ようやく、革の手袋をつける快楽を理解しました。
もう何年も前、良いものを愛する目利きの友達とフィレンツェに行った時、彼女が有名な革の手袋屋さんで嬉々として試着し、お買い物するのに同行していたのにも関わらず、そのときの自分の幸運さをわかっていませんでした。
自分が宝の山にいる価値を、理解していなかったのです・・・。
今振り返ると、感覚の未熟さがもったいなく思われてなりません。
精神が子供のときに良いものに触れても、あまりにレベルが高いものに対しては理解には達しないことって、ありますね。
もちろん手袋自体にはなじみがありますが、毛のもの、革でもごつい防寒用のものなどを寒いときにはめて、手を守っていただけ。
外を歩くときの風除け、
それだけ。という、ある意味無粋な扱い方を手袋という存在に対してしていたわけです。
このたび手袋の官能に目覚めたきっかけは、ゴルフ。
「冬は、両手に手袋をしなさい」
と先生にいわれ、しなやかな革のものをショップで買いました。
パーの形ではめて、軽くグーにするくらいしか動きを試さずいるわたしに対し、店員さんは、ぴったりさ加減を丹念にチェックし、はまり加減を確認しては、いくつものサイズを試させてくれました。
「ちょっとだけきついくらいがいい、伸びて馴染んできますから。」
「ふうん、そういうものなんですか・・・。」
こんなに薄くてぴったりはまるのって、寒くないかな、大丈夫なのかな?
そんなふうに思いながら、初めて、ピタリ、と吸い付くようにやわらかく手を締め付けてくる手袋を手にしたのでした。
そして。
クラブを握ってみて、初めて、手袋の価値を知ったわけです。
この頼もしさ、なんなの!?という感激。
思えば、手袋をはめた手で何かをする、ということは、はなからしてきませんでした。
文字通りただの「袋」でしかなく、無粋さはそこにあったわけです。
西洋でよくいわれる、
「あつらえた手袋のような相手」
と配偶者を讃える言葉も、当然それまで、「??」・・・ぴんときてなかったのですが、やっと、納得。
とにかく、手に馴染んで邪魔にならず、なおかつガード感が素晴らしい!
フィット感のみならず、運動能力を支えてくれる、手袋。
これは当然、もこもこ手袋では叶うことありません。
ゴルフのはやっぱりゴルフ用ですから、動きやすく設計してあり、優れて防寒用でもおしゃれ用でもないのですが、革が手の動きに沿ってきれいに従ってくれる、この「呼吸が合う」絶妙さといったら。
「あつらえた手袋」
の比ゆがわかる大人に、ようやくなれた瞬間でした。
そしてフィレンツェのあのお店のシーンに記憶を立ち返らせるに、
お店中に広がる、色、サイズ、かたちの洪水。
しっとりと第二の肌に変わる手袋を、スタイルにそってコーディネートするエレガンスさは、外出先において「その手で、日常の色々をすること」にあったのだと思い至ります。
「どうせすぐ外して素手でいろいろするのに、この時間かかる付け嵌め・・・。たしかに嵌めた感じはするっときちっと気持ちいいし、色はきれいだけど、寒さ用には薄すぎそう。。特に必要ないな・・・」
と思っていた無粋モノ。
嵌めたままいろんなことをするスマートさを高次元で適えるために、客たちは真剣に見た目と中身を点検しにお店に来ていたのに。
「素手(一人)のほうがいい」
と思う人の知らない世界がある。
「スマートな第二の素手(信頼しあうパートナーの存在)を手に入れる」
という世界が。
人も手袋も、「出会ったかどうか」だけの違いですが。
おはずかしながら今頃、身をもって体感したのでした。
革という官能的な素材のエレガンスも、いろんな出番があっていろんなことを体験する「手」で味わうと、あらためて実感できます。
もう何年も前、良いものを愛する目利きの友達とフィレンツェに行った時、彼女が有名な革の手袋屋さんで嬉々として試着し、お買い物するのに同行していたのにも関わらず、そのときの自分の幸運さをわかっていませんでした。
自分が宝の山にいる価値を、理解していなかったのです・・・。
今振り返ると、感覚の未熟さがもったいなく思われてなりません。
精神が子供のときに良いものに触れても、あまりにレベルが高いものに対しては理解には達しないことって、ありますね。
もちろん手袋自体にはなじみがありますが、毛のもの、革でもごつい防寒用のものなどを寒いときにはめて、手を守っていただけ。
外を歩くときの風除け、
それだけ。という、ある意味無粋な扱い方を手袋という存在に対してしていたわけです。
このたび手袋の官能に目覚めたきっかけは、ゴルフ。
「冬は、両手に手袋をしなさい」
と先生にいわれ、しなやかな革のものをショップで買いました。
パーの形ではめて、軽くグーにするくらいしか動きを試さずいるわたしに対し、店員さんは、ぴったりさ加減を丹念にチェックし、はまり加減を確認しては、いくつものサイズを試させてくれました。
「ちょっとだけきついくらいがいい、伸びて馴染んできますから。」
「ふうん、そういうものなんですか・・・。」
こんなに薄くてぴったりはまるのって、寒くないかな、大丈夫なのかな?
そんなふうに思いながら、初めて、ピタリ、と吸い付くようにやわらかく手を締め付けてくる手袋を手にしたのでした。
そして。
クラブを握ってみて、初めて、手袋の価値を知ったわけです。
この頼もしさ、なんなの!?という感激。
思えば、手袋をはめた手で何かをする、ということは、はなからしてきませんでした。
文字通りただの「袋」でしかなく、無粋さはそこにあったわけです。
西洋でよくいわれる、
「あつらえた手袋のような相手」
と配偶者を讃える言葉も、当然それまで、「??」・・・ぴんときてなかったのですが、やっと、納得。
とにかく、手に馴染んで邪魔にならず、なおかつガード感が素晴らしい!
フィット感のみならず、運動能力を支えてくれる、手袋。
これは当然、もこもこ手袋では叶うことありません。
ゴルフのはやっぱりゴルフ用ですから、動きやすく設計してあり、優れて防寒用でもおしゃれ用でもないのですが、革が手の動きに沿ってきれいに従ってくれる、この「呼吸が合う」絶妙さといったら。
「あつらえた手袋」
の比ゆがわかる大人に、ようやくなれた瞬間でした。
そしてフィレンツェのあのお店のシーンに記憶を立ち返らせるに、
お店中に広がる、色、サイズ、かたちの洪水。
しっとりと第二の肌に変わる手袋を、スタイルにそってコーディネートするエレガンスさは、外出先において「その手で、日常の色々をすること」にあったのだと思い至ります。
「どうせすぐ外して素手でいろいろするのに、この時間かかる付け嵌め・・・。たしかに嵌めた感じはするっときちっと気持ちいいし、色はきれいだけど、寒さ用には薄すぎそう。。特に必要ないな・・・」
と思っていた無粋モノ。
嵌めたままいろんなことをするスマートさを高次元で適えるために、客たちは真剣に見た目と中身を点検しにお店に来ていたのに。
「素手(一人)のほうがいい」
と思う人の知らない世界がある。
「スマートな第二の素手(信頼しあうパートナーの存在)を手に入れる」
という世界が。
人も手袋も、「出会ったかどうか」だけの違いですが。
おはずかしながら今頃、身をもって体感したのでした。
革という官能的な素材のエレガンスも、いろんな出番があっていろんなことを体験する「手」で味わうと、あらためて実感できます。
今年はカシミヤのものがほしいと思っていましたが、皮のものにも俄然興味がわいてきました。
スマートな第二の素手に出会うために、精進しなければ!
わたしもゴルフ以外ではいい革がみつからなくって、カシミヤのままです。あのふわふわな手触りはまたナカナカ。それぞれにまたよさがありますもんね・・・。
けど実はウラ絹張りの革モノの値段に青ざめてそっと棚に戻した、という事実も(今期出費過多につき)