色即是空 ~ 行く川の流れは絶えずして ~ 3

北の大地での生活

All things in the universe

<01.Mar 2011 Tue>

2011-03-01 | 北の大地での生活


とても綺麗な花畑とたくさんの実のなる豊かな森に住んでいる住人がいました。
そこに新しい住人がやって来ました。
もともといた住人はその新しい住人を共に働く者として招待し、
1人では充分すぎる森と畑から、たくさんのお花と実をお給料として与えると約束し歓迎しました。
余りある花は切り取られて飾られた後、飽きられて捨てられました。
たくさんの実は食卓を彩った後、食べきれない分はお土産に持たされましたが、
そのほとんどは腐ってしまい捨てられました。



お花の蜜を楽しみにしていたたくさんの蝶たちは一生懸命に遠くから雨の日も風の日も
その小さな羽を力いっぱいはばたかせ飛んで来たのに、
蜜を吸える花が少なくて十分な食べ物を得られず、力を落としました。



海峡を越え、たくさんの種を運び、森を育んで来た鳥たちは、
遠くから一生懸命に種を運んできたのに、森の実がほとんど取られてしまった事に気付かず
力なく少ない食糧を口にすると、運んできた種を落とし、
再び森を育むため、太陽が照りつける日も凍てつく雪の日も暗い夜も、海峡を渡り働き続きました。



森の住人はとても幸せでした。世界は自分たちを誇りにしているようでした。
新しく来た住人からも感謝され、新しく来た住人もその美しい花と実を限られた範囲で好きに使う事を許されました。
新しく来た住人の中には欲が芽生え、何としてもここに永住したいと切望する者も現れ、
楽園から追放される期限を恐れ、手を止めて一生懸命に愛想を振りまく者もありました。
ここを追放されたら自分は生きていけない、そんなひどい事をあなたはするのか、と泣き叫びました。



森の住人は、とても優しく、事あるごとに花を摘み、実を取り、手から零れ落ちるあり余る豊かさを分け与えました。
その優しさは本当に泣けてしまうほど心が震えます。
ですが、何だかとても、その優しさにうち震える以上にせつなくなりました。
その優しさの方向性は果たして正しいのでしょうか・・・?



自ら汗して耕した畑の実りを差し出すのではなく、
他の生き物たちが自分たちのために大切に育んでいる森の恵みを
当り前のように享受する。
その森をどれほどの努力で育み、その実りを心待ちにしているものたちがいることに気付かず
いとも簡単に奪い取ってしまう、
気付かないうちに・・・。
本当にその優しさにせつなくなりました。
自分も気付かなければ世界は実り豊かで、どれほど幸せだろうかと。





だけど知っているのです。
たくさんの海と野と山を越え、春も夏も秋も冬も、朝も昼も夜も
変わり行くはかなくも美しい新しい世界を見たくて旅して来たので、
その森の恵みが、花の美しさが、森の住人のものだけではないことを、
思うのです。知らなければどれほど幸せだろうかと。

***



昔の話ですが、車の免許の更新になぜ自分の有給休暇を使わないといけないのか、と言った人がいました。
仕事で車を運転する事も、たまにはあるのだから、仕事中に行かせろ、と言うのです。
それがダメなら、自分はもう、誰に迷惑をかけようとも、仕事で車の運転はしない、とその人は言いました。
お家の中で転んでケガをしたのだけど、通勤災害にならないの?と質問した人です。

そういえば、、、、、、病気が重くてほとんど勤務はできないけど、

働きたいから、新人は入れないで、退職後も自分を働かせてほしいと、、、言った、
とても笑顔の素敵な優しい人がいました。

何だか、本当に・・・哀しくなります。


***



ある人は言いました。
これまで十分に頑張ったのだから、有り余る森の実りを自由に使わせてあげようよ。

ある人は言いました。
食べきれない実りを、飾りきれない花を、自由に摘み取って何が悪い。

ある人は言いました。
まだまだ足りない。この森から得られる実りはまだまだ少ない。探せばもっとあるはずだ。
毎日花を敷き詰めて、毎日花の色を変えたいのに、まだまだこの畑の花の種類は少ない。
探せばもっと珍しい花が見つかるはずだ。

***



森が少しでも豊かさを持続できるよう、食べる実の量を減らしてみました。
花が少しでも咲き誇れるよう、摘み取らずに眺めていました。

でも実は取られます、花は摘み取られて行きます。
森の住人の家を飾るため、贈り物として差し出すため。

目を閉じてしまおうか、耳を塞いでしまおうか、
世界を旅するのをやめて、言われるがままこの地の果ての森の住民になってしまおうか。
季節ごとに色とりどりの花で身を飾り、たくさんの甘い果実を口にして、世界の終りまで歌って過ごそうか。

それとも、いつか森の住人は、鳥たちの努力に気が付くのでしょうか。
蝶の憂いに気が付くのでしょうか。
森の豊かさが少しづつ失われている事に気が付くのでしょうか。

***



聖書をよく読んでいました。
小学生の頃、授業の読書の時間は聖書を読むと決めていた時期がありました。

創世記のアダムとイブ
知恵のリンゴを蛇にそそのかされて食べてしまったイブ、
イブに勧められるがままリンゴを食べたアダム、
楽園を追放されたアダムとイブ

ずっと昔から、何度も考えました。
自分ならリンゴを食べるだろうか。

私は知恵の実を食べて、自身の力で歩み出したイブは偉いと、
それこそ小学生の頃から思っていました。
神は怒りで2人を追放したのではなく、
成長する機会を与えてあげたのだと、
終わりのない旅に送り出してあげたのだと、
絶え間ない進化の機会を与えたのだろうと、思います。


コメント
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