昨夜の食事は、お世話になっている方からご招待を受けて、大阪で。
楽しい時間でした。
明るくって、その場にいる人の気持ちをカラリと照らすお人柄というのは、いいものだなあと思います。
一緒に楽しもう という心の現れに、ひとは安らぎを見出す。
気配りというのは、想像力と慣れ。
机に向かって勉強、とかで身につくものでもない「訓練」なので、それをきちんと積んでいる人は単純にすごいと思う。タクシーで送ってくださるときは、さっと後ろの席を促し、自らはさっと助手席に入ったり・・・見習いたい。
さまざまな人とみっちり交流していると、初対面でも、だいたいニ、三言交わした手ごたえで、相手のキャラクターの根幹が把握できるようになるようです。
ただし、その判定の確認にかかる時間は、約1年だという。・・・僭越ながら、1年っていうのはわたしもよくわかるなー。じっくり1年、の間に、いいとこも悪いとこもどんどん浮き彫りになる。暮らし方のパターンなんかから透けて見えるものにも、ヒントがある。
そして昨日は、人付き合いに長けた人が、確認作業の末、さらに相手との付き合いを進展させていくかどうかの決め手を、ちょっと伺うことができました。
それはどうやら、正直さ。素直さ。
頭がいいとか悪いとか、能力が高いとか低いとか、そういうのよりもまず、「性格の素直さ」を持つ人が、目立った欠点はあろうとも、大物たちにはかわいがられるみたい。さらにそのうち、むしろ欠点を面白がってもらえるようになる、という段階へ進む。
素直というのは、人の言うことをハイハイ聞くという意味にとどまらず、
小細工をしない、
あらゆる変化を柔軟にうけとめる、
そして自らの変化を恐れない、しなやかな精神のこと。
で、人のあげ足をとるとか「あんたにそれを言う資格があるのかね」的お恥ずかしい発言を控える、上品な慎ましさのことでもあるようです。無理なく身の丈の人間そのままでいる、そういう佇まいも大切だから。大抵の人は御託を並べられると失笑を漏らすと思いますが、その堪忍袋の緒は、人付き合いに長けた人ほど、短い。
ついでに、大物、というのは、短期的でない成功をおさめ社会的信頼の高い人たちのこと。家族・友人と良い関係を築けないでいる人間もまた、成功しているはといえないそう。ごもっともだわ。
自分にできることがいかに少ないか、については、人や物事と接するほどに、身にしみてくるもの。
わたしも、いろいろ自信を失うことばっかりの日々なのですが、それも、身の丈そのままであることの大事さに気付くきっかけとなっていたこの頃でもあり、
励ましとして受け止めた、ありがたい時間でした。
楽しい時間でした。
明るくって、その場にいる人の気持ちをカラリと照らすお人柄というのは、いいものだなあと思います。
一緒に楽しもう という心の現れに、ひとは安らぎを見出す。
気配りというのは、想像力と慣れ。
机に向かって勉強、とかで身につくものでもない「訓練」なので、それをきちんと積んでいる人は単純にすごいと思う。タクシーで送ってくださるときは、さっと後ろの席を促し、自らはさっと助手席に入ったり・・・見習いたい。
さまざまな人とみっちり交流していると、初対面でも、だいたいニ、三言交わした手ごたえで、相手のキャラクターの根幹が把握できるようになるようです。
ただし、その判定の確認にかかる時間は、約1年だという。・・・僭越ながら、1年っていうのはわたしもよくわかるなー。じっくり1年、の間に、いいとこも悪いとこもどんどん浮き彫りになる。暮らし方のパターンなんかから透けて見えるものにも、ヒントがある。
そして昨日は、人付き合いに長けた人が、確認作業の末、さらに相手との付き合いを進展させていくかどうかの決め手を、ちょっと伺うことができました。
それはどうやら、正直さ。素直さ。
頭がいいとか悪いとか、能力が高いとか低いとか、そういうのよりもまず、「性格の素直さ」を持つ人が、目立った欠点はあろうとも、大物たちにはかわいがられるみたい。さらにそのうち、むしろ欠点を面白がってもらえるようになる、という段階へ進む。
素直というのは、人の言うことをハイハイ聞くという意味にとどまらず、
小細工をしない、
あらゆる変化を柔軟にうけとめる、
そして自らの変化を恐れない、しなやかな精神のこと。
で、人のあげ足をとるとか「あんたにそれを言う資格があるのかね」的お恥ずかしい発言を控える、上品な慎ましさのことでもあるようです。無理なく身の丈の人間そのままでいる、そういう佇まいも大切だから。大抵の人は御託を並べられると失笑を漏らすと思いますが、その堪忍袋の緒は、人付き合いに長けた人ほど、短い。
ついでに、大物、というのは、短期的でない成功をおさめ社会的信頼の高い人たちのこと。家族・友人と良い関係を築けないでいる人間もまた、成功しているはといえないそう。ごもっともだわ。
自分にできることがいかに少ないか、については、人や物事と接するほどに、身にしみてくるもの。
わたしも、いろいろ自信を失うことばっかりの日々なのですが、それも、身の丈そのままであることの大事さに気付くきっかけとなっていたこの頃でもあり、
励ましとして受け止めた、ありがたい時間でした。
自分に正直に,身の丈について考えるって,なかなかできないものだなぁ~って恥ずかしながらいつも感じてます.自信がないからこそ,ついつい自分の殻にとじこもっちゃうんですよね.ブログをもっているかたがたは本当にすごいと常々思っています.ブログをもっている時点で,十分すぎるくらい素直だし,本当にすごいです!
今日はたまたま,”島岡要著,研究者の仕事術”って本を読んでいて,そのなかに”もしブログを持っていないのなら,今すぐに始めなさい”って書いてありました.人間としての魅力を上手に自己表現することが大切なのですね.
情報を知識や知恵に昇格させるためにも,”アウトプットを原則とするインプット”が大切なんですって.わかるけれど,やっぱり,息子の保育園で流行っている言葉を借りると”めっちゃはずかしくて(笑)厳しいなぁ..”って感じです.手段は色々とありそうですが,いつかは成長しなくっちゃって思いました.人間を続けるのも大変なのだなぁって,あらためて思いました.
shioさんからご活躍伺っております。遅くまでお仕事、おつかれさまです。そのパワー、わたしもぜひ見習いたいです!
katsuoさまのブログはとっても面白そう。
ぜひぜひ、拝見したいです!!
私は口下手なので、書く場合なら自分のペースで進められて、楽ちん、という情けない理由があったりもします^^;
が、文字にすることで「あっ」とふと気がつくようなこともあって、やっぱりこれも対話なのですね、とてもありがたい存在だなあと感謝することも多いです。
>”アウトプットを原則とするインプット”
たしかに、これこそザ・充実感、ですね。
他者のために活かせるから知識は仕入れて楽しい、のではないかと感じます。
(わたしにはそこまでのインプットがまずできないので、想像ですが・・・)
人間を続けるの、大変。と、私も日々思います。でも一方で、shioさんからご紹介いただきこうしてkatsuoさんとの新しい出会いがあったり嬉しいこともたくさんあるので、いいなあ、と思います♪
お忙しい時期と伺っておりますが、どうぞご自愛くださいませね。
またお目にかかれる日を楽しみにしております。