松本です。
演目は観た方の中で育つものであって、こちらから何か特定の解釈を提示しては想像力の妨げになる。
などと思ったり、他の事に時間を取られていたり、気が向かなかったり、お腹が空いたり。要は諸々の理由から、こういう作り手側からの文章を綴るのは如何なものかという気持ちもあるのですが、多少はアーカイブ的に残しておいたほうが興味を持ってブログを覗いてくださった方々もいるのだし。
代表として、演出家として、製作者として、それぞれの自身の考えには差異がありまして。今回のは代表として、ですかね。
■「劇場版・豚にも程がある!」までの経緯
AMP創設10周年記念公演を長編演目で行おうというのは、劇団化した2014年の時点で意識し始めていた。はず。途中からは劇団員達とこの節目をより良く迎えるぞという気持ちのほうが勝っていたので、ちょっと記憶がおぼろげになっています。
新作にする可能性もありましたが、新しい事に挑むよりは再始動を経て劇団化した流れを組みたかった。そこから、劇団化して最初に作った演目であり再演を重ねていた短編「豚にも程がある」を出発点に。この短編に要素を増やして膨らませて長編にするのも考えたものの、お祭り騒ぎにしたくて出演者を大勢にするのもほぼ決定事項だった為、出番が極端に少ない人や稽古場での遣り取りが少ないまま劇場での本番を終えて散会してしまうのも避けたかった。
結果、短編だった演目をほぼそのままの状態で劇中劇として入れ込んで外側を広げるのを選びました。まず冒頭で全員出したいというのも初期から頭にあり、出演者が決まっていない2015年夏に既にそこだけは書いて周囲の人々に読んでもらって反応を見たり。この時点では「劇場版」への意味合いはまだ見付け出していなかった。「!」を付け足したのは勢いが欲しかっただけ。
劇場で上演したほうが設備環境は良く、演目の質は上げられる可能性が高い。しかし料金・交通費・時間を割く観客にとって日常的でない場所に陣取って『とにかく来てくれ!』という関係性は果たして双方にとって幸せなのか。この点は個人的に随分と前から課題となっていて、劇場以外の場所にこちらから馳せ参じて、居合わせた方々に日常的な空間で演劇をお届けする企画を幾つも行ってきました。
逆説的に、劇場に足を運ぶ方々は初めから演劇を観るつもりで来ているのだな、と。劇場で行う演劇であれば、その前提となっている意識も含めて観劇体験の一部に出来るのではないか。そういう目論見から今回の劇構造が決まりました。自分の場合、演劇を作る際は物語をどうするかではなくどんな企画にするかが始まり。そして以前から出したかったアルパカが頭を過りました。今回の公演つぶやきまとめ(
http://togetter.com/li/908257?page=21)によると、まず動き出しからアルパカについて思案しています。
■内容
大まかに分けると三部構成。くしゃみで入れ替わる話が第一部、村の話が第二部、それらを包括する科学者達の話が第三部。明らかに有り得ない虚構の話、噂に惑わされて何が真実なのか分からなくなる話、虚構なのか真実なのか分からないまま終わる話。始まりから終わりに向けて虚構から真実へと近付いていく構成になる様に考えていました。
・第一部
長友・水野さん・富田さんは早い時期に配役を済ませて、残っていたのは強烈なオバサンあみんごす。初演と再演では趣の異なる熟女を配置して、再々演では今回も出演していた西さんに女装を施した。パワー・ねちっこさ・臭さが必要な役柄で、迂闊に若い女性に任せると薄味になり過ぎる。村上さんは以前出演して頂いた時に短編「豚にも程がある」を気に掛けてくれて台本を読んでいたり、再々演を観ていたり。よし、今回はパワーを漲らせた役で演出してみようと。
この短編、いつだったかの上演の際に『くしゃみで人間が入れ替わるなんて事は有り得ない!』と強くお叱りのアンケートを頂きました。どのドラマやアニメをご覧になっても『こんなの有り得ない』と思われているのでしょうか…?
・第二部
普段は稽古初日までに脚本を完成させているのに、今回このパートに時間を要してちょっと遅れた。出演者が多いので各々の相性などを見ながら書いていこうというのは想定していたものの。
初期段階ではアイドルがくしゃみをするとおっさんと入れ替わる話なんていうのも候補にありましたが、第一部と路線が近く、同じテイストのものを長く見せるよりも様々なものを入れたほうが良いという判断から見合わせに。
ダムに沈む村の騒動をメインとした筋で書き始めて途中で止まりました。登場人物を掘り下げるとか物語の流れとか、普段とは違う部分を考えすぎたからですね。節目の公演で新しい事にも挑戦しようとして脚本家になろうとし過ぎた自覚があります。餅は餅屋。自分の場合はあくまで演出家で、上演作品の設計図として脚本を書いている。このタイミングで自身の為の挑戦は無用。節目の公演だからこそ、これまでの団体の色を明確にするべき。それが腑に落ちてからは早かったです。
・第三部
早々に書き終えていた冒頭、実は小屋入りしてから演出が変わったり。元は役者全員が客席を一周してから幕裏に全力で駆け抜けていこうとしていたものの、客席環境と劇場機構から動きがあまり美しくなかった。何より第一部に繋ぐテンポ感が良くない。変えて採用したバージョンでは舞台監督が転換しながら登場してドヤ顔を見せて溶暗するという、演目が始まったばかりなのにキャストよりスタッフが目立っちゃうという意味不明さが個人的にはツボでした。ちなみにあそこ、全員集合の背後で行われているのでキャストには全く見えていません。ドヤ顔を演出した覚えもありません。
嫌な余韻を残して終わる事こそが目的のエンディング。物語としての観劇感を良くするには、第一部と第二部の出来事が最期に繋がったりしたほうが様式美にも適う。実際それぞれの後日談を挿入したり、リンク点を作るプランもありました。後日談に至っては稽古場で「ちょっとこれ読んでみて。ボツにするけど」と、念の為にキャストに読んでもらってやっぱりボツ。リンクは第一部で兄がみゆみゆについて情報を持ち合わせずフリーズした部分をくしゃみで入れ替わるまでは時間が止まるのと繋げて、一時的に意識だけモリヤマ先生の村に飛ばされていた、というもの。それをすると結局は全てがSFというかファンタジーというか、都合の良い作り物感が増してしまうと思えたので却下。
・帰りの階段
原価108円で制作した糞を配置してありました。
■パカ夫は平和に暮らしています。
https://twitter.com/pakao_info
群馬ふれあい砂川動物園へと戻りました。
■結
再演して同じ観客が二度楽しむ構造ではないし、新規顧客を求めて地方公演を行うにも関係者の人数が多すぎて移動や宿泊に経費が掛かり過ぎて企画として難しい。これだけ人数での長編公演は、AMPとしては恐らくこれが最初で最後。
これからは劇団としての力を養っていきたいので、創作・運営の時点から劇団員にも今以上に任せられる企画を立案していく事になるでしょう。この公演に至るまでに得たものを活かしながら。
また、何処かで。
[公演情報]