今年、厄年でありながら最強のわたし。
去年の暮れからうすうす感じてはいたけれど、やっぱり、今年はキテいる。
大阪から快速と各停を乗り継いで、今日、福井まで帰ってきた。
一応の最寄り駅はJR丸岡駅なんだが、自宅まではそこから車で10分ほどかかる。しかし連絡するのが遅かったため、両親とも既に酒が入っていて迎えに行けないとのことだった。
しかたねーな。
と思ったものの、福井駅からバスに乗るのはやめて丸岡駅まで行った。
そして着いてからバス停の時刻表を眺めて、「あ、やっぱりもうない」ということになった。
行き当たりばったりな性格は、三十路を過ぎても治らないらしい。
ちょうど私と同じくバスの時刻表を覗き込んでいる人がいた。
「なんか遅れてるらしいんだよね~」
と言うので、「そうなんですか!最終のバスまだ来てないんですね!」と嬉しそうに答えたものの話はどうも噛み合ない。
なにやら、連れを迎えに来たのだが電車の到着が遅れている、ということでバスとは全然関係ないようだった。
感じのいい男の人だったので、家の近く(といっても歩いて10分はかかる)の国道まで乗せてもらうことにした。というか、「乗ってっか?」という死ぬほど有り難い申し出に、素直に従った。
彼の車というのは、除雪車だった。
それはそれは大きな除雪車がバス停のスペースに横付けしてあった。
どうやら、彼がバスの時刻表を眺めていたのは、停留所にバスが来ないかどうかをチェックするためらしかった。
連れが来るまでの間、車の中で話をすることに。
なんと、丸岡駅のすぐ近くにある岩崎工業株式会社というのは、除雪車の製造量が日本一なんだという。
日本全国で活躍している除雪車の9割くらいは岩崎さんとこのだよ、と彼は言った。
もちろん、北海道やら岩手やら秋田も含めて。
ちなみに彼は岩手の出身だった。連れは秋田の出身だという。
2人揃ったら、驚く程の東北弁でスッカリ話についていけなくなった。
肝心なのは彼らがなぜ除雪車を愛用しているかということなのだが、もちろんそれは私物ではなく、岩崎さんとこで製造された除雪車を全国各地の行政法人に納品する運送(運転)屋さんだったのだ。
この時期には連日のように電車で丸岡駅まで来て、新品の除雪車に乗って納品先まで行き、また電車に乗って丸岡駅に来るということだった。
「へえ~、そういう仕事があるんですね」
と言うと、除雪車のナンバープレートは国が発行するため、製造業者が直接入手して運転することはできないのだという。
更に「へえ~!」と驚いてしまった。
駅から国道までの約10分間、私にはよく理解できない2人の会話を、黙って微笑ましく聞いていた。
除雪車の運転席&助手席は2階建てバスをちょっとだけ低くしたくらいの高さで迫力がある。
会話の途中で、彼らは互いに「んだんだ」と頷いた。
福井弁なら「ほやほや」と言う。
他が理解できない私には、そこだけスポットライトが当てられたように際立って聞こえた。
今夜の納品先は名古屋だそうだ。
「気を付けて走ってくださいね!」とお礼を言って別れ、粉雪が舞うなか家路を急いだ。
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