村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)を、今日の午後に買って、ついさっき読み終えた。5~6時間くらい、ずっと読み続けていたわけで、この〈読ませる力〉は本当にすごいと思う。一種のミステリ(謎を追ってゆくストーリー)だから、ということもあるのだろうが、『1Q84』や『海辺のカフカ』などと比べれば、ずっと地味な話なのに、シンプルに物語に引き込まれてゆく。しかも、読んだあとに、何かを語りたくなる。異常なベストセラーになったせいで、いろいろと批判はあるみたいだけど、やはり、いい小説、切なくスリリングな小説なのは間違いない。
私は最近、故郷に帰って、二十数年ぶりに、中学高校のころの友人と会う経験をした。
なぜそんなに昔の友人に会うのを避けてきたのかというと、やはり会うのが怖かったためだ。私は学生時代に、故郷で疎外感を抱いていて、そこから抜け出すために京都の大学に行った。だから、かつて疎外感をもっていた世界にもう一度入っていくのは抵抗があったのだ。だが、実際に会って話してみると、当時の自分が見ていた世界と、別々の世界を友人たちが見ていたことに気づく。幸福そうに見えていた友人たちが、それぞれ葛藤を抱いていたことを、今更ながら知ったりする。そして、それぞれが別々の方法で生き延びてきて、中年という年齢に達していることに、深い感慨を受けたりもした。
多崎つくるは、私よりもう少し若い世代ということになるのだろうか。
彼の場合は、過去に受けた傷がもっと深いし、謎めいているのだが、過去の友人たちを再び「巡礼」し、じつは自分が見ていたものと別のものを、彼ら・彼女らが見ていたことを知るという展開には、胸を打たれるものがあった。読んでいる途中で、すごく感傷的な気分になったことも告白しておきたい。年齢的に、共鳴する部分がかなり大きかったためだろう。
数日前のこのブログに書いたけど、私の乏しい人生経験の中でも、若いころに親しくしていた人たちが、生きていく力を弱めていって、この世を去るということを、何度か目撃したことはある。
この小説では「悪いこびと」(フィンランドの伝説)という言葉で表現されているけれど、そういう魔物(災厄)に、たまたま自分は捕まらなかった。しかし、自分の親しい人が捕まってしまうということは十分起こり得ることなのだ。そのときは、いくら親しい関係でも、まったく無力なのだ、という諦念が、登場人物の言葉の背後から、しばしば湧き上がってくる。
そうした虚無感を超えて、どう生きるかが、この小説の一つのテーマになっている。
多崎は、他者に比べて、自分は「色彩」をもっていないというコンプレックスを抱いていた。
しかし、他者から見られていた〈自分〉は、それとはまったく違うものだった。他者の目に映った〈自分〉を、対話によって発見することで、多崎は空虚だと感じていた自己を取り戻し、ふたたび痛切な欲望(それは性的な欲望として描かれる)を抱くようになる。
自分はからっぽな「器」だと思っていたが、いまは陶芸家になっている昔の女友達から、「器」には「器」の意味があるのだと諭される展開は、じつに鮮やかだ(やや巧すぎるかもしれないけど)。
べつな選択がありえたかもしれないのに、別の人生を送ることになってしまった悲哀を、「駅」というシンボル(多崎つくるは駅の設計者である)を用いながら、この小説は描き出す。
けれども、それと同時に、自分で「駅」を「つくる」ことによって、ふたたび他者を呼び寄せることも可能なのだということを、昔の友人と再会することで、多崎は認識していく。
ラストで多崎は、若い日々に信じていたことが「どこかに虚しく消えてしまうことはない」とつぶやき、静かな眠りにつく。
ここには〈かすかな希望の回復〉があって、それがこの小説を救いのあるものにしている。
しかし、この小説は、それがすべてではないのだ。
この小説には、二つの色彩のラインがある。
・多崎つくるが、過去の友人〈アカ(男)、アオ(男)、クロ(女)〉に会って、希望を回復していくライン
これはとても分かりやすい。
それに比べて分かりにくいのが、
・シロ(女)、灰田(男)、緑川(男)のライン
である。こちらは、エピソードが非常に断片的で、曖昧で、何を言いたいのか理解しにくい。けれども、この謎めいたラインがあることにより、この小説に不思議な厚みが加わっていることも確かなのだ。
このラインをどう読むかが、この小説をさらに愉しめるかどうかの分岐点となるだろう。
〈このあたりからネタばれが入ってきます〉
灰田は、多崎の年下の友人(美形の青年)である。
名前からわかるように、クロ(精神的に惹かれていた女友達)・シロ(肉体的に惹かれていた女友達)の融合であることは間違いない(多崎が、女性の精神と身体を分離して認識してしまう傾向があることは、p.46の夢で暗示されている)。
多崎と灰田は、ホモセクシャルな愛情を無意識に抱いているが、多崎はそれを抑圧している。あるいは、多崎と灰田は、分身同士なのかもしれない。白と黒を混ぜ合わせ一体化しようとする願望が隠されていることを見るのは、たやすい。
その灰田が、奇妙な話を多崎に語る。
灰田の父が、若いころ放浪先で、緑川というジャズピアニスト(らしき人物)に会う。
そして、その人物は、自分の死を何者かと取り引きしたことで、不思議な能力を手に入れた、と言うのである。
「死を引き受けることに合意した時点で、君は普通ではない資質を手に入れることになる。(中略)霧が晴れたみたく、すべてがクリアになる。そして君は普通では見られない情景を俯瞰することになる」(p.89)
この話は、p.79に暗示されているように、灰田の父ではなく、灰田自身の経験であるようだ。
また、あとのほうで、緑川というピアニストは、6本の指を持っていたのではないか、ということがほのめかされる。
また、灰田は、リストの『ル・マル・デュ・ペイ』という曲を、多崎に聴かせるのだが、その曲は、シロがかつてピアノでよく弾いていた曲であった。
そして、この小説の結末近くで、多崎は不思議な夢を見る。
白と黒だけの色彩の場所で、ピアノで複雑な構造をもつ長大な曲を弾いているという夢である。
「それでもつくるは譜面を一見するだけで、そこに表現されている世界のあり方を瞬時に理解し、それを音に変えることができた。(中略)彼はそういう特別な能力を与えられている。」(p.340)
そして、彼は最後にあることに気づく。
「そしてある瞬間彼ははっと気づいた。楽譜をめくる黒衣の女性の手に指が六本あることを。」(p.342)
こうした断片的な記述から読み取れるのは何だろうか。
もう少し付け加えると、シロは何者かに殺害され、灰田と緑川は行方不明になっている。このことも重要なポイントだろう。
さまざまな解釈は可能だろうが、
シロと緑川から灰田へ、灰田から多崎へと、「死と引き換えに、世界を俯瞰する能力」が継承されていることが、ここに暗示されているのではないか。
ピアノと六本指というモチーフは、能力が多崎に伝わったことを、たしかに印象づける役目を果たしているように思う。多崎は死の運命へと向かっているのだろうか。
この物語には、書かれていない色が存在する。
アオ、アカ、クロ、シロと並べるとわかるように、黄色が存在しない。
しかし、緑川の緑には、黄色が含まれている。
多崎つくるは色彩を持たないのだが、緑川のもつ黄色が、シロ、灰田を経由して、多崎に伝わったように読むことも可能である。
そのことにより、赤・青・黄・白・黒というすべての色が揃うことになる。
5色が揃うことで調和が完成したのか、それとも多崎は死を引き受けたのか。この小説のエンディングは両方に解釈できるようになっている。
私は、さきに〈かすかな希望の回復〉と書いたけれども、これはこの物語の一方の面をあらわしているにすぎない。もう一方では、〈死と引き換えに、世界を俯瞰する〉という陰鬱なビジョンが生じているのである。それが何を意味するものなのか、いまの私には理解できないけれど、ここには震災や原発事故の影響があるのかもしれない。そう考えるとき、何かしっくりとするものがあるのである。
この小説の最後の段落には、多崎つくるの眠りを描いた、
「意識の最後尾の明かりが、遠ざかっていく最終の特急列車のように、徐々にスピードを増しながら小さくなり、夜の奥に吸い込まれて消えた。」
という、とても美しく印象深い一文が置かれているのだが、これは希望のようにも絶望のようにも読むことができる。
この両義性が、この小説のアクチュアリティー(現在性)を含んだ味わいの深さだとおもう。
* *
蛇足になるけれど、短歌に関わる人にとっては、次のような言葉は、とても納得できるものなのではないでだろうか。
「どんなことにも必ず枠(わく)というものがあります。思考についても同じです。枠をいちいち恐れることはないけど、枠を壊すことを恐れてもならない。人が自由になるためには、それが何より大事になります。枠に対する敬意と憎悪。人生における重要なものごとというのは常に二義的なものです。」(p.68)
「枠」を「定型」と置き換えても、まったく同じなのである。
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