Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

第62回 京都観世能 山姥、猩々乱

2020-10-25 | Théâtre...kan geki
少しずつ通常営業に戻ってきた能楽界。

あ、最近はお能の話ばかりですみません、、、しかし自粛期間中に何ができたかといったら、仕事の他は、出かけていくわけにも行きませんから、お茶とお能稽古だけでしたし、
お茶の方は、まだまだ到底ここに書くような中身が備わっていませんから、観劇の記録、お稽古の記録、に傾いてしまいます。
(ちなみに10月は中置き、五行棚、を、教わりました。)
読書したり絵を描いたりと他にもあるといえばありますが、なかなか、人と共有するものでもなく。
また、見たものは残しておかないとどんどん忘れるので、少しでも、書いておこうと思います。

あー舞台を見に行きたいなあと思って数ヶ月、
Youtubeでは味わえない音の響きを聴きたいと願う愛好者は多く。
半分に減らした座席は、抽選による争奪戦で、なかなか、伺うことができませんでした。

京都観世能、そういうわけで今年は二部制に。
第一部「山姥」に先生が出られるので、そちらのみ鑑賞することにしました。
猩々乱。久しぶりに観ます!
猩々は、なぜか4回目と、観た回数がダントツ多いです。乱では2回目。前回も、赤いカシラをつけた双子のような猩々の足捌きに感動し、すごく楽しかったのを覚えています。
今回は味方玄先生と九郎右衛門先生の猩々。寝てしまった仲間を起こしたりするところ、お二人の優しい相性が感じられました。
以前に、分林先生がなさった乱では、酒をどんどん飲もうとする仲間を押しとどめるシーンが真に迫っていて、ドッと場内が湧いたのが楽しかった。それぞれの猩々があるなあと思いました。

京都観世会館の座席についても、段々、良い場所が掴めてきました。
S席では、なんと言っても「39番」の縦ラインが、ど真ん中ですからイイです。さらに7列が最高かなと思います。
今回は9列39でしたので、前回の7列より、すこーしだけ、臨場感が落ちる。。
しかし、いいお席ですと、うっかり眠るわけにいかないですから、それはそれで、緊張感。
動きの激しい演目ならではです。

さてこの日の「山姥」は、深い深い余韻が残りました。
山姥とは、何者か?
ここが最後まで明かされない、妖精のような存在であるのは、まるでもののけ姫の世界だと思いました。
山の怒り?
忘れ去られたものの象徴?
心残りの権化?…
都からやってきた舞姫の一行を制して自らが舞い続ける謎に包まれた夜更け。

直木賞で話題になった『稚児桜』での「山姥」は、娘が捨てられた母親を訪ねて山小屋へ…という、これまた重いストーリーでしたが、
大胆な意匠の装束で存在感たっぷりに舞う山姥には、自然の雄大さを感じました。



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