相変わらずただのOLの自分なのに、不思議なご縁でいろんな人に出会えることを、最近、とみに感謝します。
おっきな組織に属さず、またはチームを率いて、自らの信念で活動する人たちは、表情のイキイキがとってもまぶしい。
楽しい時間のあと、こちらの心に深い余韻を残してくれるのは、そんな精神の自由さたちです。
そんな中で思ったことを、ふたつ。
~第一印象。
第一印象は、当たります。
なんだか好き!と意味なく感じた相手とは、なんだか進展していくし、
反対に、この人多少イマイチ、けど、持ち直したかな?なんて瞬間的に思っても、やっぱり行き着くところは、ああ、第一印象のとおりだった。
なんてことが、多いです。
百聞は、初対面の一見にしかず。
言い過ぎかもしれませんが、間違ってもないように、最近何かと思います。
なので、最初のタイミングで人を見下したり、丁重に対応しなかったりするのは、ほんとに恥ずかしいことです。
(さすがにそういう人にはあまり出会いませんが)
近頃心から思うのは、人間性の高い大物ほど、常に腰が低いこと。丁寧であること、細やかに配慮すること。控えめであること。
これは真実です。
継続できればもっと素晴らしいですが、ともあれ最初の瞬間に、どんな相手であっても、わけ隔てなく丁寧に接することで、いうなれば自分の第一印象を救うことが可能です。
名刺の肩書きを見て態度を選択する、気に入らない人から紹介されたからよくない態度をとる、目下のように思えたから偉そうにしてみた、なんて、自らチャンスを放棄しているのと同じですよね。。
どんな奥行きが、その先に待ち受けているか、なかなか最初にはわからないものです。
~何者である、のか。
恥ずかしい話ですが、自分は何者にもならないように、逃げを打ってきました。
どこにも属さないように、責任を取らないように、絶えず何かの影に隠れてきた感じです。
しかし、近頃出会う、まばゆい人たちといったら。
クリエイターにお会いすることが多いのですが、
「これが、" 自分の "仕事だ。」
と、オリジナリティ溢れる行動に意義を打ちたてる、そのすっくとした潔さには、圧倒されます。
なにかになるということは、リスクを管理すること。
光を生み出し、またそこに出来る影を両方、くっきりと輪郭まるごと、管理することです。
また、「自らの権利を守ること」だとも、最近教わりました。
一緒に、『権利の上で胡座をかくものを、法律は守らない。』という、重みある言葉も。
自分という存在は、そこにある以上、必ず何者かであるわけなのです。
何者でもない状態、と自分で思っていても、周りからは「曖昧な存在」という定義を与えられてしまうことを認識するならば、いつまでも「あたまかくしてしりかくさず」状態は続けられるものでもないなあと思いました。
・・・とりとめなく、覚書でした。
photo...par le figaro (cliquez l'image!)
おっきな組織に属さず、またはチームを率いて、自らの信念で活動する人たちは、表情のイキイキがとってもまぶしい。
楽しい時間のあと、こちらの心に深い余韻を残してくれるのは、そんな精神の自由さたちです。
そんな中で思ったことを、ふたつ。
~第一印象。
第一印象は、当たります。
なんだか好き!と意味なく感じた相手とは、なんだか進展していくし、
反対に、この人多少イマイチ、けど、持ち直したかな?なんて瞬間的に思っても、やっぱり行き着くところは、ああ、第一印象のとおりだった。
なんてことが、多いです。
百聞は、初対面の一見にしかず。
言い過ぎかもしれませんが、間違ってもないように、最近何かと思います。
なので、最初のタイミングで人を見下したり、丁重に対応しなかったりするのは、ほんとに恥ずかしいことです。
(さすがにそういう人にはあまり出会いませんが)
近頃心から思うのは、人間性の高い大物ほど、常に腰が低いこと。丁寧であること、細やかに配慮すること。控えめであること。
これは真実です。
継続できればもっと素晴らしいですが、ともあれ最初の瞬間に、どんな相手であっても、わけ隔てなく丁寧に接することで、いうなれば自分の第一印象を救うことが可能です。
名刺の肩書きを見て態度を選択する、気に入らない人から紹介されたからよくない態度をとる、目下のように思えたから偉そうにしてみた、なんて、自らチャンスを放棄しているのと同じですよね。。
どんな奥行きが、その先に待ち受けているか、なかなか最初にはわからないものです。
~何者である、のか。
恥ずかしい話ですが、自分は何者にもならないように、逃げを打ってきました。
どこにも属さないように、責任を取らないように、絶えず何かの影に隠れてきた感じです。
しかし、近頃出会う、まばゆい人たちといったら。
クリエイターにお会いすることが多いのですが、
「これが、" 自分の "仕事だ。」
と、オリジナリティ溢れる行動に意義を打ちたてる、そのすっくとした潔さには、圧倒されます。
なにかになるということは、リスクを管理すること。
光を生み出し、またそこに出来る影を両方、くっきりと輪郭まるごと、管理することです。
また、「自らの権利を守ること」だとも、最近教わりました。
一緒に、『権利の上で胡座をかくものを、法律は守らない。』という、重みある言葉も。
自分という存在は、そこにある以上、必ず何者かであるわけなのです。
何者でもない状態、と自分で思っていても、周りからは「曖昧な存在」という定義を与えられてしまうことを認識するならば、いつまでも「あたまかくしてしりかくさず」状態は続けられるものでもないなあと思いました。
・・・とりとめなく、覚書でした。
photo...par le figaro (cliquez l'image!)
全く同じ状況ではないと思うのですが、今、仕事に対し、熱意や意思がない状態です。湧き上がってこないというのが正直なところです。
責任を負いたくないがために、逃げていると言えばそれまでなのですが。。。
>何者でもない状態、と自分で思っていても、
>周りからは「曖昧な存在」という定義を与えられてしまう
私にとっても耳が痛いオコトバです…
わたしは、今まで、熱意がないというより、自分の能力の限界を試されるような仕事を選んでこなかったことをなんとなく後ろめたく思い、しかし今出来る中で少しでも素敵な人たちに追いつけるようになりたいと思っているところです。
とはいえ、今の、秘書という仕事も、好きです(*^^*)
周りの人たちのお役に立つことが、喜びです。
ただその立場から見て、自分の仕事は、自らの余力を残さず悔いなく、という種類ではないので、表立って活躍する腕力のある人に、憧れます。
KIRI*KIRIさまは、きっと、いろんなことに真剣に立ち向かい闘ってこられたことと思います。
ただ、熱意や意思、これは自分の欲望に支えられないと湧き上がってこないのは当然だと思います。
ない、ないと感じるものには目を向けず、ヤリタイ!と思うことに向かっていきたいですよね。
それが、自分の仕事の意義を発見することではないかと思います!