Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

子どもの誕生日

2020-10-29 | vie... kurashi
今日は息子8歳の誕生日です。
ま、まさかあの赤ちゃんが、8歳
という、「母的思い込みあるある」だけではなくて「なかなか話し出さない」「言ってることわかってるのかがわからない」とハラハラする期間が長かった辛さも手伝い、感動。。というか感慨深い。。ものがあります。
口をきくのが遅かった彼は、1年生半ばからひと時も黙っていないお喋りになり、話すことには道理が通っており、今でこそあのだんまりの時代を笑うことができますが、
たまに、同じような性格の幼児を悩みながら育てている若いお母さんから話を聞くと、共感が溢れて止まりません。

やっと8年育ててきて、今時点で感じるのは、子供(もしかしたら大人でも)は、人から言われた言葉を吸い込んでその言葉を生きている、ということです。
「だいすき」
「生まれてくれてありがとう」
とは毎日言っていますが、彼は親のこの愛情を信じきって過ごしていますし、逆に、ワアワア騒いでいるときに
「あーもううっさい!」
と言うと
「うっさいとか言ったらあかん!」
と歯向かってこそくるものの、こちらが意図する「静かにしてほしい」が伝わる風は全くない。
ますます、うるさくなる一方です。
これぞ言霊。

『引き寄せの法則』につながっているところもあるかもしれませんが、完了形で、
「一回みたこと、聞いたこと、全部覚えちゃってすごいね!」
「かけっこ速いねー」
「泳ぐのうまいねー」
「お仕事ができるねー」
「人の役に立つ素晴らしい子だねー」
と褒めたことは、本人も“自分の能力”として自然と追いつこうとするものらしく、
こないだの運動会では学年の速い方から数番目という位置におり、一年生の時と居場所が違って、親はなかなか見つけられなかったくらいでしたし、
歌などは一回聴いたら大体歌詞を憶えているし、
食事の支度などは要領よくヘルプしてくれるし、

「褒めて損はなし!!」

と感じます。
ただ本人の歩む道筋に沿った褒め方でないと効果は出ないと思いますが、
その辺りは、幼児期にお世話になった七田眞式教育の担当の先生からコツを伝授していただいて、本当に良かったと思います。
(悪い例→泳ぎを習ったことがない子に、「速く泳げる!」などと暗示をかけると、その子は水に入る気になるが、技術がないので沈んで溺れてしまい、危険!)

なんでもスイスイこなす問題のない子、ではなかったからこそ、無理な期待をかけすぎることなく、できたことが一個でも増えたら嬉しい、という気持ちで息子を見守ってきました。
それに、適切な言葉をかけるというのは、注意深く見守っていないとできない、と実感します。

教育に関しては情報がたくさん過ぎて、取捨選択はいつも難しいです。親のセンスが試される時だと感じます。
でも、本人の心がしっかり安定していれば、いずれは自分で自分を育ててくれるぴったりのものに導かれていくように思います。
高学歴が教育の成功というわかりやすい指標もあるとは思いますが、実際に高学歴の夫を見ていると、「生まれ持った能力」➕「意欲、努力」の自然な決着であり、
一方で、能力以上のことをさせることで高学歴が手に入った場合、どこかで息切れする例もたくさんあると感じます。
人生はいつまでも誰かに採点されるものではなく、自分でカスタマイズして快適を作り出していくのですから…

良い心でいようと努めること、
これが兎にも角にも、引き続き一家の課題です。





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