茜ちゃんのつれづれ草
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お盆の慌しさもそろそろ頂点に達しましたでしょうか。奄美大島の港も帰省客で幾分いつもより賑わいが有ります。近くの沖縄や鹿児島県内、大阪、東京など様々ですが、皆大きなお土産袋を手にして、故郷へ三々五々散っていきます。
さて、先回まではニコラス・ウエイドの「こころや意識は脳のどこにあるのか」の記憶のメカニズムの小節を読んでみました。今回からはフロイド・E・ブルームの「脳の探検」の中から、今まで書かれていなかった事を掻い摘んで、引き出して見て行きたいと思います。ちょっとその前に!
もう、Tea Time ですかという声が聞こえてきそうですが・・・・
先回、ロザリンド・フランクリンについて、若干ご紹介しました。本日は彼女が現在の分子細胞生物学の分野で、DNAの構造解析をおこない、そのメカニズムを知りえる最大の功労者の一人であるという、生物学史上の有名なドラマの一部をご紹介したいと思います。
登場人物・・・フランシス・クリック、ジェームズ・ワトソン、モーリス・ウィルキンズとロザリンド・フランクリン
皆さんがDNAの構造の発見に関わる事としては、以下の様なことが巷間伝わっている話として知っている事柄ではないでしょうか。
「1953年、科学雑誌<ネイチュア>にワトソンとクリックの著者名でDNAの二重らせんモデルが発表される。これは、A,G,T,Cの4種類の塩基を水素結合により組み合わせる優れたアイディアを含んでいる。だが、フランクリンはDNA結晶の鮮明な解析写真から、格子定数と繰返し周期、及び含水量など重要な結晶学的情報を既に得ていた。彼女の得たデータが密かに盗まれるようにして二重らせんモデル構築に用いられた。これにより、3人の登場人物にノーベル生理医学賞が授与された。」
下の写真が登場人物の横顔です。
ロザリンド・フランクリン
+
ジェームズ・ワトソン
フランシス・クリック モーリス・ウィルキンズ
写真の4人の登場人物に中で、現在存命なのはジェームズ・ワトソンのみです。先ず最初にロザリンド・フランクリンについてのプロフィールを語ってみましょう。
ロザリンド・フランクリンは、ユダヤ系の英国女性である。彼女は銀行家の長女として1920年に生まれ、ケンブリッジ大学(ニューンハム校)へ入学する。彼女は負けず嫌いで集中心があり、猛烈な努力家であったようで、大学を次席の成績で卒業し、ロンドンの英国石炭応用研究所(CURA)に勤務する。
彼女の生まれた時は世界的な大恐慌の真っ最中で、各国の経済は崩壊寸前であった。大学卒業当時の1942年は第二次世界大戦の最中で、ドイツ軍の空爆の下、フランクリンは同研究所で石炭の構造に関する優れた研究を行い、25才でPh.Dを得た。
その後、パリの国立化学研究所に移って勤務するようになった。ここで、彼女は黒鉛の結晶学的研究を行い、X線回折実験の基本を身に付けることが出来た。パリ時代の4年間に彼女が行ったグラファイトの構造学的研究成果は、現在も利用されている程にレベルの高い内容である。
1951年にロンドンに戻り、キングス・カレッジのジョン・ランデール教授にX線回折技術を評価され、同大学の博士研究員として雇用される。ここでは、同僚のモーリス・ウィルキンズ(35才)と共にDNA結晶構造解析を行うことになった。フランクリンが心血を注ぎつつ工夫しながらDNAの結晶化を行い、その結果、鮮明なDNAの繊維構造回折写真(A型結晶)を得た。
彼女はX線回折像から判断して、DNAのA型とB型の結晶変態に関する区別を行っていた。また、DNAが螺旋構造を形成することを最初に見出したのは、間違い無く彼女である。バーベック・カレッジのJ.D.バナール教授に雇われ、ウィルスの構造学研究に従事する。その中で、彼女はタバコ・モザイクウィルス(TMV)の基本構造として現在も用いられる分子モデルの構築を行った。
フランクリンの研究協力者としてアーロン・クルーグ博士(リトアニア生まれで南アフリカで育つ)がバーベック・カレッジへ来た。後に、クルーグは「結晶学的電子分光法の開発と核酸・蛋白質複合体の立体構造の解明」でノーベル化学賞を受賞(1982年)するが、その業績は彼女の研究指導に負う所が大きい。
フランクリンは、卵巣ガンの為、1958年に37才の若さで逝去する。DNAの仕事を終えてから、僅か5年後の事であった。亡くなる数週間前まで、彼女は熱心にポリオ・ウィルスの構造学的研究を続けていたし、死の床にあってもベネズエラから研究招聘を受けていた手紙を側に置いていたと言う。
以上が簡単な彼女の生涯と功績である。短い生涯の中で数々の現在に残るような業績をあげたにもかかわらず、運命の皮肉か名誉あるノーベル賞の受賞を受けられなかった。もう少し余命が有ったらと残念に思うしだいである。
ジェームズ・ワトソンがノーベル賞受賞後、「二重螺旋」を出版する。科学者たちが周囲を欺いて情報を盗み見たり、ライバルに成果を隠したりした姑息な手段を、生々しく記したこの本は、賛否両論を巻き起こす・・・・・・
このことは、彼女の同僚のモーリス・ウィルキンズが彼女に黙って彼女の研究成果と研究データーをワトソンとクリックに見せてしまったということを語っているのです。クリックとウィルキンズは最後まで沈黙を保っていたようですが、正直者ワトソン(?)はそれを公表したということになります。
ワトソンはその後もNIH(国立衛生研究所)の初代所長を務め、1968年から1993年にかけては、ニューヨークのコールド・スプリング・ハーバー研究所の所長を、1993年から2007年までは会長をつとめた。
共同で解析したワトソンの遺伝子情報が、国立バイオテクノロジー情報センター(NCBI)のデータベースに公開された。誰のものかが明らかにされているゲノム情報が公開されたのはこれが史上初である。
女性の科学者の中にはキューリーのように、世界的な科学者として名を残す事例もあるが、素晴らしい発明発見をしながら、女性であるという社会的な悪い習慣の犠牲になって埋もれてしまった方々も、男性の研究者に負けず劣らず多くいるのが現実の姿である。彼女の場合も理解をしてくれる人も多くいたであろうが、ユダヤ人という人種差別など数々の、足を引っ張る行為をした人達も多くいたであろうと思う。
どんな世界でもそうですが、<実力+運天付>がなければ、栄光を手に入れることは難しいのですね。
ジェームズ・ワトソンはいろいろ物議を醸したりする事で有名なんですが、根は正直という人物でしょうか。自分の子息が遺伝的障害を持っておられるようで、彼は生涯を掛けて遺伝子治療の研究をしているそうです。「遺伝子の分子生物学」の第5版が筆者の書棚に静かに横たわっています。何時になったら理解出来ることやらわかりませんが?・・・・・ (^-*)
本日は長時間のTea Time になってしまいました。
丁度著者の手元に新しい資料があります。 埼玉県の和光市に日本で世界的に有名な<理化学研究所>があります。 そこでは「脳科学総合研究センター」という研究機関があり、そこから最近<脳研究の最前線 上・下 >という著書が出版されました(BLUE BACKS)。 次回はフロイド・E・ブルームの「脳の探検」と一緒に書いて見たいと考えております。
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