今年、2016年の4月21日に亡くなった、世界的ロック・スター、プリンスだが、彼の音楽人生で転機になったのは、あの世界的大ヒットアルバム「パープルレイン」ではなく「ブラックアルバム」(写真左下)ではなかろうか。
このアルバムは公式には1994年に発売されたが、実は1988年、つまりプリンスのデビュー10周年、通算10枚目のアルバムとして制作された。発売寸前で中止となったため、大量の初回プレス分を廃棄しなけばならなかったのは、ファンの間では有名な話だ。
そしてその代わりに発表されたのが「ラヴセクシー」で、プリンスはラブセクシー・ツアーを敢行、来日公演も果たす。見に行った方も多いんじゃなかろうか(私も東京公演に行きました)。
さてこのラヴセクシー・ツアーのライヴは2部構成になっていて、第1部がBAD、第2部がGOODと名づけられていた。ライヴ前半のBADでは、プリンスの悪が(かつての彼の売れた代表曲が演奏され)、後半のGOODでは、プリンスの善が(アルバム「ラヴセクシー」の収録曲が演奏され)表現された。
つまりはこのツアーのライヴのコンセプトは、1984年(すなわち「パープルレイン」)で完成された彼のイメージは死に絶え、ラヴセクシーという至高の世界へ生まれ変わるというものだった。もちろんそこはエンターテイナー、プリンスのことだから、前半には、Housequake や Slow Love、Adore が演奏されたし、最後の30分はアンコール扱いで、Let's Go Crazy、When Doves Cry、Purple Rainと畳みかけ、1999、Alpabet St.で締めくくりはする。プリンスはなぜこんなツアー・コンセプトを考えたのか。そしてなぜ「ブラック・アルバム」を発売中止にしたのだろうか。
プリンス自身は「ブラックアルバム」について、曲は良いが、歌詞が駄目だとか言ったという話が伝わってきているが、結局1994年に初回プレス限定という条件つきで発売したのだがら、まんざら嫌いでもないはず。
プリンスが学究肌なのは、もはや周知の事実だ。彼は「1999」という2枚組のアルバムを発表した後に、その成果を基に「パープルレイン」を作った。それと同じに「サイン・オブ・ザ・タイムズ」という2枚組のアルバムを発表した後に「ブラックアルバム」を作った。
すなわち「パープルレイン」がそれまでの彼の実験的なアルバムの成果の反映であるように、「ブラックアルバム」は「パープルレイン」以降の3枚、すなわち「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」「パレード」「サイン・オブ・ザ・タイムズ」の成果をまとめたものではなかったか。
つまりは彼なりの音楽の結論が実は「ブラックアルバム」ではなかったのか。黒人だからといって作る音楽が黒人音楽っぽくないといけないという言い方には反発を覚えるとし(プリンスの世代から聞く音楽はクロスオーバーなのだから当然だ)、レッド・ツェッペリンやジョニー・ミッチェルが好きだというプリンスにとって、デビュー10周年にして通算10枚目のアルバムが、こんなファンク要素の強い、しかもジャケ写が真っ黒なアルバムでは、周囲からそれ見たことかと言われるに決まっている。いくら彼が、あの頃(「パープルレイン」)の音楽は良かったのに、という声に応えるべく、多少の怒りに任せて作ったと言っても、これでは何を言われるかわからない。まして彼は白人の国アメリカの人である。心ない誹謗中傷が待ち構えているのは火を見るよりも明らかだ。
だからこそ彼はこのアルバムを否定した。いや否定したかった。しかしできなかったのも明らかだ。なぜなら1988年以降のアルバムには、この「ブラックアルバム」の影響がはっきりと読む取れるからだ。「バットマン」や「グラフィティブリッジ」、「カオス・アンド・ディスオーダー」を聞けば、これらのアルバムが「ブラックアルバム」の成果を反映したものだとすぐにわかる。もはや彼自身、何か曲を作ってしまうと、「ブラックアルバム」が顔を覗かせてしまうのではあるまいか。
ラヴセクシー・ツアーのライブの第1部BADでは、終盤に「ブラックアルバム」に収録されている「ボブ・ジョージ」という曲が演奏され、続けて「ラヴセクシー」収録の「アナ・スタシア」が演奏されて第1部が終わる。何とも象徴的で、このことからも彼が是が非でも「ブラックアルバム」を否定したがっていたのは明らかで、それだけ彼にとって深刻だったことがわかる。
彼の後半生は、自身の生み出した「ブラックアルバム」との闘い、このアルバムの全否定にあったのではなかろうか。そしてそれは叶わなかったのではないか。なぜなら彼は以降はどんどん迷走する。仕事熱心で質の高い音楽を発表し続けるものの、どこか総花的で、はっきり言ってしまえば器用貧乏になってしまっている。最晩年は多少は盛り返し、ヒットチャートも沸かし、元気にはなるものの、かつてのファンには物足りない音楽なのは事実だ。
プリンスはデビューして10年、つまり「フォー・ユー」から「ラヴセクシー」までのアルバム10枚に「ブラックアルバム」を加えた11枚を聞けば十分だ。私はその後も随分彼のアルバムにつきあったが、ついぞ気に入ったものは現れなかった。果たして「ラヴセクシー」の先(の前衛的な音楽)はあったのか、なかったのか。もしあったのならぜひ聞きたかった。
最後に、私の、プリンス「ブラックアルバム」限界論には反発するファンも多かろうと思うが、私もかつては熱心な彼のファンだった(筋金入りと言うつもりはないが、それなりのファンでないと写真のアルバムは持ってはいない)。
今回、彼の訃報に際し、長年彼のアルバムを聞いていて、ずっと思っていたことを書いてみた次第です。
付)私の好きな彼のアルバムは「パレード」と「ブラックアルバム」の2枚ですが、どちらも彼が駄目出ししたアルバムなので、1ファンとしてはしょんぼりするけれど、最高傑作は「サイン・オブ・ザ・タイムズ」だと思っています。それについては、またの機会に書くつもりでおります。
このアルバムは公式には1994年に発売されたが、実は1988年、つまりプリンスのデビュー10周年、通算10枚目のアルバムとして制作された。発売寸前で中止となったため、大量の初回プレス分を廃棄しなけばならなかったのは、ファンの間では有名な話だ。
そしてその代わりに発表されたのが「ラヴセクシー」で、プリンスはラブセクシー・ツアーを敢行、来日公演も果たす。見に行った方も多いんじゃなかろうか(私も東京公演に行きました)。
さてこのラヴセクシー・ツアーのライヴは2部構成になっていて、第1部がBAD、第2部がGOODと名づけられていた。ライヴ前半のBADでは、プリンスの悪が(かつての彼の売れた代表曲が演奏され)、後半のGOODでは、プリンスの善が(アルバム「ラヴセクシー」の収録曲が演奏され)表現された。
つまりはこのツアーのライヴのコンセプトは、1984年(すなわち「パープルレイン」)で完成された彼のイメージは死に絶え、ラヴセクシーという至高の世界へ生まれ変わるというものだった。もちろんそこはエンターテイナー、プリンスのことだから、前半には、Housequake や Slow Love、Adore が演奏されたし、最後の30分はアンコール扱いで、Let's Go Crazy、When Doves Cry、Purple Rainと畳みかけ、1999、Alpabet St.で締めくくりはする。プリンスはなぜこんなツアー・コンセプトを考えたのか。そしてなぜ「ブラック・アルバム」を発売中止にしたのだろうか。
プリンス自身は「ブラックアルバム」について、曲は良いが、歌詞が駄目だとか言ったという話が伝わってきているが、結局1994年に初回プレス限定という条件つきで発売したのだがら、まんざら嫌いでもないはず。
プリンスが学究肌なのは、もはや周知の事実だ。彼は「1999」という2枚組のアルバムを発表した後に、その成果を基に「パープルレイン」を作った。それと同じに「サイン・オブ・ザ・タイムズ」という2枚組のアルバムを発表した後に「ブラックアルバム」を作った。
すなわち「パープルレイン」がそれまでの彼の実験的なアルバムの成果の反映であるように、「ブラックアルバム」は「パープルレイン」以降の3枚、すなわち「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」「パレード」「サイン・オブ・ザ・タイムズ」の成果をまとめたものではなかったか。
つまりは彼なりの音楽の結論が実は「ブラックアルバム」ではなかったのか。黒人だからといって作る音楽が黒人音楽っぽくないといけないという言い方には反発を覚えるとし(プリンスの世代から聞く音楽はクロスオーバーなのだから当然だ)、レッド・ツェッペリンやジョニー・ミッチェルが好きだというプリンスにとって、デビュー10周年にして通算10枚目のアルバムが、こんなファンク要素の強い、しかもジャケ写が真っ黒なアルバムでは、周囲からそれ見たことかと言われるに決まっている。いくら彼が、あの頃(「パープルレイン」)の音楽は良かったのに、という声に応えるべく、多少の怒りに任せて作ったと言っても、これでは何を言われるかわからない。まして彼は白人の国アメリカの人である。心ない誹謗中傷が待ち構えているのは火を見るよりも明らかだ。
だからこそ彼はこのアルバムを否定した。いや否定したかった。しかしできなかったのも明らかだ。なぜなら1988年以降のアルバムには、この「ブラックアルバム」の影響がはっきりと読む取れるからだ。「バットマン」や「グラフィティブリッジ」、「カオス・アンド・ディスオーダー」を聞けば、これらのアルバムが「ブラックアルバム」の成果を反映したものだとすぐにわかる。もはや彼自身、何か曲を作ってしまうと、「ブラックアルバム」が顔を覗かせてしまうのではあるまいか。
ラヴセクシー・ツアーのライブの第1部BADでは、終盤に「ブラックアルバム」に収録されている「ボブ・ジョージ」という曲が演奏され、続けて「ラヴセクシー」収録の「アナ・スタシア」が演奏されて第1部が終わる。何とも象徴的で、このことからも彼が是が非でも「ブラックアルバム」を否定したがっていたのは明らかで、それだけ彼にとって深刻だったことがわかる。
彼の後半生は、自身の生み出した「ブラックアルバム」との闘い、このアルバムの全否定にあったのではなかろうか。そしてそれは叶わなかったのではないか。なぜなら彼は以降はどんどん迷走する。仕事熱心で質の高い音楽を発表し続けるものの、どこか総花的で、はっきり言ってしまえば器用貧乏になってしまっている。最晩年は多少は盛り返し、ヒットチャートも沸かし、元気にはなるものの、かつてのファンには物足りない音楽なのは事実だ。
プリンスはデビューして10年、つまり「フォー・ユー」から「ラヴセクシー」までのアルバム10枚に「ブラックアルバム」を加えた11枚を聞けば十分だ。私はその後も随分彼のアルバムにつきあったが、ついぞ気に入ったものは現れなかった。果たして「ラヴセクシー」の先(の前衛的な音楽)はあったのか、なかったのか。もしあったのならぜひ聞きたかった。
最後に、私の、プリンス「ブラックアルバム」限界論には反発するファンも多かろうと思うが、私もかつては熱心な彼のファンだった(筋金入りと言うつもりはないが、それなりのファンでないと写真のアルバムは持ってはいない)。
今回、彼の訃報に際し、長年彼のアルバムを聞いていて、ずっと思っていたことを書いてみた次第です。
付)私の好きな彼のアルバムは「パレード」と「ブラックアルバム」の2枚ですが、どちらも彼が駄目出ししたアルバムなので、1ファンとしてはしょんぼりするけれど、最高傑作は「サイン・オブ・ザ・タイムズ」だと思っています。それについては、またの機会に書くつもりでおります。
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