あすなろ健康院ブログ

あなたの心と身体の健康をずっと見守り続けている灯台でありたい…

信ずる者は…

2011-02-05 08:34:43 | こころの詩
なにそれ?
そういうことかな?

身近なところでは習い事

先生やコーチが
「これやってみてください」
と言った時、
「それ無理!」
と教え子が表面的にも心の奥でもその叫びが出た場合
概ねできません。
また出来たとしても不完全となります。
そして
先生やコーチへの信頼感が揺らぎ
結局は諦めたり、その師の許から去っていきます。

別にそれを責めているのではないのです。
私がそうだったから。
だから敢えてカミングアウトではないですが、
今ここにその事実をさらけ出し、
今まさに現在進行形の方やこれからそれを迎えそうな方、
いや、
何らかの形できっとすべての方々に訪れる出来事なのです。
習い事に限らず、
社会に出たら、否応なく先輩や上司や、
会社に行かなくても、
目上の人や、地域の人との係わりの中で生まれて来ます。


それを甘受するのもはねのけるのも全てはあなた次第!!!!!
ささやかな人生を
その人生を有意義に感じ、
また彩りたいと想い、
そして
まったく自然体で生きようとしているあなた
そう、あなたもやっぱりその洗礼を受けてこそ、人生を心地好く全う出来るのです。

私の犯した愚かな出来事
それは
ギターの弾き過ぎによる二度に亘る30年の戦いの途中で起きました。
私の師は、酷い右手中指の腱鞘炎の為に
輝かしいソリストの道を諦め
ギタースクールを開校しつつ
自身の腱鞘炎と真っ向から対峙し、
そしてついに
そのノウハウを完成させ
腱鞘炎を克服されたのでした。

私は丸10年間、師事しました。
最初の2年で見違える様になり、
「君が一番早い!!」
と、その回復力を絶賛され
僕はもう有頂天になっていました。


そこに大きな落とし穴が大きな口を開けて待っていました。
そうそれは
治ったのではなく、治った様に見えていただけなのでした。
なのに、その奇跡的な表面上の出来事に溺れ、
またまた一日6時間以上も弾き続けたのでした。

人は
それを見て「愚かだなぁ…」
と想うでしょう、言うでしょう。
でも当事者は必死だったのです。

だがその必死さが命取りになりました。
「治った」
と想ったのは
実は「克服した」
否、「克服しかけた」
だけたったということを。

人は本当に愚かです。
僕だけかもしれませんが、
「奇跡を起こしたかった」
この素晴らしい先生を一躍有名にしてあげたいという想い。

そして「奇跡を信じたかった」
「治した」「治った」と
想いたかった
…だけなのですが、

このギャップに負けたのですね。
「治す、治した」
ではなく
「克服した」
という意味をはき違えてしまった哀れ…





ところが
あれから約8年…の月日が流れ
昨日
先生に習った通りの事が
なんと、こわばって、まるで自分の想い通りにならないと諦め切っていた右手の指が
物凄い速さで弾けてしまいました。
想い出し想い出し懸命に…
というより

まぁ「こんな感じかな?」とやっていて
堰を切った様に
何か弾ける気がして来て
やってみると…

あらあら
肩に力が入っていただけだったのですね。

本当はどうあるべきかとか
難しい理論や理屈なんてどうでも良かったんです。
ただ真似をしていれば…

そんな事だけに
たったそれだけのために
気付くのに18年もかかってしまいました。



どうか若いみなさん
また渦中のみなさん、
そして何も関係ないと想っているみなさん

どうかどうか
私のような愚かな人生だけは繰り返さない様に
本質だけをぶらさない様に
見せかけの華やかさに心がブレないように生きていってくださいね。
たった一度きりの人生なんだからね。

もしもだけど
そうなりかけたら想い出して
こんなおばかな先人がいたことを…