられない誠実さを報道している。
 
今回の加計学園の報道に関して、政権の人格攻撃は下劣で恥知らずなものだった。菅義偉官房長官は「貧困調査のために行った」とする前川氏の説明について、「さすがに強い違和感を覚えた。多くの方もそうだったのでは」「教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りして小遣いを渡すようなことは、到底考えられない」などとせせら笑いながら、ワイドショーのコメンテーターよろしくコメントした。
NHKや産経新聞も、前川氏が会見で、出会い系バー通いについて弁明した際に大量の汗をかいていたことを強調した。実際は、この会見場は暑くて、前川氏は最初から汗をかいていたし、記者たちも汗だくだったのだという。
「週刊文春」(文藝春秋)によると、出会い系バーで前川氏と出会った女性は買春行為を全面否定し、「口説かれたことも手を繋いだこともない」と証言した。この女性は、問題の出会い系バーで前川氏に声をかけられ、その後、前川氏と頻繁に会うようになったという。「あの店で会った子の中で、私が前川さんと一番仲がいい」と語り、友人などもまじえて、3年間で30回以上会ったと証言している。
「夜10時くらいから食事を始めて、いつも12時くらいになると前川さんは『もう帰りたい』って一人でそそくさと帰っちゃうんです」
また、この女性は、前川氏が自分や友人の悩みについて親身に相談に乗ってくれたエピソードを具体的に明かしたうえ、「前川さんに救われた」とまで語っている。
そして、今回、「文春」で証言した理由についても、こんな説明をしていた。
「記者会見のあった25日に、お母さんからLINEが来て『まえだっち(前川氏に彼女がつけたあだ名)が安倍首相の不正を正してる』。それで、お父さんとテレビ見て『これは前川さん、かわいそうすぎるな』と思ってお話しすることにしました。私は前川さんのおかげで今があると思っていますから」
 
「貧困の調査」という前川氏の説明が"苦しい言い訳"でもなんでもなく、本当の話なのではないかという声は、会見の直後から、前川氏をよく知る人たちの間で静かに広がっていた。
前川氏は本当に熱心に「貧困問題」に取り組んでいたからだ。在職中は高校無償化や大学の給付型奨学金の実現に奔走し、退官後も二つの夜間中学校の先生、子どもの貧困・中退対策として土曜日に学習支援を行う団体の先生として、三つのボランティア活動をしている。
前川氏は今年1月の退職時に文科省の全職員に「文部科学省のみなさんへ」と題してメールを送っているのだが、そのなかで「特に、弱い立場、つらい境遇にある人たちに手を差し伸べることは、行政官の第一の使命だと思います」としたうえで、「文部科学省での最後の日々において、給付型奨学金制度の実現の見通しがついたこと、発達障害や外国人の児童生徒のための教職員定数改善に道筋がついたこと、教育機会確保法が成立し不登校児童生徒の学校外での学習の支援や義務教育未修了者・中学校形式卒業者などのための就学機会の整備が本格的に始まることは、私にとって大きな喜びです」と綴っている。
さらに、低所得の子どもの学習支援をするNPO「キッズドア」代表の渡辺由美子氏も、同団体の活動に前川氏が参加していたことを明かしている。渡辺氏は直接面識がないというが、前川氏を知る担当スタッフによると「説明会や研修でも非常に熱心な態度で、ボランティア活動でも生徒たちに一生懸命に教えてくださっているそうだ」「2017年度全ての学習会に参加すると○をつけてくださっていて、本当に頼りになるいい人です」といい、渡辺氏も「年間20回の活動に必ず参加すると意思表明し、実際に現場に足を運ぶことは、生半可な思いではできない」と、前川氏が決して付け焼き刃で活動しているわけではないことを語っている。
 
さらに渡辺氏は、前川氏がこの活動にかかわるようになった経緯をこう明かしていた。
 
「素性を明かさずに、一般の学生や社会人と同じようにHPからボランティア説明会に申し込み、その後ボランティア活動にも参加してくださっていた」
「現場のスタッフから「この方はもしかしたら、前文部科学省事務次官ではないか」という報告は受けていたが、私が多忙で時間が合わず、また特になんのご連絡もなくご参加されるということは、特別扱いを好まない方なのだろう、という推測の元、私自身は実はまだ一度も直接現場でお目にかかったことがない」
 
また、5月28日放送の『週刊報道LIFE』(BS-TBS)では、前川氏が読売報道が出るずっと前に、自分から貧困調査のために出会い系バー通いをしていることを関係者に告白していたことも明らかになった。
前川氏は義務教育を十分に受けられなかった高齢者のための学習支援のボランティアに参加していたのだが、同番組ではそのボランティア団体のスタッフが取材に応じ、前川氏が新幹線を使って地方に通ってきていたこと、勉強を教えるだけでなくお茶の時間も生徒たちとにこやかに話すなど溶けこんでいたこと、いつもはカジュアルな格好の前川氏が、今年2月天下り問題で国会に参考人招致された日はその足で背広姿のままやって来て生徒たちが感動したエピソードなどを紹介。さらに、生活保護を受けた経験があるという女性の話をきいた前川氏が、「僕も貧困に興味を持ってバーとかに行ったりしてるんだよ」と話していたことを明かしたのだ。
 
このスタッフは前川氏の会見で語った「貧困調査のため」という説明についても「前川さんを知っている者からすれば、前川さんの言う通りだと感じた」と感想を語っている。
 
しかも、前川氏の"無実"を主張しているのは、前川氏と親交のある人たちだけではない。実は、"出会い系バー通い"を使って人格攻撃を仕掛けている御用マスコミの報道からも、逆に前川氏に違法性がないことが浮かび上がっている。
たとえば30日放送の『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ)では、前川氏が通っていたとされる出会い系バーの店員に直撃。「あまり女性とお話を率先してされるというタイプではない。基本的にゆっくりしていた」「店内でお話しても2〜3時間1人の女性と話をされたりしている印象」「(女の子を店外に連れ出すとかは)記憶では1回あったかないかくらい。印象がない」「遊びではなく、見学に来ているように見えた」「前のめりになってるほかのお客さんとは、ちょっと違った」「領収書は渡したことがない」などと語った。
 
『グッディ』ではこれらの証言をもとに「女性と話さないと調査にならないのでは」とか「調査なら領収書をもらわないとおかしいのでは」などとツッコミをしていたが、むしろ領収書をもらっていたほうが問題だろう。
 
証言などしなければ、こんな人格攻撃や誹謗中傷にさらされることはなかったはずだ。それでも証言に踏み切ったのは、前川氏が、大きな権力に屈して黒を白と言ってはいけない、行政は権力者のお友だちだけのものでなく、国民に等しく公正でなければならない、そうした強い危機感があったからだろう。
本サイトは今後も前川氏の人格を不当におとしめる動きや、でっちあげ逮捕などがなされないよう、官邸、御用メディアの動きを注視していきたい。(リテラ編集部)
 
ネットには政権の応援団の「前川氏を貶める発言」ばかりが目立つ。前川氏の言葉を肉声で聞きながら、その所作を画面で見ながら、いまだ政権の肩を持つ方々がおられる現実は空恐ろしい。
戦争を知らない世代が80%を超えた現在、戦争の足音が聞こえてくる。
 
野坂参三共産党議員と吉田茂首相との「自衛権」論争がある。
野坂「古来独立国家として自衛権をもたない例はない。9条も自衛戦争は否定していないはず」
吉田「歴史上、侵略を標榜した戦争はない。すべての戦争が自衛の名のもとに行われた。憲法9条はけっして、自衛の戦争を認めるものではない」
 
しかし、戦後しばらくすると政府の解釈が変わる。自衛隊が創設された1954年、政府は「自衛隊は憲法にいう戦力に当たらないから違憲の問題は生じない」と説明した。
「憲法は国に固有の自衛権を否定していない。自衛隊は、敵国が日本の領土に進攻してきた際に自衛権を行使する実力組織に過ぎない。自衛隊は、自衛を超えて海外で武力を行使することはない。自衛の必要を超えた装備や編成をもつこともない。だから9条に違反しない」。いわゆる専守防衛だ。
明らかに憲法の条文に違反はしてはいるものの、自衛隊の装備や編成、あるいは行動を、専守防衛にとどめて、暴走することのないよう自衛隊への歯止めの役割を果たしてきた。
安倍政権は集団的自衛権の行使を容認することによって、敵が国土を蹂躙したときに自衛するはずの自衛隊が、同盟国とともに海外で闘う組織になった。
 
安倍政権のやりたい放題、政治の私物化も極まった。国会も議論どころか、大乱闘も起こらず、無能な国会議員達が国民を無視し、政権にすり寄る姿だけが目立つ。
元自民党総裁の河野洋平・元衆議院議長が安倍政権を猛批判した。
「理解しようがない。9条はさわるべきではない。(2020年の憲法改正で)突如としてああいうことをおっしゃる言い方に全く驚いている」。
「憲法は現実に合わせて変えていくのではなく、現実を憲法に合わせる努力をまずしてみることが先ではないか。憲法には国家の理想がこめられていなければならない」。
 
知性のかけらもない政権がいつまでも存続することができるのは、国民にも問題がありそうだ。
政権を支えているのは、けっして極右勢力や軍国主義者ばかりではない。多数の国民の声が反映されないのは小選挙区制のせいもあるが、政権が多数の国民に支えられていることは間違いない。自らものを考えようとしない統治しやすい国民をはぐくみ利用しようという政権の思惑は見事に成功している。ナチス政権も軍国主義政府も、「反知性の国民」からの熱狂的な支持によって存立しえた。国民は被害者であるとともに、加害者でもある。反知性主義に毒されてはならず、反知性に負けてはならない。今回の前川氏の勇気ある発言を真っ向から反論する知性を持てず、スキャンダルを流すことで無視、もみ消そうとする反知性政権の無能さを決して忘れてはならない。政権の不当を記憶に刻んで、安倍政権を支える愚行に加わらないことを誓いたい。反知性の政権を支持することは自らが悲惨な被害者に転落する道に通じているのだから。

政治家の劣化

2017-05-26 | 政治
「文書は間違いなく本物。大臣や次官への説明用として担当の高等教育局専門課が作成した」。
加計学園の獣医学部新設を巡る「総理のご意向」文書について、文科省前事務次官の前川喜平氏が「本物」と認定した。
当時の文科省トップが「正式な文書」と認めた記録を怪文書と決めつけた菅官房長官は、前川氏の“風俗通い”をネタに人格を傷つけ、今なお強弁を繰り返す。現政権の中では穏やかで誠実そうに見えたのだが、化けの皮がはがれた印象だ。
 
8年間で15回も申請を蹴られた獣医学部新設のスピード内定。安倍の「腹心の友」の希望通り、行政が歪められた実態を前川氏は「『赤信号を青信号にしろ』と迫られた」と表現した。そして「『これは赤です。青に見えません』と言い続けるべきだった。本当に忸怩たる思いです」と反省した。文科省の当時の最高責任者が証言した以上、首相の“腹心の友”への便宜供与を裏付ける文書の内容は、一気に信憑性を帯びた。
ところが官邸サイドは血迷ったのか、前川氏が政権に怨恨を抱いていると中傷、“出会い系バー”報道をリ-クした。
 
「安倍首相が『私が働きかけて決めているなら責任を取る』と大見えを切った手前、菅官房長官らは「知らぬ存ぜぬ」と言い張るしかないようだ。文書の信憑性と次官の風俗通いは無関係なはずなのに、人格を貶めて、何もかも否定しようとする。前川氏の弁舌は実に爽やかで、理路整然としていた。獣医学部新設を認めるには4つの条件をクリアしなければならないこと。その条件クリアに対する説明は何もなく、総理の意向だから、おとなしく、速やかに認可しろと迫ったという。
4条件の中でも、特に新しい分野における需要が明らかになっていないという。例えば新薬の開発とか水際の対策とか事柄としては出てきているが、本当にそれは具体的な内実を伴うものなのか。新しい分野の具体的な人材需要に応えるものなのか。それが明らかになっていないのが問題なのだが、それがあったとして既存の大学学部では対応できないという条件も検証されていない。16大学でできないから、新しい大学を作るという理屈になるのだが、さっぱり検証されていない。要するに鶴の一声で規制緩和の名のもとで官邸の意向がすべて通ってしまうということだ。
 
当然、加計学園認可の疑惑に対して官邸側が答える義務があるのだが、菅は、ひたすら前川氏の人格を貶めて、まともな答弁をしようともしない。
前川氏曰く、「文科省の違法な天下り問題を受けて、引責辞任は自分の考えで申し出た。官邸からも大臣からも『辞めろ』とは言われていない」と述べたことに対して菅は「私の認識とまったく異なっている。前川氏は天下り問題については、再就職等監視委員会の調査に対して、問題を隠蔽した文科省の事務方の責任者で、かつ本人もOB再就職のあっせんに直接関与していた。そうした状況にもかかわらず、当初は責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論からの極めて厳しい批判にさらされて、最終的に辞任された方と承知している」と、前川氏を非難した。
文科省で発生していた天下り騒動その物が首相官邸からの攻撃だった可能性がある。加計学園は愛媛県に新学部の設置を要請するも、文科省は終始反対の姿勢を貫いていた。これが一変したのは、地方創生相が石破茂元幹事長から山本幸三議員に変更された時期だ。山本地方創生相になったのは2016年8月で、加計学園の話が動き出したタイミングと一致している。しかしながら、その後も文科省は抵抗し、官邸側と文科省で認識の違いがあった。そのような情勢下で、2017年1月に文部科学省の天下り騒動が発生した。この天下り騒動によって文科省の関係者が辞任に追い込まれ、前川氏も事務次官を辞任することになる。
安倍政権は2014年に内閣人事局を設置し、全ての官僚の重要な人事権を掌握した。少なくとも、2014年の内閣人事局が出来た時から官僚と安倍政権の攻防は水面下で起きていたと考えられる。
 
前川氏は、年商812億円を誇る世界的な産業用冷蔵冷凍機器メーカー「前川製作所」の御曹司で、妹は中曽根弘文元外相に嫁いだ“華麗なる一族”の出だ。当然、官邸の横やりで天下り先を失っても困らないため、政権の裏側で何が起きているのか、その腐敗の真相を遠慮なく暴露できる。
 
森友学園の「忖度」問題に続き、安倍首相の“お友だち”人脈から次々に出てくる疑惑。ある自民党幹部はこう話す。
「森友学園、加計学園の疑惑が長引き、安倍さんは周辺に『鬱陶しい気分だ』と漏らしている。サミットから戻ってから対応を協議する予定だったが、事態が早く動き出した」
別の幹部はこういう。
「加計学園しか取れない新設の条件なんだから、40年にわたる悪友関係の安倍首相と加計氏のあうんの呼吸で便宜を図ったのは明白。明らかに政治的な動きがあったはずだ」
一方で、別の幹部はこういう。
「背景には文科省の権力闘争があり、天下り問題で処分を受けた前川の官邸への恨みが生々しいこともあり、文書が本物だとして、どれも間接的な表現にとどまり、結局は忖度話になる。野党がいくら騒いでも、うやむやに終わるだろう」
 
誰の目にも官邸側が嘘をつき、忖度の事実を隠ぺいしようとしているのは明白だ。さっさと忖度を認めて、国会をまともな審議ができる場所にしてほしいと思うのだが・・・・共謀罪の審議を見てもわかるように、国会の審議はまったく中身がない。政治は官邸のやりたい放題になっているのを見るにつけ、この国の将来は言論の自由が圧殺され、真っ暗闇だと悲観せざるを得ない。
 
学校法人「加計学園」(岡山市)の朝日新聞の報道をめぐり、安倍晋三首相が「朝日新聞は言論テロ」などと書き込んだフェイスブックの投稿に「いいね!」ボタンを押したことについて、朝日新聞の記者が22日の菅義偉官房長官の記者会見で事実関係をただす場面があった。
首相が「いいね!」をしたのは、今月19日に劇作家の男性が朝日新聞について「言論テロといっていいんじゃないか。およそ『報道』ではないし、狂ってる」との書き込み。首相を含め500人以上が「いいね!」をしている。これについて朝日記者は菅氏に「首相が『いいね!』をしたことがネット上で話題になっている。事実関係を承知しているか」と質問した。菅は記者が質問を言い終える前に「承知していない」と即答した。
 
朝日新聞は、18、19両日の一面トップで「加計学園」の国家戦略特区への獣医学部新設計画をめぐり、内閣府から「首相の意向」などと伝えられたとする記録を文部科学省が文書に残していたなどと報じていた。テロ対策を口実に共謀罪法案の成立をもくろむ政権のトップが、朝日新聞は“言論テロ組織”と認定したことになる。
安倍首相がフェイスブック(FB)投稿に、わざわざ「いいね!」と同意していたという報道には目を疑った。誰かが首相のふりをして「いいね!」ボタンを押したのであればよいと本気で思った。国のトップとして、「朝日新聞は言論テロ」と言う言葉に同調するとは、政治家として許しがたい行為だ。一般人が朝日の報道姿勢をどう思おうと勝手だが、総理が数ある投稿から、自分を窮地に追い込む言論機関への批判投稿を見つけだし、「いいね!」と賛同するのは気味が悪い。しかも、この日は衆院法務委で共謀罪法案の採決を強行した当日だ。
「安倍首相は自分の立場や影響力を理解できないのでしょうか。時の政権にとって都合の悪い報道を『言論テロ』呼ばわりする投稿に対し、国のトップが支持する神経を疑います。今まさに共謀罪の恣意的運用が懸念されているのに、その懸念を国のトップが率先して増幅する。共謀罪の成立で危機に立つ『報道の自由』や『内心の自由』の重要性を考慮していないことを自ら告白したのと同じ。軽い冗談くらいに思っているのなら、空前絶後の驕慢です」(政治学者・五十嵐仁氏)
 
総理が国会でヤジを連発し、大手メディアを言論テロ組織呼ばわりする投稿に「いいね!」と喜ぶ。
安倍首相が衆院予算委で「日教組はどうした」とヤジり、蓮舫氏の中谷防衛相への追及に「どうでもいい」とヤジり、衆院特別委でも、自席から民主党の辻元清美・政調会長代理に「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたのは記憶に新しい。その都度、抗議を受けて陳謝しているのだが、懲りない男だ。そのくせ、野党議員からヤジを飛ばされると、「騒がないで。興奮しないでください。」などと注文する。自分勝手などうしようもない男だ。こんな男をいつまでも担ぐ自民党の面々は太鼓持ちだけの集団だ。
 
こんな自民党に憲法改正をやらせてはならない。憲法9条に第3項を付け加えるだけの論理的に破たんした憲法が出来上がるかもしれない。
 

天皇の生前退位

2017-05-21 | 政治

天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」と漏らされていたことが明らかになった。陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語ったという。ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して選ばれた保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけ、陛下の生き方を否定する内容ともいえる。宮内庁幹部は「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。


現在の皇室典範では、天皇の地位に関しては第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定めてあるだけで、退位に関する規定は何もない。一方、日本国憲法では天皇について、第1条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」、第4条では「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めている。要するに、現在の皇室典範では、生前退位は認められていない。天皇陛下が本当に生前退位の意向を示したとするならば、それは皇室典範の改正を希望するということで、制度改正を促す政治的な発言と見られてしまう点が問題と言えば問題だが、ご自分の希望で退位できないという条文がそもそも天皇の人間性を否定しているように思う。憲法を恣意的に解釈して、なんでもありの現政権が生前体位というまっとうな希望を憲法違反だから聞き入れられないというのも、退位させたくないという意思が働いているように思うし、有識者会議の面々を見ても、到底国民の意見を代表する有識者とは思えない。

人間天皇と象徴天皇、2つのイメージが、戦後日本における天皇のありようを定めてきた。1946年の元日、昭和天皇が詔を出した。天皇は「神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」。世に言う「人間宣言」である。それまでの天皇は現人神、国土を創造した神々の直系の子孫とされた。神でなくなった人間が象徴天皇としてよみがえる。昭和天皇は「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレル」と宣言した。神でなく人間として国民から信頼を勝ち得るよう励み続けることで、人間天皇になれる。
 昭和天皇は敗戦直後の日本全国を回って、国民をねぎらい、多くの国民が昭和天皇を一個の人間として信頼、敬愛した。大相撲にプロ野球、正月や誕生日の一般参賀、国民の前に姿を現した。
 その子である今上天皇は、父の流儀を受け継ぎ、発展させた。阪神淡路大震災のとき、東日本大震災のとき。被災地に出向いた。硫黄島、サイパン島、フィリピン、ペリリュー島、日本軍兵士の犠牲の多かった激戦の地に慰霊に赴いた。人間天皇は国民とのあいだに信頼と敬愛の絆を切らしてはならない。国民とふれあい続けねばならない。それが老齢や病気などの理由でしにくくなると、人間天皇としての存在の持続は困難になると考えておられるのだろう。
 
 だがそのような人間天皇のありようは日本国憲法で定められてはいない。第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。
 さらに国事行為をすると定められている。法令や条約の公布、国会の召集、国務大臣の任命、栄典の授与等々。しかも天皇は自由意志で国事行為を行えない。内閣の決めた通りに、署名し、捺印し、任命や授与を行う。災害地や激戦地への慰問や慰霊の旅は、国事行為としてカウントされているのではなく、「日本国民統合の象徴」としての公的行為として憲法解釈上認められているにすぎない。
 国民とふれあい続ける人間天皇は、平和国家や戦後民主主義や日本国憲法の精神に合致する。しかし、有識者会議の面々の発言を聞いていると、憲法で元首に改正し、ことが起これば現人神にしたいのではないかと邪推したくなる。

明治以前は、天皇の生前退位は比較的頻繁に行われていた。天皇の生前退位が認められなくなったのは、1889年(明治22年)に、大日本帝国憲法とともに制定された旧・皇室典範以降のことだ。 大日本帝国憲法とは、西洋列強
に対抗するために天皇に権力を集中させ、強力な君主制を敷くことを目的としていたものだ。だから、生前退位を認めないということになったが、現在の皇室典範に改正された後も、生前退位については触れられていない。

生前退位を認めると、天皇の考え方や姿勢が、時の権力者の意に沿わない場合などに、天皇が譲位を強要される危険性はある。しかし、右派の人たちは、そんな理由で生前退位を認めないわけではないだろう。
彼らは隙あらば、天皇を神格化し、時の政権の操り人形として利用できる余地を残しておきたいのではないだろうか。そのためには、天皇が国民と共感する人間であっては都合が悪いということだろう。

天皇陛下は今年で82歳。東京オリンピックの時には86歳。天皇としての仕事は急増する。憲法との矛盾が生じても、皇室典範を早急に改正して生前退位の制度化を急ぐべきだと思う。