岡崎市の名鉄本宿駅から徒歩10分ほどに「法蔵寺」がある。
徳川家康(竹千代)の幼時期 読み書き手習いに通った由緒あるお寺でもあります。
そして、ここには新撰組局長 近藤勇の首塚があります。
①旧東海道沿いの静かなところにありました。
本堂の左側に②首塚の案内がありました。 横には「誠」の旗らしきものがありましたが、色も落ち、ボロボロでした・・・
②の立札沿いに登っていくと、もうひとつ同じ立札がありましたいが、これは木が折れて、立てかけてある状態。なんだか淋しい・・・
細い坂道を少し登ると、右手に③案内がありました。
しかし、高いので背の低い私には写真が撮りづらかった
なんて書いてあるのか読めないではないか~!!
慶応4年4月25日 東京都板橋にて斬首され、胴体は親族により三鷹の龍源寺に埋葬。 首は塩漬にして京都に送られ、三条大橋の西にさらされた。
その後の行方が諸説あったが、近藤勇と縁のあった京都誓願寺の住職がこの法蔵寺の住職になったため、土方歳三ら新選組の同士達とこの寺に埋めたと言われている。
高台にあり、木々が生い茂っているので、隠すにはもってこいの場所。
花は新しいけど、旗はボロボロだった。
戒名の札に、もうひとつ立っている札があったが、もう字が読めない状態。
首塚の台座に名前が数名発見したが、かなり薄くなり、一番右にあった土方歳三で、後は読みづらかった。
⑤
ちょうど昼に着いたので、お腹がペコペコ。
局長の前で失礼ながら、おにぎりを食した
旧東海道をのんびり歩きながら、
隊士は局長の首をどんな思いでここまで運んだのかと切なくなりました。
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