goo blog サービス終了のお知らせ 

ヘレスとお茶 Jerez and Tea

停まらず走り続けよう~
Thru drinking teas & practicing flamenco

ラス・カサスの簡潔な報告 その2

2009-09-06 00:15:32 | スペイン
ペルーの王国に攻め込んだフランシスコ・ピサーロについて

1531年、インディオを大量に殺戮され、土地を荒廃させられたため
インカ帝国皇帝アタバリバがスペイン人の陣営に着いた。

「スペイン人とか申す者はどこにいるのだ。ここへ出で来られよ。
其方たちは余の部下を殺し、村々を荒らし、富を略奪した。
其方たちがその償いをするまでは、余は一歩たりもここを
動くまい」と言った。

まともな武器を持たないインディオたちは、たちまち
殺されて、皇帝はすぐさま、捕虜となった。

皇帝は400万カステリャーノ(1カステリャーノは4.5g)の
金を渡すと約束し、実際には1200万カステリャーノを差し出した。

スペイン人は皇帝を釈放せず、結局は火あぶりにされてしまった。

###

ゴンサーロ デ ヒメネス デ ケサーダの残忍
コロンビアの奥地のコタと呼ばれる村の話

スペイン人は多くの村人を捕らえたのち、
15から20人くらいの領主に犬をけしかけて彼らを
八つ裂きにした。

この男は大勢の男女の両手を切断し、それを縄に
括って棒いっぱいにぶらさげた。それはほかの
インディオたちに彼の仕打ちを見せ付けるためだった。
棒には70組の手がぶら下げられていた。そのほかに
大勢の女や子供の鼻をそぎおとした

重い話ですが、ラス・カサスの簡潔な報告を読んだので

2009-08-28 20:24:37 | スペイン
ラス・カサス インディアス史が刊行されたと聞きましたので
まずは先に岩波文庫になっている「簡潔な報告」という一冊を読みました

ドミニコ会司教 ラス・カサスは1502年以降、インディアスに幾度も渡り
スペイン人コンキスタドール(征服者)の非道な行為をスペインに伝え
阻止しようとしたのですが、

ピサロやコルテスの暴力的な征服については、聞き知ったものがあり
ましたが、一連の歴史の記述として、この一冊が報告している
内容は震え上がるような内容でした。

16世紀の人類がまだ精神史としては未熟であったということで
済まされるのかわからなくなりました。

この報告は1542年に書かれたそうですが、それまでの40年間に
「キリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所業のために男女、
子供合わせて1200万人以上の人が残虐非道にも殺された」

(現ドミニカのある)エスパニョーラ島では「300万人の
インディオが暮らしていたが、今では(40年後)僅かに200人
くらいしか生き残っていない」

現在のコロンビアの北にあたる、
ティエラ・フィルメにてペドラーリアス・ダビラ総督の
悪行において、領主から金(きん)を奪おうと捕らえた上、
「地面に座らせ地中に打ち込んだ棒に縛り付けた。
両脚を広げさせ火に足をあて、さらに多くの金を
持参するよう強要した。略。(金を与えない領主に対し)
そのまま足をあぶりつづけ、とうとう、足の裏から
骨髄が突き出てしまった。こうして、その領主は死んだ」

どんどん惨劇が語られていきます

バードルビーと仲間たち その② Enrique Vila-Matas

2009-08-18 19:59:36 | スペイン
読み進むに連れて、どんどんめちゃくちゃになります。
誰が何をいっているのか、うなされてしまう感じで、

メルヴィルとカフカとデュシャン、ボルヘスにランボー
ホフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」などが
断片として交錯していきます。

ドゥルーズもバルトも出てくる様なので
どうとらえてよいのか、知識で読み解くことは
あきらめてしまいます・・・

###

1912年1月の雨の日曜日、カフカはこう書いた
「静かな日曜日がこんな風に過ぎていく。
寝室に座って黙っている。ところが、書くことを決心する─たとえばおとといなど、
できれば全身全霊で書きたいと思ったのだが─代わりに、ぼくは長い間自分の
指をじっと見つめていた。ぼくは今週ゲーテの影響を強く受けていたように思う、
その影響力の力をすべて汲み尽くしてしまったために、自分が役立たずの人間に
なったと思っている」

ヴィトゲンシュタイン
「語りえないものは、沈黙せざるをえない」

ノッティンガム大学のメッセント教授は、ロサンゼルスでピンチョンの
パーティに招かれたが、かつてニューヨークで会ったトマス・ピンチョンとは
似ても似つかわなくなっていた。そこでピンチョンは2人おられるのかと
尋ねた。
「どちらが本物かはあなたがお決めになればいいでしょう」とピンチョンは
こたえた。

バードルビーと仲間たち その① Enrique Vila-Matas

2009-08-14 13:50:36 | スペイン
木村榮一さんの素晴らしい翻訳で、ビラマタスの
「バードルビーと仲間たち」を読んでいます

この小説には高橋源一郎以来のショックを受けました

バードルビーとはメルヴィルの引用で、書けなくなってしまった作家を
指しています

メタ文学とか、批評とかそんなものはどうでも
よいのですが

ただただ全編が「書けないことの小説」になっています

シュール過ぎて笑うしかなかったりしますが
本当は小説なんか書けるほうがおかしいのではと
段々真剣に感じるようになります

ぼくは小説を読む意志を次第に失いつつあったので
ビラマタスのテキストは痛快でした

やっと本当の声を聞いて正常に戻ったような
そんな気がしてくるのです

名文句ばかりなので、記録のために

ローベルト・ヴァルザーに関して
ローベルト・ヴァルザーは、何も書けないと書くこと、それもまた書くことで
あることを知っていた。
ヴァルザーは無用の人間になりたい、何よりも忘れ去られたいと願っていた。
作家というものは執筆をやめたとたんに忘れ去られるべきだ、と彼は考えていた。

ペリン・ベーリョの言葉
「これまでいろいろなものを書いてきましたが、何ひとつ手元に残していません。
学生時代に受け取った手紙や自分が書いたテキストは、価値がないと思って
すべて失くしてしまいました。回想録を書いたこともありますが、破って捨てました。
回想録を書いたこともありますが、破って捨てました。回想録というジャンル
そのものは重要ですが、わたしは重要な人間ではありませんから」

ボビ・バズレンに関して
友人たちはひとり残らず、バズレンは最後に本を一冊書き、しかもそれは傑作に
なるだろうと信じて疑わなかった。しかし、ボビ・バズレンはページの下に書きつけた

メモの『テキストのないメモ』と中断したままの小説『外洋航海の船長』しか
残さなかった

クレマン・カドゥに関して
カドゥは書くことを放棄せぞるを得なくなったが、そのせいで(中略)、自分は
家具になってしまったと考えただけでなく、少なくとも絵筆を手にした。

まもなく自分は死ぬだろうと考えた若いカドゥは、自分の墓のために墓碑銘を書き、
家族のものにそれが自分の「全集」だと思ってもらいたいと言った。
「もっと多くの家具になろうとしたのだが、それは許されずうまくいかなかった。
結局一生を通じてひとつの家具でしかなかったのだが、それ以外が沈黙であることを
考えると、そのこと自体は決して些細なことではない」

明日のエル・フラメンコ

2009-08-01 01:40:54 | スペイン
知り合いの知り合いにパンフを見せてもらったのですが

明日、8.1 にエルフラで小島慶子さんほかのステージが

あります

バイレ小島さんも、ギター金田さんももちろんよく知っていますが

POKA岡崎さんって知りません

一度も見たことないし、活字でも知りませんでした

写真的には、申し訳ないですが

泉谷しげる (はファンです) 似の人です

どんな人なんだろか


閑話休題


いつも思うけど、日本人にとって、フラメンコって15年やって

ようやく若手と言われる世界ですよね

ギター住田さんがよく言っていることです

誰でもは唄えないし、誰でもは弾けないし

誰でもが、踊れない

アンダルス音楽はレコンキスタで・・・

2009-07-28 12:49:52 | スペイン
水野信男氏の「中東・北アフリカの音を聴く」によると、

アンダルス音楽とは、アッバース朝の音楽を起源にしていて
中世スペインのモスレム社会で発展し、別名として
ヌーバと呼ばれていたといいます。

それがレコンキスタにより、モスレムがスペインから追われると、
マグレブに逃れて、今日まで生き残ったのだそうです。

スペイン バル Madrid 渋谷に Ron de Cuba

2009-04-11 01:24:41 | スペイン
行きつけのお店ですが、渋谷のBar Madridに
最近、キューバ ラム が入りました!

Habana Clubの 3 anos/7 anos ですが
もう最高ですね

Canaは無論、Jerezに、Ronで乾杯~
池袋や六本木のSALSA BARに出向かなくてもよいしぃ

ますます通ってしまいます

これで、Bar Espanol としては100点満点です

ブランデーとラム 最近飲んだスピリッツ

2008-07-15 14:31:58 | スペイン
まずは、シェリーブランデー

Gran Duque D Alba

これがシェリーの香りの中にコクのある
やや濃い目の後味のあるブランデーなのでした

シェリーファンにはなんともいえない
ブランデーです

つぎが、フランス領Reunionのラム(ron)です

Riviere Du Mat

フランス領といえばマルティニークのラムが
おなじみなんですが、こいつも、ブランデーを
思わせる、甘さとまろやかさです

正直、ラムだけど、J Ballyみたいに
1人で1本飲んでしまうくらいのラムです



割引券 Bar Madrid 渋谷

2007-08-22 09:32:03 | スペイン
財布にMadridの割引券があったのを発見

病み上がりだが、こりゃ行かなきゃとMadridへ

久しぶりに Tトが、出迎えてくれた
割引券で一杯目のカーニャ(生ビール) 100円

ぐっとあけて、二杯目はマンサニージャ
うまかった

そして帰途に着く。店にいるときから帰りの
電車までずっと、モライート&トルタの
アレグリをえんえんと聞いてた。

唄が11コンパスで、そのコード進行を叩き込むため
なのです

モライートはブレリアとりしてるとこあるよね
いんだけど

銀座 Vinuls ヴァニュルス にはマンサニージャはないぞ !

2007-08-11 21:58:13 | スペイン
Bar バール と思って入ったのだが、
ここはバールではない。

ここはうまいことマーケティングして
銀座のお姉ちゃんたちを取り込んだ恵比寿 "Q"的、
こじゃれたカフェという店だった。

ここでも、店員さんはスペイン語でわざと
オーダーを通しているが、

それはご愛嬌というものだ。だって
メニューにJerezがない、Manzanillaがない。
だから、ハモンはあっても、恵比寿"Q"路線なのです。

だから、もはや、わたしは東京のBar バールを
信じないぞ。誰か、教えてくれ、ほんとに
気軽な店を。ほんとに立ち飲みで騒げる店を。
(結局 渋谷Madridになるのかも)

なお、イベリコ豚の後ろ足ハモンは熟成してて
うまかったです。

スペイン的でないことを除けば、よいお店です。

Bar Madrid 月曜の

2006-10-18 19:42:02 | スペイン


月曜だとは思ったが、渋谷のスペインバールに
立ち寄ってしまった

井の頭線の南側、西口からだと、住友銀行の
わきをずっといったとこにある、Bar Madrid

二階がレストランになっている
月曜だからか比較的空いていたのかな

いっぱいだけのつもりが、
カバとワインとヘレス(LA Gitana)を呑んでしまった

カウンターのお姉さんが、広島出身だと
いう一言もあったかもしれん

タパスは食べてなくてオリーブだけだったけど
カバが500円なので、これは駅近だし
立ち寄りやすい場所である

曲はサルサが流れていた
BGM大概サルサだとか、それもよしである

マドリッドへの旅

2006-09-13 12:11:28 | スペイン
オランダは滅茶苦茶天気よく暑く
おまけにくたくたになるほど働いた
夜も仕事のために睡眠不足だし

そして今日Amsterdam Centraalから特急乗って
ブリュッセルからThalysに乗ってパリ北駅についた

オランダの駅にはレンブラントのポスターが
30分でもいいから仕事抜けて見たかったなぁ(泣)
リーマンは悲しい稼業である

パリ北駅(写真)界隈は英語も通じるし助かる
オランダではまずかった食事が、ただのブラセリで
食べたものでもうまくて感動。さすがパリ

明日も仕事頑張るしかないが
明日の夕方からマドリッドだ
スペイン語で行けるのだ
わくわくわくわく

スペイン ワイン Vino de Murcia Barahonda

2006-03-18 16:42:06 | スペイン
良いワインにあたった

MurciaのYeclaのBarahondaというワイナリから
Tinto Barrica 2002 が1350円

これは4000円くらいの熟成の味がするように思う
UKのサイトでは2000円超くらいだし、それでもかなりお得

Barricaって熟成ってことなのかな
Monastrellっていう黒ブドウも結構濃い濃いがたまんない

これを飲んでタラントを弾くのさ

また酒屋に行って2本買いだめした
全部買ってもよかったくらい