1964年8月14日マルケ州の
海沿いの街Fano(ファーノ)の沖合いで
漁師が偶然引き揚げたブロンズ像は
Gubbio(グッビオ)の古物商に
5,000,000リラで買い取られたあと
一時的に消息を絶ちました。
1972年頃から一部修復されたこのブロンズ像は
ニューヨークのメトロポリタン美術館や
カリフォルニアのゲッティ美術館に照会され
販売を試みた形跡がありますが、
そのブロンズ像の出自が明らかでなかったために
当時の責任者は
いずれもオファーをつき返しています。
しかしゲッティ美術館の創設者である
ポール・ゲッティー氏が他界しトップが替わると、
1977年十分な検証もしないままに、
390万ドル(1977年当時)でこのブロンズ像の売買が成立。
それ以降は同美術館の所蔵となっています。
このブロンズ像を偶然引き揚げた漁師は
Romeo Pirani(ロメオ・ピラーニ)で
不法に芸術作品を売買したことを後悔し
8000の署名を集め、
ブロンズ像の返還運動を続けていましたが、
2004年に願いかなわず亡くなっています。
2007年に当時のイタリアの文化省長官だった
Francesco Rutelli(フランチェスコ・ルテッリ)の尽力で
アメリカからイタリアに戻ってきた
考古学的価値の高い作品の大半は
このゲッティ美術館に所蔵されていたものでしたが、
このときもブロンズ像は対象外となっていました。
ブロンズ像はアスリートをモデルにしたもので
古代ギリシャの彫刻家
Lisippo(リュシッポス)の手による
4世紀頃の作品だといわれています。
先日このブロンズ像の返還を
正式に求める文書がやり取りされたようですが
イタリア側は
きちんとした出自が明らかになる文書を欠く作品であり、
最も古い記録はGubbioの古物商からの売買記録であり
不法な手段で購入した作品であることを理由に
返還を求めていますが、
アメリカ側(ゲッティー美術館)は
そもそもブロンズ像は
ギリシャのものであってイタリアのものではないこと、
また見つかった場所は
国際海域に当たる沖合いであることなどを理由に
返還要請に応じないという立場を貫いています。
最終的にはアメリカ側がこのブロンズ像の所有に関して
法的手続きに出ると宣言したところです。
これまでアメリカとイタリアの間では
何度もこうした芸術作品の返還交渉がもたれていますが、
法的に取り沙汰されるのはこれが初めてということで
イタリアの美術界は微妙に揺れているところです。
こないだ見たBBCの記事では、
いまひとつわからないことがあったんだけど、
これでちゃんとわかりました!!!
美術品につきまとうこうした問題は、
なんだか悲しくなるねぇ。
きちんと保管され、展示されることが、
美術品としては幸せなことなんだろうけども。
よかったぁ、少しでも役に立って。
美術品をすべてオリジナルの国に戻せ
といったら大変なことになりますしね(笑)。
ケースバイケースでうまくやってもらえれば。