集団ストーカーについて

加害者は被害者の悪口を捏造します。被害者を孤立させ、嫌がらせをするためにはどのような汚い手も使ってきます。

ネットでの買い物

2007-01-31 18:06:44 | 出来事
昨日のことだが、12:27~12:33の間にサイレンが3度鳴り、3度目はデュエットで鳴ったので県警にメールで問い合わせてみた。
メールを出したのは昨日12:35あたり。
内容としては、

「最近良くサイレンが鳴りますが、何かあるのでしょうか。
先ほども12:27から12:33の間に3度も鳴ってましたが。
近くには学校もありますあひ、事件かなにかがあれば危ないので、何故サイレンが鳴っているのか説明をよろしくお願いします。」
 
というようなことを書いて送ったのだが、返信は今だにない。
まだ調査中かもしれないのでしばらく待ってみよう。
ちなみにこのメールを送った途端、毎日のように1日に何度もサイレンが聞こえてきていたのだがピタリと止んだ。
そして今日、12時過ぎにサイレンに似たようななんとも形容のしようのない音が遥か彼方よりかすかに聞こえただけだ。
今度ヘリが来た場合も県警に取り合わせメールで説明をしてもらおう。


ネットでの買い物だが、こちらもおかしなことがあった。
同じものを同じ店から買ったのだが、前回買ったものと色、臭い共に違っていたので問い合わせのメールを出したのが去年の12月26日あたり。
年末年始なので運が悪ければ年が明けてから返信がくると思っていたのだが、待てど暮らせどこない。
2度目のメールを1月10日あたりに送ってみたところ12日に、
「昨年に返信したのですが、通信エラーだったようで着いてないようです」
ときた。そして、
「どのような商品をどういう状態で送ったのか調査します」
と続き、13日に、
「じでしたらお手数ですが一度弊社まで送っていただけないで
しょうか?着払いで結構でございます)。香りの変質等なんらか問題のある品でし
たらもちろん良品と交換させていただきます。(恐縮ですが、問題がないと判断され
ます場合は返送という形で送らせていただきます。)
という返信があり(一部抜粋)、14日に宅急便で送ったのでが、結果がまたこない。
何も言ってこないので21日にちゃんと届いたかどうかメールで問い合わせたが、なしのつぶて。
29日にきつい調子で問い合わせたところやっと返信があり、
30日に、
「弊社にて調べさせていただいた結果、お送り致しました商品につきましては弊社では
問題は無いとの結論が出ております。
通常ですと、恐縮ですがお送り頂いた商品をご返送させていただく対応となりますが
何卒、ご理解とご了承をくださるようお願いいたします。

ご了承いただけるようでしたら、このまま本メールをご返送くださいませ。
ご返信を確認次第、商品をご返送させていただきます。


尚、今回の様なご報告は過去に一件もなかった事例ですので、弊社で協議した結果、
前回のメールでのご説明と今回のご説明にて、ご承諾が頂けないようでしたら今回は
ご返品も承らせていただきますので、その際はその旨ご一報下さいますようお願いい
たします。」
と返ってきた。
色がかなり違った上に香りもない。
何を購入したかといえば、ローズ・ローズヒップオイルなのだが、キャリアオイルにどう多く入れたとしても数滴のハーブオイルで色がレモン色と茶色、もしくは濃いオレンジ色と違くなることはありえないだろう。
催促しなければ返信がなかったとはいえ、ちゃんとマトモな言葉で返ってきただけはマトモだろう。
私はその商品を使うなどとんでもないことなので、返品扱いにしてもらうようメールを出したのだが、いつ返金してもらえるのか楽しみに待っている。
また催促しないと戻ってこないと予想。
ちなみにこのお店は北九州にあり、の多い地方だ。

このことは集団ストーカーと関係ないかもしれないが、関係あるかもしれない。
被害者にはいくらでも理不尽がことが当たり前のように起きる。
それが偶然なのか、加害者によるものなのかはわからないが、正統に対処していけばいいだろう。
こういうことは知り合いには話して、そこから購入をやめるようにさせますね。
だって、催促しなければ返ってこないなんて誠意がないでしょ。




上品なNHKのやり方

2007-01-30 12:07:44 | 出来事
http://www.asyura2.com/07/senkyo30/msg/343.html

なんともはや。。。
高級料理を税金で食すなどとは、我々下々の金銭感覚や常識とはなんと離れた感覚だろう。
確か2年前だったと思うが、その頃私は現都知事に何の感情もなかった。
ゲーム関係の知り合いに東京在住の人がおり、彼の身内に教員をしている人がいた。
彼から聞いたところによると、都内の小学校の合唱のコンクールだったか、合唱関係で某ホールを以前から予約しており、子供たちを連れて行ったところ、急に都知事より使いたいからと申し出があり断れなかったと言われ、そのまま子供たちを連れて帰ったということがあったそうだ。
先約のほうが優先されるべきではないだろうか。
これを聞いてから現都知事に良い感情は持ってないが、これほどのバカタレだったとは言葉もない。

http://www.asyura2.com/07/asia7/msg/137.html

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「どうしちゃったの、肌の白い君たち? 世界を動かしてるのはイエローさ。油っこい料理を作って君たちの服を洗い、宿題のコピーまで取らせてあげてる だろ」

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すごい人種差別だ。
確かに平均して黄色人種は優秀だが、KKKあたりは絶対に認めないだろうし、なんという白人至上主義な高慢さに満ちていることだろう。
プリンストン大学の名前が泣きますよ。
こういう高慢な考えがあらゆる権力犯罪に結びついていると言っても過言ではない。


http://www.asyura2.com/0601/senkyo19/msg/1068.html

なぜ昨日これを見逃したのだろう。。。

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世界中の「富」をニューヨークへトランスファー(移転)させてきた米国の「奥の院」も、一つだけ変えられないことがある。それは、狙った国の「現地人」と同じ顔になることである。いきなり青い目の米国人が乗り込んで行って資産移転を強行すれば、反米の嵐が吹き荒れて収奪計画はうまくいかない。
 そこで、米国は3つの手段で相手国(たとえば日本)の国民を手なずける。1つ目は「日本人から好感を持たれている米国人を日本に派遣する」、2つ目は「米国人は派遣しないが、米国に都合のいい協力者=エージェントを確保する」、3つ目は「フロント企業を日本国内に設立して、宣伝活動に当たらせる」だ。
 なかでも、最も巧妙なのが2つ目のエージェント確保だ。いまや小泉首相という最大の協力者を得ることになったが、コイズミひとりで日本をねじ伏せるのはさすがに無理だ。そこで、「改革推進」の世論づくりのために、あらゆる分野で協力者を育成してきた。彼らは政治家だったり、官僚や学者、評論家、外資系金融会社のアナリストだったりする。お茶の間に届くワイドショーのコメンテーターの中にもそうした人たちはいる。そして、首相や大臣の審議会、懇談会やTV番組、著書などで、米国のための改革を「日本のため」であるかのように論陣を張る。
 やっかいなのは、彼らが必ずしも露骨に「親米論」を唱えるわけではないことだ。米国の奥の院だって、そんなミエミエのエージェントでは困ってしまう。むしろ、意図的に「感情的な反米論」をぶって、日本と日本人の資産乗っ取りという本当の狙いを気づかせないための“ガス抜き”の役割を担ったりする。
 米国にとって日本は、欧州各国と比べるとコントロールするための情報を得にくいという意味で「情報の非対称性」がある。そこで、日本を徹底的に丸裸にし、そこにある情報を根こそぎ奪い、コントロールするためにあの手この手を打つ。
 そのひとつが高校生から社会人にいたるまで、実にさまざまな形で存在している「米国留学制度」である。もちろん、できの悪い子供たちの“お遊び留学”とは違う。目を付けられた優秀な学生やビジネスマンたちは、留学先でさまざまな「エスタブリッシュメント」と引き合わされ、「米国の価値観」を刷り込まれる。帰国した彼らの受け入れ先は米系外資という米国の「フロント企業」である。彼らはその経歴と肩書を利用して、日本企業、行政などに「アドバイザー」の顔をして潜り込んでいくのだ。

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昨日のNHK人気番組「今日の料理」に私の名前が使われてたww
最近よく使われるんだよね。
私の愛用してるものとか~。
私の名前とかぁ~。
私の知り合いの名前も私が見る番組で使われてるしぃ~。
同じ番組に偶然二人も知り合いと同じ名前だしねぇ~。
嫌がらせするためのTVなんだから不思議でも何でもないね。
こういうことが行われているといつ、バカな国民は気づくのだろうか。
被害者にならない限り気づくことはないだろうね。
私だって被害者にならなければ気づくことはなかったわけだし。


半島のことのブログ

2007-01-29 10:56:51 | 出来事
http://ameblo.jp/koramu/theme-10002348669.html

非常に興味深いブログだ。

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お知らせ ( 4 )
自虐史観からの脱却 ( 12 )
アジアでの日本の功績 ( 6 )
狙われた皇室 ( 5 )
皇室の価値と役割 ( 1 )
皇室のいい話・なごむ話 ( 4 )
皇室時事コラム ( 6 )
日本の国防問題 ( 1 )
日本の偉人に学ぶ ( 1 )
パチンコ問題 ( 19 )
私書箱から ( 5 )
朝鮮人の歴史捏造 ( 13 )
朝鮮人の実態 ( 12 )
管理人の言いたい放題 ( 6 )
朝鮮人国内工作 ( 21 )
在日朝鮮人問題 ( 3 )
韓国 ( 4 )
北朝鮮 ( 2 )
中国共産党の脅威 ( 4 )
売国奴 ( 2 )
工作員 きっこの日記 ( 6 )
その他 ( 5 )
動画 ( 1 )

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上記のことが綴られている。


http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/sekaisi.html

このサイトも面白い。

MIXIでのやりとり

2007-01-27 10:52:25 | 出来事
http://www.asyura2.com/07/war88/msg/210.html

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イスラエルのリブニ外相が先日来日した際、麻生外相か安倍総理と「拉致問題で協力」といった話題が出たと報じられた。イスラエルも「拉致」問題を同じように抱えているというのだ。けれど、イスラエルが抱えている「拉致」問題とは、パレスチナ側で捕虜になっている兵士1人(と、ヒズボッラー側で捕虜にされている兵士2人)のみ。それに対してイスラエルは何百人、何千人というパレスチナ人を拉致したままになっている。そんなうちのひとり、ジェニンのジャーナリストが3年後にやっと釈放されたという知らせが入った。

23日(火)に罪状ナシの「行政拘留」を解かれて、3年ぶりに釈放されたのは、ジャーナリストのムハンマド・ファヤドさん(39)で、これまでに6カ月の拘留を6回連続で受けて、イスラエルの獄中に留め置かれていた。その間にも弁護人はイスラエルの法廷に、何の罪で拘留されているのかを開示して欲しいと何度も訴えてきたが、とうとう最後まで明かされることはなかった。

逮捕された当時、ファヤドさんは、アル・クッズ紙やネットニュース社の特派員のほか、Jenin Foundation for Study and Researchという団体の所長をしていた。逮捕の理由にはファヤドさんが「イスラーム聖戦のメンバーである」ということがあったが、罪状は明らかにされなかった(実質、特定の罪状はないとみるほうが実態に即していると思われる)。

やっと釈放されたファヤドさんは、家族や近隣の人々から暖かい歓迎を受けたという。

このように罪状が特定されず、裁判もなく、拘留される「行政拘留」を受けているパレスチナ人は現在1200人になるという。そのうち、少なくとも20人は18歳以下の未成年者だ。ほかにパレスチナでは8000人ほどがイスラエルの獄中に置かれているが、本当に罪に問える者がその中でどれだけいるかというのは定かでない。

パレスチナ人たちはイスラエルによるこのような不当な「逮捕」を、「誘拐」または「拉致」と呼んでいる。現在もほぼ毎日、10数人単位で「拉致」は行われている(23日にはヘブロン周辺だけで女性2人を含む、17人が連行されている)。

     ~~~~~~~~

またまたどこかの国とそっくりな面が出てきた。
拉致!


http://www.asyura2.com/07/asia7/msg/115.html

     ~~~~~~~~

対馬市を訪れていた韓国人観光客が、同市上対馬町鰐浦の壱岐対馬国定公園内にムクゲの苗木十本を無断で植樹していたことから、同市は二十五日、違法行為に当たるとして撤去を要請。二十六日に撤去されることになった。韓国人らは「親善のために対馬を訪れ、記念に植えた。違法と知らず迷惑を掛けた」と話している。

    ~~~~~~~~~

常識もわからんのか。。。
それぞれの国によって常識は微妙に変わるわけだが、他国の国定公園に植樹とは。。。
親善じゃなくて、将来、
「ほら、ムクゲの樹がある! 対馬は韓国だったのだ!」
と捏造するためのものじゃないのか?


http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/sekaisi.html

面白いサイトを見つけた。
ヒマなとき読めばいい暇つぶしになるだろう。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14452710&comment_count=87&comm_id=189071

MIXIにいる人なら読める。
世の中おかしい、というコミュの「朝鮮半島の統一」というトピックでのやりとり。
昨夜、在日の方が降臨され、それ以後は素晴らしい展開になっている。
素晴らしいは嫌味でもなんでもなく、本当に良い意味での議論が始まったということ。
在日の人がまだ頭が柔らかいことと、その人が学校で習ったという歴史をコミュの人がソース付きで何が真実かを理解させようとしている。


     ~~~~~~~~~

あのさなんでみんな日本が南北に分かれる原因作ったことに対して指摘しないの?
日本が戦後責任をきちんととってないことにだれもつっこまないの?
ぶっちゃけ北朝鮮がどうとかいうまえにそこをはっきりしてほしい
子供でもわかる理屈で言うなら自分のことをきちんとできてないのに他人にとやかくいうな
ってかんじかな
意見を言う前に俺は在日朝鮮人です
だからといって北朝鮮びいきのつもりで下のことをいうわけではありません
ちょっとスレの趣旨とははずれますが今の北朝鮮問題はすこしおいといてください

まず朝鮮半島が南北に分かれた理由はまんま日本が朝鮮半島を植民地支配してたからです
植民地支配したまま敗戦を迎え北にはソ連が,南には米が入りました
その時生まれたのが38度線です
そこで南北にわかれたのです
ではなぜソ連や米が朝鮮半島にはいって援助等をする必要があったのでしょうか?
日本が朝鮮半島を植民地支配していたからですよね
だから南北にわかれる原因を作ったのは日本だといったのです

30では日本が戦後責任をとってないといったのですが厳密にいえば韓国にはしてます
しかし額があまりにも不当だったそうです
記録によると一人につき日本円にして2000円程度だそうです
この程度の額で戦後責任を果たしたと言い切れるのでしょうか?
ここはドイツを見習って欲しいですね


最後に今の北朝鮮問題についてですが拉致問題はかならず解決すべき問題であって厳しく追及すべきだと私は思います
しかしそれをするなら日本も過去精算をきちんとすべきだとも思います

以上いち在日朝鮮人の意見でした
ここにはアナタのような主張に対し、グウの音も出なくなるような反論をしてくれる方がたくさんいます。
どうか感情的にならずにたくさん勉強していって下さいね。

差し当り、日本が「植民地支配」したとしてなぜそれが分断の原因となるのか、因果関係が全く示されていません。
せめてもう少し説得的な理屈を考えて下さい。
ああ、ついでにアナタのいう「植民地支配」とはどのような状況を指すのか、調べてから書いてみて下さいね。
憶測はダメです。
それではまた明日。

明朝までには決着ついてそうですが(笑)
まず自分は別に歴史学者でもなんでもないただの学生ですので説明が足りない部分はお許しください
できるだけ調べます

40>
普通に学校の歴史の時間でならいましたし気になったとこは図書館で調べたりネットなどをつかいました

39,41>
では日本が植民地支配をしなかったとしましょう
朝鮮半島の北にソ連が,南に米がはいる理由がありますか?
いちいち復興などの援助に入る必要がありますか?
まぁそうですね…

ちなみおれはあなたみたいな物事の言い方とてもいいとおもいます。

わからないんですよ。何をすればいいか。
なにを求められてるか。

仲良くしたいが必要以上に嫌われてる。

韓国政府の態度がどうも納得いかないのです。

総理が謝罪をしたのにそれを公式に発表してないらしい。

まぁこちらも朝鮮人ってだけで毛嫌いするあほな日本人もいますが!

テレビで北朝鮮の異常さを取り扱った番組沢山あります。
日本人の常識でおかしいといいます。
良いところは何ひとつ放映されません。
おかしいとはおもいます。

我々はどうするべきだとおもいますか?

>ではなぜソ連や米が朝鮮半島にはいって援助等をする必要があったのでしょうか?
>日本が朝鮮半島を植民地支配していたからですよね

多分ここが間違い。


ある国が他国を支援するとき、なんらかの意図が背後にあることを前提に考えて下さい。
人道的な理由だけで他国を援助して、自国の経済に負担をかけるだけであれば、それは失策であり、国民からの理解は得られません。
国家と言うのは自国民を守ることが最優先であり、他の国の人民の命は二の次にしてでも守る義務があるんですよ。
それをすれば自国の利益になる、もしくはそれをしなければ時刻の不利益になる理由があったはずですよ。
調べればわかると思いますが。
http://koreanthe3rd.jp/

45さん
何をすればいいか・・・・・
その答えの中の一つに上のような選択をした方もいますよ。
あくまで、参考までに。

42>
私が知っていることを書きます
まずは私たち在日朝鮮人が生まれた原因である強制連行です
朝鮮半島にすんでいた住人を日本に強制的に連行し重労働をさせました
1945年には日本に訳250万人もの朝鮮半島の人たちが日本いました
次に名前です
創氏改名といってもとの名前を捨て日本の名前にすることを強要しそれに応じない場合は拷問等を加えたました
他には従軍慰安婦なんかもそうですね
これについては今更裁判をおこしてどうせ嘘なんだろとか騒いでればお金がもらえると思って騒いでるだけといった話がありますがもう80前後になる高齢者がそんなことだけのために裁判を起こすでしょうか?
これについてはなぜ今まで裁判をおこさなかったのかは調べがついておりませんのこれ以上はいえませんが

これが支配でなくなんですか?
これらの人権を無視した行為に対して責任はとる必要があるのではないでしょうか?

47>
ご指摘ありがとうございます
これについては私も不勉強な所がございます
後学のためよければ意見を聞かせて欲しいです

そうなんですか
それは私の不勉強でした
前に当時14歳の方とお会いする機会があったのでそのときに強制と聞いたのですが

はじめまして。私は朝鮮人を毛嫌いしていますが、キチンと話し合える人とは話し合いたいと思っています。

まず最初に、どの情報が正しくて、どの情報が間違っているかを決めるのは全て個々の選択だという事を伝えておきます。

文章が長くなるので、まずは在日朝鮮人の問題について、あくまで私の知っている事を述べます。

在日朝鮮人は望んで日本に来ました。満州併合時に日本が整備した電気や上下水道のインフラを朝鮮戦争で破壊してしまい、日本へ非難してきた人たちです。日本も人道的観点から彼らを受け入れました。そして色々な職を与えてもいます。

そうしている間に朝鮮戦争集結。日本は在日朝鮮人のみなさんに帰国するように勧めました。しかし彼らは日本が気に入っており(というよりも非難してきた時点で朝鮮半島に愛想をつかしており)、戻る事を拒否しました。

追い出すわけにも行かず、しかたなくそれを認めていると、突然、強制連行の話が出てきたのです。

これはあくまでも私が勉強した内容です。日本の学校で教えている内容ではありませんし、韓国のものとも違います。どれが正しいと思うかはあなたが選んでください。疑問があればこれからもお答えします。

http://www.asahicom.com/anotoki/zai.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E6%B0%8F%E6%94%B9%E5%90%8D
http://freett.com/iu/memo/Chapter-010406.html
黄錦周とかも有名ですね。

これらのソースがすべて正しいかどうか知りませんが、
時代を考える事。友好国かどうか考える事。
日本人と朝鮮人の文化の違いを考える事。
物事を考えるときはソースを探すこと。
ソースの真偽を考える事。
そうゆう事はすべきですね・・・・・・・

私の調べたもののなかには日本の資料もありました
それも偽物なのですか?
なにも朝鮮側からだけ調べて書き込んでるわけではありません

>まずは私たち在日朝鮮人が生まれた原因である強制連行です

日本では国に帰れるように支援事業がありました。
私の記憶だと朝鮮は含まれていませんでしたが、
帰国を断った経緯があるみたいです。
こちらは事実確認をまだしておりません。
台湾等には確実にありました。

>これについては今更裁判をおこしてどうせ嘘なんだろとか騒いでればお金がもらえると思って騒いでるだけといった話がありますがもう80前後になる高齢者がそんなことだけのために裁判を起こすでしょうか?

証言が二転三転しています。
各個論破されています。生まれた年とかなぜか変わりますが、
すでに論破されてますので詳細は自分で調べてみてください。

>従軍慰安婦

について韓国人自身がやっていた事実もあるのですが?
韓国人自身がやったのはよろしいのでしょうか?
ちなみに韓国に慰安所があったことは御存知ですよね?
それについても道徳的な価値観から
韓国にそういうものがあってもいいのか知りたいと思います。

私と少しメッセで話して欲しいです
今日はもう少しで寝ますけどね

私が調べたものの中にもそれと同じようなことがありましたが時期が少しずれてますね
私が調べた者ではたしか大戦中だと記してありました
また違う記録のようですね

どこでそれを学んだのですか?
それは私も学ぼうとすれば学べる所ですか?
自分のルーツに関することにはとても興味あるのでどんな話でも聞きたいです

日本国が朝鮮に対して責任を負うのはポツダム宣言以前です。
それ以降は、逆にいえば、日本国は朝鮮の責任を負う権限がありません。
朝鮮をどうこうする自由があったのは戦勝国であり、その後の処遇にケチをつけたければ、その後、朝鮮に対して責任を負う権利があったものに言って下さい。

「1945年8月15日に大日本帝国がポツダム宣言を受け入れ連合国に降伏することで、朝鮮半島は植民地支配から解放された。」
そして、朝鮮に対する権利をポツダム宣言後有していたのは朝鮮半島自体です。
それからの経緯は、米ソが戦略として上手く南北を引き裂いたとも言えますが、その戦略に乗った(選んだ)のは南北朝鮮の選択であり、乗せられた(誘導された)のも南北朝鮮の選択です。


併合に関しても同様です。
当時の国際状況から、日本はより国力を増強する必要があった。
大国中国ですら欧米列強に敗れ、その後の支配は酷いもので、朝鮮半島はどこかに庇護国を得る必要があった。
お互い合意の上でなくば併合に至らないんですよ。
結果、少なくとも、他の西欧諸国の侵略より、遥かにマシな統治を朝鮮半島は受けています。
その差も、少し調べてみれば色々出てくるのではないでしょうか?




合意の上の併合(半島内に反対派がいたとしても、政府レベルでは合意)。
日本国の財政を注ぎ込んで近代化させるという、他国の植民地支配ではありえないほどの責任を持って行われた併合。
日本国が責任を負う権利を失った後で、強国の意思に乗せられながらも、自身らで選び取った分裂。



現在の朝鮮分裂を、日本の責任とするのは自国の歴史に責任を持たない証拠ですよ。


ちょっと日本視点寄りかもしれませんが、色々まとまってるHPです。
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html
お暇な時にでも読んで下さい。
このページで指摘されているような点に気付いた日本人が増えつつあることも知って貰えれば幸いです。

61>
是非話しましょう
私の意見を伝えるよりできれば学びたいです
もしよければ時間のある時に御願いできませんか?

62>
そういってくれるのはうれしいのですがなにぶん僕が不勉強なのでどこまでご希望に添えるかわかりませんがこれからもどんどん意見交換したいです
これから私の投稿の中には矛盾だとか言いたいことがはっきりしないとか文章力の無さがもろにでるとおもうのでそれを指摘してもらえればうれしいです
自分の言いたいことをきちんと伝えるのも勉強ですから
御願いします

なにを話すにしてもソースは大事だと思います。
自分はいまいちなソースしか探せなかったのでいい加減なことはいえません。
タコチューさんの言っていることが間違っている可能性もあります。日本人の主張が間違っていることもあります。
ただ、両方の意見をきちんと聞いて自分の意見というものを見つけて欲しいです。
その為にはソースの提示だけは欠かせないことを知って置いてください。

日本人の総意とは思いませんが日本人の主張として参考HPを張っておきますね

http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

◆強制連行のウソ

在日韓国・朝群人はよく「我々は強制連行されてきた!」と主張します。
しかしそれば真実なのでしょうか?


 1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、昭和20年9月1日以前に日本に上陸したとされる在日韓国・朝鮮人8万3030人のうち、日本政府が朝鮮人の来日を制限していた昭和10年までに渡来したのが44612人で全体の53.7%と半分以上になっています。 昭和11~15年はまだ民間あっせん業者による自由募集の期間であり、次の16~19年の中でも、国民徴用令が朝鮮に適用されたのは昭和19(1944)年9月でした。ですので「強制連行」の根拠とされている「徴用」による徴集は同年9月~12月の4カ月間となるので、単純に計算してもこの期間に徴用された者は、昭和16~19年の48ケ月間に来日したとされる1万4514人のうち12分の1、つまり1210人(全体の1.46%)ほどに過ぎません。そこに「昭和20年9月1日以前」の679人(0.8%)を加えた概算1889人(2.3%)ほどが、真に徴用の名に値する在日朝鮮人だという事になります。仮に「官あっせん」を徴用の概念の中に入れ、官あっせんが行われていた昭和17年2月~19年8月の来日者の推計数を全部加えても約1万1300人(14%)ほどです。

 よく誤解されていますが、日本は朝鮮半島を植民地化したのではなく併合したのであり、当時の朝鮮人は日本国籍を持ち権利・義務も日本人と同等でした。つまりこれは国民の義務としての徴集であり、日本人も全く同じ条件であった訳で、強制連行などではありません。(ちなみに当時の帝国議会には、約10名の朝鮮人議員が議席を有し、陸軍では中将にまで昇進した朝鮮人軍人もいました。)

 この推定は、昭和16~19年間の月間来日数を均等として考えたものですが、実際には関釜連絡船の運航は終戦が近くなるにつれ次第に困難になりつつあったので、昭和19年後半からの来日徴用者は減少しているはずであり、「強制連行」の概念を広く解釈しても、10%を大きく超えるような事は考えられません。

 そしてこれは在日韓国人自体の調査によっても裏付けられています。1988年2月に発刊された「 "我々の歴史を取り戻す運動" 報告書」(在日本大韓民国青年会中央本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収録されています。これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は13.3%に過ぎず、経済的理由(39.6%)、「結婚・親族との同居」(17.3%)に次いで3番目です。この13.3%のうち、徴兵は0.5%で、残りが徴用ということになります。

 しかし、「渡日年度別に見た渡日理由」によると、徴用は1926~30年に6人、1931~35年に9人、1936~40年に51人とあります。国民徴用令が公布されたのは1939(昭和14)年7月ですが、これが朝鮮に適用されたのは前述のように1944(昭和19)年9月ですので、この「徴用による渡日」という回答は思い違いによるものと思われます。また1941~45(昭和16~20)年の徴兵、徴用と答えたのは76人ですが、この場合も、徴用が実施されていた1944年9月以降終戦までの一年分だけを前期の方法で算出すれば16人、すなわち全体の1.5%にしかなりません。法務省の数字の場合と同様に官あっせんを徴用と考えても(1942年2月以降)59人=5.4%となり、徴兵を加えても5.9%です。
 また、かつて朝鮮人学校で父母の来日動機を調査したところ、「朝鮮では食えないから渡航して来た」という回答がほとんどだったと言われています。

 そして戦後日本はGHQの「全員帰国を達成せよ」という指令もあり、全ての希望者に帰国のための船便を提供するなど、当時の在日朝鮮人の引き揚げに最大限の協力をしています。更に大正時代からの大量の密航者や、朝鮮戦争時に受け入れた大量の難民や密航者もこれに加えると、今日本国内にいるほとんどの在日韓国・朝鮮人が、徴用とは全く関係の無い、単に職を求めて合法・非合法に来日した人達、またその子孫ばかりであるという事が分かります。

      ~~~~~~~~~~

一部抜粋しました。
名前は意識して消してあります。



南京の真実

2007-01-26 11:15:58 | 出来事
http://www.asyura2.com/07/war88/msg/178.html

1月25日付けの「Guardian」より。

アメリカ軍は、マイクロ波を放射することによって、火に触ったような感じを与え、思わず武器を手放なさせる効果のある「Active Denial System」と呼ばれるハイテク兵器(通称:レイ・ガン=ray gun)を開発した事を明らかにした。一度に500人規模で効果があるとの事で、身体に害はない。


マイクロ波はあるが電磁波はないと誰がいえるのだろうか。


http://www.asyura2.com/07/war88/msg/167.html

日本人はあくまでも日本人であり、ルーツなど関係ない。


ユダヤ・イスラエルによる日本民族のDNA鑑定は、単なる真実を究明する学究的な関心や興味を超えて、これは日本民族を分断し混乱を煽る謀略以外の何物でもない。そんなことをすれば、コソボ紛争のように、多民族同士が相争う内乱化であろう。精々が、日本は複合多民族国家であると言う根本認識を新たにすることで充分であり、それ以上のルーツ探しなど不要であり、むしろ有害でさえある。

 日本にとって大切なことは、複合多民族社会であることを再認識することであるのは当然だが、むしろ日本に流入してきた者同士は、運命共同体の日本人として一致団結して生きていく気概、日本民族の心を一つにする覚悟が必須であろう。運命を共にする気概、心を一つにする覚悟は、何もルーツ探しではない。むしろ、DNA鑑定に伴うルーツ探しは、運命を共にすることに逆行するもので、日本民族を分断し、運命共同体の結束を崩壊させるものでしかない。


http://www.asyura2.com/07/senkyo30/msg/187.html

その次は、拘置所や刑務所内部の「創価組織」の出番かもな。麻原が東京拘置所で薬物漬けで廃人にされたようなことが、また、起きるかもな。周囲の刑務職員、全員創価とかでね。


植草教授の冤罪がなぜ起きたのか、わかりやすく書いてある。


http://www.asyura2.com/0610/hihyo4/msg/511.html

私が「警察から尾行されて、それをビデオに収めたんでしょ。何で放映しなかったんですか?」ときくと、鳥越氏は「よく知ってるねえ」と驚き、「テレビ朝日上層部が警察と取り引きしたんだよ」と憮然とした表情でいったのだ。

本稿執筆にあたり、何度か鳥越氏に電話で取材した。鳥越氏の説明は二転三転したが、まとめると次のようになる。

「『Nシステム』を放映した何週か後に、山路が警察に尾行され、オレが義憤を感じて『ザ・スクープ』で取り上げようとしたが、できなかったことはある。当時、そのビデオを放映していれば、『盗聴法』は成立しなかったと思う。しかし、テレビ朝日と警察が取り引きしたかどうかオレは直接知らない。(パネルディスカッションのときは)推測で話したかもしれない」

 栗原直汎テレビ朝日広報部長は「山路さんが『ザ・スクープ』に持ち込んだ素材を検討した結果、放送には値しないという局側の判断で放送しなかった。警察と取り引きはしていない」と話す。

 一方、警視庁広報課は「特定の人物を尾行したことがあるか否かというようなことについては回答できない」とコメントするだけで、こちらの質問事項にある「テレビ朝日との交渉や取り引きの内容」については答えなかった。

 テレビ朝日が「報道機関」を標榜するのであれば、封印されたビデオを放映し、一連の経過を説明するべきではないか。



http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=103407

このビデオを見ていただきたい。
学者さんが時間をかけて集めた写真を、これまた時間をかけて検証したものだ。

↓に厳選! 韓国情報★のレスに興味深いものがあったので張っておく。


「南京の真実」ついに映画化!!  (Unknown)

2007-01-25 00:50:08

この半世紀、情報戦において防戦一方だった日本が、ついに攻勢に転じる!!

メールマガジン「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」2007年1月25日号より転載
↓↓↓↓↓↓ 


今朝(1月23日)、都内のホテルで歴史的な記者会見が開催された。
 
日本の保守陣営が大同団結し、誤謬だらけの戦後の歴史認識と中国がばらまくインチキ歴史解釈の訂正のために、映像というもっとも効果的な方法での反撃が開始されたのである。
南京攻略戦の真実を伝え、中国と米国の政治謀略「南京大虐殺」の嘘を暴くドキュメンタアリー映画「南京の真実」の制作発表と記者会見が開かれた。

この映画は情報戦でもあり、英語版、中国語版がつくられ世界同時公開を目指す。
またインターネットの動画による配信も計画されている。公開は南京70周年の12月を目処としている。

記者会見は超満員となった。
まずプロジューサー兼監督の水島総氏が挨拶、ひきつづき上智大学名誉教授の渡部昇一氏が「田中上奏文のインチキを当時、だれも真剣に反論しなかった。情報戦にやぶれることはかくも凄まじい結果をまねく。メディアにはメディアで、情報戦には情報戦で闘おう」。

南京学会会長でもある東中野修道教授は、
「おととしニュー・オーリンズを襲ったハリケーンのときに、強盗、強姦、放火,暴行が蔓延していると言う噂が拡がった。調べてみるとデマであった。
南京の報道は陥落(1937年12月13日)から三日後に米国の新聞にでたが、爾後、東京裁判まで一切語られることが無かった。
突如、1946年からの東京裁判で浮上し、1972年本多勝一の『中国の旅』で、中国側の宣伝キャンペーンが開始された。そこで南京に派遣された、生き残りの将校に数知れずインタビューしたが、誰もが「このまま(嘘の不名誉がばらまかれたまま)では死ねない」と言った。
南京陥落から蒋介石軍は、漢口から重慶まで逃げて、その間、じつに300回も外人記者団との会見を開いたが、ただの一回も南京問題がでてこなかった。
また当時の国民党中央宣伝部の用意したプレス・リリースにも一切現れていない。国民党報告には、一件の殺人事件さえ報告されていない」。



▼国会議員も超党派で支援に駆けつけた

記者会見には国会議員も多数が詰めかけ心底からの熱弁を振るった。
まず西村真悟(衆議院)議員は、「いよいよ日本側の反撃が開始される。これまで日本の議会は中国の工作に屈服してきた。虐殺は1927年の国民党の南京入城のさいに起きた。あれこそが南京の真実である」。

松原仁(衆議院)議員は、
「当時、外国人が居住したのは『安全区』で、しかし国民党は『安全区』のなかにさえ砲台をつくった」。

戸井田徹(衆議院)議員。
「選挙区の講演会で挙手を求めると、じつに90%の日本人は『南京大虐殺があったか、どうか、知らない』と答えるほど、関心がない。我々の先輩は少なくともいまの日本人よりは立派だった。あんな事件を日本人が起こすわけはないのに、たとえば国会図書館関係筋ではBC級の裁判資料さえ、公開を憚ってきたのである。ようやく公開される運びとなって、行動はこれからだ」。

渡部郎(衆議院)議員。
「ティンパリーの嘘放送は蒋介石国民党の宣伝だったが、あれは米国を参戦させるための謀略文書。ところが、いまの日本人は歴史をしらず、大学入試どころか、高校で日本史が選択科目、日本人が自国の歴史を知らない。超党派で、この問題に取り組まなければならない」。

赤池誠章(衆議院)議員。
「中国社会科学院の学者らと議論したが、彼我の差は大きく、歴史認識が縮まることはない、と確信した。中国の歴史解釈とはときの権力者に正当性を付与するのが目的であり、政府の正当性を喧伝する武器。その道具に日本が使われているのだ」。

鷲尾英一朗(衆議院)議員。
「若いひとに歴史の真実を残しておかなければならない。全世界を相手に、この情報戦を闘わなければならない。大変な作業となるが、ともに闘いましょう」。

笠浩史(衆議院)議員。
「教科書問題、歴史認識問題は、国会でさえ、過去の難しい問題は好い加減にせよという意見を聞く。このどうでもいいさというムードに危機感を抱く」。

松本洋平(衆議院)議員。
「歴史の真実を明らかにすることは、国の名誉と誇りの回復であり、これからの日本人が世界に胸をはっていきていくためにも是非とも必要である。

稲田朋美(衆議院)議員。
「愛国暴走は中国人にとっては正義、偉い人を庇うのも中国人の正義。真実を追究してやまない日本人と天地のへだたりがある。先日も百人斬り訴訟で、我が国の最高裁判所が、百人斬るという嘘は、限りなく嘘に近いが、一部灰色である限りは個人の名誉云々は争えない、として不当判決をだした。
国家の名誉を守るのは裁判所ではない、政治家である」。

松下新平(参議院)議員は、
「宮崎県選出だが、歴史の真実を伝えるのは政治家の責務であると認識している」。

大江康弘(参議院)議員は、
「国会の議論の虚ろなこと、多くの議員は、この歴史問題に関心が薄い。台湾のことでも、本質議論に関心がうすく、たとえば関空第二滑走路を早めに完成することが決まったのも、理由は「華僑大会」が関西で行われるからというではないか」と現状のひどさを訴えた。
▼米国でも常識と扱われている南京

さて、会場には加瀬英明、藤岡信勝、佐藤和男、中村アキラ、大高美貴、井尻千男、小山和伸、日下公人、勝岡寛次、佐藤克己、篠沢秀夫、田中英道、高森明勅、西尾幹二、西村幸祐、水間政憲、三輪和雄、八木秀次、山際澄夫氏ら、列挙できないほど夥しい有識者、大学教授、ジャーナリストが集合した。
それぞれが、この映画への期待と所信を連続的に表明した。
このため、記者会見は質疑応答を含め、じつに二時間にも及んだ。

映画『プライド』をつくった経験もある外交評論家の加瀬英明氏は、
「米国では南京とナチスが同列におかれて南京虐殺は常識となっている。日本の国益を守るべきである」

教科書問題の偏向と闘う藤岡信勝氏は、
「アイリス・チャンの考証もされていない本が基礎となっているが、アイリスの翻訳さえ日本では左翼系出版社も、あまりに誤りが多いので出さなかった。
こんな出鱈目本を基礎に、あのアメリカが映画を作ったのだが、日本でさえ文部省検定では南京事件があったことを書かないと検定が通らないという惨状を呈している」

国際法に詳しい佐藤和男名誉教授は、
「東京裁判は日本人に罪悪感を抱かせるための政治ショーに過ぎない。原爆投下は史上最悪の犯罪だが、南京は米国の原爆犯罪のすり替えだ」。

大東亜戦争の研究で知られる中村アキラ教授は、
「政府が何もしないので民間が立ち上がったのである。南京に参加した多くの将校にインタビューしたビデオもたくさんある。南京は完全なフィクションである」。

歴史に詳しい勝岡寛次(明星大学教授)は、
「日中共同歴史研究はなりたつまい。中国は最初から、侵略戦争という政治用語、プロパガンダ語彙を持ち出してきている。之では議論が成立しない」。


▼日本人いがいに日本人の不名誉は回復できない

機密文書を連続的にすっぱ抜くジャーナリストの水間政憲氏は、
「世界の反日ネット網が完成しており、こうした歴史解釈の偏向ぶりの嚆矢となったのは中国帰国者連盟だ。およそ1000人が洗脳され、命と引き替えに出鱈目な証言を72年からなしてきたからだ。82年から中国の歴史教科書に南京事件が掲載されるようになったのだ」。

評論家の西尾幹二氏。
「サダム・フセインの処刑を東条英樹とならべて朝日は、日本の保守派に言いがかりをつける戦術にでてきた。 勝利者が負者を裁くという意味で、拙速だったという点で、ニュールンベルグ裁判と東京裁判は似ているが、これは保守の反論を防ぐ目的もあった。
もとより人道の罪などと東京裁判はナチス裁判の側杖を食った形である」。

東北大学名誉教授の田中英道氏。
「ナチ、原爆、そして文革。この三つが二十世紀の歴史的犯罪だ。文革へのすり替えが、中国にとって南京大虐殺だった」。

篠沢秀夫(作家、学習院大学名誉教授)は、
「電車内で足を踏まれたら、足を踏んでますよ、くらいは言っても良い」

ジャーナリストの山際澄夫氏、「日本人の名誉を回復させるのは日本人しかいない」

大高美貴(ジャーナリスト)さんは、
「恐れを知らない中国の行為は、死者への冒涜である。チベットも蒙古もウィグルも、日本が立ち上がることに大いに期待しており、そしてアジアに幸せがくる。
この映画作製による思想戦は、日本の崇高な使命だ」。


▼ふりかかる火の粉は取り払わなければならない

多摩大学教授もつとめたエコノミストの日下公人氏。
「中国の反日プロバガンダは米国に主舞台。理由は日米離間。であれば日本側の反撃も米国に焦点を当てて、狙いを米中離間におくべきだろう。

歴史学者の高森明勅氏。
「インテリジェンスがいかに国益にとって重要であるか」

さて会場に小生も出向いたので一言つぎのように述べた。
(宮崎正弘)「田中上奏文が嘘であることは昨今ようやく世界的にばれてきたが、南京は、いってみれば日本にふりかかった『シオンの議定書』だ。
帝政時代のロシア秘密警察のつくった偽造文書『シオンの議定書』がユダヤ人虐殺に正当性の口実をあたえ、やがてナチスが援用した。ユダヤ人は本当に虐殺された。
もし“南京大虐殺”なる偽造文書まがいの嘘放送、政治プロパガンダを、このまま日本が放置してしまったならば、やがて日本人をまちうける運命はいかなるものになるのか? ふりかかる炎は取り払わなければならない」。

なお、詳しくは「映画「南京の真実」制作委員会 
電話(5464)1937
http://www.nankinnoshinjitsu.com/

メールマガジン「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
http://www.melma.com/backnumber_45206/


やっと日本も立ち上がりつつある。
南京とアウシュビッツは日本とドイツを叩き潰すためのものでしかない。
これから真実を世界に発信していくよう、私たちも協力しなければならない。





マスゴミの嘘に踊らされる日本人

2007-01-25 11:40:07 | 出来事
http://www.yoshiohotta.com/washington/2007/washington0701.html

「イラク人はアメリカ人を本当に毛嫌いしている。現地に入って理由がわかった。無理やり馴染みのない民主主義を押しつけても、イラク人がすんなりと受け入れるわけがないんだ。考えてもみてほしい。仮に日本がアメリカに軍事侵攻してワシントンを陥落し、日本式の政治システムを強要したとしよう。いくらブッシュがアホでも、アメリカ人は『それはあまりにも横暴』と必ず反発する。この点を理解しないブッシュはアホ以外の何ものでもない」

マークはさらに、米軍がイラクの国家警備隊に支給した短銃や装備が市場で売られている現実にあ然とさせられたといった。いくらフセインが処刑されても、本質的なモラルの向上がないかぎり、お仕着せの民主主義は機能しない。


このマークという青年の言葉がアメリカの普通の市民の言葉ではないだろうか。
シオニストに操られているブッシュとはかけ離れているのだ。
ちなみにアメリカではユダヤ人のことはタブーだ。
タブーを犯罪者は利用する。


http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/113.html

「冤罪はこうして作られる」の典型。「おまえでなければ身内を逮捕する」と言われて偽りの自白をしてしまう人は多いようだ。

問題は、その異変について市民病院からクリニックに問い合わせがあったとき、最初に守被告の名前を出したのは誰か? ということだ。自分に嫌疑がかかるのを防ぐには、別の誰かを指差すのが一番だからだ。

私自身は、以下の行動を取った人物はかなり高い確率で同一者ではないかと考えている。


・急変事例に薬物投与による犯罪が疑われたとき、守被告の名前を最初に出した人物。
・事件が報道されたとき、守被告が当直のときには急変が重なるというデマを流した人物(実際には「急変の守」などという言葉はなかった)。
・5歳の男児が点滴直後に急変死亡した例があるが、このときの点滴をなぜか病室で拵えた人物(男児の祖母が一部始終を目撃するも、警察は祖母に口止めをしている)。
・事件が警察沙汰になるかならないかというときに、入院中の5歳男児に利尿剤を投与して急変させた人物(この件は薬物投与が明らかにもかかわらず事件化されなかった)。
・裁判で「守被告は子どもと老人が嫌いだと言っていた」とウソの証言をした人物(被害者は主に老人と子どもである)。


最初にうそをついたモノ。
神戸少年殺人事件の犯人とされてA少年を陥れたY少年のようではないか。
秋田の鈴鹿容疑者も近所の人、みかけた人、などいろいろ目撃情報が出ているようだが、これら全てが一人の人物、もしくは同じ組織に属するモノではないと誰がいえるだろう。
和歌山カレー殺人事件もそうだ。
林容疑者が怪しいと最初に言ったのは誰だ?
次々に出る新情報に全て検証したのか?

http://sakakibaraseito1997.web.fc2.com/index.html

少年Aについての考察はこのサイトが詳しい。


http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/111.html

犯人も被害者も家族、しかも子供だった両親はどんな思いでいることだろうか。
それを考えもしないで想像を含めた報道で面白半分に流しまくるマスゴミ。
事件は事実だけを簡潔に報道すればいい。


http://www.asyura2.com/0610/hihyo4/msg/502.html

池田信夫氏の23日のブログではあっさりとテレビ局では番組内容のチェックは出来ないと述べられていますが、池田氏はNHK出身であり業界の体質をよく知っている。日本のマスコミにはこのような無責任な売国奴的な業界人がたくさんいる。どういうわけか半島系の人が多いようですが、そのようなテレビで洗脳されてはたまらない。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/d/20070123

日本テレビでは対馬が韓国領と報道された!

◆日本テレビが対馬を韓国領として報道した件について  mumurブログ
http://blog.livedoor.jp/mumur/archives/14181532.html

221 名前:報告 2/3 New! 投稿日:05/02/12 22:59:14 ID:pmgUH2W0
(5分後)

日テレ 「プロデューサーの○○です」
ウリ  「地図の件な。アレ、どうするつもりですか?」
日テレ 「大変、申し訳ありません。CGの製作で・・・」
ウリ  「それは、さっき聞いた。では、なんで訂正と謝罪のテロップを出さんかったんや? 対馬は韓国領やと。これはアナタ個人のご認識?、それとも日テレのご見解やろか?。」
日テレ 「いや、故意にやったわけではない、と。これだけはご理解を頂きますよう・・・」
ウリ  「そこ、いちばん怪しいねんけどなぁ。まぁ、いずれにせよ、責任とりなさいや!」
日テレ 「えー、訂正のテロップについては、生放送ではないという事情もありまして、 技術的に不可能だったわけです。何卒、ご理解ください。 訂正放送に関しては、これから上司と協議いたします。 協議の途中経過と結果については、休日明けの月曜日に、再度ご報告させていただきます。 」
ウリ  「協議のいきさつより、訂正・謝罪の有る無しが肝心ですやろ?。
    それも、たかが『不適切な表現がありました』では、番組を見てない国民は、何の話か解からへん。
    その地図をバチーッとTVに出して、事の顛末をキチッと説明して、『申し訳ございません』というのがスジやね。
    自らの誠意ある対応をもって示せ!」


日本の放送局ですよ!
韓国の放送局じゃないんですよ!
反日日本人、在日の方には大好きなお国に帰っていただきましょう。
脱税で溜め込んでる金がいっぱいあるでしょぉ。
祖国に何兆円と送っているでしょぉ。
大体反日外国人のくせに、なんで大嫌いな日本に居座り続ける必要があるのか?
答えは簡単。
日本人の振りをして内部から日本を乗っ取るため。
少しは危機感を持ったほうがいいだろう。






精神病はあるのか

2007-01-24 11:12:51 | 考えていること
http://www.asyura2.com/07/war88/msg/114.html

確かどこかの国の元首相も強姦殺人魔なはずなのだが、言論封鎖したね。

http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/koizumiseikenco/rapezikenco.htm
http://www.paperbomb.jp/

鹿砦社の社長は元首相の早稲田在学中の婦女暴行事件を報道したせいで、別件逮捕された。
言論の自由はない。


MIXIで精神病はあるのか、という議論を興味深く読んでいる。
ある派と精神病は甘え派とに分かれて議論している。
私は精神病はある派であるが、作られた精神病もあると思っている。
ていうか、被害者なら精神病にされる人がいることはわかっていることだろう。
政府に都合の悪い意見を言う者は精神疾患として抹殺。
今は静観しているが、どのように書けばいいだろう。
「日本のタブー」というコミュで議論されているので、興味ある被害者は参加してみてはどうだろう。
加害者が集団ストーカーの被害者だと名乗って、いかにも電波な書き込みをする可能性もあるわけだが。

パレスチナ問題 2

2007-01-23 11:44:52 | 出来事
広河隆一取材の証言

 アハメド・モハメド・ハリル・アブファラジ (70 歳)

 妹のユスラは私たちと一緒に避難することを拒んだ。私は、彼女は年をとっているし、ぼけているから危害を加えられる心配はないと考えた。ところが、占領から 5 日後、イスラエル兵が来て、家に死体がある、と言った。そこで私は姉の死体を見つけた。ヘリコプターからのミサイルで撃ち殺された彼女の遺体は、5 日間放置されていたのだった。

 近所の住人の話によれば、姉の家の近くでは戦闘はなかったという。これは、イスラエル軍の無差別攻撃によるものだと思う。

 ハラ・モハンメド・アル=ロマラト (32 歳)

 息子のハニは、占領の最初の日に殺されました。祖母の家からの帰り道だったのですが、イスラエル兵が難民キャンプに侵入しようとしている事を伝えようとしていたんです。

 息子が家に戻って 5 分後、近所の女性が助けを求めて叫びました。誰かがヘリコプターのロケット弾で、負傷したのです。それで息子が手助けしようとドアを開けて、一歩足を踏み出した瞬間でした。息子は撃たれました。イスラエル兵がモスクから狙っていたのです。息子は即死でした。15 分後、救急車が来て病院に連れて行きました。

 2 日後の金曜日、イスラエル兵は、私たちの家をロケットで攻撃してきました。私たちがいた寝室の隣りが攻撃されたので、より安全な台所へ逃げました。そうしたら今度は私たちの家と隣りの家の間で爆弾が炸裂したので、私たちはまた寝室に舞い戻りました。

 そして、何時間か後に静寂が訪れました。夫は「まだ不発弾があるかもしれない。安全かどうか確認してくる」と言って、居間に行こうとしました。危険を感じたので、私は彼を止めようとしました。しかし、彼は少しためらった後、居間に向かいました。3 分後、私を呼ぶ彼の声が聞こえました。行ってみると、そこにはひどく怪我をした彼の姿がありました。

 私は「何が起こったの?」と聞きましたが、彼自身何が起こったのか分からない様子でした。彼は私を見つめました。その目はまるで「死んでしまう、何とかして助けてくれ」と訴えかけているようでした。私はどうしたら良いのかわかりませんでした。そして数分後に彼は息を引き取ったのです。

 私たちは彼の遺体と 7 日間過ごしました。その間、救急車は来てくれなかったのです。病院に何度も頼みましたが、答はきまって「イスラエル兵がキャンプを封鎖して、誰も入れさせてくれない」でした。結局、救急車が来たのは 7 日後でした。

 ルファイデ・ファトヒ・アブドラ・ジャマル (35 歳)

 私の妹ファドワは看護婦をしていましたが、イスラエル軍が再占領しはじめたと聞いて、ジェニン難民キャンプの私の家に助けに来ていたのです。

 占領が始まって数日後、大勢の人が「医者を呼べ!」と叫んでいるのが聞こえました。民間人男性が負傷したのです。

 妹は助けに行こうとしました。私の夫は、それを許しませんでしたが、妹はどうしても行くと言いはりました。彼女は看護服に着替え、お祈りを済ませました。私は妹と一緒に行く決意をし、二人で出かけました。

 家を離れ、少し行ったところで、負傷者はどこにいるか尋ねました。その時、私は脚を撃たれました。イスラエル兵がモスクの上から狙っていたのです。ファドワが私のところに駆け寄った瞬間、彼女も撃たれました。同じ場所からの発砲でした。彼らは私たちに向かって発砲を続けました。私はもう一発銃弾を受け、ファドワは撃ち殺されてしまいました。

 周りの民間人は私たちを助け出そうとしましたが、私は近づかないよう叫びました。彼らが次の標的になる事は分かっていましたから。私は救急車を呼ぶように頼みました。

 そしてそこにいては危険だったので、家に向かって這っていきました。何とか家のドアまでたどり着いた時、夫は私を中へ引っ張ってくれました。その数秒後、イスラエルのヘリコプターが来て、ロケットで、家の入り口を攻撃しました。私は運良く死を免れたのです。20 分後に救急車が来て、妹と私は病院へ運ばれました。彼女はすでに手遅れでした。ファドワは仕事中にイスラエル兵によって殺された最初の看護婦になりました。

 ラジャ・ムスタファ・アブ・エイタフ (72 歳)
イスラエル軍がキャンプを占領したとき、私は、27 人の家族と家にいました。占領後、数時間してアハメドという老人が隣りの家のドアを強く叩いているのが聞こえました。彼は、その家の親戚のものでした。しかし、その家のものが出払っている事を伝えると、彼は泣き叫びました。イスラエル軍が、彼の家を破壊したのです。私たちは彼を家に招き入れ、落ちつかせようとしました。

 その後、ロケット弾が家の 3 階に命中しました。私の家族は、キャンプの中は危険なので、外に出ることにしました。しかし、私はアハメドと共にこの家に残る事にしました。

 彼は 90 才を過ぎていました。彼は家を破壊されて怒り悲しんでいました。5 時半にお祈りをすると、家の中で爆発音がしました。中に入るとアハメドが流れ弾で足を怪我していました。そして、イスラエル兵が侵入してきて、アハメドは何度も頭を撃ちぬかれてしまいました。彼らは次に私に向かって爆裂弾を投げつけ、私の耳はしばらく聞こえなくなり、強く、赤いせん光が走りました。

 その後私は捕虜となり、彼らが家々を捜索する際の「人間の盾」として使われました。捜索は何日も続けられ、彼らが家々を捜索中、私は椅子に縛られました。そして、その間、水も食料も一切口にする事はできませんでした。

 彼らは、私の家を捜索中も私を椅子に縛り、アハメドの遺体も椅子に縛り付けて、私の目の前に置いたのです。私はその光景を決して忘れません。

 私の命は、彼らがそう望めば、いつでも終わりを迎えるところでした。背中には、マシンガンの銃口が向けられていました。

 想像してみてください。私がどんな心境だったかを。私は決して忘れません。長年働き詰めで、やっと手に入れた家が壊された瞬間を。破壊の瞬間と通りに散らばる多くの死体を。私は奇跡によって私の命を救った神に感謝しました。

 数日後、私の疲労は極限に達し、歩く事もできなくなっていたので、もう捕虜として続けられない事を伝えますと、イスラエル兵は私を家に戻しました。その後、もう一人の男が、私の家に連れてこられ、合計 3 人の老人が私の家にいる事となりました。二人は生きたまま、一人は死体として。

 見張りが時々私たちのもとを離れるのを知り、私たちはその場から脱出する事にしました。そしてもう一人の老人と共に、注意深く、友人の家に向かって脱出したのです。そして友人のもとで少し休んだ後に、家族の様子を知ろうとして赤三日月社に問い合わせをしました。そして数日後、私の家族は無事に過ごしていると、伝え聞きました。

 救急車がアハメドの死体を取りに来たのは、死後 5 日してからでした。

 マハムード・アリ・ハサン・ダスーキ (52 歳)

 イスラエル軍がキャンプを占領しようとしていると聞いたとき、私は 2 人の妹、弟、母を呼び「みんなで家でじっとしていよう。そうした方が安全だ」と言いました。

 4 月 5 日金曜日の 3 時半、イスラエル兵が家のドアを強く叩きだし、姉のアファフはドアを開けようと近づきました。その瞬間、イスラエル兵はドアを爆破したのです。彼女は即死しました。しかしイスラエル兵はそれだけでは不十分だとばかり、横たわった彼女の体を銃撃し始めました。彼女の死を完全なものにするかのように。

 イスラエル兵が去った後、私たちは入り口に走っていきました。そこには、銃弾でズタズタになったアファフの姿がありました。私は「救急車を呼べ!」と叫びましたが、誰も答えてくれません。私は彼女の遺体と一週間を過ごし、イスラエル兵が、買い物のための外出を許した時に、密かに遺体を病院へ運んだのです。

 土井敏邦取材の証言

 【医療妨害】

 サラハ・アムマール (38)

 「パレスチナ人の武装青年たちとイスラエル軍との激しい戦闘のさなか、17 歳くらいの青年がアパッチ (武装ヘリコプター) に撃たれました。青年は病院へ連れていくために私たちのところへ運ばれてきました。私たちは父の家から通りに出て、狙撃兵が待機している場所まできました。狙撃兵は叫びはじめ、私たちを追い返そうとして足を狙って撃ってきました。私たちのところから 25 - 35 メートルくらい離れた病院にどうにかして連れていくために、私たちは負傷したその青年を連れて帰り、別の道を通りました。青年が危険な状態だったからです。しかしそこには戦車が配置されていたために、私たちはまた引き返さざるをえませんでした。また引き返したのですが、治療を受けられなかったために 5 時間後にその青年は亡くなりました」(5 月 16 日証言)

 イマード・カーセム (30)

 「もし負傷者が病院にいけたら、または救急車がくれば、だれも行きたくないとは言いいません。治療を拒否するなどありえないことです。救急車はキャンプに入ることはできませんでした。イスラエル兵が許さなかったからです。救急車が銃撃の標的にされたのです。救急車の乗務員も標的にされました。

 キャンプはたくさんの戦車であらゆる方向から封鎖されてしまいました。戦車はキャンプの入り口にいて、車が中に入れないようにしました。キャンプ全体に外出禁止令が出されました。住民すべてが銃撃の標的にされました。救急車の乗務員さえ標的にされたのです。赤三日月社のマネージャーであるハリール・スレーマン医師も殺されました。救急車の乗務員が主に標的にされました。イスラエル軍は彼らが動き、負傷者を運びだすことを嫌ったからです。救急車の乗務員はとても苦労をしました。とりわけ負傷者を運び出したり治療のためにキャンプに入るときにです。彼らが車や歩いて立ち入り禁止地区の指定を破ってキャンプに入ろうとするとき、逮捕される危険もありました。ときどき救急隊員が制服を着てキャンプに入ろうとして、兵士に逮捕され、サーレム強制収容所に連行されました」(5 月 19 日証言)

 【虐殺】

 マフムード・ファイード (70)

 「アブナーシェ家へ着くと、私は妻に息子はどうしたのかと訊いた。妻が、息子は死んだと答えました。ブルドーザーが家を破壊し、瓦礫の下敷きになったと言うのです。妻たちは兵士たちに『身障者の息子がいる』と訴え、『息子を家の外に出すから』と言いいました。すると兵士が『男はここで待て。女性 4 人は (連れに) 行ってもいい』と答えました。それで女性たちが家に行きました。私たちの隣人の娘も行きました。女性たちは息子の近くまで行ったのです。崩れた屋根が隙間をつくり、息子は石と砂をかぶっていただけだっでした。

 女性によれば、息子は口をきいたと言うのです。息子はしゃべらないのです。息子は 2 言、3 言しゃべったというのです。『ヤッラー (神様)、ヤッラー』と。そう息子と話した少女が私にそう言いいました。そのあと、ブルドーザーの運転手が瓦礫を動かしはじめ、息子のいる場所に置こうとしました。それで女性たちは他の家に逃げ込みました。ブルドーザーが息子のいる部屋を壊し始めました。
その後、私たちは息子を探し回った。しかし、見つかりませんでした。瓦礫にずたずたに切れ裂かれ、肉片になってしまったからです。遺体はみつからなかったのです。近所の人たちが私に息子は死んだと言いいました」(5 月 19 日証言)

 イマード・カーセム (30)

 「兵士が住民にスピーカーで『裸で外に出て降伏しろ』と叫びました。そのとき隣人のアル・サッバーブが出ていきました。すると兵士が道で彼を殺しました。彼は裸でした。彼の名前はカマール・アル・サッバーブです。その後、戦車がその遺体をひき潰し、道のようにしました。住民がその遺体を回収しようとやってきたとき、遺体のあったところには残っていたのは小さな肉片だけでした。遺体は粉々になり、もし人々が殺されるところを見ていなかったら、それが誰の遺体がわからなかったでしょう」(5 月 19 日証言)

 フェダ・ホサリ (28)

 「あそこで 12 人が射殺されました。青年たちの家がミサイルで攻撃され、生きたまま瓦礫の下敷きになってしまいました。生き残った者は裸にされ、射殺されました。武装青年は捕まってすぐ殺されました。降伏し武器を持たない若者も射殺されました。彼らはテロリストで武器を持っていたといいますが、その青年たちは武器などまったく持ってはいなかったのです。射殺した後、イスラエル軍はその遺体を瓦礫の下に埋めました。その犯罪の跡を誰にも見せないためです」(4 月 22 日証言)

 古居みずえ取材の証言

 アブドゥルカリム・サーディ (28 歳) とワダ・シャラビィ (37 歳) とワダの父親 3 人は 4 月 6 日、イスラエル軍兵士に呼び出され、家の壁のそばで立たされた。このとき 1 人だけ生き残ったワダの父親は次のように語った。

 「彼らは私たちにシャツをたくしあげるように命令した。アブドゥルカリムは日頃から背骨の痛みがあり、医療コルセットを巻いていた。イスラエル兵士たちは爆弾を巻いたベルトと思い込み、銃弾を何発も撃ちこんだ。3 人とも倒れ込み、私は飛び散った血で血まみれだった。兵士たちは私が死んだものと思い立ち去った」

 アブドゥルカリムの妻は妊娠 4 ヶ月で、ワダは 6 人の子どもの父親だった。

 亀山亮取材の証言

 アッルー (73 歳)、キャンプの病院にて (4 月 25 日)。

 彼は 2 人の嫁を持ち 12 人家族で 1 つの家に住んでいた。彼らが寝ていた 12 時ごろイスラエル軍が、学校に集まれと言ってきた。彼は安全を確認するために家族を残し、一人で学校に行き、住民が集まっているのを確認すると、家に戻り家族を呼ぼうとした。

 しかし家に戻ろうとした時、イスラエル軍のスナイパーに右手を撃たれた。そしてイスラエル兵は、立ち上がらないと殺すぞと脅した。そしてすぐに、右足をまた撃たれた。彼は、起き上がろうとしたが起き上がれず、這いながら道を、進んでいった。その間に 7 人のイスラエル兵にすれ違った。彼らは司令部に行き、上官の命令に従えと彼に命令し、彼は這いながらイスラエル軍の戦車の前にたどり着いた。そこで長い時間、置き去りにされ。

 最後に、兵隊が、彼に病院に行けといった。

 そして彼は病院まで這っていった。

 彼は 4 月 25 日現在、家族が生きているのか、死んでいるのかもわからず。入院している。

 ここにあげたのは私たちの会員であるジャーナリストが取材したもののごく一部です。ジェニン難民キャンプは、恐ろしい世界でした。しかし私たちジャーナリストがいないキャンプで、住民たちはどれほどの恐怖にさいなまれていたか、想像も出来ません。私たちは自爆テロに恐怖するイスラエルの市民の気持ちをないがしろにするわけではありません。しかしジェニン難民キャンプで行なわれたことについて、ジャーナリストとして、見て見ぬふりをするわけにはいきません。私たちは私たちの仕事に誇りを持っています。そして犠牲者について、あたかも無かったことにするのではなく、正当に報告することを私たちの使命だと思っています。

 国連の報告も非常に不完全なものでしたが、それを報道する日本のメディアも、こうした人々に対する配慮があまりにも欠如していたのではないでしょうか。

 さらに国連報告は、この一連のイスラエル側の軍事行動について、ジェニン難民キャンプに関わらず、全体的な被害や人権侵害について多くの報告を行なっています。特に「2000 年 9 月以来暴力行為が増し、2002 年 5 月 7 日までに 441 人のイスラエル人、1,539 人のパレスチナ人が亡くなった」という報告は、ジェニンだけでなく、状況の深刻な実態を伝えています。

 しかし私たち日本ビジュアル・ジャーナリスト協会は、当会員の多数がジェニン難民キャンプを取材したこともあり、今回のジェニンの「虐殺疑惑」についてのマスメディアの報道姿勢、記事の扱い、言葉使い、見だしなどについて、大きな疑問と懸念を感じたものです。そのためこの問題に特定した声明文をお送りすることになりました。

 ご考慮いただければ幸いです。

 (転載、転送を歓迎します)


こういった記述に対し、下記のようなレスもついてます。


今、時間が無いので詳しく書けませんが、
私の友人で、ジェニンの事件直後に
現地(ジェニン)に入ったジャーナリストが
居ます。

彼は、事件が有った事に否定的です。
その場で広河隆一さんに会ったそうですが、
彼は、名指しで、広河さんの取材姿勢を
批判して居ました。--私のその友人は、
ジェニンで、広河さんと一緒に事件直後の
ジェニンを見、広河さんと話をして居ます。
ですから、誰であるかは広河さんは御記憶
の筈です。--彼は、強烈な反シオニスト
ですが、その彼が、「大虐殺と言へる様な
光景は確認出来無かった」と、事件直後の
ジェニンを訪れて言って居るのです。そして、
彼は、広河さんが、事実を検証せずに、
ジェニンで「声明を出す」と言った時、
「それはおかしいんじゃないですか?」と
意見したそうです。
彼の様な、広河さん以上にイスラエルに
批判的なジャーナリストが、自分の目で
事件直後のジェニンを訪れ、そこで一緒に
成った広河さんの姿勢を批判した事の
意味は重大です。

私も、イスラエルを批判する立場の人間です。
そした、永い間、広河さんを尊敬して来た
人間ですが、広河さんには、パレスチナ人の
悪い所を書かない所が有ったと、今では思ふに
至って居ます。

ろくに検証もせずに、イスラエルがやって居ない
事までやったと主張する事が、パレスチナ人に
とって良い事だとは思へません。



このコミュの議論は非常にレベルが高く、私程度の知識ではROMっているのがやっとですが、とても勉強になります。

パレスチナ問題 1

2007-01-23 11:42:12 | Weblog
文字数に制限があり、アップできなかったので今日は3つに分けてアップする。

下記は私が参加しているパレスチナ問題についての書き込みだ。


ジェニンについては、こちらを見てください。
http://www.jvja.net/statement/020810.html

http://www.hiropress.net/column/020418.html

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会声明文


2002 年 8 月 10 日

ジェニンで虐殺はあった

 報道関係各位殿

 私たちは先月末に誕生した日本ビジュアル・ジャーナリスト協会です。

 私たちはジェニンに関する最近の一連の報道について、深い危惧を覚えています。

 なぜなら私たちのメンバーの 5 人がジェニン難民キャンプの事件を取材しており、そこで報告してきたことと、この間のメディアの報道は、著しく異なるからです。

 このまま私たちが反論しなければ、私たちは偽りを報道していたことになるでしょう。

 ここで実際にジェニンで何が起こったかをお伝えする前に、日本語の問題をご指摘したいと思います。

1 - メディアの間違いは、日本語の使用のあいまいさから来ている?

 まずメディアによる報道と、私たちの取材内容の食違いについて最大の理由を挙げるとすれば、それは日本語の間違った使用と英文和訳の間違いがあると思います。

 4 月のジェニン難民キャンプにおける虐殺疑惑についての人権団体の発表を報道する各紙のタイトルはおしなべて「ジェニンの虐殺はなかった?」というようなものでした。

 典型的な記事は次のようになっています。

 ジェニン「虐殺」なかった?

 ヨルダン側西岸ジェニン難民キャンプでの虐殺疑惑について、欧米の人権団体が「大量虐殺」に否定的な調査を相次いでまとめ、組織的な大量虐殺の事実はなかったとの観測が現地では強まりつつある。少なくとも犠牲者の数に関しては、「死者は戦闘員を中心とする 50 人程度」としていたイスラエル側の主張が裏付けられつつある形だ。

 殺害「数百人」に疑問符

 「人権のための医師団」は (中略)「虐殺の証拠は見当らなかった」ことを明らかにした。(中略) アムネスティ・インターナショナルも「現在の状況で“虐殺”という用語を使うのは有益でない」と発表した。

(5 月 2 日付読売新聞)

 この記事を注意深く読むと、記事内容はまず「大量虐殺」の事実は無かったという書き方をしていて、途中から「虐殺」の証拠は無かったという表現に変わり、そしてタイトルもジェニン「虐殺」なかった?となっています。

 この「大量虐殺」と「虐殺」はもちろん日本語として同じではありません。しかし「大量虐殺」の事実を否定することが、不思議にも「虐殺」の事実をも否定する書き方になっているのです。そしてこの書き方は各紙に共通しているのです。

 8 月 2 日付けの各紙の見出しは次のようになっています。

朝日「ジェニン虐殺疑惑「証拠見つからず」国連が報告書発表」

読売「ジェニン虐殺 証拠なかった 国連報告書」

共同「国連ジェニン報告書を発表 難民虐殺は断定できず」

毎日「国連報告書: ジェニン事件 イスラエルの「虐殺、証明できず」」(インターネット版)

 ご存知のようにジェニン難民キャンプで問題になっているのは、大量虐殺が起こったかどうか、英語で言うと massacre が起こったかどうかということです。これらの記事の論拠となっている人権団体が問題としている言葉も massacre です。massacre を証明する証拠はなかった、と言っていたのです。

 massacre を 辞書で引くと、どの辞書も「大量虐殺」「大虐殺」と書いています。

研究社 リーダーズ英和辞典
大虐殺 (する), 皆殺し (にする)

大修館書店 ジーニアス英和辞典
(無防備な人・動物の) 大 (量) 虐殺

三省堂 EXCEED 英和辞典
大虐殺

小学館 プログレッシブ英和
大虐殺

 英英辞典でもはっきりと、この言葉が大量の人々を殺すことを示すと述べています。

コリンズ コウビルド英英辞典
A massacre is the killing of many people in a violent and cruel way.

 ところが各紙の記事を見ると、この massacre を「虐殺」と訳していることになるのです。

 「大虐殺」あるいは massacre と日本語の「虐殺」は同じなのでしょうか。

 「虐殺」を辞書で引くと次のようになります。

岩波書店 広辞苑
むごたらしい手段で殺すこと

講談社 国語辞典
むごたらしく殺すこと

小学館 現代国語例解辞典 第 2 版
残虐な手段で殺すこと

大修館書店 漢語林 改訂版
むごたらしい方法で殺すこと

 おわかりのように、たった 1 人でもむごたらしい方法で殺されることがあったら、それを「虐殺」と呼ぶのです。

 さすがに英字紙はこのような曖昧な表現をするわけにはいきません。

 8 月 2 日付の The Japan Times は次のようなタイトルになっています。

 U.N. report on Jenin attack ducks massacre issue

 massacre つまり「大量虐殺」を用いているのです。

 人権団体は massacre の証拠がなかったと報じたのに、それを「大量虐殺や大虐殺の証拠がなかった」とは訳さないで、単に「虐殺の証拠がなかった」と訳したのです (国連は人権団体の調査報告を参考にしたと述べています)。

 つまり「大量虐殺はない」と発表されたものが、日本の記事では「むごたらしく殺された者はいない」と報道したことになるのです。つまりたった 1 人もむごたらしく殺された人はいないということになってしまったのです。これでは難民キャンプでの被害にてついて、意図的に情報の操作が行なわれたとみなされても、仕方が無いのではないでしょうか。

 しかも国連報告そのものには massacre の単語が全く使用されていません。それなのに日本のメディアは「国連は虐殺がなかったと報じた」かのような記事を作りました。それは報道姿勢として果たして正しいことなのでしょうか。

2 - それでは国連の報告は何を告げているか

 国連の報告は、その前文から問題をはらんでいます。現地調査をしなかったのに、調査報告を発表しているからです。そのことは国連も認めています。

 国連報告書が問題をはらんでいることはともかく、その内容を吟味しないで、「虐殺は無かった?」と報じるマスメディアは大きな問題をはらんでいます。

 国連が大量殺戮に言及するのはたった 1 ヶ所で、次のようなものです。

 2002 年 5 月までにジェニンの病院でパレスチナ人 52 人の死者が確認された。イスラエル軍もまた死者の数はおよそ 52 人としている。パレスチナ自治政府のある高官は 4 月中旬に約 500 人が殺害されたと主張したが、その数はこれまで出てきた証拠に照らし合わせても実証できなかった。
この文章を取り上げて、日本のマスメディアは、「虐殺はなかった?」と報じたのです。

 まずこの 52 人というパレスチナ側死者の数字が発表された時から 2 週間後、当協会のメンバーである広河隆一が発表元の人権団体を訪れた時、死者の数字が全く変わっていなかったので驚いたことがあります。その前日も新たな死体が何体も瓦礫の中から掘り起こされているのにもかかわらずです。この時点で確認された死者は 62 人を超えていたはずです。人権団体も国連も、いったん 52 人という数字を公表したら、新たな死者が発見されても、その数を計算に入れることはしないのだと理解しました。しかもまだ遺体が瓦礫の中から発見されていないことが分かっているケースもあるのにです。

 この数字がそれから 3 ヶ月経った後も修正しないで用いられているのです。依然として行方不明の人は多くいるといいます。

 ところで 52 人の死者という数字が発表された時も、人権団体はそのうち 22 人が民間人だと報告しました。たしかに 500 人の死者は確認されていないかもしれないとしても、22 人の死者も大変な数字です。それを「虐殺は無かった?」とくくっていいものでしょうか。

3 - 事実は本当にそうなのか

 事実、国連報告書には「むごたらしく殺された」人々の例がいくつも報告されているのです。

 目撃者の証言や人権団体の調査は、破壊は無差別に行なわれ、なかには住民が避難する前にブルドーザーの攻撃にさらされた家もあると断言している。

 ジェニン難民キャンプの包囲攻撃を 4 月 3 日に開始し、13 日間続けた。その間イスラエルの戦車約 200 両が重爆撃をしながら難民キャンプを攻撃した。アパッチ・ヘリコプターと F16 戦闘機も参加した。占領軍は包囲攻撃を続ける間、キャンプの水道も電気の供給も切断し、救急車や緊急援助車両や医療チームがキャンプに入るのを阻止した。

 (ヨルダン大使からのアナン国連事務総長への) 報告書には、虐殺を生き延びた目撃者で負傷者の証言と、殉教者の親戚や友人たち、難民キャンプの住人たち、救援に駆けつけたボランティア、ジャーナリストの証言が含まれている。

 あるグループの死

 難民キャンプ出身者はいまでも 7 人の若者がある家の部屋に隠れていた話をしている。

 恐怖と不安の空気が漂う中、一人の男性が外に出て様子を見てから部屋に戻った。しかし、キャンプ上空を飛ぶアパッチ・ヘリコプターがその場所を見つけだし、ミサイルを一発発射した。その部屋は吹き飛び、7 人全員が殺害された。家はキャンプの中心部にあったので、その後 5 日間誰も近寄ることなく、遺体はそのままだった。人々がその家に近づくことができたときには、恐ろしい光景があった。遺体はバラバラで焼けこげ、肉片からは腐る臭いが漂っていた。

 殉教者ジャマル

 ジャマルは 40 歳くらいの若者で太り気味だった。イスラエル軍の命令で家を出た時、ジャマルは薬の入った袋を持っていた。ズボンを脱ぎ始めたとき、チャックが途中で引っかかり、それを兵士たちは攻撃のジェスチャーを思い、ジャマルに発砲した。彼は殺され、隣りにいた 5 歳の少年に血が吹き飛んだ。

 殉教者アブ・シバとムハマッド・ムヒド

 イスラエル軍のブルドーザーと切削機がハワシン地区の破壊を開始したとき、兵士たちは彼 (アブ・シバ 80 歳) の家を破壊し、子どもたちを逮捕した。アブ・シバが家にいることは無視して、イスラエル軍は家の破壊を進め、アブ・シバは家の下敷きになって死んだ。

 ムハマッド・ムヒドは知的障害で、汚れた身なりと身体のぎこちない動きからも明らかだった。彼はいつも通りをさまよい歩き、通りすがりの人から物乞いをする習慣だった。イスラエル軍は何の脅威にもならない彼を撃ち殺した。

 目撃者の証言

 多くの新聞がイスラエル軍の包囲攻撃が終了してから、キャンプの住民のインタビューを掲載した。生存者による包囲攻撃、砲撃と殺害の詳細を聞き、キャンプに入った報道陣はショックを受けた。

 キャンプの住民たちは細かに説明した。イスラエル軍が逮捕した者をどのような扱いで尊厳を奪い、何日も手錠をかけ下着姿で土の上で眠らせた。水とパンが一日一回だけ配給された。鉄のポットに尿をするときでさえ、懇願することを強要された。兵士たちとシャバック (秘密警察) の捜査員たち、イスラエル総合安全保障サービスは非人間的な扱いをした。疑いの晴れたものは最終的には解放され、大半の者が釈放された。

 殉教者ナセール・アブ・ハタブの妻の証言

 イスラエル軍が家のドアをノックしたので、夫は開けようと急ぎました。とんでもないことがその瞬間に起きました。兵士たちは夫の首をつかんで、すぐに彼を撃ち始めたのです。夫は兵士を待たせることもしなかったし、あらがうこともなく兵士の命令に従っただけでした。

 夫は床に崩れ落ち、血で覆われた。私は恐ろしくなって泣き叫びました。兵士たちは銃口を私に向け、「黙れ、黙れ」と叫びました。それから私と子どもたちを一つの部屋に閉じこめました。私は病院と赤三日月社に電話し、夫の命を救ってくれるように頼みました。しかし、イスラエル軍は救急部隊が私の家に来る許可を出しませんでした。

 軍は私と子どもたちを夫の遺体のある部屋に閉じこめ、小さな庭に埋めることさえ禁止したのです。殺戮行為を目の当たりにし、父親を助けることもできず、埋葬もできなかった子どもたちにとって、これから一体どのような人生と未来があるというのでしょうか。遺体は一週間埋葬できませんでした。
ハインド・アウェイス婦人の家に侵入した部隊は、全員に家を出るように命令した。

 外では戦闘が続き、彼女は子どもたちにはどこにも行くところがないと拒否した。部隊は上の二つの階を占領し、翌日、一階も明け渡すように迫った。アウェイス婦人はリポーターたちにこう話した。「兵士のひとりが 1 歳半の甥のラテブを捕まえ、腕ではさみ、銃口を額に向け、もし出ていかないならこの子を撃つ、とアラビア語で脅迫した。それで私たちは家を出るしかなかった。

 このほか、国連報告書はジャーナリストや外国人ボランティアの証言を掲載しています。

 これまでに引用したのは国連報告書の一部です。報告書にはイスラエル側の言い分も引用しています。それでもこの報告書を見て「むごたらしく殺された人はいない」のかどうか、「虐殺はなかった」と言えるのかどうか判断をお願いします。

4 - 私たちの証言

 ここに私たちの取材の結果を報告します。ここにあげた被害者はすべて民間人です。

 

報道の煽り

2007-01-23 11:35:25 | 阿修羅掲示板より
http://www.asyura2.com/07/war87/msg/1180.html

すでに国民をターゲットにして練習してるんじゃないの?

http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/768.html

富山の件では、警察はもちろん「靴跡とアリバイの件すなわち被告の無実を支持する証拠」の存在を知っていた。その点、検察はどうだったのか。警察がその事実を隠していた場合には、検察の罪は「証拠もないのに起訴したこと」となる。起訴の判断は「総合的に」行ったというが、この「総合的」とは「思い込み」の言い換えにすぎない。

富山県警が強姦(ごうかん)事件などで逮捕し有罪判決を受け服役した男性(39)について「客観的証拠がない中の逮捕で無実だった」と発表した問題で、金沢市内に住む男性の兄が20日、朝日新聞の取材に、県警から逮捕当時「証拠がある」と言われていたことを明らかにした。また、県警は取り調べの時点で、アリバイ成立の可能性に気付きながらも「偽装だろう」と思い込み詳しく調べていなかったこともわかった。

 兄の話では、男性は任意の調べを受けていたころ、家族に泣きながら「やっていない」と言っていた。兄は県警に「帰してくれ」と求めたが、「証拠があるから」と拒否されたという。兄は「いまになって客観的な証拠がないとはどういうことか」と批判した。

 県警は19日、男性宅からの電話の発信時刻と犯行時刻が近く犯行が物理的に不可能だとわかったことなどから、男性を無実と判断したと説明した。だが、実際には取り調べ中にアリバイが成立する可能性に気付きながらも「偽装だろう」と思い込み、裏付け捜査をしなかったという。

 また県警が男性宅を家宅捜索した際、現場で見つかった靴跡と同じサイズの靴を見つけられなかったのに、「捨てたに違いない」と疑問を持たなかったこともわかった



被告の無実を証明できるものを揉み消した罪は限りなく大きい。
無罪であるとわかっていながら起訴したのか?
なぜ、このような大罪が大きく扱われないのか?
国民はいつ、なんどき、無実の証拠がありながら揉み消され、犯罪者にされるかわからないというのに。
不二家を大きく報道し(その中には捏造も多いと思われる)、本当に報道しなければならないことをしない。
良心ある一部の、ごくごく一部のマスコミに期待するしかないのか。


http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000004539

国本さんは「97年以降、工事をめぐって県や市幹部に背任や公文書偽造・同行使の疑いがあると千葉地検に告発してきたが、地検は不起訴(嫌疑なし)や不受理を繰り返している。担当検事に“嫌疑なし”の理由を尋ねても『嫌疑なし以外は回答しない』と、行政犯罪に捜査機関が加担している状況だ。こうなれば国会からの『上意下達』しかない」と訴えている。

捜査機関が腐りきってることは被害者ならよくわかっていることだ。


http://www.asyura2.com/0610/hihyo4/msg/488.html

公表された事柄は、実は「週刊朝日」が事件発覚前に取材したことを「盗用」したインチキ記者会見だった、というのだ。

知的な人の盗撮、盗聴からもパクってるんじゃないの?


私は毎週ウィルスチェックをしている。
ノートン先生ではなにも引っかからなかったのだが、Ad-Awareでのスパイウェアチェックではなんと、バックドアが引っかかった。
スパイウェアは毎週7~13あたり発見されるのだが、これまでバックドアを仕込まれたことはなかった。
バックドアを仕掛けなくても、画面は筒抜けだろうから必要ないだろうに。
なぜバックドアを仕掛けてきたのか、一つにはネットゲーム関係で集団ストーカーとは全く関係ない可能性がある。
一応、転生職2体持ちなのでゲーム内での資産はそこそこある。当然武器、装備は廃人といわれるレベルで整えてある。
次に考えられることが、この犯罪者からの脅しだ。
最近、MIXIでシオニスト問題のコミュでROMっているのだが、そこでは私なんか足元にも及ばないような議論が展開している。
私の知識ではとてもではないが議論に参加することは難しい。
そこに参加していることに対しての脅し。
ただ単に嫌がらせという可能性も高い。