不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Una scelta che non condivido

2014-11-12 09:13:54 | Tra la mente e il cuore
自宅から一番近い市内の某観光施設に
長年まったく愛着が持てない。
こちらに帰ってきてから
意識的に好意を持とうと要らぬ努力もしてみるけれど、
全然効果なし。

その理由は、
ある意味とても日本らしいと思える、
頓着のない文化の融合を
そこにみているからだと思っていた。
ポリネシアと中華が同居でき、
温泉文化も入り込める
不思議な空間の統一性のなさが
私には合わないんだと思っていた。

多分それも一要因。
しかし、
今朝、決定的に嫌いになった理由に思い当たった。
それは敷地内の植物への敬意の低さなんだよ。

今年の初夏、
花の終わったばかりの桜の木を数本切り倒した。
初秋にはたわわに実をつけている旬の盛りに、
フェイジョアの枝を打ち落とした。
そして、
今朝散歩の帰りに通りかかったら、
敷地の端に「非常用発電&貯水槽をつくる」ために植栽を破壊していた。

無駄に広い駐車場のどこでも掘り返して
貯水槽なんかいくらだって造れるのに、
わざわざ植物を刈り
桜を根ごと移し替え
土を掘り返して「そこに」造るまでの必要性ってあったのか。

観光施設内の植物なので、
所有者の自由にしていただいて
もちろん構わないけれど、
私は根本的に木を切り倒す行為は
蛮行だと思ってるので、
こういう行為を選択できるということに
嫌悪感を抱いたということ。

植物だって命のあるもの、
その植物の周辺に長年築き上げられていたはずの
小さな生態系サイクルを
無闇に壊していいとは思わないの。

たとえその小さな生態系の始まりが
人間の思いつきによる植樹だったとしても、
だからって再び人間の都合で壊していいとも思わないの。

観光施設の温室で守られている
商品としての熱帯植物の価値と
雨風に晒されている植物の価値って
同じだと思うんだけどね、私は。


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