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原作・司馬遼太郎「功名が辻」

2006年10月23日 13時16分26秒 | 日記
スーさんです。
第42回「ガラシャの魂」10月22日放送より。

第一回より毎回見させてもらっています。
大河ドラマはは利家とまつ 以来でしょうか欠かさず見ているのは。

やはり女性の目から見た歴史観は大変興味を書き立てられます。

大河の良し悪しの論議は又別の機会として昨日の第42回「ガラシャの魂」の中で山内一豊が豊臣方か徳川方に付くかと苦渋の選択のときに決断の言葉で「石田光成の義につくか「徳川家康の理に付くか・・・私は理に付こうと思う」(台詞が正確ではありませんが。)

まさしく今・現代の日本(世界も)戦国時代に戻ったかの様相を見せています。
強いものが勝ち、弱いものが滅びる。

第二次世界大戦終結後も現在まで世界中火の手は上がっています。(悲しいことです。)

国内においても毎年30000人を超える自殺者を出す経済戦争が激化しています。

「功名が辻」なぜ私を此処までひきつけるのか・・・
まさしく山内一豊の妻・千代の行動・考え方は一歩踏み間違えれば山内家が滅びる苦渋の選択を常に迫られている・・・

毎日の私に課せられた課題と一致しているからだと思います。

本日の本題が遅くなりました。

テーマは「義」と「理」の違いです。

義とは「義務・義捐・・・義理」
理とは「理解・理屈・料理・倫理・理科・・・」

北大路魯山人・偉大な料理人・書道家・陶芸家その言葉の中に
「料理とは理を計ることなり」とあります。

今回の大河ドラマほど「理」について考えさせられるドラマはなかったように思います。

私は生徒さんにいつも言い続けていることは「真実は一つではない・人の数だけ真実は存在する」「しかし真理はひとつですよ」と。

しかし人間は真実は見えても真理は中々見えないものですね。
よって人は良い人に「出会う」事が人生大事になって行くのですね。

山内一豊も千代に出会うことにより乱世を生き抜き、そしてその後も山内家が徳川家の下・大大名にり徳川時代を生き残ったという事。

それは昨日の第42回「ガラシャの魂」の山内一豊の言葉「石田光成の義につくか「徳川家康の理に付くか・・・私は理に付こうと思う」

上記の決断が山内一豊公の、関が原の合戦の後に土佐20万石に転封となった分けである。

人生毎日が「今日の続きが・明日では無い」と・・・。

思う毎日です。
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