Vers la lumière 光ある方へ・・・

AtelierGrace発、ステンドグラスと教会のブログ。

猫パネル・絵付け開始

2015-04-25 21:01:22 | パネル
我が家の愛猫&妹宅の愛猫のパネル製作中(本当はこの2匹、過去に対面させたこともあるけどシャーってなっちゃってダメでしたまぁ、現実にありえない光景を表せるのも絵画の良い所なんですけどね)。

猫は小さい頃から好きでしたが借家住まいが長かったため、いつか猫と暮らすことが夢でしたやっぱり、自分の好きなものを描くのは楽しい



今回は原寸大で原画描きました。一部足りないガラスもありますが、ほぼ手持ちのガラスで間に合ったこれから調子付け頑張ります



今回ガラスカットと線描きを通して、結構大事なことに気付きました。この感覚を忘れないように、ここへ書き留めておきたいと思います。

まず、ガラスカットについて。実はワタクシ、かつてフランスにまで行っちゃったくせにガラスカットは人一倍ヘタクソでした(ToT)力が足りないならガラスカッターを握って切ったら?と言われ、そのようにもしてきました。しかし今回のガラスカット中ふと、「むしろ力を入れすぎず、切れるか切れないかギリギリのところまで力を抜いてカッターを動かした方が、カットの成功率が高いのではないだろうか?」ということに気付きました。逆に力を込めてカッターを滑らせた時には、ガラスに白い筋が入るばかりで結果的に切れていないことが多いようにも感じました。今教会でオルガンを弾いているけど、かつて合気道を10年ほどやったけれど、きっと何でもそうなのかもしれない。当たり前といえば当たり前のことに気付くのに人一倍時間はかかってしまったけど…

そして絵付けを始めてから思ったこと。描き始める前、顔料(グリザイユ、といいます)をパレットの上で練り合わせる作業。お習字で言えば墨を擦るのと同じだと思いますが、これが結構精神統一になるのです。絵も大して得意ではない私にとって絵付けというのはものすごくエネルギーのいる作業ですが、グリザイユを溶き始めるとだんだん「よし、描くぞ」という気持ちが湧いてくることに気付きました。

昨年、柳澤桂子さんの『放射能はなぜこわい 生命科学の視点から』という本を読みました。遺伝学の研究者の視点から、放射能を人間が浴びるとどういうことが起きるのか、最終的には人間は放射能に手を出すべきではないと訴える、もう30年近くも前に出た本ですが、その中にはっとするような文章がありました。以下引用します。

「環境汚染は放射能だけではないことを私たちはよく知っています。

 なぜ食べ物にいろいろな添加物をいれなければならないのでしょうか。
 なぜ作物に農薬をまき散らさなければならないのでしょうか。
 なぜ放射能を照射したジャガイモを食べなければならないのでしょうか。
 なぜクリスマスにみごとなイチゴを食べなければならないのでしょうか。(中略)

 消費電力の問題ではありません。こころの問題です。
 
 いまに、ペットを撫でる電気器具だとか子供のお尻をたたく電気器具ができるのかもしれません。
 
 勉強をはじめる前に鉛筆をきれいに削ることは、こころを静め、気持ちを引きしめて、勉強をするのだという心構えを導き出してくれました。電気鉛筆削りによって、この厳かな儀式は失われてしまいました。」

ステンドグラス1年目、学校ではデッサンの授業もありました。それまでまともに絵を描いたことのなかった私は、美大出のクラスメイトが、絵を描き始める前にまず鉛筆をナイフで丁寧に削るのに驚きました。鉛筆を機械で一瞬にしてガーッと削ってしまう、お習字なら墨を擦る手間を惜しんで最初から墨汁を使ってしまう(まさかチューブ入りのグリザイユなんかは出ないだろうけど)、確かに早く作業には取りかかれるかもしれない。けれど、それでは美しい線を描くための精神統一の機会は一体どこへ行ってしまうのだろう…?

つい「時間の無駄」と思って省いてしまうことの中に、実は大切なものがあるのかもしれない。ちょっと話がそれてしまうけど、私は趣味でたまにお裁縫もします。うちの教会には手作りの会もあって、そこで作った手芸品をバザーで売ったりもしています。同じようにモノを作る友人も沢山います。しかし、時間をかけて一生懸命切ったり縫ったり、アイロンをかけたりしてやっと出来上がった鍋つかみやポーチと似たものを街中で見かけると、「あぁ、こういうのって、海外の人件費安いとこで、ミシンでダーッと縫えちゃうんだな。そしてこんな値段で売られるんだ…」と寂しい気持ちになることもあります。その「モノ」だって必ず、作ってる誰かがいるのに…。教会では奏楽の奉仕もしています。しかし、自分が一生懸命練習してやっと弾けるようになった曲も、ヒムプレーヤーで讃美歌の番号をピッピッと入力すれば、一瞬で出てきてしまいます。しかも本当に楽譜に忠実に…。人間のすることの大部分が、機械で代替可能な時代。確かに速いし、無駄もないし、そういう世界を完全否定はしないけど(実際ステンドグラスも電気使いますし)、そこで失ってるものがないか、ちょっと立ち止まって考えることも必要なのかもしれない。

長くなってしまいましたが、最近考えてることを忘れないように書いておきました。あとはひたすら作るだけ

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