ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

飯島和一 【神無き月十番目の夜】

2006-08-17 | and others
 
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 神無き月十番目の夜

 著者:飯島 和一(いいじま かずいち)
 発行:小学館
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この作品も読み始めたら一気、でした。

時は慶長七年。陰暦十月。
世は戦乱が収まりつつあり、徳川家康の覇権が確定的になった頃。
常陸の国に、一つの村から村人たちが消えてしまうという奇怪な光景があった。
つい最近まで確かに人々がここに住んでいた証は残されているのに。

思わず息を殺してしまうような状況の中、物語は始まる。
やがて、山深くで見つかる夥しい数の死体。
この村で何か起こったのか。

ここから、時は事件の起こる前まで遡る。

兵役と引き換えに自治を許されている土豪の村。
誇り高く、自由なその村は、近隣のすでに厳しい年貢米の取立てに喘ぐ村々とは異なる豊かさを持っていた。
だが、その自治を取り上げられる時が来る。
乱世は終わりを告げ、戦のない世の中となった時、その自治の根拠はなくなり、否応なしに、一律の検地が入り、厳しい年貢米の取立てが始まることになる。

己の信ずるところのまま、村の誇りを守ろうとする者。
大局が見えず、ただ己に固執する者。
課せられた職務を全うし、高く評価されることのみに腐心する者。
時勢の流れに逆らうことを無益と知って、一命を賭して村を守ろうとする者。

誰が何を思おうと、豊かに満たされていた土豪の村は、国の支配の形が変わるその流れに呑み込まれる。
土地と人々に生来の力が溢れていた時代の終わり。
もはやその流れは変えられず、賽の目が裏へ裏へと展開する止め処も無い悲劇が襲う。
冒頭の光景に繋がっていく大きな物語の流れの中に差し挟まれる、村人の今までの幸せな暮らしを思わせるエピソードがせつない。
村を守る御騎馬衆として生まれ、その初陣からが物語で辿られる藤九郎の、村を統べる者としての苦悩もそうだが、当たり前に享受していた幸せを突然に奪われた村の若衆、娘たちの素直な嘆きに、歯噛みするような想いだ。

支配の在り方が変わる時、神の在り方もまた変わる。
村人たちが折り重なるようにして死んでいたその山奥の土地は、地元の人々が「カノハタ」と読んでいた土地。
本来であれば、いかなる支配からも逃れ得る神々に守られた場所だった。
「無縁」あるいは「公界」。
選んで読んだわけではなかったが、先日読んだ『吉原御免状』に続いて、網野善彦氏の研究に繋がるものがあった。
そこにおいて、人々は平等であり、もとの人間の世界の枠組みから離脱した者となる。
けれど、作物を育てることを知らず、土地の神を信じない者が支配の頂点に立つことになった時、「カノハタ」は「カノハタ」として機能しなくなる。
土地の神の言葉を解しないものとって、森はただの森であり、谷はただの谷である。
そこにあるのは神の守りではなく、枠組みからの離脱の仕組み。
ことがここに至っては、見逃すことの叶わぬものとなってしまったのだ。
この先に、作為的な、政策としての差別が始まることになるのだろう。

この著者の作品は初めてではない。
とっつきにくくて、硬いが、きっちりしているところが好き。
同県人の作家に佐藤賢一さんがいらっしゃる。
歴史に材をとる点で共通しているのが、不思議。




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