雀庵の「常在戦場/78 イスラム教のキモを知る(上)」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/362(2021/9/3/金】インドネシアの首都ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港(通称チェンカレン空港)が1985年3月1日に開港した際、同国政府の招待で記念式典に出席、その前後に観光資源になりそうな地域をいくつか取材した。
人口2.7億人のインドネシアの宗教は多彩だが、87%はイスラム教で、世界最大のイスラム教国である。次いで新旧キリスト教があり、ヒンドゥー教はイスラム教徒の少ないバリ島に集中するようになったという。
中部ジャワの中心都市ジョグジャカルタ近郊のボロブドゥール遺跡は大乗仏教の寺院跡で、800年頃に完成した。仏教はヒンドゥー教から生まれたとも言えるから、バリ島あたりはイスラム教のジャカルタとは民心がずいぶん違っているようだった。早朝には庭のあちこちに聖水と花をお供えしているのを見て、仏教徒でもある小生には静かで敬虔なバリ島は肌に合った。
<バリ・ヒンドゥーは、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した信仰体系であり、バリの人々の90%以上がこれに従った生活を送っている。
バリ島の地域社会ではバリ・ヒンドゥーに基づく独特な慣習様式に従った生活が営まれており、21世紀に入ってもなお、バンジャールやデサと呼ばれる地域コミュニティをベースとして、さまざまな労働作業や宗教儀礼が共同で執り行われている。
バリ島は、欧米先進国からの裕福な白人系観光客が集まるとともに、異教徒であるヒンドゥー教圏であることから、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降のイスラム過激派による国際テロリズムの格好の標的とされた。そして、以下の2度の大規模な無差別テロ事件が発生した。
2002年10月12日 : クタ地区の人気ディスコを狙った自爆テロ。犠牲者202名。
2005年10月1日 : ジンバラン地区及びクタ地区のレストランを狙った同時多発自爆テロ。死者は容疑者3人を含む23名。
いずれもイスラム過激派ジェマ・イスラミアによるものとされる、この2度のテロ事件によりバリ島の観光業は深刻な影響を受けることになったが、2007年には過去最高の外国人旅行者数を記録するなど、今ではかつての賑わいを取り戻している。しかし他方で現地社会では、ジャワ島ほかからのイスラム教徒の移民労働者の増加に対する社会不安が高まる一方である>(WIKI)
小生のモラルというか行動指針は実際に訓示や教育されたものではないが、十七条憲法と五箇条の御誓文、武士道、古事記、仏教、儒教の“ようなもの”である。育った環境や空気の影響だろうが、日本人、特に男は大方そんなものではないか、それは民族のDNAではないか。普段は穏やかでも、やるときはやる・・・どうも鉄腕アトムもドラえもんもそのようである。利ではない、義で動く、楠木正成、大和男児。
そう言えば中核派の拠点(前進社)は池袋の千早に近いため「千早城」とも称していた。義のために死すとも可なり、日本も世界もそんな男が多いのかなあ、夏彦翁曰く「みんな正義が大好きだ」。「正義はやがて国を亡ぼす」とも・・・栄枯盛衰は世の倣いとは言うけれど難しいね、難しいから男はチャレンジするのだろうが。
インドネシアを取材中、ジャカルタあたりで拡声器が大音量で訳が分からないCMみたいなものを流していたので眉をひそめていたら、案内してくれていた観光局幹部のインドネシア人が「ご免なさいね、でもこればかりはどうしようもないんです」と言っていた。イスラム教徒が1日に最低5回はすべき「お祈りの時間」を告げているのだという。
何かと話題になるイスラム教のそういう基本的な慣習さえ日本人の多くは、もちろん小生も含めてあまり知らない・・・それはまずいだろうと、ちょっと真面目に「イスラム教のポイント」をまとめてみた。
まずはイスラム思想研究者・飯山陽氏の論稿「メディアが語らない不都合な真実 アフガニスタン報道の欺瞞」(産経2021/8/25)から。
<イスラム過激派組織タリバンが8月15日、アフガニスタンの首都カブールをほぼ制圧し、アフガン全土を支配下においた。これについての日本メディア報道には一定の奇妙な傾向が見られた。一斉に「アメリカのせい」だと報じたのである。
日経新聞は8月16日の「米介入20年『力の支配』限界 タリバン、終戦を宣言」という記事で、米国の「力による支配」と「国家建設の試み」が失敗に終わった原因は、「テロとの戦いに明け暮れ、一般のアフガン国民が成長の果実を実感できなかったことにある」と分析した。
朝日新聞は8月17日の朝刊に「アフガンと米国 『最長の戦争』何だった」という社説を掲載し、以下のように米批判を展開した。
《「米国の責任は重大」:「テロの根源は、各地に広がる紛争や格差、貧困であり、失敗国家をなくさない限り、安全な世界は築けない。同時テロから学ぶべき教訓を生かさず、軍事偏重の行動に走り続けた結果、疲れ果てたのが今の米国の姿ではないか」》
しかしアフガンの責任を担うべきは第一にアフガン人自身であるはずだ。またタリバンの武装攻撃はタリバンにとっては「テロ」ではなく、神の命令に従ったジハード(聖戦)の敢行であり、彼らが目指すのは「イスラム法統治」だ。彼らが戦うのは格差に憤っているからでも、貧乏だからでもない。「テロの根源は格差・貧困」という主張は、書き手がイスラム過激派の「テロ」の本質について完全に無知であることを露呈させている。
タリバンがほとんど抵抗らしき抵抗を受けることなくカブール制圧にまで至った事実は、今後「タリバンを含む暫定政権の樹立」といった軟着陸が困難であることをうかがわせる。
タリバンが単独政権を樹立しイスラム法による統治を強行すれば、この20年間にアフガン女性たちが徐々に獲得してきた権利や自由は一挙に、完全に失われる可能性が高い。
タリバンは今になって急にアフガン全土を制圧したわけではない。これまでも各地を支配下におき、イスラム法統治を行なってきた。国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの2020年6月の報告によれば、タリバン支配下ではイスラム法的統制により人々の基本的人権が著しく損なわれており、第二次性徴を迎えた女子は通学を禁じられ、女性は男性親族のつきそいなしには家から出ることを認められず、外出時には全身を覆い隠すブルカの着用が義務付けられ、就労も、男性医師の治療を受けることも禁じられている。今アフガンは、この状況が全土に広がる危機に瀕している。
アフガン復興のため20年間にわたり約68億ドル(約7500億円)を支援してきた日本国民として、我々はこうした暗い見通しを深刻に受け止める必要がある。全てを「アメリカのせい」にする「報道」をいくら続けたところで、それは単にメディアやジャーナリストの自己満足にしかならず、アフガンの現状や先の見通しについて日本の一般国民には一切伝わらない。こんなものは「報道」とは呼べまい。
日本メディアのアフガン報道の問題点は他にもある。それは彼らがどうやら、アフガン人の価値観と欧米由来の近代的価値観とは全く異なるという本質的な問題について理解できていないようだという点だ。たとえばタリバン報道官が「イスラム法の認める範囲で女性の人権を認める」と述べた際、ほとんどのメディアはそれが近代的な女性の人権とは全く異なることを指摘しなかった。
アフガン人のほとんどは敬虔なイスラム教徒であり、一般にイスラム教徒として敬虔であることは、彼らが神の言葉と信じる『コーラン』の文言に忠実に生きることに最大の価値を置くことを意味する。
2013年に米拠点の調査機関ピュー・リサーチ・センターが実施した世論調査では、調査対象となったアフガン人の99%が「イスラム法による統治を望むか」という質問に対し「はい」と回答した。『コーラン』第5勝44節には「神が下されたもの(啓示、イスラム法)に従って裁きを行わない者は不信仰者である」とあるため、改めて「イスラム法統治を望むか」と質問された場合「いいえ」と回答するのはイスラム教徒にとっては難しい。
それを勘案しても、同じくイスラム諸国であるエジプトで「はい」の割合が74%、インドネシアでは72%であることと比較すると、アフガン人のイスラム法統治支持率の高さは特筆すべきものがある。しかも当該調査は、米軍侵攻によるタリバン政権崩壊の後に行われていたのである。
イスラム法統治とはすなわち神の命令を絶対的価値とする統治であり、そこでは人間の発案した近代的価値などとるに足らないものとして打ち捨てられる。この価値観の絶対的差異について認識が不十分だったのは、米当局も同じであろう。しかし、今回のタリバンによるアフガン制圧に際し、まるで鬼の首をとったかのように「アメリカのせい」だと執拗に繰り返すメディアもまた、同じ穴の狢である。
武力でもカネでも、神の命令を絶対とするアフガン人の価値観を強制的に変えさせることなどできない。それができるとすれば、アフガン人の中に、イスラム的価値観と近代的な自由や人権、民主主義といった価値観をすり合わせていく必要があると信じる人が現れた時である>
基本的に日本人は永遠に大和魂、イスラム教徒は永遠にイスラム魂ということだ。数千年でDNAに浸み込んでいる思考が50年100年で変わるようなものではない。
「イスラム法統治とはすなわち神の命令を絶対的価値とする統治」・・・分からんなあ、勉強を続けよう。鈴木紘司著「イスラームの常識がわかる小事典」から簡単にまとめてみる。なお、鈴木氏のムスリム名はハッジ・アハマド・鈴木。*はネットなどから引用した小生の補足説明。
☆ユダヤ教、キリスト教、イスラームは同根である
日本は昔から多くの神様がいる国なので、正月になれば神社仏閣が大賑わいするが、拝んでいる対象が漠然としている。イスラーム(教)ではあがめる対象は「絶対唯一神アッラー」であり、アッラーは「大宇宙をはじめ、天地に存在する万物全てを創造され、全てを司っている、絶対唯一で無二の超越者」である。
イスラームは偉大な絶対者アッラーを常に「意識して讃美する」ように教えている。絶対者に接する手段は「言葉」であり、その言葉こそが「預言者」*使徒ムハンマドという人間を介して顕現された「啓示」である。
これはユダヤ教、キリスト教においても全く同じ考えで、崇拝する対象、絶対者の呼び方がユダヤ教、キリスト教では「ヤフウエ(エホバ)」、イスラームでは「アッラー」と称する。いずれも日本のような多神概念を徹底的に否定している。
(*預言者:霊感により啓示された神意(託宣)を伝達し、あるいは解釈して神と人とを仲介する者 。宗教史的には、古代イスラエルに預言者 (ナービー)と呼ばれる一群の人々が現れ、神と民衆あるいは神と国家共同体とを仲介する役割を果たし、外敵の侵攻など国家存亡の危機にしばしば政治的理由によって国王と対立し、体制批判者として処刑されたことが知られている。一種のアジテーター、広報宣伝担当のよう)
☆イスラームは「旧約聖書」「新約聖書」プラス「クルアーン」
ユダヤ教は「旧約聖書」の中の「ヘブライの預言者」だけを認めている。キリスト教はイエス・キリストを加え、「新約聖書」を選び、「旧約聖書」も容認している。最後に来たイスラームはそれらのすべてを認めた上で使徒ムハンマド*と経典「クルアーン(コーラン)」を追加した宗教である。
3宗教とも信仰では近似しているので、比較するときは行動面の違いに注目した方がいい。
(*ムハンマド:イスラムの開祖。日本ではマホメットとも。アブラハム、モーセ、イエスに続く最後の預言者、神の使者とされる。クルアーン(コーラン)とムハンマドの教えと実践がイスラム教の信仰の基礎となっている)
・・・・・・・・・・・・
以下、次号に続く。困った時の神頼み、神様仏様ご先祖様、八百万の神様とお日様に天下国家の平穏をお祈りする多神教の小生(多分多くの日本人)には、そもそも一神教のマインドが理解しがたい。「一般に文明の影響をあまり受けていない、伝統的生活をおくる民族の信仰は多神教的」(ブリタニカ)とか。
一神教は「自分は正義、他宗派は邪道、蛮族」という思いが強すぎて戦争ばかりしている。寛容に欠ける。ハンドルにアソビがない。アバウト≒温和を心掛ける小生からすれば野暮、邪道だ。まったく海に守られている日本に生まれて良かったなあ、同志諸君、ワケの分からん外来種にやっつけられないように頑張ろうぜ、古人曰く「虚仮の一念、岩をも通す」。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/362(2021/9/3/金】インドネシアの首都ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港(通称チェンカレン空港)が1985年3月1日に開港した際、同国政府の招待で記念式典に出席、その前後に観光資源になりそうな地域をいくつか取材した。
人口2.7億人のインドネシアの宗教は多彩だが、87%はイスラム教で、世界最大のイスラム教国である。次いで新旧キリスト教があり、ヒンドゥー教はイスラム教徒の少ないバリ島に集中するようになったという。
中部ジャワの中心都市ジョグジャカルタ近郊のボロブドゥール遺跡は大乗仏教の寺院跡で、800年頃に完成した。仏教はヒンドゥー教から生まれたとも言えるから、バリ島あたりはイスラム教のジャカルタとは民心がずいぶん違っているようだった。早朝には庭のあちこちに聖水と花をお供えしているのを見て、仏教徒でもある小生には静かで敬虔なバリ島は肌に合った。
<バリ・ヒンドゥーは、バリ土着の信仰とインド仏教やヒンドゥー教が習合した信仰体系であり、バリの人々の90%以上がこれに従った生活を送っている。
バリ島の地域社会ではバリ・ヒンドゥーに基づく独特な慣習様式に従った生活が営まれており、21世紀に入ってもなお、バンジャールやデサと呼ばれる地域コミュニティをベースとして、さまざまな労働作業や宗教儀礼が共同で執り行われている。
バリ島は、欧米先進国からの裕福な白人系観光客が集まるとともに、異教徒であるヒンドゥー教圏であることから、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降のイスラム過激派による国際テロリズムの格好の標的とされた。そして、以下の2度の大規模な無差別テロ事件が発生した。
2002年10月12日 : クタ地区の人気ディスコを狙った自爆テロ。犠牲者202名。
2005年10月1日 : ジンバラン地区及びクタ地区のレストランを狙った同時多発自爆テロ。死者は容疑者3人を含む23名。
いずれもイスラム過激派ジェマ・イスラミアによるものとされる、この2度のテロ事件によりバリ島の観光業は深刻な影響を受けることになったが、2007年には過去最高の外国人旅行者数を記録するなど、今ではかつての賑わいを取り戻している。しかし他方で現地社会では、ジャワ島ほかからのイスラム教徒の移民労働者の増加に対する社会不安が高まる一方である>(WIKI)
小生のモラルというか行動指針は実際に訓示や教育されたものではないが、十七条憲法と五箇条の御誓文、武士道、古事記、仏教、儒教の“ようなもの”である。育った環境や空気の影響だろうが、日本人、特に男は大方そんなものではないか、それは民族のDNAではないか。普段は穏やかでも、やるときはやる・・・どうも鉄腕アトムもドラえもんもそのようである。利ではない、義で動く、楠木正成、大和男児。
そう言えば中核派の拠点(前進社)は池袋の千早に近いため「千早城」とも称していた。義のために死すとも可なり、日本も世界もそんな男が多いのかなあ、夏彦翁曰く「みんな正義が大好きだ」。「正義はやがて国を亡ぼす」とも・・・栄枯盛衰は世の倣いとは言うけれど難しいね、難しいから男はチャレンジするのだろうが。
インドネシアを取材中、ジャカルタあたりで拡声器が大音量で訳が分からないCMみたいなものを流していたので眉をひそめていたら、案内してくれていた観光局幹部のインドネシア人が「ご免なさいね、でもこればかりはどうしようもないんです」と言っていた。イスラム教徒が1日に最低5回はすべき「お祈りの時間」を告げているのだという。
何かと話題になるイスラム教のそういう基本的な慣習さえ日本人の多くは、もちろん小生も含めてあまり知らない・・・それはまずいだろうと、ちょっと真面目に「イスラム教のポイント」をまとめてみた。
まずはイスラム思想研究者・飯山陽氏の論稿「メディアが語らない不都合な真実 アフガニスタン報道の欺瞞」(産経2021/8/25)から。
<イスラム過激派組織タリバンが8月15日、アフガニスタンの首都カブールをほぼ制圧し、アフガン全土を支配下においた。これについての日本メディア報道には一定の奇妙な傾向が見られた。一斉に「アメリカのせい」だと報じたのである。
日経新聞は8月16日の「米介入20年『力の支配』限界 タリバン、終戦を宣言」という記事で、米国の「力による支配」と「国家建設の試み」が失敗に終わった原因は、「テロとの戦いに明け暮れ、一般のアフガン国民が成長の果実を実感できなかったことにある」と分析した。
朝日新聞は8月17日の朝刊に「アフガンと米国 『最長の戦争』何だった」という社説を掲載し、以下のように米批判を展開した。
《「米国の責任は重大」:「テロの根源は、各地に広がる紛争や格差、貧困であり、失敗国家をなくさない限り、安全な世界は築けない。同時テロから学ぶべき教訓を生かさず、軍事偏重の行動に走り続けた結果、疲れ果てたのが今の米国の姿ではないか」》
しかしアフガンの責任を担うべきは第一にアフガン人自身であるはずだ。またタリバンの武装攻撃はタリバンにとっては「テロ」ではなく、神の命令に従ったジハード(聖戦)の敢行であり、彼らが目指すのは「イスラム法統治」だ。彼らが戦うのは格差に憤っているからでも、貧乏だからでもない。「テロの根源は格差・貧困」という主張は、書き手がイスラム過激派の「テロ」の本質について完全に無知であることを露呈させている。
タリバンがほとんど抵抗らしき抵抗を受けることなくカブール制圧にまで至った事実は、今後「タリバンを含む暫定政権の樹立」といった軟着陸が困難であることをうかがわせる。
タリバンが単独政権を樹立しイスラム法による統治を強行すれば、この20年間にアフガン女性たちが徐々に獲得してきた権利や自由は一挙に、完全に失われる可能性が高い。
タリバンは今になって急にアフガン全土を制圧したわけではない。これまでも各地を支配下におき、イスラム法統治を行なってきた。国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチの2020年6月の報告によれば、タリバン支配下ではイスラム法的統制により人々の基本的人権が著しく損なわれており、第二次性徴を迎えた女子は通学を禁じられ、女性は男性親族のつきそいなしには家から出ることを認められず、外出時には全身を覆い隠すブルカの着用が義務付けられ、就労も、男性医師の治療を受けることも禁じられている。今アフガンは、この状況が全土に広がる危機に瀕している。
アフガン復興のため20年間にわたり約68億ドル(約7500億円)を支援してきた日本国民として、我々はこうした暗い見通しを深刻に受け止める必要がある。全てを「アメリカのせい」にする「報道」をいくら続けたところで、それは単にメディアやジャーナリストの自己満足にしかならず、アフガンの現状や先の見通しについて日本の一般国民には一切伝わらない。こんなものは「報道」とは呼べまい。
日本メディアのアフガン報道の問題点は他にもある。それは彼らがどうやら、アフガン人の価値観と欧米由来の近代的価値観とは全く異なるという本質的な問題について理解できていないようだという点だ。たとえばタリバン報道官が「イスラム法の認める範囲で女性の人権を認める」と述べた際、ほとんどのメディアはそれが近代的な女性の人権とは全く異なることを指摘しなかった。
アフガン人のほとんどは敬虔なイスラム教徒であり、一般にイスラム教徒として敬虔であることは、彼らが神の言葉と信じる『コーラン』の文言に忠実に生きることに最大の価値を置くことを意味する。
2013年に米拠点の調査機関ピュー・リサーチ・センターが実施した世論調査では、調査対象となったアフガン人の99%が「イスラム法による統治を望むか」という質問に対し「はい」と回答した。『コーラン』第5勝44節には「神が下されたもの(啓示、イスラム法)に従って裁きを行わない者は不信仰者である」とあるため、改めて「イスラム法統治を望むか」と質問された場合「いいえ」と回答するのはイスラム教徒にとっては難しい。
それを勘案しても、同じくイスラム諸国であるエジプトで「はい」の割合が74%、インドネシアでは72%であることと比較すると、アフガン人のイスラム法統治支持率の高さは特筆すべきものがある。しかも当該調査は、米軍侵攻によるタリバン政権崩壊の後に行われていたのである。
イスラム法統治とはすなわち神の命令を絶対的価値とする統治であり、そこでは人間の発案した近代的価値などとるに足らないものとして打ち捨てられる。この価値観の絶対的差異について認識が不十分だったのは、米当局も同じであろう。しかし、今回のタリバンによるアフガン制圧に際し、まるで鬼の首をとったかのように「アメリカのせい」だと執拗に繰り返すメディアもまた、同じ穴の狢である。
武力でもカネでも、神の命令を絶対とするアフガン人の価値観を強制的に変えさせることなどできない。それができるとすれば、アフガン人の中に、イスラム的価値観と近代的な自由や人権、民主主義といった価値観をすり合わせていく必要があると信じる人が現れた時である>
基本的に日本人は永遠に大和魂、イスラム教徒は永遠にイスラム魂ということだ。数千年でDNAに浸み込んでいる思考が50年100年で変わるようなものではない。
「イスラム法統治とはすなわち神の命令を絶対的価値とする統治」・・・分からんなあ、勉強を続けよう。鈴木紘司著「イスラームの常識がわかる小事典」から簡単にまとめてみる。なお、鈴木氏のムスリム名はハッジ・アハマド・鈴木。*はネットなどから引用した小生の補足説明。
☆ユダヤ教、キリスト教、イスラームは同根である
日本は昔から多くの神様がいる国なので、正月になれば神社仏閣が大賑わいするが、拝んでいる対象が漠然としている。イスラーム(教)ではあがめる対象は「絶対唯一神アッラー」であり、アッラーは「大宇宙をはじめ、天地に存在する万物全てを創造され、全てを司っている、絶対唯一で無二の超越者」である。
イスラームは偉大な絶対者アッラーを常に「意識して讃美する」ように教えている。絶対者に接する手段は「言葉」であり、その言葉こそが「預言者」*使徒ムハンマドという人間を介して顕現された「啓示」である。
これはユダヤ教、キリスト教においても全く同じ考えで、崇拝する対象、絶対者の呼び方がユダヤ教、キリスト教では「ヤフウエ(エホバ)」、イスラームでは「アッラー」と称する。いずれも日本のような多神概念を徹底的に否定している。
(*預言者:霊感により啓示された神意(託宣)を伝達し、あるいは解釈して神と人とを仲介する者 。宗教史的には、古代イスラエルに預言者 (ナービー)と呼ばれる一群の人々が現れ、神と民衆あるいは神と国家共同体とを仲介する役割を果たし、外敵の侵攻など国家存亡の危機にしばしば政治的理由によって国王と対立し、体制批判者として処刑されたことが知られている。一種のアジテーター、広報宣伝担当のよう)
☆イスラームは「旧約聖書」「新約聖書」プラス「クルアーン」
ユダヤ教は「旧約聖書」の中の「ヘブライの預言者」だけを認めている。キリスト教はイエス・キリストを加え、「新約聖書」を選び、「旧約聖書」も容認している。最後に来たイスラームはそれらのすべてを認めた上で使徒ムハンマド*と経典「クルアーン(コーラン)」を追加した宗教である。
3宗教とも信仰では近似しているので、比較するときは行動面の違いに注目した方がいい。
(*ムハンマド:イスラムの開祖。日本ではマホメットとも。アブラハム、モーセ、イエスに続く最後の預言者、神の使者とされる。クルアーン(コーラン)とムハンマドの教えと実践がイスラム教の信仰の基礎となっている)
・・・・・・・・・・・・
以下、次号に続く。困った時の神頼み、神様仏様ご先祖様、八百万の神様とお日様に天下国家の平穏をお祈りする多神教の小生(多分多くの日本人)には、そもそも一神教のマインドが理解しがたい。「一般に文明の影響をあまり受けていない、伝統的生活をおくる民族の信仰は多神教的」(ブリタニカ)とか。
一神教は「自分は正義、他宗派は邪道、蛮族」という思いが強すぎて戦争ばかりしている。寛容に欠ける。ハンドルにアソビがない。アバウト≒温和を心掛ける小生からすれば野暮、邪道だ。まったく海に守られている日本に生まれて良かったなあ、同志諸君、ワケの分からん外来種にやっつけられないように頑張ろうぜ、古人曰く「虚仮の一念、岩をも通す」。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」