ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

岡本綺堂【青蛙堂鬼談】

2012-11-13 | 中央公論(新)社
 
気になってはいたものの、そのままになっていた本が、文庫になって目の前に出てきてしまいました。

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 青蛙堂鬼談

 著者:岡本綺堂
 発行:中央公論新社
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事の発端は「青蛙堂 主人」から届いた電報。
電報の送り主が一風変わった男であることを知っている「私」は、彼の屋敷に出かけていきます。

「青蛙」の読みは「せいあ」です。
単純に緑色のあまがえるを想像していました。
ほっそりとした背中をした、やせた子供のような感じのあまがえるではなく、もう少しで色も変わってきそうだと思うくらいにじっと動かない、ふっくらとしたあまがえる。
でも、違いました。そういう名の妖異の言い伝えが中国にはあるのだそうです。
その、神様のような、お化けのような「青蛙」の置物をもらったことをきっかけに、自宅を青蛙堂と呼ぶようになった主人の趣向は、百物語。
集った人々が語る不思議な物語を書きとめていたのが、この青蛙堂鬼談というわけです。

百物語の趣向とはいえ、お話は12編。
お話ごとに語り手が変わり、趣きもさまざまではありますが、いずれも奇談。
そして、どれも、謎解きはなしです。
不思議だねぇ、説明がつかないねぇ、でも、そういうことがあったのですよ、そういうことがあるのが、私たちの生きる世界なのですよと、うっすら笑って突き放される気がします。
これぞ怪談!という気分。怖すぎないところがいいのですよね。矛盾しているようですが。

表紙のイメージは、12編のなかではとびぬけて猟奇的な印象だった物語のものでしょうか。
時は江戸時代、ところは、八犬伝ゆかりの里見家の領内。ここでは、乞食への施しが禁じられていました。それを知ってか乞食も流れてこないのに、ある武家の夫婦の目についたのはひとりの乞食。道端にうずくまる少女はなんともかわいらしく、これほど美しければ捨てるものもなかろうと思われたところで、彼女は、自らが一本足であると明かすのです。
それを知っては、藩の法度の目をくぐってでも助けてやりたいと思うもの。夫婦は少女を家来の実家に預けて育てさせます。
やがて少女は年頃になり、その美しさもいや増すばかり。けれども、一本足では働き手とはなれず、嫁の貰い手もないのです。子のなかった武家の夫婦はますます不憫に思い、心を砕いていきますが、この美少女が彼らにもたらしたものは、血なまぐさい破滅への道筋。
魔性の女ですな、まさに。
ぴったりですこと。
まあ、もうちょっと血みどろでも良かったけれども、そうすると、怖くて部屋に置いておけない。
そのほか、蟹好きが蟹に祟られるお話もありました。
これから季節ですけれども、蟹を食べるのを躊躇してしまいそうです。蟹はガンだし。

さて、半七捕物帳シリーズなどで有名な著者の岡本綺堂は、明治七年生まれ。
この本に収められた物語の発表は大正時代です。
意外に、開いたページの見た目は、旧かな遣いの印象がないのですけれども、作品にも、江戸の世は遠からずといったあたりの雰囲気。語りの妙に惹きこまれます。

この本は、岡本綺堂読物集と銘打たれたシリーズの第二集。
第一集は、『三浦老人昔話』。
「死んでもかまわないから背中に刺青を入れてくれと懇願する若者、下屋敷に招じられたまま姿を消した女形、美しい顔に傷をもつ矢場の美女の因縁話など、しみじみとした哀話からぞくりとする怪談まで、岡っ引き半七の友人、三浦老人が語る奇譚十二篇」って、読みたいじゃありませんか。
文豪怪談傑作選に区切りがついたことにちょっとほっとしていたのに、岡本綺堂もあちこちから怪談幻想のシリーズが出ているのですよね。
『水鬼』も『白髪鬼』も、ああ、あれもこれも読んでない。
ああ、どうしよう。


[読了:2012-11-08]






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