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オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

平和・反原発の方向(松下竜一)

2012-07-04 | 読書

この本は松下竜一が書き下ろしたものではない。彼とともに闘ってきた人たち、彼の人柄に惚れた人たちが彼の著作を集めて一冊の本にまとめたものだ。松下竜一が失意の中で精神を奮い立たせるとき、負けばかりの闘争の中で感じ続けてきたことを断片的に書いている。それをあわせて読むことで作家でも運動家でもない人間松下竜一の実像が見えてくる。まるで向かい合わせで彼の話に聞き入っているような感覚が残った。図書館には彼の著作がそろっている。しかし誰も借り手がなく、数日すれば手元に届く。これを機会に味わいながら読んでみたい。火力発電の反対から始まって原発の反対、米軍基地の反対、空母エンタープライズ寄港反対、そしていわゆる過激派との出会い。一見、何の関係もなさそうな連続爆破事件や日本赤軍戦士達のノンフィクションを書くようになる。曇りのない誠実な彼の精神のなせる業だろう。機会があれば、ぜひ手にとって読んで欲しい。反原発の波が高まっている今、そしてなし崩し的に原発天国に戻っていくのが趨勢の日本でこの本の意味は大きい。
地元での反対運動が札束で根こそぎ衰微していく過程が描かれる。原子力ムラが住民なんか金でどうにでもなると嘯く背景が痛いほどわかる。彼の言う暗闇の思想への逆転の発想が根付かなければ、今度の脱原発も負け戦になることは残念ながら間違いないだろう。「家庭の電気も○○%が原子力に頼っています。原発を止めると、計画停電と言うご不便をおかけすることになります。」この恫喝に誰もがはまってしまう。実態は闇の中・・・・再稼動したい者が出す資料を鵜呑みにはできない。

電力会社は倒産しないし、原子力発電の場合は貸し付けている期間が長い。理想的な融資先だから、膨大な金が低利で融資される。金のかかる原子力発電所をせっせと建設する。あらゆる産業に連鎖反応を起こし、景気を刺激する。高度成長の夢よ、もう一度と言うわけだ。1970年当時、西ドイツ、フランス、カナダの原子炉に押し捲られ、アメリカの原子力メーカーは深刻な経営危機に追い込まれていた。200基も注文のあった原子炉のうち130基がキャンセルになってしまった。東アジアの従順な分室・日本が狙われるのは当然の成り行きだった。
電力が足りなくなるから発電所を作るのではなく、電力はこれくらいなのだから、この電力で成り立つような社会や暮らしを考える。これが逆転の発想だ。
第一次石油ショックは軌道修正の好機に思えた。つつましいエネルギーで成り立つような暮らしへのチャンスだと思われた。しかし、今獲得している豊かさ、便利さをいささかも手放したくないという世論の動向を電力会社は的確に見抜いていた。この選択の先に待つものは原発でしかなかった。原発に加速して行ったのは政財界だが、それを受け入れる大衆的機運があったことも見逃すべきではない。
「実験やめて、命が大事。原発止めて、命が大事。」このシュプレヒコールの唱和を聞いて、某評論家は「生きているだけで意味があるのではない。いかに充実して生きているかによる。」といったそうだ。彼の充実はエネルギーの浪費の上に成り立つ都会的文化生活にだけしかない。自然に囲まれた安全な社会。放射能に汚染されたものを食べずに済む安心。そんなものには価値を置かない。七〇年代の初め、高度経済成長のひずみとしての公害問題は全国各地で顕在化し、「もうこれ以上の経済発展とか巨大開発はやめるべきではないか」という声がようやくあがりはじめていた。
 「汚れた空の下でビフテキを食べるよりは、青空の下で梅干を食べたい」という声の出たのもこの時期だったろう。海岸を埋め、コンビナートを林立させ、他国の資源を一方的に収奪し(中東から日本まで巨大タンカーがジュズつなぎになっているとさえいわれた)、その結果産み出されるおびただしい物、物、物は、東南アジアをはじめとする各国に押し出して経済侵略という非難を浴びせられる。タイでは日本製品ボイコット運動が起こっていた。これ以上の経済発展を止めるべきだという、具体的な主張が、火力発電所の建設反対運動であった。その流れは公害問題が収まりつつある中で消えて行った。

連続爆破事件の大道寺将司のノンフィクション「狼煙を見よ」も書いている。どうして?松下はノンフィクション作家の素質抜群の佐野眞一氏とは全くタイプが異なる。人見知りで初めての人に会うのは苦手。取材対象も自分で探したわけではなく、行き当たりばったりだ。もともと豆腐屋が嫌だった松下は「豆腐屋の四季」を書いて連ドラになり、世間からゲバ棒学生とは違って模範青年ともてはやされる。たくさんの弟達の面倒を見て家庭をしっかり守っていると紹介され、違和感に悩んだ。模範像を壊してしまわなければならないと、豆腐屋をやめて何かを始めようとした。若者達が全共闘運動に挫折して闘うことをやめて行く時期に符合する。社会的行動につながって生きたいと考えたが、実際には何も書けない。一年たって原稿の依頼が来た。大分新産業都市の公害問題を13回ルポしてくれと言うものだった。これを逃したらまた何時仕事がくるかわからないということで、初めて大分県にでかけて行った。自分の家庭しか知らないあいつに書かしてみようという意地悪な選択があったようだと松下は書いている。初めて公害問題に取り組んで一冊の本を書き上げた。運動に関わっていた地元の女性達に「あんたはこんなとこに来て取材しているけど、地元で大変なことが起ころうとしているじゃないの。なんでこんなとこにいるの?」答えるすべがなく、うなだれるだけだった。恥ずかしくなって、地元で反対運動を始めると、模範青年は非国民になってしまった。「豆腐屋の四季」の読者は非難して来た。「豆腐屋の世界を守ろうとして立ち上がったんだ。優しさを守りたいから立ち上がったんだ。」過激派と言うレッテルまで張られた。「豆腐屋の四季」は全共闘が手に取る本ではない。大道寺から読んで感動したという手紙が届いて驚いた。彼らは大衆に絶望し、自分たちだけでやるんだと爆弾闘争に突き進んでいった。逮捕されて裁判になり、考えても見なかった支援者が現れ、大衆とつながらなければならないと考え始めるそう言うときに「豆腐屋の四季」を読んだ。しかし、何の偏見も持たない松下は彼との接点を求めて文通を始め、一冊のノンフィクションに結実した。
それが原因で全く知らなかった赤軍派コマンド泉水博と関わることになる。「泉水の旅券法違反」の嫌疑で家宅捜索まで受けたのだ。もちろん赤軍関係の書類が出てくるはずもなくガサ入れは空振りに終わったが・・・・しかしこのガサ入れは原発賛成の人たちからも妙な激励を受けることになる。「お前の運動は気に食わないが、反対運動をつぶすつもりの意図を持ったガサ入れだ。くじけないで頑張れよ」と幼馴染が家に寄って言ってくれたりする。見ず知らずの人からも激励の電話があったと言う。日本赤軍の関係者であるがごとくの印象をでっち上げるためのガサ入れだったらしい。
何の関係もなかった泉水のノンフィクション「怒りて言う 逃亡にはあらず 日本赤軍コマンド泉水博」はこうして書き上げられた。後記で紹介してくれた警視庁に感謝を記したという。


原子力空母を阻止できるわけがない。自己満足の抗議行動に過ぎない。達観した批判が多い。
松下は答える。「そげなこと言う方がおかしいんだよ。阻止できるかどうかではないんよ。止めたいという思いに忠実でありたいちゅうことなんだ。とめられない。かなわない。止めとこうと思うと、最初からしり込みしてしまう。阻止できるかどうかと言う問いかけは運動の中でしちゃいかんのよ。止めたいと思うちょる以上、精一杯やらずにはおれんちゅうことなんだよ。」
松下竜一の答え、運動は己の意思を曲げるか曲げないかの選択と言う考え方は精神の尊厳の領域に達している。
反対運動の中で彼は通りすがりの人からの冷笑や冷やかしにも遭う。しかし、「傍観する側にいるのは簡単なことだ。ただ自分の志を曲げさえすれば良い。」と言う。現実の暮らしの重さの前では座り込みは肩身が狭く、ひるむこともあると言う。空しくとも滑稽に見えようとも声を上げるしかない。こぶしを大量消費の現代社会に向けて振り上げ続けて、果てた生活者松下竜一。虚弱な体を持つ崇高な精神体は一歩も引かない。常に弱者や虐げられた者の目で社会を見据え、ともに叫び、ともに闘う。常に少数派、反権力であり続けた松下は作家として運動に関わってきたわけではない。「作家は書くことで闘うんだ。」という物書きが多い中、書くと闘うは一体化して分かちがたく、彼の中で生活者の思想として結実して行った。


父に貰いし名はルイズ(松下竜一)

2012-07-02 | 読書

松下竜一は大杉栄・伊藤野枝の四女ルイズに取材してこの本を書いた。伊藤野枝の28年の波乱の生涯を書いた瀬戸内晴美の「美は乱調にあり」が有名だが、その子供に取材した松下竜一のノンフィクションを読んでみた。

平塚らいてうは「原始、女性は実に太陽であつた」、伊藤野枝は「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」と言い、ルイズは「太陽に憧れるひまわりのように」懸命に生きたいと願った。
伊藤野枝は辻潤との間に二男を残し、大杉と同棲し、一男四女をもうける。女性が個を主張して生きることはできなかった時代だから、伊藤野枝の生き方は羨望を持って受け止められ、大杉とともに虐殺されるまで短い一生を炎となって駆け抜けた。「畳の上で死ねない」と生前から予測していたという。
大杉栄という人物は、その主義・思想から「国家による庇護は一切求めぬ」という無政府主義者としての信念を貫いた。家族制度を否定し、あらゆる権威を否定し、個人の完全な自由を希求した。妻と愛人の4つ巴の四角関係は衆目を集め、傷害事件にまで発展している。

生は永久の闘いである。自然との闘い、社会との闘い、他の生との闘い、永久に解決のない闘いである。
主人に喜ばれる、主人に盲従する、主人を崇拝する。これが全社会組織の暴力と恐怖との上に築かれた、原始時代からホンの近代に至るまでの、ほとんど唯一の大道徳律であったのである。
征服の事実がその頂上に達した今日においては、諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。
自由と創造とは、これを将来にのみわれわれが憧憬すべき理想ではない。われわれはまずこれを現実の中に捕捉しなければならぬ。われわれ自身の中に獲なければならぬ。

文学として、思想としてのアナーキズムは美であるが、現実の社会では到底実現不可能であるし、混沌である。
暗黒の軍国主義時代に突入しつつあった当時の軍部は、大杉栄らを危険分子として常にマークしたようだが、どうしてそれほど危険視されたのかさっぱりわからない。現代社会で言えばヒッピーのようなものだと思うのだが、テロ的な行為の危険性でもあったのだろうか?
そしてついに麹町憲兵分隊に拉致され、伊藤野枝とともに肋骨などをめちゃめちゃに折られ、死ぬ前に蹴る、踏みつけるなどの暴行を受け、絞殺された上、服を剥ぎ取られ、古井戸に遺棄された。大杉・伊藤殺害の実行犯と認定された犯人は英雄視され、3年足らずの禁固ののち出獄し、日本の満州支配で活躍した甘粕大尉だ。

人は血縁を選べない。こう言う個性を家族に持つと、子供は最初から好奇の目で見られ、自分本来の生き方を見失う。長女の魔子は無政府主義者の子として常に注目され、眞子として平凡な結婚生活を続けることもかなわず、何の因縁か、無政府主義者を父に持つ男と出奔し、子をもうける。野枝と比較されるような人生を送ってしまい、失意のうちに不遇の死を遂げる。なんともやりきれない人生だ。

松下竜一がインタビューをしたルイズは、父母が殺されたあと、祖父によって留意子と変えられ、ルイと名乗るようになったのは、敗戦後だ。ルイズは、フランスの無政府主義者ルイズ・ミッシェルにちなんだものだ。生まれた時から「無政府主義の巨魁・大杉栄と伊藤野枝の子」として差別され、何を言っても「(大杉・野枝の子なら)そう言うと思った」と言われて育った。ルイズは47歳でようやく、自分は両親とは別の人間で、「伊藤ルイ」以外の何者でもないと両親からの呪縛を振り切ることができた。

大杉も野枝も、子供にとっては「素晴らしい親」ではなかったし、家族にとっても「自慢の子、兄弟」ではなかった。生前の魔子が言った「わたしたち、大杉の娘として生まれて、損なことばかりだったわね」という言葉がすべてを語る。

祖父母に育てられ、常に怯えながら成長する留意子は政治に巻き込まれることもなく、結婚し貧しい家庭生活の中で、大杉栄の本を読むようになる。やがて自分も含め苦渋の生活を営む人々の中でそれまで封印してきた両親のこと、社会のことに目を向ける。
ルイズの生きざまに、注目を集めるようなドラマはない。しかしそこには、新星が爆発したような破天荒な大杉栄の生き方とは異なる、苦悩に満ちた自己形成がある。ルイズは壮年を過ぎてから、さまざまな社会活動にかかわり始め、自由や人権のために動き始める。人生の結実期に至って、父母の思いに共感できるようになったという記述を読んで、安堵し、ほっとする気持ちになった。


神様のカルテ2

2012-06-16 | 読書

栗原一止は夏目漱石を敬愛し、信州の「24時間、365日対応」の本庄病院で働く内科医である。写真家の妻・ハルの献身的な支えや、頼りになる同僚、下宿先「御嶽荘」の愉快な住人たちに力をもらい、日々を乗り切っている。そんな一止に、母校の医局からの誘いがかかる。医師が慢性的に不足しているこの病院で一人でも多くの患者と向き合うか、母校・信濃大学の大学病院で最先端の医療を学ぶか。一止が選択したのは、本庄病院での続投だった(『神様のカルテ』)。
新年度、本庄病院の内科病棟に新任の医師・進藤辰也が東京の病院から着任してきた。彼は一止、そして外科の砂山次郎と信濃大学の同窓であった。かつて“医学部の良心"と呼ばれた進藤の医師としての行動は、期待に反し、夕方になるとすぐに帰ってしまったり、夜間連絡も取れないなど医者として倫理観に欠けるものだった。
かつて、栗原との三角関係を経て進藤と結婚した如月千夏は、小児科医として赴任した東京の病院で、患者の親から非難されたことがきっかけで、家族を省みず、患者に尽くすようになってしまっていた。幼い娘夏菜の面倒を見るために仕事を制限する進藤だったが、医者に負担を強いる医療の現場に疑問を感じ、千夏と別居すべく、信州に戻ってきたのだった。事情を知った栗原は自身の身に置き換え、榛名とのすれ違いに痛みを感じる。
 もう一つのテーマとして、大先輩の医師、内藤の末期悪性リンパ腫と避けられない死を設定し、その死を見守る医師たちの姿を描く。榛名の発案で内藤夫妻の思い出の場所、常念岳の天空を見せるべく、夫妻を屋上にいざない、1分間の消灯を敢行し、天の川を見せるというクライマックスを演出する。

 一止が務める病院は、24時間、365日対応だ。家族と患者の間で綱渡りを余儀なくされ、自分自身の健康も損ねかねない。さらに、人の生死に立ち会うとき、医師である前に人間としてどうあるべきかという難問も常に突きつけられる。

前作に比べると、話が拡散して、全体に印象が薄くなってしまったと思う。それに御嶽荘の住人も前作に比べると、新人は一人だし、個性がなくてつまらない。あまりにも理想の病院、理想の妻で絵空事ー漫画でしかない。まあ、信濃の風景の前で繰り広げられるファンタジーと思えば楽しめると思う。
 
千夏の問題も片付いていないので三作目が近々発売されるようだ。

豆腐屋の四季

2012-06-11 | 読書

暗闇の思想の松下竜一氏に興味を持って、「豆腐屋の四季」を読んだ。
『豆腐屋の四季』はサブタイトルにあるように、「青春の記録」である。洋子さんと結婚して間もなく、1967年の11月から翌年の11月まで、冬・春・夏・秋と書き継がれたものだ。はじめは、弟が題字を書いた薄い表紙をつけただけの、目次もないタイプ印刷の自費出版の本だったという。その後、読者からとどいた数百の手紙と、姉や弟たちの賛成を得たことで、出版にふみきった。結婚式の際に親族たちに配った歌集「相聞」が巻末におさめられている。結婚式をあげるまでの一年間、洋子さんのことを思って詠った歌を編んだものである。

今、私は三十歳。妻は十九歳。青春である。私は二十代の後半まで、自らの青春を圧殺して、ただ黙々と働き耐えるのみだった。その頃の日々を青春とは呼ばぬ。今、やっと遅い青春が、ひそかな賛歌で私をくるもうとしている。これからの一年、どんな悲しみが書きこまれようとも、「豆腐屋の四季」は、まさしく私と妻の「青春の書」である。生涯でただ一冊しか書けない「青春の書」である。

松下竜一氏は中津市で7人きょうだいの長男として生まれた。高校の成績は1番だったが、吐血して1年休学し文学を読みあさった。浪人中に母光枝さんが豆腐作りの作業中に過労で倒れ死亡。父健吾さんを助けて19歳で豆腐屋として働く。『豆腐屋の四季』出版後に豆腐屋を廃業し、33歳で作家となった。73年から火力発電所建設への反対運動に取り組み、機関誌「草の根通信」を編集、発行した。『ルイズ―父に貰(もら)いし名は』で講談社ノンフィクション賞を受賞した。
妻の洋子さんは市内の食品店の長女。松下氏は、この食品店を営む洋子さんの母、ツル子さんと豆腐を配達した店先で話し込むようになった。「変わり者」と疎まれた松下氏にとって、彼女はたった一人の理解者だった。彼女と出会わなければ自殺していた、と松下氏は書いている。短歌を作ることも、洋子さんと結婚することも、勧めたのは彼女だった。ツル子さんに激しい慕情を抱いていることに松下氏は気づいていた。「洋子ちゃんを幸せにすることで、あなたへの愛も成就する」と告げた。松下氏は生前、墓碑銘を刻むなら「洋子とその母を愛し、ここに眠る」と記してくれるように言い残した。

▼絶望しかけた心に突然、希望がわいた。「どうして、そんなことを夢想し始めたのだろう。なんにもいらない。私を愛してくれる人さえいれば」。
 
25歳の日記にそう記した。短歌を詠み始める半年前のことだ。苦しい時期が続いていた。極端に貧しく、上京した弟たちも仕事が見つからず仕送りを求めてきた。たった一人の親友は病死した。死のうと家出したが残した家族を思うと死ねなかった。
毎日夜中の2時3時に起き出して、労力を惜しまず豆腐を手作りし、朝の配達に出かけていく。どんなに体調の悪い日でも豆腐作りに精を出し、どんなに天候の悪い日でも配達を欠かせない。それほど過酷な労働の日々でありながら、松下には機械への反発があった。だが、激しい腰痛で働けなくなった秋の日に、松下氏は父と相談して、豆腐を固める重石を水切り機に換えることにした。その重石の上げ下ろしこそが、腰痛の原因だったからである。到着した機械は楽々と豆腐を押し固める。

▼もっと早く据えればよかったなあと老父も感心していう。機械を買う三万五千円の余裕がなかったのではない。私にはなにかしら機械への反撥があるのだ。もし私に頑丈な体力があれば、決して水切り機など据えず重石を抱き続けるだろう。機械が据わり労働の過程が楽になればなるほど、私は何かを失いつつある気がしてならないのだ。機械は効率の追求でありムダを許さぬものである。機械の導入が進めば進むほど、人の心情も思想もムダを厭い利の計算の早い合理主義に変わっていくのだろう。だが、私は人生におけるムダをどんなに愛していることだろう。利口に立ち廻れぬ私は、ムダばかり錯誤だらけの過去を経てきた気がする。だが、それゆえに、人生の哀歓をなんと深くしみじみと味わってきたことだろうか。

松下竜一氏と洋子さんは毎日3時間の散歩を日課にしていたという。健康のためでなく「妻と寄り添って歩くことのできる歓びをかみしめるために」毎日、散歩をした。洋子さんは、同じ道を歩くと、「この水門でカモメにパン切れをやった。あの橋の下に並んで座って2時間、何も言わず川を見ていた」と懐かしく語るそうだ。
 

 生活すること、生きていくことの労苦の重さに押しつぶされそうになりながら、家族のため、親族のために、気を取り直して辛苦に耐える生活。決して強健な体の持ち主ではなく、右目失明、肺の難病を患いながら、長男として家族を物心両面で支えていく。その生き様、たくましさには敬服する。どんなに科学が発達し、便利な世の中になっても、あくまでも手作りの豆腐にこだわりつづけようとする不器用なまでの頑固さ。日々の労働でくたくたになりながらも、その労働に愛着を持つ。機械化によって廃業に追い込まれる将来を明確に予測しながらも、豆腐づくりに魂を込める。科学の発展と機械化によって現代人は過酷な労苦から解放された。しかし、現代人はその代償として合理性と言う薄情な思念に絡め取られ、家族どころか親に対しても個人主義的な感情しか持ち合わせない。豆腐という物体にさえいとおしさを感じる心は、生命体である家畜や人間にゆるぎない信頼とあふれ出る愛情を注ぐことができる。1970年代から反体制運動に関わってきた松下氏の優しさの原点は豆腐作りで鍛え上げられてきたものであることに思い至った。

タイガーマザー

2012-05-07 | 読書

去年、出版されて、賛否両論を引き起こした本著は、イエール大学法学部教授エイミー・チュアの中国式子育てに関する実践の記録。出版された当時、大反響となり、エイミー・チュア宛てに「子ども虐待」「最悪の母親」といったメールが殺到したという。
著者のエイミーはトラのように強くてエネルギーに溢れた二児の母。自分自身の子供にも一人で生きていける強さを持って欲しいと考え、超教育ママぶりを発揮する。学業では一番になることを要求、バイオリンやピアノを強制的に習わせ、一日の練習時間も5―6時間と言う過酷なもの。友人関係にも口を挟み、友人と遊ばせない。現代の子供が楽しんでいることはすべて禁止。欧米の親たちが子供に配慮しすぎて子供の人生にコミットできず、子供はたいした成功もしない。挙句の果てに、親に寄り付かないばかりか、親を捨てる子供になってしまう。子供の自主性に任せる自由放任主義は親も楽することになる。小さい子供は自分で選ぶ能力もないから、親が選択して道を切り開いてやるのはいわば当然の話で、親がコミットせざるを得ない。親になることは育児の責任も生じることでそれを考えると、放任もコミットも子供の人生を決定付けてしまうことだから、怖いものがある。エイミーの子育てで感心したのはピアノなりバイオリンなりを習わせる場合もコーチになって子供に寄り添い、最善の道を歩かせる。子供を信じ、決して挫折させない。厳しい試練の末の達成に子供は自信を付け、音楽が好きになり、進んで練習するようになる。姉のソフィアはハードな教育を受けいれ、十四歳でカーネギーホールでピアノを演奏するほどになる。次女のルルは「ママの操り人形じゃない」と反発し、エイミーの中国式子育ては一見、失敗したかに見える。
しかし、人一倍自立心の強い負けず嫌いの少女に育ち、何をやってもその集中力に目覚しいものがある。

エイミーがいい加減な教育ママでないことは確かだ。
母親としての彼女のコミットメントは賞賛に値する。大学の仕事をしながら、毎日五時間、二人の娘のピアノとバイオリンのレッスンに付きあい、毎週土曜日には片道二時間、車を運転して子どもをバイオリンのレッスンに連れていく。子どものためなら時間も努力もお金も惜しまない。そうした深い親子のかかわりの中で避けることのできない葛藤や対立を恐れることなく受け止め、目標に向かって邁進していく、その姿には感動させられる。エイミー・チュアの子育ては過酷で残酷に見えるが、子どもに無関心で、テレビにベビー・シッターさせている自由放任主義の親とどっちが残酷かというと、簡単には答えを出せない。

日本の教育方法も欧米式になって数十年が過ぎた。詰め込み主義からゆとり教育になって、よい結果が出ているだろうか?若者の間に新型ウツの症状が出て65%もの企業が頭を抱えているという。確かに詰め込みはよくないように聞こえるが、学習のスキルを高めるには反復練習が必須である。知識の集積だけに終わるなら、そこに発展はないが、知識もスキルもなくてパフォーマンスを求めても付け焼刃の物まねになってしまう。
イチロウ選手や中村紘子は間違いなく、ここで言う中国式子育ての申し子だ。

著者の子育ては、何も「中国式」とは限らず、「スパルタ式」とか「エリート教育(音楽家やスポーツ選手を育てるやり方)」という言い方でも表現できる。

たしかにエリートをつくりだす方法だが、子どもがそれで幸せになれるかどうかは別問題だ。教育と言う虐待になり、挫折を繰り返し、心に回復不能の傷を残す危険もある。子どもの成績はすべてA、音楽は一流を要求する。協力と協調が必要な体育や演劇、課外活動を一切禁止する。音楽や勉強といった単独で成功を収められるものだけを重要視している。この方法では社会生活で必要なスキルは獲得できない。その道で成功すれば、OKだろうが、失敗して凡人の道を歩くとき、社会的に孤立し、協調的に生きる側面を子どもから奪ってしまう危険もある。
とにかく、子育ては難しい。弱肉強食の社会で生きていく子供達を育成するのは相当困難だから、子供をつくらない選択と言うのももっともである。発達障害を予防するという触れ込みで行政に売込み中の親学なんかでこの難局を越えていける次世代の子供達を育成できるなんて到底思えない・・・・


神様のカルテ

2012-04-09 | 読書
 
夏目漱石のファンである内科医の主人公が、末期がん患者との触れ合いの中で、本物の医療とは何かを自問自答しながら成長していく物語だ。勤務5年目の青年内科医・栗原一止は、医師が不足しながらも24時間、365日対応で大勢の患者を抱える本庄病院に勤めている。この小さな病院では専門外の診療をしたり、働き詰めで睡眠が取れなかったりすることが日常茶飯事だ。それでも一止は、職場の同僚と共に厳しい地方医療の現実と向き合いながら、同じアパート御嶽荘に住む絵の描けない画家・男爵、博学な大学生・学士、登山家で最愛の妻・榛名との心温まるふれあいに日々の疲れを癒しながら激務を凌いでいた。そんな折、一止は母校の医局を通じ大学病院に勤めないかと誘われる。「良い医者」になる為の最先端医療が学べる医局。しかし、一止の前には本庄病院にやってくる大勢の患者がいる。悩む一止だったが、ある日、彼の前に大学病院から「あとは好きなことをして過ごして下さい」と見放された末期ガン患者・安曇雪乃が現れる。もう医学ではどうしようもない安曇であったが、一止を頼ってやってきた。そんな彼女と触れ合う中で一止は、医者としての在り方、人間としての在り方を見つめ直していく。
ユーモアに溢れた会話、患者とのふれあい、ほろっと来る結末、楽しめる小説だった。しかし、地域医療や医局制度にまつわる問題や矛盾をつく小説ではない。作家が医師だったので、もう少し深い内容かと思ったが、軽く流してあって、小説と言うより漫画を読んでいるような気分だった。アパートの住人は何やら訳ありの個性の強そうな連中だが、表面的な描写に終始するので漫画チックな人物にしかならない。軽く読めるし、すぐ映画化できるところが現代に受ける理由だろう。映画は見ていないが、小説と映画のイメージは変わらないだろう。


 

佐野眞一 劇薬時評

2012-03-24 | 読書
話題は古いが、テレビに登場する各界の出演者を滅多切りにする冷やかし時評は胸がすく。
面白い辛口発言を紹介する。
 
麻生太郎    「出身者を総理にするわけにはいかない」と発言して本人を激怒させたことは有名。
          「秋葉原と言えばオタクだよね・仙台と言えば七夕だよね」
          「広島と言えば原爆だよね」と言うかと思ったが、そこまでの大胆発言はなかった。
石破茂      赤いほっぺで酒豪にして愛煙家、キヤンディーズの大ファンにしてプラモデルつくりが趣味。
          人間存在の不可解さと不気味さを教えられた。
小池百合子   政党を渡り歩く羞恥心のなさを見るにつけ肥桶以上の卑猥感を感じる。(セクハラ的発言)
小泉純一郎   プレスリーの歌マネをやって馬鹿ブッシュでさえどんな顔をしていいやら困らせた浅はかさ、
          次男を世襲させた抜け目のなさは記憶しておいた方が良い。
          冷酷な女系家族に育った男だから、弱者切捨ての政策を容赦なく進めることができた。
鳩山由紀夫   つるっとした顔で何を考えているかわからない宇宙人宰相。超ニート男
          出来の悪い少女マンガ。辞書からきれいな言葉だけを抜き出した所信表明演説。
小泉チルドレン 終電車の死美人、ファラフォーセットの髪型を死守する妖怪人間べム、おてもやん
小沢一郎     国民が知りたい四億円の出所については一切語らず、国家権力による小沢の暗殺だと言う
           悲劇の英雄気取りに「いい加減にしろ」と飛びかかりたくなった。
石原慎太郎   使用済み核廃棄物(孫正義伝にて)
 
小倉智昭    佐々木・笠井アナを加えて三馬鹿トリオ
北の湖      下着を何日も洗わないで親方夫人から注意され「自分が汚いだけだからいいッす」。
           横綱は言うことが違うと思ったが、買い被りだった。
           自分のことしか考えられない大馬鹿野郎。
テリー伊藤    カミキリムシのようなメガネをかけて、訳知り顔の発言を聞くと、首を絞めたくなる。
デヴイ夫人    芸もシャレもわからない色ボケ女
泰葉        制御不能のリピドーを抱えた育ちの悪い八神純子と言う雰囲気の泰葉は
           天才芸人・林家三平を襲名できる唯一の候補者。
勝間和代     自分の本のセールスプロモーションに鬼のように努力する「売りま・くるよ」。
仲間由起恵    しゃべる前から台詞が見えてしまう漫画の吹き出しを連想させるアニメ的「吹きだし女優」。
           漫画の登場人物しかできない。
秋元康      素人の女の子に化粧を施しテレビと言う電波女郎屋に売り飛ばす女衒としての才能を持っているだけ。
          次の儲けを画策しているに違いないこの男の頭を薪ざっぱで思い切り殴ってやりたい。
島田紳助     売れない芸人を使って番組を私物化するチンピラ
 
評判の悪い人物を面白がる傾向あり。朝青龍などを絶賛している。ちなみに私も朝青龍は大好きだ。朝青龍が存在して初めて優等生で退屈な白鳳が光る。
十勝のエリツィン・中川昭一にも好印象を持っていたようだ。自分の本を読んでくれていたからか?理由は良くわからない・・・・・
 
私が始めて佐野眞一を知ったのは東電OL殺人事件のときだった。有罪判決を受けて無期懲役に服していたゴビンダ被告もついに再審の可能性が出てきた。有力な証拠が提出されたにも拘らず、まだ釈放も再審の決定もされていないとは・・・・・なんと言う国だろう。
14年も服役し、再審請求をしてから6年も経過している。この国の政治も司法もマスコミも一蓮托生、弱者を切り捨てる弱肉強食ゲームにうつつを抜かしているとしか言いようがない。
弱者の立場で思考できない人間は表舞台から速やかに退いて欲しい。死に体のゾンビ政治家が舞い戻ってきそうな気配に胸糞が悪くなるこの頃である。

孫正義伝 佐野眞一

2012-03-23 | 読書

今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮に、一人の異端児を産み落とした。ノンフィクション界の巨人・佐野眞一が、全4回の本人取材や、ルーツである朝鮮半島の現地取材によって、時代をひっかき回し続ける男の正体に迫る。

孫正義氏は商売上手で胡散臭く、大法螺吹きで信用できない・・・・・そんなイメージを持っていた。
しかし、震災に際して100億円寄付、自然エネルギー財団設立、世間の目を釘付けにして賞賛の目に変えてしまった2011年。
リーダーの器は危機にこそ問われる。無責任な言動で信用を落とした日本の政治家と違って、孫正義氏の“即断即決”は際立っていた。それは商売上手のパフォーマンスとは源を異にする孫氏の真髄を示すものだ。
アメリカンドリームが生み出したジョブズとは比べ物にならない貧困家庭の出身、在日韓国人三世という差別の中で彼もまた高校を中退して渡米し、アメリカンドリームの中で育まれた起業家だった。佐野眞一の料理の仕方も楽しみだった。その期待にたがわず、読み応えのある一代記、孫氏の人となり、それが形成されていく様子が克明に綴られる・・・・・面白い・・・・・お勧めの一冊だ。

激しい愛憎が織り成すアジア的曼荼羅世界の前衛性は化け物一家を主人公にしたアダムズファミリーなど安っぽくて到底足元にも及ばない。耳をふさぎたくなる卑語、猥語の限りを尽くして罵り合い、争いの絶えない親戚たちは、陶器の皿で頭をかち割り、血だるまになって警察の厄介になるほど、仲が悪いのだった。

確かにすごい化け物家族という印象だ。昼夜を問わず、糞まみれで働く祖母、子豚に自分のお乳を飲ませる常軌を逸した慈愛?豚に酒粕を食わせて育て、その豚をしめて正肉やホルモンを売り歩いて生計を立てていた。孫正義はキムチのにおいのする祖母が嫌いになったことがある。キムチ=韓国を想像させるからだという。ハングル語も読めない韓国人でありながら、日本の旧姓「安本」を敢えて捨てて孫で帰化した。日本名「安本」をひどく嫌ったのは、韓国姓に戻りたかったのではなく、出自を隠して生きた象徴、安本姓を自尊心を傷つける名前としてひどく嫌ったからだ。
強欲でもそれを恥じない父・三憲。韓国の地に立つと同胞を慈しんで涙する一方、「韓国人は取るばっかり。泥棒ね、一種の。千年たっても韓国人は山賊根性から抜けられない。日本は、人間がいい。信義があるし、努力も実る。高いレベルの医療が安く受けられる。」在日韓国人の複雑な感情を隠さない。「おまえは天才だ。」と言い続け、我が子ではなく“社会の子”として育てた父。密造酒とパチンコとサラ金で稼いだ金をたっぷり息子に注いで立派な教育をつけさせた。
朝鮮のウンコ臭い水溢れる掘立小屋で膝まで水につかりながら必死に勉強していた。小学生時代先生になりたかったという。政治家にも心が動いた。しかし、日本の閉鎖的な社会で公務員になるのは難しいと考えて、企業家への道を選んだ。東大受験は止めて、高校中退後、アメリカ留学。持ち前の用意周到だが、度肝を抜く大胆さで企業家としての一歩を踏み出し、生涯の伴侶を見つけた。

小学校6年生のとき書いた孫氏の詩

中にはとても残酷な涙があるのだよ
原爆に悲劇の苦しみを浴びせられたときの涙
黒人差別の怒りの涙
ソンミ村の大虐殺
世界中の人々は今も将来も泣き続けるだろう
こんな悲劇を訴える涙は絶対欠かせないものだ
それでも君は恥ずかしいのかい
涙とは尊いものだぞ

極貧の中でも高潔な目標を持ち続け、金の亡者にはならなかった、孫正義。そう、金は自分の夢を実現させるために使うもので、決して快楽や子孫のために貯めこむものではない。金持ちの子供達は3代目になると、その家を滅ぼすような出来損ないになりがちだ。ジョブズも孫氏もお金そのものには興味がない。何の野心も持たない凡人に使い切れないお金を残すのは子孫を駄目にする。橋下氏の相続税100%は実現不可能ではあるが、基本的に賛成だ。一代限りの蓄財ならタカがしれている。閉塞感で息詰まる格差社会になることもない。日本の1000兆円に上る借金も一挙に解決する。子供に残せるのは身をもって示す生き方と教育だけ。才能と不屈の意志があれば、金儲けなんて簡単だ。お金のかなたに技術革新、情報革命、社会を変革する夢がある。孫正義は身をもってそれを証明している。


 

対岸の彼女

2011-11-03 | 読書

 

「八日目の蝉」の角田光代氏の「対岸の彼女」を読み始めたが、途中でつまらなくなり、1ヶ月以上放っておいた。そのまま 読みかけにするのも気持ち悪くて、美容院の待ち時間にようやく読んだ。なんでこんなに時間がかかったのかというと、女性特有の濃密な友達関係(高校生時代の典型)が成長していくにつれて壊れていく空しさ、主婦・独身・働く女・子持ちなどなど立場の違いだけで上っ面な付き合いに終始する女性の交友関係を批判的に描いているのかな?と思ったり、何を描きたいのか良くわからなかったからだ。

悩みがあること、その悩みを打ち明けて初めて認められる親友関係、そして裏切り、その裏切りに傷ついて二度と心を開かないと誓う・・・そんなパターンが女子の十代の交友関係に数多く見られる。

主婦の生活に鬱々としていた小夜子は一大決心をして働き始める。しかし、程なく職場の人間関係に疲れて主婦の立場に逃げ込んだとき、ようやくわかったような気がした。
「年齢を重ねることは人と関わり合うのが煩わしくなったとき、都合よく生活に逃げ込む、そんな場所を造るためだろうか。いや、生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない。また、出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。」
そして、小夜子はもう一度、社長の葵の部屋を訪れるのだった。

映画にもなったと言う。やはり女性でなければ書けない小説だ。読後感は良かった。
小夜子はステレオタイプの夫との生活から一歩踏み出して自分の人生を歩み始めた。もう堂々巡りはしないだろう。
主婦の自立物語だ。男性が読んでも面白くないし、団塊ジュニアより若い世代が読んでもつまらないだろうと思う。

写真は2010年11/3 御座山(おぐらやま) カラマツの黄葉が美しい。


八日目の蝉

2011-09-24 | 読書

誘拐犯に育てられた子供の話・・・・設定が奇異で読みたくなかったが、友人が激賞するので読んで見た。
なかなかの秀作だった。女性作家にしか書けない作品だと思った。

気づかせられた点は子育てそのものが女性にとっては快感なんだと言うこと。温かく、柔らかな体。光る産毛。長いまつげ。無心で無垢な眼差し。そっと抱き上げるだけで幸せになれる。
子供は5歳までの間に可愛いことで親孝行しているのだから、もうそれ以上の親孝行は望まない・・・誰が言ったか忘れたが、母親の実感だろう。

誘拐犯の子育てが小豆島の美しい自然と温かい人情に支えられて育まれ、それが子供の原風景になっていく。
男は実に頼りなく、どうでもよい存在だ。女は子供が欲しいから男が必要になり、子育て期間が長いから、仕方なく共同生活を送っているのかもしれない。それを男に対する愛情と錯覚して・・・・・そんな風にも思えてしまう強烈なフェミニズムの世界が描かれる。

「空っぽのがらんどう」な人生・・・・・
そんな人生を価値あるものだと信じさせてくれる何かがこの地球上にはある。

新緑の海、可憐な野草、満天の星、光が織り成す天空のグラディエーション、広大な海、心打たれる詩や絵画、それらに触れた時「美しい」と感じる心を私たちは持っている。
美しいもので溢れた世界に生を受けた幸せを「誰かと共有したい」と思う心を私たちは持っている。
空っぽのがらんどうな人生なんかない。美しいものに触れ、深い感動に満たされた心は、辛くて長い人生も乗り越えていける。

テレビドラマは誘拐犯を、映画は子供を主人公に据えたようだ。機会があれば視聴してみたい。

そう言えば、若い刑事役の玉木ひろしを主役に据えた「砂の器」を偶然この前見たが、通俗的な刑事物になっていて、ひどい駄作だった。加藤剛、丹波哲郎の「砂の器」以上のものはできないと思われるから、もうリメイクはやめた方が良い。遺族の申し立てによりハンセン氏病が使えないらしい。冤罪だけで村を追われると言う設定自体に無理がある。故人の作品をメチャメチャにするくらいなら、リメイクそのものを許可しなければ良い。著作権の保護期間は没後50年。2042年までは遺族に権利がある。

写真はノコギリソウ。ワッカ原生花園で撮影。

花言葉・・・戦い、勇敢、治療