独自の主張を強く、キッパリ、という人目を引く生き方をかっこいいと思うけれど、
人にはそれぞれの在り方がありますよね。
わたしは個性のない性格で、これといった特技もないので、キャラ立ちした女性たちのあの目の力にまばゆさを感じ、届かない憧れを常に自覚します。
しかし、人を支え穏やかにそこにいること、目立たない仕事を引き受けることで周りの人の日々を自然に潤滑にすること、
そっと生きるこういう生き方も、また負けず劣らず素晴らしいと思う。
ささやかに見えても、こういう力がひいては世界を支えるのだ。立派な社会貢献だと思います。
そんな静かで大きな女性群の代表格。
バルテュスという高名かつ個性的な画家のそばで静かに彼に尽くした、節子さんについて。
お名前は存じていたもののよくは知ろうとしておらず、最近になって著作があるのを知りました。
3月には徹子の部屋にも出られたらしい。
見たかった!
『グラン・シャレ 夢の刻(とき)』という、雑誌『家庭画報』に連載されていたエッセイの単行本を先日買いました。
検索してみたら、多くの女性の宝物的一冊であるという。
手にしてみて、それに深く共感したわたしでした。
美しいものを見ることで、心の引き出しが豊かになりますから、
そんな要素の詰まったこちらの本は、ほんとに良い教科書です。
優雅に見える暮らしこそ、実は日々の気合というものが不可欠で、彼女の佇まいには、白鳥が水面下で懸命に足を運んでいる様子が思われます。
一般には「社交界の奥様で、超級セレブ」、というふうに安易に肩書をまとめられてしまっていますが、
セレブ、それも国を代表する芸術家の妻をこなすことほど大変なものはないんじゃないかな~・・・、想像ですが。
だって、人格が全世界に露わにされてしまうのですから、たいそうな試練です!
この場合ことさら夫のクセの強さもそうとうなものでしょうし、
さらに外国での暮らしに慣れ、いくつかの外国語を国賓たちとの文化的な話題についていけるほど操り、外国人に日本文化のなんたるかを知らせ、万葉集やら能の話題に当意即妙でお返事せねばならない。
会話術には、相手の呼吸を推し量るという繊細な推理力も必要だし、相手文化について学習しておくのも必須。
全部、地道な、影ながらの徹底した学習が必要です。根性とセンス、試されますね。
日本女性として、日常的にきものを選び、着こなす粋さを持つのも必須。
きものを着るくらいなら簡単かと思いがちですが、布と一体化しているように優雅に着ている人は案外見られないなあと、きものの街・京都で歩いていてさえ思うことが多い。
ハレの日の振袖は、けっこう難易度低いのですが、日常着のレベルの高さといったら!です。
節子さんのきちんとしつつこなれたきもの姿を見た後は、つい簡単そう!と思ってしまうのですが、きものとは布を巻きつけるだけと考えるにあらず。かなり難しいです。
きものを究めたい人は、この本にますます刺激されるんじゃないかしら
≪すんなりと当たり前に見えるもの≫こそ、優れた完成度の高さを誇る。
この一片だけみても、その事実を思い知ります。
妻という「一見普通の」仕事を徹底して、芸術の域に高めた節子さんは、偉大な女性です。
妻歴はまだ浅いわたしですが、普段から考える「妻の仕事」の核心とは、というか結婚生活で大切な心構えは、
支えてもらおうとするより、支えてあげようとする
意欲を、常に持つことだと思います。
独りよがり(自分がしたいような役立ち方)でなく、相手の希望するかたちで支えるというのは、自我のある人間にとってかなり難しいこと。
ときには相手のわがままに対し腹を立てるのではなく、あえて「楽しむことができる」のが、妻としての出来を左右するのではないかと。
その面で数十年の実績をもつ節子さん。
夫の体面をたて、子どもを守り、
そうして細やかにまろやかに暮らしを調える秘訣についても、学習できました。
それは、自分だけの時間・世界を有意義に確立させること。
節子さんの場合は、絵を描くことが、すべての滑走路になったように思います。
1991年のムートンラベル。
(思えば、2年前にわたしは原画を見ていたんだわ★)
絵にもうかがえますが、彼女の表情には、感性を毎日鍛錬によって磨き、美を表現しようという意欲にあふれ、
そして辛いことをぜんぶ、豊かで静かな微笑みに転化する、
そんな強い精神力を、感じます。
彼女のお顔にまずそれを感じ、それから文章に。
(WEBでの検索からは、意外ともいえる、お嬢さんによるこんなエピソードも、すごさを知らしめてくれます。)
人にはそれぞれの在り方がありますよね。
わたしは個性のない性格で、これといった特技もないので、キャラ立ちした女性たちのあの目の力にまばゆさを感じ、届かない憧れを常に自覚します。
しかし、人を支え穏やかにそこにいること、目立たない仕事を引き受けることで周りの人の日々を自然に潤滑にすること、
そっと生きるこういう生き方も、また負けず劣らず素晴らしいと思う。
ささやかに見えても、こういう力がひいては世界を支えるのだ。立派な社会貢献だと思います。
そんな静かで大きな女性群の代表格。
バルテュスという高名かつ個性的な画家のそばで静かに彼に尽くした、節子さんについて。
お名前は存じていたもののよくは知ろうとしておらず、最近になって著作があるのを知りました。
3月には徹子の部屋にも出られたらしい。
見たかった!
『グラン・シャレ 夢の刻(とき)』という、雑誌『家庭画報』に連載されていたエッセイの単行本を先日買いました。
検索してみたら、多くの女性の宝物的一冊であるという。
手にしてみて、それに深く共感したわたしでした。
美しいものを見ることで、心の引き出しが豊かになりますから、
そんな要素の詰まったこちらの本は、ほんとに良い教科書です。
優雅に見える暮らしこそ、実は日々の気合というものが不可欠で、彼女の佇まいには、白鳥が水面下で懸命に足を運んでいる様子が思われます。
一般には「社交界の奥様で、超級セレブ」、というふうに安易に肩書をまとめられてしまっていますが、
セレブ、それも国を代表する芸術家の妻をこなすことほど大変なものはないんじゃないかな~・・・、想像ですが。
だって、人格が全世界に露わにされてしまうのですから、たいそうな試練です!
この場合ことさら夫のクセの強さもそうとうなものでしょうし、
さらに外国での暮らしに慣れ、いくつかの外国語を国賓たちとの文化的な話題についていけるほど操り、外国人に日本文化のなんたるかを知らせ、万葉集やら能の話題に当意即妙でお返事せねばならない。
会話術には、相手の呼吸を推し量るという繊細な推理力も必要だし、相手文化について学習しておくのも必須。
全部、地道な、影ながらの徹底した学習が必要です。根性とセンス、試されますね。
日本女性として、日常的にきものを選び、着こなす粋さを持つのも必須。
きものを着るくらいなら簡単かと思いがちですが、布と一体化しているように優雅に着ている人は案外見られないなあと、きものの街・京都で歩いていてさえ思うことが多い。
ハレの日の振袖は、けっこう難易度低いのですが、日常着のレベルの高さといったら!です。
節子さんのきちんとしつつこなれたきもの姿を見た後は、つい簡単そう!と思ってしまうのですが、きものとは布を巻きつけるだけと考えるにあらず。かなり難しいです。
きものを究めたい人は、この本にますます刺激されるんじゃないかしら
≪すんなりと当たり前に見えるもの≫こそ、優れた完成度の高さを誇る。
この一片だけみても、その事実を思い知ります。
妻という「一見普通の」仕事を徹底して、芸術の域に高めた節子さんは、偉大な女性です。
妻歴はまだ浅いわたしですが、普段から考える「妻の仕事」の核心とは、というか結婚生活で大切な心構えは、
支えてもらおうとするより、支えてあげようとする
意欲を、常に持つことだと思います。
独りよがり(自分がしたいような役立ち方)でなく、相手の希望するかたちで支えるというのは、自我のある人間にとってかなり難しいこと。
ときには相手のわがままに対し腹を立てるのではなく、あえて「楽しむことができる」のが、妻としての出来を左右するのではないかと。
その面で数十年の実績をもつ節子さん。
夫の体面をたて、子どもを守り、
そうして細やかにまろやかに暮らしを調える秘訣についても、学習できました。
それは、自分だけの時間・世界を有意義に確立させること。
節子さんの場合は、絵を描くことが、すべての滑走路になったように思います。
1991年のムートンラベル。
(思えば、2年前にわたしは原画を見ていたんだわ★)
絵にもうかがえますが、彼女の表情には、感性を毎日鍛錬によって磨き、美を表現しようという意欲にあふれ、
そして辛いことをぜんぶ、豊かで静かな微笑みに転化する、
そんな強い精神力を、感じます。
彼女のお顔にまずそれを感じ、それから文章に。
(WEBでの検索からは、意外ともいえる、お嬢さんによるこんなエピソードも、すごさを知らしめてくれます。)