Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

2014年

2014-12-21 | vie... kurashi
生存報告的に。

もうすぐ誕生日ということもあり、今年を振り返る気持ちになりました。
書きとめようという気持ちにも、久しぶりになりました。

2014年は、自分のなかで、思い出深い存在になるだろうと、後からそう思うだろうという、節目の一年である気がします。

春からひっきりなしに、大きな変化がいくつもありました。
近しく居た人が亡くなり、住居が変わるということは、変化に対応するのが苦手なわたしにとって、負担でした。
そして、専門医の指導のもと、脱ステロイドに真っ向から真剣に取り組んだこと。
これが、最初に思っていた以上に、大きな変化を自分自身に促してきました。果たして今この時期に始めるのが正しかったのだろうかと、時折深刻に悩むくらい。
今年は、それを代表格に、「膿を出しきる」一年だったように思います。
何もかもが重なってしんどさMAXでしたが、次のステージに繋がる大変さであったと、ようやくそう考えられるようになりました。
また、今この程度で済んで良かったと、警告的に思えるようにも。
子どもの怪我に心沈むこともよくありますが、それも、注意喚起と捉え、もっと大きな事故を未然に防ぐチャンスだったと思いたい。


自分自身の肌と内臓について、医学的に専門的に指導されたのは、大きな体験でした。
それまでケアは自己流でしたし、学ぶにしても「自分にはこれが良かった」的な他人のスタイルを取り入れたりなどはしていましたが、症例を多く診ている専門医に、自分のからだのみに適した指導を受けたのは、初めてでした。
必要だと信じて多くを使いすぎていた自分の、暮らしの贅肉を落とすことになりました。
思い込みって、多少強引に剥がさないと、離れることのできない厄介なもの。

寝屋川市の、木俣肇先生との御縁を頂き、アレルギーチェックなどの診察を息子ともども受けた結果、それまで応急処置的に使っていたステロイド軟膏をすべてやめることにしたのが、9月17日。
はげしいリバウンドにくるしんだ10月、11月は、ほとんど記憶もなく、自律神経のバランスもたぶん崩れ、
12月のこの頃、ようやく我に返り始めています。
そのことは別に書くことにします。(治療が終わった暁にでも。その気になれたら。)

それで生じた変化というのは、今までの自分の生活における常識を覆すもので、良いと信じていたものがそうでなくなったと感じることが多くなりました。
「足す」のではなく、「止める」ことの重要性を知りました。
たとえば、肌や腸の排泄機能がとても上がり、肌色が明るくなったのですが、それは、「小麦粉」と「白砂糖」と「オメガ3とオメガ9以外の油」の摂取を止めたことが直接の理由です。
始めて2週間で、さっそく効果が表れてきました。
その代わり、納豆とカスピ海ヨーグルト&オリゴ糖の摂取を毎食。これも、肌と内臓の活性化に繋がっている実感があります。
そして、ストイックな木俣先生の指導は、「保湿NG」という、肌を厳しく鍛え、自助努力を引き出すものですので、それに従い、トラブルない部分へも、肌への夜の保湿を一切やめました。
トラブル部分への消毒剤と軟膏は処方されていますが、プロペトすらNGです。
皮膚科学会でも、これはまだ賛否両論あるようですが、確かなこととして、この方が、治りは速いと証明されているとのこと。
でも朝だけは、紫外線を避ける意味でも保湿と日焼け止めをしっかりつけます。
これだけで、きめが調ってきたので、夜にいろいろ肌に塗るのが逆に怖くなってきたこの頃です。

暮らし面では、肌も精神もこのように不安定な、過渡期のトンネルを潜っていましたので、とにかく「こころを癒すもの」に助けられました。
手指が、脱ステロイドのリバウンドで荒れていますので、手袋。
綿の手袋は、細かい作業には邪魔っけですが、薄くて肌触りも良くて、必要。もはやわたしの一部のようで、素手でいると子どもが手袋を持って「手!手!」と心配顔で駆けつけて差し出してきます。手袋をすると安心顔になる。
手袋なしはすなわち、手を忘れてる、という意味か?苦笑いです。
あとは、
絹のスカーフ。
綿のシャツ。
これらがユニフォームとなりました。
ニットは、どんなものでも、刺激となってしまい、直に肌に触れさせられないのです。タートルネックはお預けで、シャツに重ねてクルーネックを。
基本とする色は、ネイビーとグレー。柄で遊びます。スカーフで彩りを入れるのも好き。
でも、この冬のワードローブがこうして減った結果、毎日着るものが決まっているっていうのは、楽なものだなあ。と密かに思えたのは新しい感覚です。
子どもの離乳以降、舞い戻った香水の世界での、今のお気に入りは、シャリマーとマラバー。ハンカチや手袋につけています。

思い徒然様々が、巷でいわれる「ノームコア」に期せずして便乗している感もあるけれど、ひとが、健やかな時も病める時も、心の支えにするのは、「素の良さ」があるモノというのは、自然なことですよね。。
つまり、行き過ぎないこと、は、生きる上での大切なバランスを取ってくれる。
食べ物にしてもそうで、いろいろやってきた結果、「健康食品」として商品化されているものを集中して摂っても、必ずしも人を取りたてて健康にはしない、と感じました。
目を良くするとか、痩せるとか、お通じを良くするとかのやつです。
ふつうに、バランス良く食べようよという結論に。

現状を向上させるには、何かを「やめてみる」ことのほうが近道で、大概それが「好物、嗜好品」だったりするのが辛いところですが。
偏った嗜好から、そういう、中立な位置へ自分を運んでいただいた、というのが、今年の気づきです。
変化には、絶えず、誰か他の方のお力があります。
新しい軸には最初違和感があるものですが、頑固にならないで、今後も、素直に受け入れてみたいと思います。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。