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nonfiction in fiction

「この街の片隅の何処かで」#003【2014.09.23】何故リーディングなのか。by:松本隆志

2014-09-23 23:33:49 | 【14】この街の片隅の何処かで
今回の上演形式はリーディング、つまり朗読劇です。


一般的に朗読劇にはどんな印象があるでしょうか?

舞台上を役者が動いて音響や照明が入る通常の上演形式が完成されたものだとして、それに至らないものというイメージでしょうか。かつて自分が持った印象もそうでしたし、周囲で演劇に触れる人に聞いてもそういう答えが返ってきました。
これは役者が台詞を覚えるべきであるという前提が根付いているからであるのと、観易いかどうかにあると思います。

後者の、「観易いかどうか」。

例えばアニメーションとパラパラ漫画とではどちらが観易いでしょうか。
アニメは視覚も聴覚も使えます。見る事も聞く事も出来る。逆に言えば、見なくても聞こえて、聞かなくても見える。絶えず情報を発信しているという点では、アニメのほうが鑑賞者が気軽に見続けるには堪えるパッケージがなされていると捉えても良いでしょう。
対してパラパラ漫画は視覚のみ。台詞を書くなど文字が出て来ない限りは、描かれた内容から意味を想像する必要があります。悪く言えば、面倒。でもそれは想像する余地が残されていて鑑賞者次第で作品の味わいが増すとも言えます。

何年も演劇に触れて自身でも観劇に足を運んでいた中で、盛りすぎや素材との相性の悪さを目にする機会が何度もありました。
味のある脚本や役者なのに、演出された結果むしろ中和されてしまったかの様な。

初めからトッピングが決まっているラーメンと、自分でトッピングを選べるラーメン。役者の動き・音響・照明の決まっている通常の演劇が前者で、鑑賞者が想像で補完する余地の残っている朗読劇が後者だと思います。トッピングだけが美味しいのでは、ラーメンが美味しいとは言えません。まずはラーメンが美味しくなければ。
良さを活かす最低限の基本的な下ごしらえを済ませた状態。それが個人的に心掛けている朗読劇の在り方です。

片手間で観られるのが観易いものなのであれば、これは観難い公演になります。でも貴方の想像でどんな味にもどんな色にも出来ます。
現代演劇では当然の様に使われる音響や照明の機材を使わない公演になります。演技力・演出力のみでの勝負。我々も自信がなければこんな事やりません。


演劇の根幹とAMPの地力をお見せします。



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