田中悟の片道旅団

大阪で芝居と弾き語りをしています。

自分の顔を知らない男

2019年10月10日 | 日記
今から15年ほど前のこと。
大阪市内のビジネス街にある某カフェで働いていた。
業界では老舗で有名なチェーン店だ。

当時の僕は自劇団の運営と他劇団への客演をしながら、
バイトを3つほど掛け持ちする日々を過ごし、
エキストラで撮影の現場にも出入りしていた。
バイト後は稽古場へ直行、家に帰ってからは台本を書いたり、
自分の台詞を覚えたり、その他の雑務をこなしたり。
眠るのはいつも真夜中。そして早朝からバイトに出掛ける。
苦労話をしているんじゃない。こんなの苦労でもなんでもない。
ましてや自慢話でもない。
小劇場の役者にとっての普通の日々。
ただただそんな日々が何年も続いていたということ。
やりたいことをやっているけれど、
やろうとしていることは出来ていないし、
やらねばならないことには手が回らない。
焦り、苛立ち、苦悩、減らない負債、そして極度の疲労。

丁度そのカフェで働いていた頃、
肉体的にも精神的にも何度目かのピークを迎えていた。
勤務し出して数ヶ月経つのにメニューが覚えられない。
10代の頃から飲食店での仕事を多くこなして来たのに、
こんなことは初めてだった。
ランチセットの種類は幾つあったか?
カフェオレは?ココアは?サンデーは?
値段も頭に入らない。
何度も繰り返し覚えては、何度も繰り返し忘れてしまう。
日々寝不足で辛いんだけど、
毎朝出勤時間より1時間ほど早く出掛けては、
店の近くの川ベリでメニューのコピーを見つめていた。
「今日こそ覚えよう、今日こそ覚えよう」と思いながら。
あと50分、あと40分、あと30分、あと20分、15分、10分…
何も出来ないまま時間ばかりが過ぎてゆく。
流れる川面は龍の背中のようだった。

出勤時間が近づくにつれ全身が強張る。
歩けば眩暈、立ち止まれば吐き気。
体調を崩しているんじゃないってことは分かっていた。
脳と心が壊れていた。

店があるビルに入る。
まずトイレに行く。
手洗い場で何気なく鏡に目をやった時だった。
「これは誰だ?」
鏡に映る自分の顔を見てゾッとした。
悪魔か、死神か、貧乏神か…冥界から誰かがこちらを覗き込んでいる。
心の悲鳴、悲壮感が鏡から跳ね返って自分の中に入って来る。
最悪のフィードバックだ。
だけど、
こんな感覚はその時が初めてじゃなかった。
ずっと前から知っていた。




僕はあまり鏡を見ない。
見ないのではなく、見ることが出来ない。
本当は写真や映像で自分の姿を見るのも辛い。
自分の顔が嫌いだから?
そんな感覚も多少はあるけど、
それ以上に嫌なのが心の悲鳴のフィードバックだ。
こればかりは嘘をつけない。
俺が俺に助けを求めてくる。
だけどどうすることも出来ない。
救ってやれない…そんな感覚だ。





だけど自分に対して思う。

「鏡を見るのは大切だよ」って。

役者なんだし、
ステージに立って歌うんだし。
つい目をそらしてしまうけど、
少しぐらいは自分の顔をちゃんと真正面から見るべきなんだ。


ベイビー 田中悟
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