先日の週末、家族で京都に集合した時、祇園『匠 おくむら』にお昼を食べに行きました。
こちらは行くたびに目新しい、素敵な器がたくさんあります。道具たちもおもしろくて、母は錫の急須に興味を持ちました。尋ねたところ、
こういうものは、寺町通りの『清課堂』で見つかりますよ。
と教わったので、行ってきました。
休日はお休みなので家族はその日行けず、昨日わたし一人、平日の開店時間帯を狙って。
烏丸線を烏丸御池駅で降りて、御池通を・・・、では車が騒がしいので、一本御所寄りの押小路通を歩きました。
骨董屋、竹屋、などおもしろそうな店にその都度釣られながら、寺町通まで行く。
『清課堂』は、寺町・押小路を上がって西にあります。(←京都風に言ってみました。学習中。)
銀器、銅、真鍮と、種類豊かな素材の、整然と並んだ道具たちの存在感が素晴らしい。銅器に漆で色を焼き付けたという変わった色合いの器もある。
数々の細工ものに目を奪われながら、目的の錫の急須を見せてもらう。
錫って、わたしはなじみがありませんでしたが、とても重いんですね。なめらかな重厚感がおもしろいです。最近はあまり製造できないそうで、残念ながら品薄。
電話で母と相談し、購入は銅の細工の急須に変更しました。
店を出て、御所のほう北へ向かう。
またまた骨董屋、古書店などに引っかかりながら、『紙司 柿本』(和紙のお店)、『一保堂』(お茶)で目指す買い物をしました。
寺町通をこうして歩いていて、京都と東京の違いについて、感じたことがあります。
大雑把過ぎるくくりですが、
東京では、
格別な才能を持った人たちの秀逸な美意識によってできあがった「トータル・コーディネートされたスタイル」がいくつも、そして随所でバーンと提示され、われわれはどれか好みの「調えられた世界」の中に入り込んでしまえば、用意されたものをただラクに楽しめる、
という光景があちこちで繰り広げられますが、
京都には、
そうした「できあがった見本」みたいなものが特にめだたない。あってもスケールが小さい感じ。
そのかわり、「自分の力で、自分だけの」スタイルを完成させるための“材料”の膨らみが、もの凄い。
道具、着物、美術品、書、
おいてある品々の価値ひとつひとつが、重い。底力がある。もちろん玉石混合ではありますが、専門店の絶対数が多いだけに、良いもの率も高い。
Uniqueでありなさい。用意されたものに何の考えも乗っかるのでなく、自分の世界のコーディネートは、一から自分でなさい。
そのための支援は、このとおりほら、いくらでも惜しみませんよと、寺町通に耳打ちされているような気分になりました。
京都は、ただでさえアッサリ何にでもかるーく乗っかってきた自分には、手厳しい街です。
創造/想像力を十分に使わせる街。人間の美意識を厳しめに育てずにはおかない街。ここを歩いてみて、そんな印象がくっきりしました。
多くの知識人が好んで京都に住居を構えるのも、ベンチャー企業が多くこの地から発生しているのも、イメージソースに事欠かないこの空気がきっと理由なのだと思います。
いつかは、寺町通りを使いこなせるようになってみたいなあ。
こちらは行くたびに目新しい、素敵な器がたくさんあります。道具たちもおもしろくて、母は錫の急須に興味を持ちました。尋ねたところ、
こういうものは、寺町通りの『清課堂』で見つかりますよ。
と教わったので、行ってきました。
休日はお休みなので家族はその日行けず、昨日わたし一人、平日の開店時間帯を狙って。
烏丸線を烏丸御池駅で降りて、御池通を・・・、では車が騒がしいので、一本御所寄りの押小路通を歩きました。
骨董屋、竹屋、などおもしろそうな店にその都度釣られながら、寺町通まで行く。
『清課堂』は、寺町・押小路を上がって西にあります。(←京都風に言ってみました。学習中。)
銀器、銅、真鍮と、種類豊かな素材の、整然と並んだ道具たちの存在感が素晴らしい。銅器に漆で色を焼き付けたという変わった色合いの器もある。
数々の細工ものに目を奪われながら、目的の錫の急須を見せてもらう。
錫って、わたしはなじみがありませんでしたが、とても重いんですね。なめらかな重厚感がおもしろいです。最近はあまり製造できないそうで、残念ながら品薄。
電話で母と相談し、購入は銅の細工の急須に変更しました。
店を出て、御所のほう北へ向かう。
またまた骨董屋、古書店などに引っかかりながら、『紙司 柿本』(和紙のお店)、『一保堂』(お茶)で目指す買い物をしました。
寺町通をこうして歩いていて、京都と東京の違いについて、感じたことがあります。
大雑把過ぎるくくりですが、
東京では、
格別な才能を持った人たちの秀逸な美意識によってできあがった「トータル・コーディネートされたスタイル」がいくつも、そして随所でバーンと提示され、われわれはどれか好みの「調えられた世界」の中に入り込んでしまえば、用意されたものをただラクに楽しめる、
という光景があちこちで繰り広げられますが、
京都には、
そうした「できあがった見本」みたいなものが特にめだたない。あってもスケールが小さい感じ。
そのかわり、「自分の力で、自分だけの」スタイルを完成させるための“材料”の膨らみが、もの凄い。
道具、着物、美術品、書、
おいてある品々の価値ひとつひとつが、重い。底力がある。もちろん玉石混合ではありますが、専門店の絶対数が多いだけに、良いもの率も高い。
Uniqueでありなさい。用意されたものに何の考えも乗っかるのでなく、自分の世界のコーディネートは、一から自分でなさい。
そのための支援は、このとおりほら、いくらでも惜しみませんよと、寺町通に耳打ちされているような気分になりました。
京都は、ただでさえアッサリ何にでもかるーく乗っかってきた自分には、手厳しい街です。
創造/想像力を十分に使わせる街。人間の美意識を厳しめに育てずにはおかない街。ここを歩いてみて、そんな印象がくっきりしました。
多くの知識人が好んで京都に住居を構えるのも、ベンチャー企業が多くこの地から発生しているのも、イメージソースに事欠かないこの空気がきっと理由なのだと思います。
いつかは、寺町通りを使いこなせるようになってみたいなあ。
私はアンティーク製品が大好きなので、この寺町通にとっても興味があります、、ガラス製品、陶器、ランプシェード、オールドローズに至るまで・・。一人で平日の開店時間帯をねらって行く・・私がmiさんなら、miさんと同じ事をしたと思います。玉石混合の中から選び出す・・・事の楽しさ、、たまりませんね~ 東京・京都の古い伝統ある物に対する文化の違いにふれる貴重なお時間を過ごされている様子が伝わって来ます。見る目を養っておくと、遠くからひと目見るだけで、「うっ、違う!」と、本物を見極める目は、物にとどまらず、人の心の深い感性を成長させるような気がします。
私が京都へ行く機会が与えられたら、寺町通を覚えておきますね。
「寺町通」という名も重きがあります。また、日本の古き良き伝統の技を守り続けて欲しいものです。
国が中国からの輸入材の管理を徹底する過程で、錫は品質の条件を上げたため輸入数量がかなり減り、3年ほど前からあまりつくれなくなったそうです。
置いてあった急須は求めていたよりちょっと小さくてニーズにかなわなかったのですが、蓋にタイガーアイがついていたりして重厚感がありましたよ
アンティークがお好きな方には、ぜったいこの通りはたまらないと思います!寺町通りは長ーくて、歩くのも時間がかかるため、数回に分けて行く楽しみがあると思います