第89回定期演奏会まであと二週間となり、本日は男衆三人での最後の準備作業。
次回からはゲストの犬伏さんをお迎えしての仕上げはいりますので、今回はメインのベートーヴェンを中心に、細かいところをクリーニング。
14年前に山形Q定期で演奏した時には気にならなかったところが気になったり、以前は弾くのに手こずったところを弾けるようになったり、今回は(加齢?からか)妙に譜面が見え辛かったり、色々な面で新鮮な気持ちで取り組めています。
総合的には今の方が作品に親密に接することができているので、歳をとるのも悪くないと思います。
そういえば、加齢のせいか、ブログの記事を作ることが歳を追うごとに苦手になってきました。
前々回の練習日誌などは、練習前日におおよその内容を打ち込んでおいたのですが、想定外の用事(娘の学校からの呼び出し)が入ったことで下拵えが徒労に終わりました。
その点、日曜日のリハーサルは良い。
娘は家に居て、妻が家に居るので、リハーサル中に急な呼び出しがかかる心配が無い。
そんな時に限って、事前の下書き準備を出来ずにリハーサルを迎えました。
閑話休題。
そういえばベートーヴェンといえば、ドイツ人のJ.N.メルツェルなる人物が商品化した「メトロノーム」をいたく気に入り、1817年に出版社の刊行紙に交響曲の1番から8番までの各楽章、各部のテンポ設定をまとめて掲載したとの逸話が残っています。
それ、弦楽四重奏曲にもやっておいて欲しかったな。。。
残っていないものは仕方がないので、四人のコミュニケーションを発展させる良き材料とさせていただきます。
ところで、音楽家が頼りにする資料のひとつにニューグローヴという大変大きな音楽辞典がございます。
その辞典によれば、メルツェルという人物は発明家で、色々な楽器を自動演奏する装置も造り、1808年にはウィーンで宮廷機械技師に任命されたり、ベートーヴェンが愛用した補聴器のひとつも彼の手によるものだったり、とあります。
ベートーヴェンと深く親交を温めたメルツェルでしたが、一方で他人のアイディアをかすめ取るという困った手癖の人物でもあったようで。。。
ベートーヴェンとロンドンへ演奏旅行を行うべく資金調達の演奏会を企画したメルツェル。
自身が造った自動演奏装置のために楽曲の草案を練り、それを基にベートーヴェンが作曲を行った「戦争交響曲」、それをさらなる資金稼ぎになればとベートーヴェンに勧め完成した「戦争交響曲」の管弦楽版、そして演奏会の際にそうした楽曲を自身の作品として発表してしまうメルツェル。
ベートーヴェンは腹を立て友交を断絶し訴訟まで起こしますが、最後までメルツェルを懲らしめるには至りませんでした。
ベートーヴェンの怒りを買ったメルツェルはというと、その後、オランダ人のヴィンケルという機械技師が考案した装置を手直し(目盛りを付け加えた)して特許を取得、メルツェル社を創設して1816年までにパリの工場で「メトロノーム」を大量生産し販売します。
「メトロノーム」に関しては、ヴィンケルに訴えられて敗訴し特許を失いますが、「メルツェルのメトロノーム」という名称が後世まで残り、楽譜のテンポ表記にその頭文字を用いて「M.M.」と記す場合があります。
昔からいたんですね、こういう困、いや、迷惑、というか、とてもたくましい方。。。
ともあれ、絶交した相手が売りまくっていた「メトロノーム」をいたく気に入ったというベートーヴェン、画期的で優れた機械だと理解しそれを受け入れた、懐の深〜い話でした。