あすなろ健康院ブログ

あなたの心と身体の健康をずっと見守り続けている灯台でありたい…

難病

2016-09-29 14:10:21 | 人間力



一口に難病と言っても様々ですが、
今回ご紹介するのは脊髄小脳変性症という病気です。
1976年10月1日以降、国の特定疾患(難病)に16番目の疾患として認定されている。

一般的に
歩行時のふらつきや、手の震え、
ろれつが回らない等を症状とする神経の病気です。
動かすことは出来るのに、
上手に動かすことが出来ないという症状です。
主に(運動機能を司る)小脳という、
後頭部の下側にある脳の一部が病気になったときに現れる症状です。
(上記ホームページより)

最近
少し遠方から来られている女性も【脊髄小脳変性症】と診断され、
様々な症状を誘発しているといい、
頭がボワッとして、特に足のふらつきやひどい発汗、眠れない…
等々の諸症状に日々悩まされ続けていて、
運動機能低下を押さえる為のストレッチをやったりしているが
やり過ぎてもだめという制限も有り、
何とか副作用のない、代替医療の中でも特に惹かれた気功で
もっと改善出来ればと来られました。

想う所は多々おありだろうとは思いましたが、
まずはズレや歪み、変形の箇所の矯正からスタートしました。
整体のように無理矢理ではなく
整膚と気功で優しく施術して行くと
ご本人の素晴らしい素直さが奏功し
何と左背中の猫背のような腫れや歪みやS字カーブの脊椎、
頸椎や腰椎の歪みやねじれが
一気に解き放たれて随分と楽になったと喜ばれ
現在進行形です。
引き続き経過をご報告させて頂きます。

追記
【難病指定】も現在進行形です。
現代医学では解明出来ていない
もしくは完治が困難な疾病ですが、
もしかしたらもっと簡単な方法で出来るかも知れないのです。
今苦しんでおられるみなさん、
【代替医療=気功整膚】に是非チャレンジしてみて頂きたいです。
お役に立てると確信します。/font>


チャツボミゴケに想う

2016-09-27 22:44:52 | 人間力



【大いなる疑問】

たとえばガン。
初期には手術で患部の摘出手術を受け、
それで回復せず、転移した場合には
放射線治療→抗がん剤治療へと邁進する。
治ればいい。
だが
あれだけの治療を受け
多くの投薬や点滴治療を施し
且つ尚も現代医学の限界を承知で
天寿の全うまで続けようというのはなぜなんだろう?



ところで
群馬の山深くにチャツボミゴケの群生地がある。
ここにあったある鉱山跡地を
チャツボミゴケの群生地とともに中之条町に寄付されたとのこと。
このコケは心が洗われるほどにとてもきれいだが
約20℃の硫黄の湧き水の中でも生育出来るという強い生命力を持つ。
ふと上記のことがよぎった。
一度は自分の中に眠る大いなる力を信じてみてはいかがだろうか?


大原はだか祭りに行って来ました。

2016-09-24 17:22:41 | 風物詩
千葉県大原(現いすみ市)で、
毎年9月23・24日の2日間に亘って行われる雄壮なお祭りです。
大原十八社の神輿が次々に海へと入って行く″汐ふみ″が
祭りのハイライトてす。


とにかくすごい数の観衆です。

「勇ましく、雄々しく、」
と様々なこの祭りの案内文に書いていますが、
まさに少年〜お姉さんまで実に凛々しい。



テレビ取材のインタビューに答えていた奥様がいらしたが
「だんながやってます」「普段と違ってカッコいいかな?」と。


きっとこの祭りがそうさせているのでしょう。
子供達も幼い頃からなじんでいるから
将来 都会に出て行っても
やっぱりこの頃には多くが帰省するということも頷けますね。
そんな光景を3年前に詠んだのがこの一首でした。
みなさんのふるさとのお祭りにも帰られますか?




お彼岸に寄せて

2016-09-22 17:19:17 | 我が道

私が26歳の頃
20歳の女性に恋をした。
その娘はギターの同志だった。
私と違ってプロを目指し懸命にがんばっていた。
そんな彼女は
でも普段はとても可愛らしくて愛らしくてみんなの注目の的だった。
ギター合奏団を一緒にやっていて
当時帰り道が同じで
いつしか家の近くまで送って行くことが多くなり
ますます魅かれて行った。

そんな日々が続いたある日
ドライブに誘った。そう初めてのデートだった。
向かったのは南高梅で有名な「一目100万本」と謳われた南部梅林だった。
ぼくはもう有頂天になっていた。
自分もギターをがむしゃらに弾くようになり
さらに距離は縮まった。
…ように見えたのは自分だけだった。
その頃彼女は深刻な悩みを抱えていた。
それは…
「頚肩腕症候群」という単に肩こり程度ではなく
今で言えば酷い腱鞘炎のようなものだったのだろうか。
もう遥か40年程前にもなり
その頃はまだ世間にはよく知られていなかった感じの物だった。
当時 ぼくは全くの無知で何の力にもなれなかった。
まず悩んでいることすら気づいてあげられない有様だった。
それでもその年の忘年会にはとても元気にはしゃいでいた姿が
今も脳裏に焼き付いている。

だが忘れもしない
開けて正月4日の未明
彼女はガス自殺を図り亡くなった。
あまりにもあっけなく
でも私の心の奥底に深く刻み込まれ
以来15年に亘り
故郷・和歌山に帰省する度にKさんの菩提寺のお墓に花を手向け続けた。

これが後々心の芯となり
自分の道を決められて行くのだった。
そう そんな風に感じた。

月日は流れ
氣功センターを開設して足掛け10年。
少しはまともな施術も出来るようになった。
だから誰かの
健康になりたい有りたい人の手助けになりたい想いで満ち満ちている。
でも全員の健康を叶えることは出来ない。
それでも自分の周りにいる人々
慕って来られる方々ならばなんとか出来るのではないか。
一生懸命に生きようとしている人たちに
少しでも健康に
そして幸せになってもらいたいから
惜しみない努力は勿論のこと
媒体となりうる為の自らへの浄化
そして純粋な心を生涯磨き続けたい。