雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(83」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/193(2020/9/28/月】土曜の夜中に寒くて目を覚ました。温度計を見たら21度、ちょっと前まで昼間は29度もあったのに急に冷えてきた。今冬初めて暖房23度にしたが、頭はボーっとして悪寒もあり、風邪を引いたようだ。夏中はバスタオルをお腹に掛けていたが、タオルケットを出して秋に備え、風邪薬を飲んだ。
日曜日は終日、ベッド。体調不良だと脳ミソもブルーになる、マイナス思考になる。当たり前だが、鬱病の人はどん底に落ちやすい、こんな風に。
体力は落ちるばかりで、やりたいことはさっさとやっておきたいと思うのだが、やりたいことだらけで、優先順位をつけるにしてもそれなりに調査研究しておかなければ判断ができない。
基礎的な調査研究だって結構手間暇がかかるから、それにも優先順位をつけなければならない。どれから手を付けるべきか・・・もうほとんど迷路の中を右往左往、行ったり来たり・・・ああ、私はあの世に逃げ出したい・・・鬱病が昂じてくるのが分かるのだ。
まあ死神による希死念慮、自殺願望、デストルドー、タナトスとかのお誘いで、「アンタなりによー頑張った、もうええやろ、楽になったらどうや」とささやくわけ。
この鬱病は抗鬱剤で抑えるしかないのだが、脳みそ、思考力、興味、関心までが抑制されるので、「ただ何となく生きている」風になり、ちっとも興奮しない。つまり、面白くない! 生きている実感がない! 元気がでない! ほとんど死んでる!
クスリやめますか それとも人間やめますか? 医者の言うことは分かる、されど人間は考える葦やで、小生はただの生きてるだけの葦でいることには耐えられない。抗鬱剤治療と葦人間でいることは両立しない、しかし治療をしなければ精神劣化を抑制できるかもしれないが、プッツンしやすく、概ねあの世行きになる。
どないしよ・・・
鬱病者の多くは社会人として暮らしているだろうが、表面的には普通に見えても、傷つきたくない、人間関係のストレスには耐え難い、再発症を避けたい、と引き籠り志向があるだろう。一方で引き籠れば社会から落伍するからそれも避けたい・・・心は揺れ動く、千々乱れる、安定、安心しない、不安だ。どないしたらええねん・・・ああ逃げたい・・・
「昨日まで面白い話でみんなを笑わせたりして元気だったのに・・・」、先輩の奥浩平が自殺したら周辺の人は皆同じようなことを言った。奥浩平は「せめて最期は」と、明るく陽気な青年を演じて見せたのだろう。
溢れるばかりの過剰な正義感、強烈な自我、鋭い感受性、その裏側の壊れやすい繊細な心、無力という挫折感、自己嫌悪、そして孤独・・・古人曰く「青春は概ね悲惨である」。
壮年になると仕事、子育てなどで忙しくて死神は消えるが、老人になると一応は人生義務編ゲームは終わり、大体が好き勝手に生きていいよ、と牧場に放牧される。役割がなくなった役者、声がかからない俳優・・・おまけに脳ミソも体もよれよれで、まるで「老残」、廃車寸前、「晩年は概ね悲惨である」。で、老人は青年のようにナイーブに戻っちゃう。これが問題だ!
一般社団法人日本老年医学会によると――
<わが国は高齢化率23%超という高齢者社会であると同時に、高齢者の自殺率も高い。自殺には一般に精神疾患が関与することが知られているが、高齢者では特にうつ病・うつ状態が関与する割合が高い>
鬱病老人はいかに晩年を生きるべきか、難しい問題だ。抗鬱剤治療で実験動物みたいに穏やかに(死者の如く)生きるか、治療せずに短命ながら喜怒哀楽、天国と地獄の思考サーカスの中でそれなりに「人間らしく」生きてみるか、あるいはプッツンしたらしたでそれでいいとか・・・
ところが全国3500万の同志諸君、プッツン自殺することで周辺の人を悲しませたり悩ませたりする権利なんてないわけよ、だろ? ここが問題だ。
君の自裁を知った人々の中には「私が余計なことを言ったからかなあ」「もっと優しくしてあげればよかった」なんて悩む奇特な人もいるかもしれない。
つまり唐突な「ちゃぶ台返し」ではなく、周囲の皆がそれなりに受容できるような「大義に死す」とか「なすべきことはした」とか、できれば穏やかな死を遂げる、これが「上」やで、「あしたの上」。燃え尽きて真っ白な灰になるのは「特上」、男の夢だなあ。
その一方で当てつけ自殺、これは天も苦い顔をする「下」、邪道だな。このところコロナ禍もあってか自殺者が増えているようだが、付和雷同的な安直自殺も「下」だろう。
「立派な最後でした」と誉められなくとも、せめてそれなりに、自分らしい始末、エンディング、フェイドアウトの演出、お別れの会、相続、葬儀の準備、香典返し、会葬御礼、初七日、四十九日あたりまではきっちり準備しておくのが人間としての勤めではないか。
格調高い遺書も筆で和紙に書かなあかんさかいな、70の手習いやで・・・衝動的な死は美しくないし、「終わり良ければ総て良し」ルールに違反しとるで。
こう考えると「死出の旅」の準備は面倒くさくてウンザリ、「生きてる方がましだ」となる、つまり小生のような鬱病ヂヂイから死神は離れていくわけね、「よーグチャグチャうるさいやっちゃ、こいつはまだ期が熟してないから次回へ回そう」と。
かくして鬱病者は危機(チャンス?)を脱するわけ。落ち込んだ時はそれなりに症状を記し、整理、分析(自己省察)していくと脳ミソが落ち着く・・・やってみなはれ。
そうだ、「シーチン・メソッド」! 俺が世界の鬱病患者を救うのだ、「21世紀のフロイト」、“死の商人、ダイナマイト・ドン!”ノーベル医学賞は俺で決まりだ! ほとんど躁状態・・・やっぱ変かなあ。
なお、愛人のことは絶対に漏らさないこと。これだけは静かにあの世に持っていかないと小便塚になるね。小生の父は母に「女とは別れた」と一言、母は札束をもって女を訪ねて「永らくお世話になりました」と挨拶、それできれいさっぱり。海舟を真似れば「10年振りに親父とお袋が同衾していたのを見て、さすがの俺もびっくりさせられたぜ」。
今はそういう粋な時代じゃないからなあ、権妻のあった昔が懐かしい・・・妾となした子、相続の際には大騒動になるから早めに手を打つべし。該当者はくれぐれも注意して下さい。
さて、前回に続いて、中共毛沢東の指導する妄想餓狼「毛躁兇徒」による内モンゴル殲滅戦について楊海英著「中国人の少数民族根絶計画」から学んでいこう。
<(中共はなぜモンゴル人を根絶やしにしたかったのか)国際情勢も影響した。1956年の「ハンガリー動乱*」は共産党支配体制の改革を求めていたが、ソ連の武力干渉で数十万が反革命罪で処分され、社会主義陣営に動揺をもたらした。(*推定で死亡2500~3000、負傷1万3000、難民20万人)
東欧諸国の知識人たちの反共思潮を見た中共は「反右派運動」を発動し、中共に不満を抱く120万人を粛清した。(1949年の建国宣言の際、多くの人々は共和制になると思っていたろう。中共独裁になる、まさか自分が殺されるとは夢にも思わなかったのではないか。毛沢東に騙されたのだ)
中共はスターリン亡き後は(独裁に否定的なソ連を敵に回して内部を固めるため)「ソ連修正主義批判」「中ソ対立」を鮮明にしていく。
この際に重要な問題になってきたのは、ソ連とモンゴル人民共和国が国境を越えて侵攻してきたときに内モンゴルのモンゴル人がどう動くかである。
中共にとってモンゴル人は二つの「前科」がある。一つには、1932年の満洲国建国の際に、日本に協力したこと。もう一つは、日本軍が去った後に、モンゴル人民共和国と内モンゴル(日本の影響下で役人軍人になった人が主軸)との統一を進めたことだ。
このために中共にとってモンゴル人は「日本刀をぶら下げた奴ら」で信用できなかった。
モンゴル人にとって敵はずっと中国で、中国からの独立は19世紀末からの民族の宿願だった。それを実現するためには日本の力でもロシアの援助でも、なんでも利用したかったのだ。
日本の力を借りて、中国人たちを追放して、独自の国家を創りたかった。これが満州国時代のモンゴル人の素直な心情でした>
毛沢東・中共は現実無視の政策で支那全土をユートピアとは反対のヘル(地獄)、ディストピア、飢餓地獄にしてしまい、毛は名ばかりの盟主に追いやられていく。
その段階で毛をさっさと殺すなり幽閉するなりしておけば1億人もの死傷は出なかっただろうに・・・掛けた情けが仇となり・・・
実務派の劉少奇やトウ小平は教条主義一転張りの毛沢東路線を改めていくが、毛沢東は初心なガキ「紅衛兵」を使嗾、動員して実務派を叩き、個人独裁復活を狙う。文化大革命という狂気の内乱、民族浄化が内モンゴルで始まるのだ。(つづく)
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/193(2020/9/28/月】土曜の夜中に寒くて目を覚ました。温度計を見たら21度、ちょっと前まで昼間は29度もあったのに急に冷えてきた。今冬初めて暖房23度にしたが、頭はボーっとして悪寒もあり、風邪を引いたようだ。夏中はバスタオルをお腹に掛けていたが、タオルケットを出して秋に備え、風邪薬を飲んだ。
日曜日は終日、ベッド。体調不良だと脳ミソもブルーになる、マイナス思考になる。当たり前だが、鬱病の人はどん底に落ちやすい、こんな風に。
体力は落ちるばかりで、やりたいことはさっさとやっておきたいと思うのだが、やりたいことだらけで、優先順位をつけるにしてもそれなりに調査研究しておかなければ判断ができない。
基礎的な調査研究だって結構手間暇がかかるから、それにも優先順位をつけなければならない。どれから手を付けるべきか・・・もうほとんど迷路の中を右往左往、行ったり来たり・・・ああ、私はあの世に逃げ出したい・・・鬱病が昂じてくるのが分かるのだ。
まあ死神による希死念慮、自殺願望、デストルドー、タナトスとかのお誘いで、「アンタなりによー頑張った、もうええやろ、楽になったらどうや」とささやくわけ。
この鬱病は抗鬱剤で抑えるしかないのだが、脳みそ、思考力、興味、関心までが抑制されるので、「ただ何となく生きている」風になり、ちっとも興奮しない。つまり、面白くない! 生きている実感がない! 元気がでない! ほとんど死んでる!
クスリやめますか それとも人間やめますか? 医者の言うことは分かる、されど人間は考える葦やで、小生はただの生きてるだけの葦でいることには耐えられない。抗鬱剤治療と葦人間でいることは両立しない、しかし治療をしなければ精神劣化を抑制できるかもしれないが、プッツンしやすく、概ねあの世行きになる。
どないしよ・・・
鬱病者の多くは社会人として暮らしているだろうが、表面的には普通に見えても、傷つきたくない、人間関係のストレスには耐え難い、再発症を避けたい、と引き籠り志向があるだろう。一方で引き籠れば社会から落伍するからそれも避けたい・・・心は揺れ動く、千々乱れる、安定、安心しない、不安だ。どないしたらええねん・・・ああ逃げたい・・・
「昨日まで面白い話でみんなを笑わせたりして元気だったのに・・・」、先輩の奥浩平が自殺したら周辺の人は皆同じようなことを言った。奥浩平は「せめて最期は」と、明るく陽気な青年を演じて見せたのだろう。
溢れるばかりの過剰な正義感、強烈な自我、鋭い感受性、その裏側の壊れやすい繊細な心、無力という挫折感、自己嫌悪、そして孤独・・・古人曰く「青春は概ね悲惨である」。
壮年になると仕事、子育てなどで忙しくて死神は消えるが、老人になると一応は人生義務編ゲームは終わり、大体が好き勝手に生きていいよ、と牧場に放牧される。役割がなくなった役者、声がかからない俳優・・・おまけに脳ミソも体もよれよれで、まるで「老残」、廃車寸前、「晩年は概ね悲惨である」。で、老人は青年のようにナイーブに戻っちゃう。これが問題だ!
一般社団法人日本老年医学会によると――
<わが国は高齢化率23%超という高齢者社会であると同時に、高齢者の自殺率も高い。自殺には一般に精神疾患が関与することが知られているが、高齢者では特にうつ病・うつ状態が関与する割合が高い>
鬱病老人はいかに晩年を生きるべきか、難しい問題だ。抗鬱剤治療で実験動物みたいに穏やかに(死者の如く)生きるか、治療せずに短命ながら喜怒哀楽、天国と地獄の思考サーカスの中でそれなりに「人間らしく」生きてみるか、あるいはプッツンしたらしたでそれでいいとか・・・
ところが全国3500万の同志諸君、プッツン自殺することで周辺の人を悲しませたり悩ませたりする権利なんてないわけよ、だろ? ここが問題だ。
君の自裁を知った人々の中には「私が余計なことを言ったからかなあ」「もっと優しくしてあげればよかった」なんて悩む奇特な人もいるかもしれない。
つまり唐突な「ちゃぶ台返し」ではなく、周囲の皆がそれなりに受容できるような「大義に死す」とか「なすべきことはした」とか、できれば穏やかな死を遂げる、これが「上」やで、「あしたの上」。燃え尽きて真っ白な灰になるのは「特上」、男の夢だなあ。
その一方で当てつけ自殺、これは天も苦い顔をする「下」、邪道だな。このところコロナ禍もあってか自殺者が増えているようだが、付和雷同的な安直自殺も「下」だろう。
「立派な最後でした」と誉められなくとも、せめてそれなりに、自分らしい始末、エンディング、フェイドアウトの演出、お別れの会、相続、葬儀の準備、香典返し、会葬御礼、初七日、四十九日あたりまではきっちり準備しておくのが人間としての勤めではないか。
格調高い遺書も筆で和紙に書かなあかんさかいな、70の手習いやで・・・衝動的な死は美しくないし、「終わり良ければ総て良し」ルールに違反しとるで。
こう考えると「死出の旅」の準備は面倒くさくてウンザリ、「生きてる方がましだ」となる、つまり小生のような鬱病ヂヂイから死神は離れていくわけね、「よーグチャグチャうるさいやっちゃ、こいつはまだ期が熟してないから次回へ回そう」と。
かくして鬱病者は危機(チャンス?)を脱するわけ。落ち込んだ時はそれなりに症状を記し、整理、分析(自己省察)していくと脳ミソが落ち着く・・・やってみなはれ。
そうだ、「シーチン・メソッド」! 俺が世界の鬱病患者を救うのだ、「21世紀のフロイト」、“死の商人、ダイナマイト・ドン!”ノーベル医学賞は俺で決まりだ! ほとんど躁状態・・・やっぱ変かなあ。
なお、愛人のことは絶対に漏らさないこと。これだけは静かにあの世に持っていかないと小便塚になるね。小生の父は母に「女とは別れた」と一言、母は札束をもって女を訪ねて「永らくお世話になりました」と挨拶、それできれいさっぱり。海舟を真似れば「10年振りに親父とお袋が同衾していたのを見て、さすがの俺もびっくりさせられたぜ」。
今はそういう粋な時代じゃないからなあ、権妻のあった昔が懐かしい・・・妾となした子、相続の際には大騒動になるから早めに手を打つべし。該当者はくれぐれも注意して下さい。
さて、前回に続いて、中共毛沢東の指導する妄想餓狼「毛躁兇徒」による内モンゴル殲滅戦について楊海英著「中国人の少数民族根絶計画」から学んでいこう。
<(中共はなぜモンゴル人を根絶やしにしたかったのか)国際情勢も影響した。1956年の「ハンガリー動乱*」は共産党支配体制の改革を求めていたが、ソ連の武力干渉で数十万が反革命罪で処分され、社会主義陣営に動揺をもたらした。(*推定で死亡2500~3000、負傷1万3000、難民20万人)
東欧諸国の知識人たちの反共思潮を見た中共は「反右派運動」を発動し、中共に不満を抱く120万人を粛清した。(1949年の建国宣言の際、多くの人々は共和制になると思っていたろう。中共独裁になる、まさか自分が殺されるとは夢にも思わなかったのではないか。毛沢東に騙されたのだ)
中共はスターリン亡き後は(独裁に否定的なソ連を敵に回して内部を固めるため)「ソ連修正主義批判」「中ソ対立」を鮮明にしていく。
この際に重要な問題になってきたのは、ソ連とモンゴル人民共和国が国境を越えて侵攻してきたときに内モンゴルのモンゴル人がどう動くかである。
中共にとってモンゴル人は二つの「前科」がある。一つには、1932年の満洲国建国の際に、日本に協力したこと。もう一つは、日本軍が去った後に、モンゴル人民共和国と内モンゴル(日本の影響下で役人軍人になった人が主軸)との統一を進めたことだ。
このために中共にとってモンゴル人は「日本刀をぶら下げた奴ら」で信用できなかった。
モンゴル人にとって敵はずっと中国で、中国からの独立は19世紀末からの民族の宿願だった。それを実現するためには日本の力でもロシアの援助でも、なんでも利用したかったのだ。
日本の力を借りて、中国人たちを追放して、独自の国家を創りたかった。これが満州国時代のモンゴル人の素直な心情でした>
毛沢東・中共は現実無視の政策で支那全土をユートピアとは反対のヘル(地獄)、ディストピア、飢餓地獄にしてしまい、毛は名ばかりの盟主に追いやられていく。
その段階で毛をさっさと殺すなり幽閉するなりしておけば1億人もの死傷は出なかっただろうに・・・掛けた情けが仇となり・・・
実務派の劉少奇やトウ小平は教条主義一転張りの毛沢東路線を改めていくが、毛沢東は初心なガキ「紅衛兵」を使嗾、動員して実務派を叩き、個人独裁復活を狙う。文化大革命という狂気の内乱、民族浄化が内モンゴルで始まるのだ。(つづく)
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