今日は不安定なお天気で、少し寒かったね。
今夜は5月7日に行った「宇賀福神社・銭洗弁財天」の紹介になります。
建長寺から「亀ヶ谷切通し」を通って行きました。
この道をどんどん上って行きます。
上った分、また下ったりして結構歩きましたねぇ。
やっと閑静な住宅街に出ました。
ここからが本当に大変だったんですよ。
人も居ない山道を登って行きました。
ガタガタ道で、結構きつい道でした。
途中水が流れていたり・・・
かと言えば、段差の激しい場所も・・・
やっとこの坂道が終わったところで、この坂道の名前が書いてありました。
綺麗な名前ですが、よくまぁ~一人で上って来たと思いましたねぇ。
もう汗びっしょりで、周りの綺麗な新緑も目に入らなかったわ。。。
今調べたら「けわい」の意味がありました。
「けわい」という言葉を「祖語32概念表」に当てはめてみよう。
け KE 情報不足の発生
わ WA 大量の危険
い I 行動・行為
この名が付く場所は「情報が少なく」「行動には」「大量の危険が伴う」という場所だという事を、この言葉は示しており、そのまま地名となったのである。
「化粧坂」は「あぶないから知らない場所には近寄るな」という場所だったと言ってよい。
「けわしい」という言葉は上記「けわい」に「し=SI」を加えたものだ。この場合の「し」の意味は「行動の終焉」つまり「行けない」「行けそうもない」という概念であるから「けわい」よりもっと「険しい」山道などの様子をいうのである。「けわい坂」は鎌倉では有名な坂道であり一度は見たいと思っていたが、今回はからずも体験出来た。下の写真は坂を登り切った所で振返って見た風景である。初めての道は、あとどれだけ登ればよいのかわからないので(情報不足)、危険を大きめに(大量の危険)予測してしまうのである。つまりこれが「けわい」坂道なのだ。
ハァ~危険を伴う道を一人で、黙々と歩いて来たんだね~私。
無事に帰って来られて良かったわぁ。。。
昔「銭洗弁財天」に行った事があったけど、こんな道は通ってなかったわ。
どこで間違ったのかしらねぇ。
この後は舗装した道に出て、下って行くとやっと見えて来ました。
急な坂道の途中に「宇賀福神社・銭洗弁財天」があります。
平安末期、鎌倉は災害が続き貧困にあえぐ庶民のために、源頼朝が世の救済を祈願したところである。巳の年の文治元年(1185)の巳の月、巳の日の巳の刻、宇賀福神から「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ、そうすれば天下泰平の世が訪れる」と源頼朝の夢にお告げがあり、そこで源頼朝はこの地に社を建てて宇賀福神を祀った。その後、世の中の混乱は収まったと伝えられている。
この話が発展していつの頃からか、その霊水でお金を洗うと倍になると言う信仰が生まれた。鎌倉五名水の一つである。
入り口の鳥居からトンネルを通って行きます。
トンネルを通ると、木の鳥居が並んでいます。
この鳥居を通り抜けると・・・
右手が「本宮」、洞窟の中が「銭洗弁財天」になります。
洞窟に入ってすぐの写真です。
うふふ、私もここで小銭を洗いましたよ。
ちょっと少なかったかなぁ。
お札をどっさり洗っている人もいましたねぇ。
ここでもお参りして帰って来ました。
帰りは綺麗な道を下って行きましたよ。。。
この後はちょっと異様な雰囲気の場所に行って来ましたので、それはまた明日。
今夜は記事を書いてる最中に、2度も消えてしまって・・・。
それでも頑張って更新しましたぁ!
ちょっと手抜きになったかもしれませんが、お許しを・・・。
最後まで見て下さって、ありがとうございました。