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AtelierGrace発、ステンドグラスと教会のブログ。

レント(受難節)開始

2017-03-07 09:52:19 | 教会関係
教会では3月1日より受難節(レント)と呼ばれる時期に入りました。イースター(復活祭)の前にイエス・キリストが十字架にかけられ、苦しみを受けられたことを覚える時期です。典礼色は、悔い改めを表す紫が用いられます。

クリスマスは毎年同じ日に固定されていますが、イースターとペンテコステは移動祭日で、毎年変わります。受難節は四旬節とも言われ、復活祭前の6回の日曜日(主日)を除いた40日間をいいます。40日という日数は、イエス・キリストが荒野で40日間の断食をされたことに由来しています。

受難節の始まる水曜日を「灰の水曜日」と言い、今年は3月1日でした。この日花巻教会では、牧師が非常勤をしている高校の卒業式に出席するため、祈祷会はお休みでした。でも講壇のクロスはいつの間にかどなたかが紫にして下さっていました。

教会員さん達の話を聞いていると、典礼色や牧師のストールなどを取り入れるようになったのは割と最近のことのようです。プロテスタントが切り捨てすぎてしまったものを、再び取り戻してきているような印象を受けます。最近では、受難日に向かってアドヴェントとは逆に1本ずつ蝋燭を消していく「消火礼拝」を行う教会もあるようです。

教会の物置にいばらの冠があったのですが、私が来てから使ってるのを見たことがないので今年は十字架に掛けてみようと思い立ちました。が…花巻教会の十字架は想像以上に高い場所にかかっており、脚立の一番上まで登っても届かない!!しかも十字架の下は洗礼漕で空洞だし(蓋はしてあるけど)、恐怖でクラクラしてきてもう諦めようと思ったのですが

しかしお花を活けに来ていた教会員さんは物事を簡単に諦めない人だった(笑)モップの先にさらに二又になってる枝(活花の花材)を取り付け、これでどうでしょうか、と。その後も度々脚立の上で挫けそうになる私を励まし続けてくださり、ついに成功!

ちなみに、この冠の素材は多分からたちだと思います。こんなのが頭に刺さったらと思うとゾッとします…。



花巻教会の礼拝堂の十字架は、十字架の裏側と両側に蛍光灯が入っています。3月5日の日曜の礼拝中。賛美歌の「栄えの主イェスの」を歌っている時に、何となく十字架を見上げたら…茨の冠のかかった十字架が、光を放っている。まさに、この歌にぴったりだと感動を覚えました。以下、歌詞を引用します。

讃美歌21-297「栄えの主イェスの」

1 栄えの主イェスの 十字架をあおげば、
  世の富、ほまれは 塵にぞひとしき。

2 十字架のほかには 誇るものはあらず
  この世のものみな 消えなば消え去れ。

3 見よ、主のみかしら、み手とみ足より、
  恵みと悲しみこも ごもながるる。

4 恵みと悲しみ ひとつにとけあい、
  いばらはまばゆき 冠とかがやく。

5 ああ、主の恵みに 応うる道なし、
  わが身のすべてを、主の前に献ぐ。


東京に住んでいた頃は、この時期、四谷のイグナチオ教会で行われていたオルガンと祈りの集いに足を運んでいました。昨日図書館で「やすらぎへの旅-十字架の道行への黙想-」という本を見つけました。故ジョセフ・バーナーディン枢機卿は、アメリカの聖職者のトップにありながら少年への性的虐待の濡れ衣を着せられ、疑いが晴れた時には膵臓がんに侵されていました。その苦しみの中で彼が祈り、黙想した末の説教を元に、主イエスの苦難と死、復活を辿る内容になっています。本の中で使用されている「十字架の道行」のレリーフはどこかで見たことがあるような気がしたのですが、舟越保武の作で、東京のカトリック初台教会の聖堂に設置されているものだそうです(初台教会は確か聖歌隊仲間の演奏会で訪れました)。今年はこれを読みながら、レントの時期を過ごそうと思っています。

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