島のまにまに~インドネシアの小径~

海洋国インドネシアのあちこちでで出会う、美しい村、美しいもの。自然とつながる暮らし。

死者とともに暮らす タナ・トラジャのお葬式

2014-11-05 | ならわしと儀式

トラジャのお葬式は、トラジャ語でランブー・ソロという。
ランブーとは煙。煙が下っていく、のがランブー・ソロ。
対して、煙が上っていくのがランブー・トゥカで、結婚式を指す。
煙は肉を料理することを意味している。

トラジャ人は盛大なお葬式を行う。
人が亡くなってもすぐには葬式を行わず、家族はその遺体とともにしばらく暮らす。
遺体は西枕に寝かされ、清拭を行った後、古くは薬草で、今はホルマリンを使ってミイラにされて安置される。その状態をトマテ(具合の悪い人)と呼び、本当に死んだとはみなされていない。
数カ月、数年経ってから、ランブー・ソロを執り行う。
その初めの日、遺体はまず家の中で今度は南枕に寝かされ、死んだと見なされる。
その人のことを、トマクラ(死んだ人)という。
トとは人のこと。トラジャのトもそうで、トラジャとは①山の人②真の民 という意味だそうだ。

一人のガイドは、自分もかつて遺体(トマテ)とともに過ごしたことがあるが、別に何も感じない、当たり前のことだと思っていると言っていた。

式を執り行うためには膨大な費用が必要で
その準備ができたらランブー・ソロを行うそうである。
ランブー・ソロまでに20年以上かけた例も聞いたことがある。

けれど、費用がかかるから葬式を後にするというのは、真の理由ではないだろう。非常に長い期間をおくようになったのは、一つにはそういう理由もあるだろうが、それはあとから付けられていった理由なのではないだろうか。どんなにお金があっても、死んだ人をすぐに葬らず、ともに過ごす時間を持つことが真の目的だろう。

大切な人が亡くなったとき、それを受け入れるには時間がかかる。
それが突然であればあるほど、死が嘘であってほしいと思う。生きていてほしい、
生き返ってほしい、魂だけでもそばにいてほしいと思う。
ゆっくりと死という事実に慣れていく時間があれば、悲しみは緩和される。
お葬式までに時間をかけるトラジャ人のやりかたは、
大切な人の死を、自然に安らかに受け入れる巧みな方法のように
私には思える。


この日は、3カ月前に亡くなった女性の葬式。
貴族の最上級のランブー・ソロで、非常に格式の高いもの。
5日間続く葬式の2日目。
貴族の葬式は通常5日だが、最近は親族がジャワ島など遠いところに仕事に行っている場合が多いので、4日になることが多いという。一般人もランブー・ソロを行うが、規模がずっと小さくなる。
広場の右側にはまだ生きている黒豚がたくさん横たわっている。
この日は水牛が1、2頭いけにえになる予定。後日には20頭が殺される。

会場のレイアウトについては、11月1日の記事 建築中の葬儀場に書いた。
葬式をする場所は、パブリック・スペース。貴族の土地である。
正面の遺体安置棟(Lakkien)の向かって左横から、参列者や豚や牛が次々入場してくる。参列者は、40~50人のグループになって、次から次へと入ってきて、終わることがない。何百人もの人が招かれているという。黒い服の人たちは、輪になって歌を歌っている。


Photo/Tana Toraja, Sulawesi, Indonesia(2008年)
スラウェシ島タナ・トラジャ


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