不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Ebraismo a Firenze

2009-09-08 07:23:16 | アート・文化

フィレンツェの最大のユダヤ教寺院は
サンタンブロージョ教会の近くにあります。
Sinagoga01
フィレンツェのユダヤ社会の成り立ちは非常に古く、
古代ローマ人統治時代まで遡るといわれています。
ただし、1571年にフィレンツェに
ユダヤ人ゲットーが作られるまでの、
明確な中心的建物や場所は確定されていません。
1600年に作られたゲットーには二つのシナゴーグが存在し,
それぞれイタリア系の祭礼用、
スペイン系の祭礼用と使い分けられていたようです。
そしてその頃にはゲットーの外にも高利貸し業を営み
ピッティ宮殿近くに住居を構えていたユダヤ人グループのための
3つ目のシナゴーグも存在したようです。

1800年代後半になると
ユダヤ人ゲットーは完全に取り壊されて
現在の共和国広場へと姿を変えるのですが、
完全取り壊しの前、1848年にはすでに
2つのシナゴーグは寺院としての機能を失い、
寺院の調度品や装飾は
ドゥオーモの脇の小さな2つの祈祷所にまとめられます。
第二次世界大戦前にひとつ、1962年にもうひとつと
この2つの祈祷所もそれぞれ閉鎖され
調度品は今度はイスラエルに運び込まれ、
現在もかの地に保管されているそうです。
フィレンツェのこの祈祷所の記憶はわずかに
Via delle Ocheの祈祷所があった場所の
石碑に残るのみとなっています。
ゲットー外にあった3つ目のシナゴーグは
第二次世界大戦中、
ヴェッキオ橋へ続くすべての通りを爆撃した
ドイツ軍によって破壊されました。

1868年にDavid Levi(ダヴィド・レヴィ)の遺言に基づき、
彼の所有した資材&財産を元に
新たにフィレンツェのユダヤ教寺院が作られることになります。
フィレンツェで新しく整備された
サンタンブロージョ近くの一角に土地を求め
1874年から1882年にかけて
Marco Treves(マルコ・トレヴィス)の設計を元に
Mariano Falcini(マリアーノ・ファルチーニ) と
Vincenzo Micheli(ヴィンチェンツォ・ミケーリ)が手がけています。

Sinagoga05
特に青緑色の銅で覆われた丸天井は
ミケランジェロ広場などの高台から
市を一望したときにもひと目でわかるような色鮮やかさです。
Sinagoga03

内部は落ち着いた赤と青を貴重としたアラベスク模様で飾られ、
窓から差し込む自然光で照らされる広い空間となっています。
第二次世界大戦中ドイツ軍が進駐していた頃には
ガレージや馬小屋として使われ、
ドイツ軍撤退時には地雷を撒かれましたが、
奇跡的に爆発せず難を逃れたといわれています。
Sinagoga04

Sinagoga02

寺院前の広場には大きな石碑が建てられ、
ドイツ・ナチ軍の犠牲になったフィレンツェのユダヤ人
248名の名前が刻まれています。

寺院には小さな美術館も併設されていて
貴重な経典や聖具が展示されています。
美術館の入り口の扉は1997年に修復されたのですが
それを記す碑文に5757年(1997年)と書かれていて
ユダヤの歴史の長さを思い知らされます。

人が行きかうフィレンツェ中央駅で
今ではあまり目を留める人もいなくなってしまったと思いますが、
列車に乗せられてアウシュビッツへ連れて行かれたユダヤ人を
静かに偲ぶ碑が6番線の入り口の柱につけられています。
Ebraismo


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3 コメント

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プラハに行ったとき、初めてシナコーグに入りました。 (あきこ)
2009-09-09 02:04:47
プラハに行ったとき、初めてシナコーグに入りました。
いわゆるキリスト教の教会などとは、
まったく違うんだよね。
どちらかというと、モスクに近い。
かつては、男女は違う場所でお祈りしたらしいし、
偶像崇拝禁止だし。
3大宗教の複雑さを、改めて実感しました。

それに、フィレンツェが爆撃をうけたこと、
中央駅からアウシュビッツへ運ばれた人たちがいたこと、
初めて知りました。
今は、まったく感じさせないけど、
フィレンツェにも戦争の時代があったんだね。

アウシュビッツとイスラエルは、
一度行ってみたい所だけど、
なかなかタイミングが訪れないな。
シナゴーグは一度行ってみたいと思いつつまだ行っ... (まりこ)
2009-09-10 03:08:04
シナゴーグは一度行ってみたいと思いつつまだ行ったことがありません。写真とてもきれいですね。誰でも入れるのですか?近くにおいしいベジタリアンのレストランがあるんですよね?きっとalbero4さんのことだから行ったことがあるに違いない!
6番線にこんな碑があるなんて知りませんでした。
毎日通っているのに気がつかないもんですね。
しかし駅のこと詳しいですよね。いや駅だけじゃないですけど。このブログで教えていただいたことはとても多いです。
この夏に行って来たアルト・アディジェとオーストリアをつなぐ電車も戦時中は主にアウシュビッツに向かうために使われていたと聞いて鳥肌が立ちました。SSの支部もあったそうです。日常で気がついていないだけで戦争の痕跡というのはちゃんと残っているものなのですね。
>あきちゃん (albero4)
2009-09-10 10:19:01
>あきちゃん
特にフィレンツェの教会と比べるとその異空間に最初は戸惑います。
フィレンツェのシナゴーグももちろん
男女の礼拝区別があったときの名残がありますよ。
フィレンツェは実は結構ドイツ・ナチ軍にやられています。
ユダヤ系の人々も多かったみたいですしね。
広島でもかなり体力を奪われるので
アウシュビッツには一生行けないだろうと思っている私。
でも知っておくべきことなんだとは思うよ。

>まりこちゃん
普段も有料だけど一般市民でも入れますよ。
実はそのベジタリアン(というかユダヤ料理)の
レストランは行ったことないんだよねぇ。
シナゴーグの真横にあるよ。
中央駅マニアなわけじゃないんだけどさぁ、
結構駅も面白いのよ、見ていると。
日常の中に転がっている歴史の重さを感じるよねぇ。

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