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かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

女は業が深いけえ

2011-12-25 17:52:00 | 如是我聞
         今朝は、薄らと雪化粧でした。
         孫たちは、ミュージカルに出かけていきました。
         千代田の方の雪はどんなだろう?


母が、ぽつりとつぶやいた。

・・・女は業が深いけえ


「深い」とはどういう思いなのか、

男だって、もっと深いよ。

母の久しぶりのつぶやきに、ちょっと立ち止まりました。

今日の曜日を土曜日と勘違いして、母は朝早くから、

病院へ行く準備をしておりました。

「ばあちゃん、今日は日曜だよ」

自分のことで精一杯な母。

それでも、十分にできない。

自分のことは自分でしなけりゃとがんばる母なんですが、

そんなにがんばる自分の姿に、ふと気づいて、

あの・つぶやきが出たのでしょうか。




“業”は仏教の上からは「ごう」と読みます。

人間の行い、行為のことをいいます。

「身口意(しんくい)の三業」と言って、私の行為は、この身と口と意で、

行動となって現われます。

その行いは、外にことばとなって、行為となって、形として

現われるものですが、

その行いを命令するのが、「意」(心)であり、私の心底に横たわる

欲であり、怒りであり、妬みという煩悩です。

私の行動はすべて、この煩悩の命令で外に現われるのです。


親鸞はそれらを「悪業煩悩」と言っておられます。

でも、それらの濁水(じょくすい)には、きれいだとか濁っただとか

に大した差はなく、阿弥陀仏の願いの海(功徳の宝海)に入ったら

すべて、正定業(しょうじょうごう)となって、

お念仏申す身となると、和讃に述べておられます。


ちと、難しくなったので、今日はここまで!




広島ブログ いつも、ありがとうございます

釈尊の教えのなかに、女性差別と思われる言説が、

確かに見られます。

釈尊が本当に言ったのかどうかは、定かではありませんが。

でも、私たちの先人たちが、差別的な意味で「女は業が深い」というような

説き方をしてきたのかも知れません。

そうであれば、そのことは、きちんと正していかなければなりません。

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