私は今でこそ、ホラー映画もよく見るし、もっと怖い話はないか、といつも探している人間なのであるが、子どものころは非常に怖がりであった。
ちょっとしたテレビの怪奇ものを見ただけでも、夜に一人で風呂に入れないほどだった。
怖がれる、というのは、それだけ感受性が鋭敏ということなのだろう。心霊的なものをあまり怖がることができなくなった現在の自分は、そうとう精神が摩耗しているのだろうなあ、と思う。
子どものころ、怖かった話の中の一つに、『遠野物語拾遺』(柳田国男)の一篇がある。
短いものなので、全文引用してしまおう。
「日露戦争の当時は満州の戦場では不思議なことばかりがあった。ロシアの俘虜の言葉に、日本兵のうち黒服を著ている者は射てば倒れたが、白服の兵隊はいくら射っても倒れなかったということを言っていたそうであるが、当時白服を著た日本兵などはおらぬはずであると、土淵村の似田貝福松という人は語っていた。」(一五三)
というもので、今読めば淡々とした話なのだけれど、当時の私はうぶ毛が立つような怖さに襲われた。
さて、この話のことはすっかり忘れていたのだが、数年前に、『テレビは真実を報道したか』(木村哲人・三一書房)という本を読んでいると、はっとするような記述があった。
映画会社を設立したエジソンが、ヤラセ映画をいくつも作っていた、というエピソードの中の一つである。
「(エジソンは)一九〇四年には日露戦争も制作した。この映画では兵士がかならずカメラの正面に来て倒れる。分かりやすいようにロシア兵には白い服、日本兵には黒服を着せた。双方一〇人の小部隊だが、軍服が足りないらしく、俳優は何度も生き返っては戦死した。」
似ている。状況がおそろしく似ているのである。
もしかして、この映画の話が、遠野の村にまで伝わってきたのではないのか……
そう私は思ったのである。
しかし、違うのだろう。この似田貝福松は、「ロシアの俘虜」から話を聞いている。やはり戦場で実際に体験したことなのだろう。
おそらく、過酷な戦場の異常な心理状態のなかで見た、幻影だったのだと思う。
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