アトリエ 籠れ美

絵画制作、展覧会、美術書、趣味、その他日常の出来事について
平成27(2015)年5月4日より

よろしく千萬あるべし、宝山モヒート(酒飲み手記その21)

2024-06-01 03:00:00 | グルメ、健康





 いつまでも記事にしないので、2本まとめて(って、投稿しない私の怠慢なのだけれども)。

 どちらも値段は税別1000円ちょっと。

 上の「よろしく千萬あるべし」は米焼酎で、あの日本酒、八海山を造っている会社が、下の「宝山モヒート」はミントの香りの焼酎で、あの薩摩宝山を造っている会社が出しているもの。


 「よろしく千萬あるべし」って、久米川の人気蕎麦屋「手繰りや 玄治」に置いてあって、もちろんそこで何回か飲んだことがあるんですが、おお! 売っているのか、とスーパーで見つけた瞬間に即買い。

 「宝山モヒート」は、そんな変わり種を薩摩宝山の会社が造ったのかと興味津々で。こちらもスーパーで買いました。


 どちらもちょっと気になるじゃないですか。で飲んでみてどうかというと、

 「よろしく千萬あるべし」って、こんなに甘口でしたっけ? 店で飲んだときはそうは思わなかったんですが、意外でした。あんまり好みでないかも。でもこれを家で飲めるのは贅沢。なかなか見かけないもんで。


 「宝山モヒート」は初体験なんですが、まあ元が芋焼酎なんでねえ、これにミントで、ジンのような味わいになるかっていうと、微妙。

 最初ロックで飲んだんですが、ひょっとしてこれは炭酸割りで飲んだ方がいいのかも、って思い、瓶の裏ラベルを見てみると、やっぱり炭酸割りを薦めている。

 そこで炭酸割りで飲んでみたんですが、まあさほどでもなく。ロックでもどっちでも大して変わらないかな。ちょっと癖のある、妙な味わいなので人を選びますね、これは。


 以上ですが、どちらも飲んでみて満足。スーパーでも、いろいろと売るようになった、いい時代です、今は。

 
 付)スーパーのお酒売り場、もちろんスーパーにもよりますが、結構楽しめます。案外と定番でないものを置いている場合があるので、隅に置けません。

赤ワインに合う日本のスナック菓子は「キャラメルコーン」だ!

2024-05-31 03:00:00 | グルメ、健康
 以前「ワインとつまみ(酒飲み手記その6)」(2023-07-06 の記事) で、

 「フランス人はやたらと濃い味のポテトチップスで気軽にワインを飲むというので、日本のスナック菓子であれこれ試してみたものの、それに該当するものがない」

 ということを書きましたが、ありましたっ! 日本のスナック菓子で該当するものが。


 それがこれであります!



 言わずと知れた、東ハト「キャラメルコーン」でございます!


 えーっ! とお思いの方、それはそうでしょう。だって確かに濃い味かもしれませんが、甘いじゃん、これ。だからワインに合わない、ワインの味を邪魔するんじゃないかと。

 私も最初はそう思いました。でも試してみて、さにあらず。実に合うんです。っても、たまたま冗談でやってみただけなんですけどね(だから大して威張れない)。

 でも合います。一度お試しあれ!

 付)冗談で試した本人がビックリ。ただし白ワインに合うのかどうかは不明(まだ試してないもんで)。

ジャズ、クラッシックを聞いてます(その48)

2024-05-30 03:00:00 | 音楽
 先月の28日、千駄ヶ谷の将棋会館道場へ行ったときに、新宿へも寄り、ディスクユニオンで買ってきました。

 先に新宿へ行ってから千駄ヶ谷へ。だから慌ただしく、あまり時間をかけて探せませんでした。よってジャズとクラッシック、一枚ずつです。

 何だか今後はこれがお決まりになりそう。重たい荷物(ジャズとクラッシック、それぞれのガイドブックが分厚くて重い)を鞄に入れたまま、将棋を指すのはちょっと面倒なんですが、やむなし。

 今日日交通費も高いですからねえ。なるべく節約。我慢できるところは、我慢、我慢ということで。


 では前置きはこの辺にして、まずはクラッシックから。


「バッハ:ミサ曲 ロ短調」
カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団
*税込800円

 のっけから演奏が透き通っている感じ。軽快というのとは違う。でも聞いてくと柔らかい印象に変わる。

 ミサ曲なんて、聞いてて退屈すると思いがちですが、これは聞いてて心地よく、ずっと聞いていたい感じ。ながらで聞くに最適かも(ってそういう言い方は失礼なのかしらん)。


 お次はジャズ。


「オスカー・ピーターソン:オスカー・ピーターソンの世界」
*税込1100円

 えっ!? これがジャズなの、っていう出だし。新鮮。全体を通して、速くて軽やか。


 以上が今月分でした。ちょっと忙しくて聞き込めなかったのが残念。

 なんか、今月は忙しかったです(まあ確かに、旺玄展の搬入出とかありましたし)。

 来月分はもうちょっと腰を据えて聞きたいです。

将棋道場通いその17.5

2024-05-28 03:00:00 | 将棋、チェス、囲碁、麻雀、花札、クラッシックギター、社交ダンス、乗馬、書道
 一昨日の日曜、26日は、千駄ヶ谷の将棋会館道場へ行く日。

 ところが体調不良で行けず。

 朝起きてしばらくしてから、腹具合が悪くトイレへ。トイレを出ても、お腹がグルグル。午前11時頃にまたトイレへ。

 おそらくアルバイトの疲労蓄積と、ここんところの寒暖差の激しさが原因と思われる。まあ年よねえ、年。

 午前11時30分に決断し、泣く泣く千駄ヶ谷へ行くのを諦める。

 結局、午後1時にもトイレへ。一日ずっとこんな調子でした。お腹の調子が変。

 ご本人さん、がっくり。これじゃあ今月は1回しか行ってない。ボケ治し、将棋のポカはいつ治るのかしらん。治りが遅くなるのはやむなしか。

 とにかく来月、来月に行ってきます。


 付)まあしょうがないよね、こればっかりは。目元が疲れているのは、自分でも鏡を見なくてもわかる。ちゃんと寝てるんだけどねえ。

 注)ふてくされず、いつも通り、毎日こつこつ将棋の勉強をしていきますか。

 蛇足)それにしても行けなかったのは痛いです。隔週、月2回だけの、せっかくの機会なのに。

クラッシックギター、独学中その6(クラッシックギターの構え方)

2024-05-27 03:00:00 | 将棋、チェス、囲碁、麻雀、花札、クラッシックギター、社交ダンス、乗馬、書道
 どこかで記事を入れようと思ってたんですが、ずるずると延びてしまい、今日になってしまいました。

 前回の記事で

 この2冊も参考にしながらと書きましたが、幸い、

 この教本を(この記事の見出し画像拡大再掲)

 順調に進められているので、上記の2冊の出番は今のところなさそうです(たまに見てたりしますけれど)。

 毎朝の40分に加え、休日に取れるなら3時間でも4時間でも、あるいはそれ以上の時間を充てています。


 実はこの教本の「第一部 基礎編」を2年間かけて習得するという壮大(?)な計画を立ててましたの、私。それぐらいの悲壮感、危機感を持っての再開、三度目の正直でした。

 もしそれがダメなら、つまり2年間で「第一部 基礎編」が難しそうなら、先程の2冊に切り替えるつもりでした。

 これは教室に通い始めたときに思ってたんですが、自分としてはこの基礎編で十分だなと。基礎編さえ無事にできれば、もうこれは御の字。

 この気持ちは今でも変わってません。この教本では基礎編の次に、初級編、中級編、上級編とあるんですが、とてもとても。そんなことはできなくてもいいです、っていう。

 基礎編さえ習得できれば、簡単な曲なら練習して弾けますので、それで十分。

 もちろん、人間には欲がありますので、基礎編を卒業できたら、はい、次、初級編ということになりますけれども。

 そしてもしやれるんだったら、どんどん進めて、この本一冊何とかしたいですよ、そりゃ。


 そんなつもりで地道に、こつこつ、急がずにやってます。納得するまで先には進まないと決めてますので、実にのんびりしたものです。

 再開して約2ヶ月経ち、現在は基礎編の練習16をやってます。どうやらこの分だと、年内には基礎編を終わらせられそうです。ひょっとしたら、もっと早いかもしれません。


 こうして再開してみて、つくづく思うのは、クラッシックギターって、構えるまでが大変なんですよ。

 つまりは椅子に座り、足台を使い、ちゃんとギターを膝に乗せられるか(弾いているときにぐらつかないか)、右腕の位置(ギター側面のどこに乗せるのか)、そして左親指の位置(フレット裏側のどこに当てるのか)。

 これらがちゃんと決まれば、あとは勝手に自分で練習できます。つまりギターを構えるという、この初歩の初歩を、手取り足取り、懇切丁寧に、教えるのが、本来の先生の仕事。ところが、これをちゃんとやらない、だからダメ。

 はっきり言って、私が先生できますね。大してどころか、ほとんど何も出来ない、弾けない私が。断言できます。

 身長や腕の長さ、手の大きさは人によって違いますから、個々人に合わせて、構え方を徹底的に細かく変えていくのが大切。そこさえ決まれば、もう卒業なんですよ。あとは好きにやりなさい、っていう。

 指を開く練習なんて不要ですよ、これは完全に科学的、人間工学的な問題なのであって、練習するもんじゃないですよ。ネックの高さと、それに合わせた、左手の角度、そして肩の上げ下げ、肘、つまり脇の開け閉め、こういったことで解決します。

 解決しますっていうか、そういうことをちゃんと弾ける人はもう無意識にやっているんですよね、だからそれを初心者には意識して教えないといけないんだけど、自分は弾けるもんだから、まさに無意識なもんだから、それに気づかない、教えられない。はっきり言って先生失格ですよ、こういう人たちは。

 そしてそういう人たちが先生やるもんだから、みんな挫折してやめていくという。当然ですよ、当たり前ですよ。だから私も苦労しました。

 こっちは膝に乗せたギターがぐらつくまま、右手はうまく動かないし、左手は指が開かない。全てが不安定で、不安なまま。挙げ句の果てに音符も覚えて、早くテンポ100で弾けるようにと言われる。自分が弾けるのと教えるのが上手なのは別。

 こうした人たちは忘れちゃってるんですよね。かの巨匠、イエペスは科学的に弾こうとした、合理的に、つまりできるだけ無理しない弾き方を追究したそうじゃないですか、ほら見たことか。



 もしクラッシックギター初心者で、ギターの構え方で困ってこの記事を読んでいる方がいたら、必ず足台を使い、膝に乗せたギターは、右肩の力を抜き、右腕の重み(抜いた右肩の力が右腕に伝わる)で押さえて、安定させること、ネックの高さは人それぞれで構いませんが、左親指は左人差し指ではなく、左中指と左薬指の間の反対側に置いてみること、脇を締めてみること、これらで改善、あるいは解決します。

 左手がうまく使えず困っているなら、一度わざとネックを低くして弾いてみて下さい。そうすると左肩の上げ下げ、脇の開け閉めを意識してしないと弾けないのがよくわかると思います。そして左手首をある程度前に出し、指板に対して左手のひらを平行にするのではなく、ある程度開かないと(斜めにしないと)弾けないことにも気づくでしょう。

 要するにギターは体全体を使って弾くものです(おそらくギターに限らず楽器全般に言えるはずです)。だからギターを弾いて音を出す度に、つまり一音、一音出す度に、実は、ごくわずか、微妙で気づかないときも往々にしてあるいでしょうが、手首や肘、肩は動いているのです。

 左手の押弦には古典的(オープン)と現代的(クローズ)がありますが、後者が誕生したのは、左親指を左人差し指の反対側にどうしても置きたい、置かないといけない、という考えからだと私は思ってます。必ずしも左人差し指の反対側である必要はありません。

 また左手の押弦は、ネックを高くすればするほど、左肩の落とす(左肩の力を抜く)ことになり、左肩の重みで行うことになります。これを省エネとか言う人もいます。

 これはネックを低くしても可能です。指で押さえるのではなく、弦を引く感じでしょうか。弦に指をぶら下げる、とでも言えばいいでしょうか。

 ということはクラッシックギターでは、右手でも左手でも、結局は、肩の力、抜いた肩の重みで、弾くということになります。これは究極的、理想的というわけではなく、これが本来です。本質的にそうなのです。



 話を戻しまして、前回の記事で「音符を忘れてます、いつか思い出すんじゃないかと」って書きましたが、ちょっと苦労しましたが無事に思い出しました。また「指が開かない」とか書いてましたが、上記の通り解決。

 そして前々回の記事で「ギターの構え方でなぜうまく構えられなかったのか、とてもここでは書けない恥ずかしい理由がありました」と書きましたが、これはわたしの勘違いでした。ここで言う構え方とは膝に乗せてぐらつかないようにすることですが、それも上記の通りで解決。


 それと肝心なことをひとつ。私は爪を伸ばしてません。職業上、それが難しいということもありますが、単に爪を伸ばすのが嫌。好きでない。不衛生とは言いませんが、そんなことに気を遣うのが嫌。なので私は爪でなく指で弾いてます。


 まだまだ初心者で初級者にもなってない身ですが、この2ヶ月ほどで随分、私のクラッシックギターの腕前(?)も成長しました。

 今進めている教本の練習23が終わったら、また記事にしたいと思ってます。


 付)クラッシックギター初心者のために書くべきことがまだまだありまして、それは初見演奏や譜読みなどについてなんですが、日を改めて。


 注)ネットにかなりの情報が落ちてます。しつこく検索して拾い上げていけば、手助けになってくれます。左親指の位置を中指と薬指の間にするというのは、自分で出した結論でしたが、似たような話がネットにありました。


 蛇足)繰り返しになりますが、ちゃんとギターを構えることができれば、あとは勝手にやればいいだけです(現に私がそう)。逆に言うと、そこに辿り着くまでが大変。

 私の場合、幸か不幸か、とんでもなく苦労したので、今やっている教本の難しさなんて、ギターをちゃんと構えられるようになった喜びに比べれば、たかが知れてます(って気分、気分はそうなんだけど、実際は、ひぃーひぃー言って練習してます)。

お知らせ~第474週のカテゴリー

2024-05-26 08:53:11 | 随筆(日記、旅行)、お知らせ、こぼれ話
 来週の定期投稿(月、木、日)カテゴリーは「クラッシックギター」「ジャズ、クラッシックを聞いてます」「お知らせ」の予定です。

 こぼれ話をいくつか。

 来月11日から上野の国立西洋美術館で開催の「写本展」に行きたいと言っていた母ですが、突然、一昨日だったか、行かないと言い出す。

 びっくりの私。どうしてなのか聞くと、もう興味を失くした、とのこと。私が自宅のパソコンで、国立西洋美術館のホームページで写本展を見せたのがいけなかったのか、もうどんなものかわかったから、もういいということらしい。

 それと、多分、これは私の想像なんだけど、この間の、上野で東京都美術館の旺玄展を見て、そこから台東区役所方面の老舗喫茶店「古城」で昼食を食べたんですが、かなり歩いたので疲れて、面倒になったのではないか。

 だから言ったんですよ、「今度は国立西洋美術館だから、その奥にある東京都美術館まで歩かないし、何なら予定していた台東区役所方面の老舗喫茶店『桂』に寄るのは止めたら疲れないし、大丈夫だよ」って。

 それでもとにかく行かなくていいと言う。困ったもんです。まだ日があるので気が変わればいつでも行くよと伝えてあります。



 何が困ったって、私が「写本展」に乗り気になってしまっていること(もう行く気でいます)。なのに、私の迷っている気持ちに活を入れてくれた、母が急に心変わりしてしまっては。一体どうしたものか。

 「行ってみなければわからない」「一生に一度」とか言って、母は私を行く気にさせてくれたのに。私も行くの考え直そうかなあ、ってなっちゃうじゃん。

 しかし昔の私だったら喜んでこうした変わった企画展に行っていたはず。だから行こうと思い直したんだけどなあ。
 
 何となく元気なくした母に見えて、私が悲しい。せっかくネット見つけておいた、武蔵関駅前の「手打 甚作」という蕎麦屋には近々行こうかと(これも「写本展」の帰りに寄ろうかと思ってたんですが)。

 母は、武蔵関駅前散策には賛成、行く気満々なので、息子の私としては一安心です。



 来週、月曜は通常通り出勤ですが、火曜は有休、水曜は公休、ということで連休の私。そこで水曜にでも上記の「手打 甚作」に行けたらと(この店は火曜休み)。

 何で火曜は有休なのかというと、火曜は旺玄展の搬出日。自作を引き取りに東京都美術館まで行ってきます。

 午前中出勤で午後退勤させてくれればいいとアルバイト先の直属の上司には言ったんですが、気を利かせてくれて有休にしてくれました。

 有休になったので、朝一で引き取りに行ってきます。そしてまっすぐ帰宅。おそらくは午前11時には帰宅しているはず。

 そこで地元の喫茶店で母と昼食でも取ろうかと。とにかく家に籠もりがちな母を少しでも外へ連れ出さねば。



 ああ、我慢できず、一昨日、ついに晩酌で「ホッピー」登場。まだ5月だよ、早すぎない? 今から「ホッピー」飲むのって感じ。

 冷蔵庫に「キンミヤ」と「ホッピー」が入ってます。ウイスキーも入ってます。母のワインも入ってます。

 むう、毎日晩酌してますね、母と。私が飲み過ぎないように気をつけてます。



 物価高が直撃してますが、まあそりゃ家で飲む方がお金はかからない。しかも自分は料理するので、ちょっとしたつまみを作るのは楽勝。電子レンジなので、さらに楽勝(ガスよりかなりの時短)。

 あまり凝らないように注意してます。やりだしたら何品も出来てしまう。食べきれない。

 だから冷凍食品の流水解凍の枝豆やポテトチップスの出番がない。でもこれから夏。積極的に活用したいところ。

 何でも高いよねえ、スーパーで日清のカップヌールドルの値段を見て驚く。もう高級品で買えない。せいぜい特売のときに買うかどうか。

 みんな、何もかも高いよ。高くても我慢して買うのは野菜くらい。でもそれも限度があるので、今はブロッコリーとキャベツは敬遠。高すぎちゃってダメ。

 もうね、ほんと、じっと我慢の子。家でのんびり過ごすのが一番賢いのかも。

令和6(2024)年 公募美術団体展その4(第90回記念旺玄展その4)

2024-05-24 03:00:00 | 展覧会、美術館、公募展、貸画廊、貸ギャラリー
 予定通り、一昨日の水曜、会期2日目の22日に、母と上野の東京都美術館へ行き、第90回記念旺玄展を見てきました。

 こうしたとき、いつもは午前中の遅い時間に家を出るんですが、今回は早めに出ようということになり、午前9時過ぎに出発。

 やっぱり西武新宿線、混んでました。とりあえず、すぐ来る急行に乗って、どこかの駅で各駅停車に乗り換え、座っていこうと思っていたら、その急行にたまたま2人とも並んで座れました。

 ですが、さすがに高田馬場駅で乗り換えたJR山手線では座れず、上野駅まで20分ほどなので、母に我慢してもらって立って到着。午前10時前頃だったかな。

 上野駅公園口出てすぐ、ロータリーの右側に見える、「Parks 上野グリーンサロン」というレストランに入り、ホットドッグとコーヒーのセットで朝食(とにかく母に座ってもらって、足を休めてもらわないと)。


 十分休んでから東京都美術館へ。向かう途中の国立西洋美術館の次回展予告が、何と「内藤コレクション 写本展」というマニアックな内容。私が心惹かれて看板を見ていると、これまた何と、母が興味を示し、見に行きたいと言い出す。意外な展開。ちょっと考えておくということにして、まずは肝心の旺玄展へ。

 入口の受付で、持参した葉書(この案内状で2名無料で入場できる、事前に郵送されてくる)に母の名前を書き、自分は入選証を見せ、かつ入選証に切り取り線つきでついている図録の500円割引券で図録も購入し(割引で税込2000円)、無事に入館。

 入館してすぐの広い場所に(もちろん壁沿いには作品が展示されている)、たくさんの折り畳みの椅子が置かれ、会の人たちが座っていて、何やら司会の人が、講演会なのか、報告会なのか、ミーティングなのか、大きな声で話してました。

 その脇をすり抜けて奥へ。この日は夕方に上野の精養軒で懇親会が開かれるので、それに合わせた某かの催し物をやっている模様。

 さて展示作品ですが、入口から大作がずらりと並び、進むにつれ、作品の大きさが小さくなっていくのが、今年の展示の特徴かな。小品は小品で小さく仕切られた区画に展示。ただし最後の区画は再び大作が展示。確か企画展だか何かでした。


 肝心の私の作品ですが、F50号ですので、進路の真ん中辺りの区画に展示されてました。会場で見ると画面が暗めですね。私の出品作はどれも暗め。去年もそうだし、以前出していた他団体でもそう。

 もうこうなるとこれは私の油絵の特徴ですね。別に家で描いているときは、そうは思わないんですが、会場で見ると、これは東京都美術館の照明は関係ないですね、なぜなら他の出品者の作品は暗くないわけですから、とにかく暗いです。

 もうこれについては気にしないことにしました。これはこれでいいんじゃないかと。出来上がった私の技法がそうさせているわけで、改善する必要もないと今作で腹を決めましたの。

 自作はF50号と、100号が中心の公募展では小さい方ですが、画題が上半身の人物画ということもあって、それなりに画面の小ささを感じさせませんでした。

 何か地味な印象ですね。でもそれもよし。渋めというより目立たない。何でも目立てばいいってもんでもないですが、どうせだったら品が良いまでいけばよかったんでしょうが、そこまでの腕前はなし。

 個人的には満足してます。やりきりましたので。これを土台に新たに飛躍するわけで、今回は荒削りで結構。次ですね、次。今秋の旺玄会東京支部展出品作に、はっきりとした成果(画面効果)を出すと。


 しっかり自作を見て退館。母は今作、今までで一番いいんじゃないかと言ってくれました。そうかもしれませんね。そうだったら嬉しいです。

 東京都美術館を後にして、台東区役所の近く、でもないか、「古城」という有名な喫茶店へ行き、ナポリタンとコーヒーのセットで昼食。「古城」へはこれで2回目。椅子がソファーでゆったりして休めるのがいいです。

 それから上野駅へ戻り、帰途についたんですが、ぼんやりして乗っていたせいか、山手線で高田馬場駅を通り過ぎてしまい、新宿駅で降りることに。せっかくだからと、山手線新宿駅を出て、西武新宿駅までぶらぶら歩くことに。

 ところがその道すがら、私の後ろを歩いていた母が転倒。すぐに気づいた外国人観光客の男女に助け起こされるという。歩道脇の店舗前の段差に気づかなかった模様。確かに危ない、高い段差でした。

 焦りましたし、びっくりしました。母は高齢とはいえ、まだ元気。転んで大事には至らず。これからはなるべく並んで側にくっついていようと思います。

 それから無事に西武新宿駅に着き、電車で帰宅。帰宅してみて、母の左腕に擦り傷があるのに気づく。大したことなく、この程度で済んでよかった。


 以上です。さて、母が「内藤コレクション 写本展」へ行きたいと言った件ですが、帰宅後にパソコンで調べてみると、この内藤コレクション、寄贈されたもので以前、3回に分けて小企画展示されていたそう。今回まとめて一気に大半を公開するらしいです(詳しくは国立西洋美術館のホームページ見てね)。

 これ、私は興味あるんだけど、母もなぜか行きたいというなら、行くしかないですね。というわけで、来月12日の水曜に予定を入れました(ホントに母は行く気なのかしらん)。

 まあ内容次第ですが、図録も買うつもりでいます、私。久しく美術館の企画展に行ってませんし、ちょうどいい機会かも。
 
 そうそう、今秋に東京都美術館で田中一村展を開催するらしいので、これは行かねば。

 むう。にわかに忙しくなってきたぞ。他の美術館でどんな企画展をやっているのかも調べておこうっと。


 蛇足)それにしてもこの写本展、人、見に来るのかなあ。いくら美術好きでも限られると思うんだけど。よく企画したよね、国立西洋美術館。

 付)母と行くとして、今度は上野で別の老舗喫茶店で朝食を、帰りに新宿の老舗喫茶店か、西武新宿線の武蔵関駅近くの蕎麦屋で昼食を、と考えてます。

 注)予算をちゃんと組んでおかないと。こっち持ちだから、結構お金かかるぞ。まあこれも親孝行みたいなもんなんで別に構わないんですけどね。

油絵追試その12

2024-05-23 03:00:00 | 新・絵画制作記
 今月12日に2回目の自作ワニス(仕上げ用ニス)を塗布してから10日ほど経ちました。

 ほぼ乾いてますので、指触乾燥速度としては改めて申し分ないです。

 明るい色彩のF20号の風景画に塗布したわけですが、1回目より効果が増しているというようなことはなさそうです。

 これなら塗布は1回で十分なのかもしれません。しばらく経過観察してみます、っても、ただほったらかしにして、たまに見るだけなんですけどね。

 そうしつつ、1年後とか2年後、たまに見るのも忘れた頃に見てみてどうか。何も変化なしなのか、何らかの変化が起こるのか(ワニスの輝きが落ち着くとか、画面がほんの少し茶色味を帯びるとか)。

 気の長い話ですが、これもテスト、実験ですので、こんなものです。


 さて実際にワニスを自作して試してみてよかったです。これなら今回のワニスを改良すれば使い物になりますね。ただしどう改良するかは難しいところ。何もいい考えが浮かびません。

 画材関係の資料を調べて何か手を打つとしますか。しかしこれは長期目標ですね。とりあえず急ぎではありませんので。

 ちなみにこの自作ワニスを現状でこのまま使うことはできます。そこが悩ましいところ。一度、例えば今秋の旺玄会東京支部展出品作に、実際に使ってみる手もあります。ちょっと考えておきます。

 とりあえず今回で「油絵追試」の記事は終わりになります。


 注)覚えていたら1年後に投稿したいですが。

 付)残るは、現在制作中なのは「油絵習熟(兼自作溶き油)テスト」のみ。最後の1回の制作が遅れに遅れてますが、今月末、29日の予定です。

 「令和6年旺玄会東京支部展 出品候補作 制作記」も進行中。まだ構想段階ですが、ある決断をし、実作できる状況になりつつあります。こちらもかなり遅れてます。急がねば。

 蛇足)今年の春はスケッチに行けませんでした。秋に必ず行きます。急に年間行動計画を立てたので、実行するにはいろいろと無理が出てますが、夏には軌道に乗せられますので。

 この年間行動計画は、無理のない形で継続していくのが大事ですので、随時修正してます。実際にやってみて自然な形に落とし込んでます。

令和6(2024)年 公募美術団体展その3(第90回記念旺玄展その3)

2024-05-20 03:00:00 | 展覧会、美術館、公募展、貸画廊、貸ギャラリー
 お伝えした通り、旺玄展に一般公募で入選しました。会期は明日の火曜から日曜、会場は上野の東京都美術館。

 詳しくは下の葉書参照(この記事の見出し画像を拡大再掲)。


 自作はF50号で歴史上の人物を描いた人物画ですが、寓意画でもあり、風刺画でもあります。

 その辺のところは会場に来られた方に読み解いてもらえるかどうか。

 
 前年に続き、2回目の入選なので、支部には入会しているとはいえ、旺玄会本部の雰囲気、様子はよくわかりませんが、送られてくる会誌(一般入選者にも郵送される)を読んでみると、新型コロナウイルスによる、過去の旺玄展中止の影響で会員が減り、年会費等の収入減で経営が大変だとか。

 しかしこれは旺玄会に限らず、どこの公募美術団体も抱えている深刻な問題でして、あと数年で淘汰が始まるんじゃないかとか言われてます。


 このまま来年も入選し、3回目となると入会審査が行われ、入会を許されることになると思われます。もう最近はずっと一般入選でいいや、作品が展示されればそれでいいや、っていう感じになってます。入会すると、年会費が発生しますもんで、すっかり公募展慣れし、すれっからしになっちゃってます(いけません、これは)。

 はたまた、どこの美術団体でもいいですが、支部入会で、支部の場合は即会員になるし、東京なら都内の貸し画廊で支部展があるから、そこで作品発表できるからいいや、その方が年会費も安いからいいや、って(これもいけません)。

 こういった不謹慎な、やる気ない、不真面目な発言はいけません、いけません。この記事を、旺玄会東京支部の人たちに見つかったら、どうしよう(そのときは素直にゴメンナサイしよう)。


 疲れてるのね、最近(そう、クラッシックギターに傾注している私)。いずれにせよ、このまま入選を続けていれば、入会の流れになります。そのときに旺玄会の経営状況、財政事情は気になるところです。

 今は一般入選の立場(どこにも所属してない自由の身)ですので、他団体の公募展へ出してもいいわけで、そういう手もありますが、もうそこまでせんでもいいかなと。

 さて、今作が私の油絵のプレリュードでして、本番が今秋の旺玄会東京支部展になります。今作で獲得、確立した油絵技術、技法を生かし、さらに発展させた作品を発表していきます。

 その記念すべきプレリュードとなった今作が、東京都美術館という広い会場でどう見えるのか、楽しみです。


 明日が初日で、明後日の水曜、会期2日目に、母と行ってきます。実際に行ったら、そのときの様子などをまた記事にしたいと思います。

お知らせ~第473週のカテゴリー

2024-05-19 09:04:24 | 随筆(日記、旅行)、お知らせ、こぼれ話
 来週の定期投稿(月、木、日)カテゴリーは、「展覧会、美術館、公募展」「絵画制作記」「お知らせ」の予定です。

 こぼれ話をいくつか。

 もう暑いので(といっても明け方から朝はまだ寒いんですけどね)、出勤時はポロシャツ着用。このポロシャツはクールビズ用に社内販売したもの。よってアルバイトで着てよし。

 といっても、1年くらい前、いや2年経つかな、支給された制服を着なくてよくなったのですが(社内基準はあるものの、常識の範囲内の私服でよい、という)。

 支給された制服は、プロ仕様で、とにかくすぐ乾くけれど、着てて暑いです(その代わり冬はちょうどいいんですけどね)。

 まだ5月、先が思いやられる。



 そうなんですよ、まだ5月なんですよ。わが食卓では、夕食にシマダヤの流水麺が早、複数回登場(昨日はそうめんでした)。
 
 おそらく今日の昼食には、同じくそばが出てきます(母と食べます)。

 こんなして、今から流水麺食べてたら、肝心の夏には飽きてしまい、食べたくなくなったら、どうしよう(今夏は夕食は流水麺を多用すると、母に宣言していたんですが)。

 まあ麺類って飽きないでしょ、っていう話もありますが(このシマダヤの流水麺にもいろんな種類があるものね)。かといって、食べ控えするわけにもいかず(だって暑いから、おいしいんだもの)。

 もうこうなったら、何も考えずに行けるところまで行って、飽きたらそのとき考えます。



 もう一つ問題が。ホッピー飲んじゃおうかな(今度は酒飲みの話ね)。暑いから、おいしく飲めそう。

 しっかし、これまた今から、今の時期から飲み始めちゃうの、っていう感じ。暑いし、ウイスキーは値上がったし(すんごい上がりましたよね、一気に200円くらい)。

 私なんか、やむなくウイスキーは、カティーサークを飲んでます(だって税別999円だから)。頼みの、サントリーホワイトとバランタインが一瓶、税別1400円近くするとあっては。ただただ驚く。

 すでにちょくちょく缶ビール飲んでんだから、早めにホッピーに移行した方がいいのかも(その方が安上がりだし)。



 暑い話はこの辺にしておき、ひょんなことから、書道を始めることになるやもしれず。

 「書道事始め、書道話」として記事を書いてきましたが、途中で止まってました(道具を揃えている段階でしたね)。

 それが何で再開なのかというと、例の、将棋道場通いで、千駄ヶ谷の将棋会館道場へ行き始めたわけですが、そこで手渡される対局カードに名前を自分で書かないといけない。

 普通は受付が書くんですけどね。何で自分で書かないといけないのか。そりゃ受付が書くのが面倒なので、客に書かせるという、商売のあり方として、とてもいいとは思えず。

 で、問題は書くのはいいとして、この将棋会館道場、少々変わっているのは、帰るときに、この対局カードを手渡される、つまり持ち帰るという。

 普通は持ち帰れない。数年分は取っておくという道場もあるわけで、これも溜まったのを捨てるのが面倒、ということなのかも。しかしながら、これには利点もあって、その日の対戦相手、勝ち負け、がわかるという。

 持ち帰ること自体は、個人的に構わないんですが、この対局カードの自分の名前は、自分で書いたから、自分の字なんですよね(当たり前ですが)。

 これが嫌。ものすごく嫌。自分の字が汚いから。まあ道場でそう意識して綺麗に書こうとしているわけじゃないですが、にしてもひどい字。

 せっかく持ち帰って、家でこの対局カードを見たときに、そこに自分で書いた、汚い字の自分の名前を見るのが嫌。嫌というより、もはや苦痛に近い。

 なので書道を再開して、自分の汚い字を直そうという。それも早めに。

 独学っていうか、まあそうなるんでしょうけど(昔、小学生の頃、習字を習ったことがありますけれど)、通信教育のボールペン習字を、自分で筆と墨と硯でやるような感じでしょうか。

 結構、本人、深刻です。せっかくの対局カード、もちろん大事に取っておいてます(ってもまだ3枚しかないですけどね)。そこに綺麗な字の自分の名前を見たい。

 さてどうするのか。書道の道具は、あとは筆に文鎮にフェルトの下敷きくらいで、一気に(大してお金がかからずに)揃えられます。

 ただし時間が取れるかどうか。現状でもかなり手一杯なので、悩ましい。すぐに結論は出なさそうですが、夏前には方針を決めたいです。



 ホント、人生わからないもんですね。

 クラッシックギター独学のモチベーション(動機づけ)は、ギター雑誌を買えるご身分になりたいという欲だし、書道の方は、まさかの将棋道場の対局カードが契機で再開したいということだし。

 憧れもいいけれど、案外、切実な、あるいは身近な、素朴なことから、物事は始まるのかも。

 いきなり、すごくなりたい、では疲れるものね(時間もかかるし)。

 私がクラッシックギターをすらすらと弾けるようになる、そんな姿はピンと来ないし、全く想像できない。将来的にそれに近づけたらいいなと。