文部科学省は昨年末「読解力向上プログラム」を策定し
子供の読解力アップに乗り出しました
発端は2004年に公表されたOECD(経済協力開発機構)と
PISA(生徒の学習到達度)調査結果によるもので、ここでいう読解力とは
「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、
効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、
塾考する能力」の事で、それが日本の子供には足りないそうです
文科省ではこれを「PISA型読解力」とし、
これからの日本が国際社会で競争していく上で必要な能力としています
「国語でいえば、従来のような文学を読むこと中心の授業ではなく、
読んで、人の話を聞いて、考えて、それをさらに表現として発信していく」事が
必要だと言います
日本は国際貢献で大切な税金から多額のお金を出しているにも関わらず
それを現地でうまく宣伝できずに、反対に同時に小額を援助している隣国の
偏った教育宣伝がその国で行われ、あたかも日本が悪い国のように
思われているケースがあって、報われないなあ、と思う事があります
表現していく、自分を主張していくというのは、島国で
皆が同じような文化を共有する日本ではあまり必要なかったのかもしれませんが
広い世界では表現していかないと理解されないのも当然なのでしょう
私が好きなアメリカ・インディアンの教えの中で
「地位や名誉は欲しがるものでなく、その人の人格によって
自然と備わってくるものだ」というのがあって、まさにその通りだと思うのですが
世の中には地位と名誉を欲しがる実力を伴わない人が
口先だけでうまく世渡りして得しているようなところもあります
現代社会では言葉巧みに主張して自分を本来の能力より大きく見せる事も大切で
まあ、そういうのもその人の能力だと思いますが
読解力が養われたらそのような口先のウソを見抜ける能力も向上するでしょうし
やはり理解し合うというためにも表現力は大切なものだと思います
ただ読解力を養うといっても、言うは易しでなかなか難しい事です
読解力向上のヒントとなる授業法として「一読総合法」というものがあります
児童言語研究会が推進する授業方法で、旧来の通読、精読(解釈)、味読(評価)
という三読法をとらず、「通読しない」事が最大の特徴です
物語の最初の部分を途中まで黙読させて、一人一人が感じた事や、
表現の言い換え、疑問などを書き込んで、それが終わると
どの部分で何を考えたかクラス全体で話し合いに移るそうです
物語の一部だけを読むことで「最初の読みの感動を最大限に活かす」事ができ
物語の先を予想し、手元にの紙に自分の意見を先に書くことにより
意見を言いやすくなるそうです
コミュニケーション能力には想像力が大切だと思っています
物語の一部しか読まない事で想像力が養われ
友達の話に耳を傾けて自分の意見を言う事で
コミュニケーション能力を養うのにも役立つと思います
ドラマはあまり見ませんが、連続ドラマを見て
その先を想像して友達と意見を言い合うのに少し似ていますね
ただこの授業は学校全体として6年通して導入しないと
ただのできる教師の「名人芸」に終わってしまうと言います
周囲の先生、自然ガイドや学芸員と呼ばれる人でも、一部ですが
自分の知識に頭でっかちになって、本来の、子供に考えさせる能力を養う
という事を忘れている人たちがいます
聞く、見る、相手(子供達)が何を考えているかを教える方が気付かない
そんな状況だと思います
一生懸命だから話は聞いてあげようか、と子供に思われてはイマイチですよね
知人の元教師は、それは「教」と「育」のバランスが悪いのだと言っていて
まさに今の授業もそういった能力を「育てる」部分が足りないのかなあと思いました
自分自身、読解力や表現力に欠ける部分が多くあるし
人の意見を聞くのは苦手なので、大変なのはわかりますし
世の中には完璧な人もそうさいさいいないと思いますが
特に、教えるという職業を選んだ人たちには
子供達と一緒に成長して行けるように頑張って欲しいですね
今の教育は詰め込み教育で時間が足りないのかもしれませんが
小学生のうちに読解力を養う事は必ずその後の学力の伸びに役に立ちますし
未来を担う子供達がこんな授業を誰もが普通に受けられると良いなと思います
そのためには、こんな授業を行える教師が必要になってきますけれどもね
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